“ユダの裏切り”の理由
前回は、『ヨハネによる福音書』からイスカリオテのユダの“裏切り”に関する箇所を引用したが、『マルコによる福音書』にも、イエスがユダの裏切りを事前に知っていたことが書いてある。それは第14章17節から21節までの文章だが、イエスのユダに対する評価は極めて悪い。イエスは12弟子の前で、その中の一人が裏切ろうとしていると言い、弟子たちが騒ぎ出した後にこう言う:
「12人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生まれなかった方が、彼のためによかったであろう」。
福音書の記述を素直に読む限り、イエスはユダが自分を裏切ることを知り、かつその裏切りによって自分にもたらされる苦痛も知りながら、自らの運命を受け入れる。それが「神の子」として、万人の罪の身代りとなる救世主としての態度だとのメッセージが読み取れる。前回触れた新文書によれば、ユダはイエスに望まれて“裏切り”を行ったというが、しかし、そうまでしてユダを裏切らせなければ、イエスは逮捕され、処刑されなかったのだろうか? この不自然さは否めない。
ところで、ユダは何のためにイエスを裏切ったのだろう? 『マルコ』には、その動機は「金」だと書いてある。(14:10-11)金を与えることを約束したのは、ユダヤ教の「祭司長たち」である。そして、イエスを捕らえるために動員されたのは「祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆」(14:43)ということになっている。しかし、『ヨハネ』では、ユダが手引きしたのは「一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役ども」(18:3)だと書いてある。そして、イエスを捕らえたのは「一隊の兵卒やその千卒長やユダヤ人の下役」であり、イエスを連れて行った先は「大祭司カヤパの舅」に当るアンナスの所であり(18:12-13)、そこからさらに大祭司カヤパ、そして最後にローマ総督・ピラトの官邸へと連行される。実は、この流れが不自然だと考える研究者は多いのである。
ポイントは、「一隊の兵卒」という言葉である。当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にあった。だから当時のユダヤには「兵卒」といえばローマ兵しかいないのである。支配者であるローマ兵を、属国の宗教の祭司長が動かすことはできない。にもかかわらず、『ヨハネ』には、イエスを捕らえたのはローマ兵と、その千卒長と、部下のユダヤ人であると書いてある。そして連行先は、真っ先にユダヤ教の大祭司の所である。ローマ軍の事前の了解なしに、こんな兵の動きができるだろうか? しかも、この動きについては、最古の福音書である『マルコ』を初め『マタイ』にも『ルカ』にも書いてないが、後に書かれた『ヨハネ』にだけ出てくる。前3書には、ユダヤの「群衆」がユダの手引きによってイエスを捕らえに来るが、『ヨハネ』ではローマ軍が参加している。どちらが正しいのか?
1962年に『イエスの死』(The Death of Jesus)を書いたジョエル・カーマイケル氏(Joel Carmichael)は、『ヨハネ』がより正確であり、他の3福音書は事実を糊塗していると考えた。この「一隊の兵卒」とはローマの歩兵隊であり、ローマ軍がイエスを積極的に捕らえたというのが事実だ、と彼は考えた。なぜなら、福音書の作者は後代になればなるほど、イエスの死に関するローマ帝国の関与を“薄める”ことを心がけ、その代りにユダヤ人の関与を“濃くする”ことを意図したからだという。にもかかわらず、ローマ軍の動きが『ヨハネ』に書かれているのは、その元になった書にそのことが事実として描写されていたからだ--こう考えるのである。
カーマイケル氏の考え方は分かりにくいかもしれないが、彼の本は、イエスをローマ帝国に対する“反乱組織”の長として位置づけている、と述べれば、その意味を了解できるだろう。ローマはイエスを反乱軍の長として処刑した。しかし、後にそのイエスの教えがローマ帝国全体に広がったので(ついにはローマの国教となった!)、福音書の作者はイエスの逮捕と処刑にローマ軍が関わったという事実を薄める必要があった、というわけである。この場合、“ユダの裏切り”の理由は、単なる「金」ではなくなる。12弟子はそれぞれの民兵組織を配下にもっていたことになるから、政治的・軍事的理由からの“寝返り”の色彩を帯びてくる。そう言えば、丸腰であるはずのイエスと弟子たちの所へ、「祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆」が真夜中に「剣や棒」などの武器をもって押しかける必要がなぜあるのか、という疑問も湧く。また、『ヨハネ』には、イエスを捕らえに来た大祭司の部下にペテロが剣で切りかかり、右の耳を切り落としたと書いてあるが、剣を持っていたのはペテロだけだったのだろうか?
しかし、上記の解釈は一部の研究者のものである。別の研究者の中には、“ユダの裏切り”が本当にあったかどうか疑問視する人もいる。例えば、田川建三氏は「福音書はすべて、ローマ帝国支配下の状況においてキリスト教の正当性を主張しようとする意図を持って書かれている」という立場から、『イエスという男』(1980年、三一書房刊)の中で次のように述べている:
「たとえばイスカリオテのユダがイエスを“裏切った”という。何故“裏切った”のか、どのように“裏切った”のか、そもそもイエスを逮捕するのにどうしてユダの“裏切”が必要だったのか、我々は何も知らない。何らかの意味で“裏切者”と断罪されたユダは、イエス死後の弟子達の教団から排除された。そして、“裏切者”を排除した教団は、裏切者がどのように裏切ったかを物語る必要にせまられる。すべての権力的党派に共通する行動を初期キリスト教団もとったにすぎない」(p.351)
1700年も前に生きた人の“裏切り”の理由は、こうして闇の中にある。それを宗教的にどう位置づけるかは結局、今を生きる人間の考え方による。生長の家創始者・谷口雅春先生は「耶蘇伝」(『生命の實相』宗教戯曲篇に収録)の中で、「ユダは結局裏切らなかったが、不信仰が原因でイエスの身代りとなって処刑された」との独自の解釈を打ち出されている。そのユダの心理描写から、現代の我々は多くのことを学ぶことができるだろう。
谷口 雅宣
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