« “ユダの裏切り”の理由 (2) | トップページ | GM動物の誕生 »

2006年4月12日

“ユダの裏切り”の理由 (3)

 さて、本欄の前回では、イスカリオテのユダが、師であるイエスを裏切った動機は「嫉妬」であるとの谷口雅春先生の解釈を紹介した。福音書には「金」が動機であると書いてあるが、先生はユダに金銭欲がなかったというのではなく、それだけではユダの行動は説明できないとして、次のように書かかれている:
 
 「どんな悪人でも単に、銀30両を得んがために、その師を死罪にまで売り渡すと云うことはあり得ないのであります。銀30両でイエスを売ってやろうと考えるに到るのは余程の怨恨が無ければならない。その怨恨は、自分が愛している女をば師が愛していることに対する嫉妬と、しかも衆人の前で自分が面罵された怨恨だと考えられるのであります」。(『新版 ヨハネ伝講義』、p.246)

 だから、先生は福音書の記述を否定されているのではなく、「その記述の奥にさらに深い動機がある」という解釈であることが分かる。
 
 では、伝統的なキリスト教では、“ユダの裏切”の動機をどう解釈してきたのだろうか。ここでも「ユダは欲望満足のために師を売った」という表面的解釈で満足しているわけではないようだ。アメリカのカトリック教会の週刊誌である『アメリカ』の編集者、ジェームズ・マーティン師(Rev. James Martin)は、12日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載された論説で今回の“ユダの福音書”について書いているが、そこでは「ローマの代官の支配に堪え切れなくなったユダが、イエスに一種の“奇跡的革命”を起こさせようとした」と解釈している。
 
 マーティン師はまず、“ユダの福音書”にあるような「イエスに頼まれて裏切りを演じた」とする説を「ありそうもない(unlikely)」として否定する。なぜなら、わざわざそんなことをしなくても、ユダヤ教の祭司やローマの権力者たちには、イエスを逮捕する理由も機会もいくらでもあったからだという。また同師は、谷口雅春先生と同様に、金銭目的での裏切りも「ありそうもない」としている。その理由は、ユダが金銭目的でイエスの弟子になったのだとしたら、3年間も砂漠地帯で師と一緒にウロウロしてはいなかっただろう、というのである。そして、これらの「イエスの依頼説」と「金銭目的説」は、ユダが裏切り後に自殺していることを説明できない、としている。イエスの依頼による“裏切り”ならば、事後に自殺する必要はまったくないというわけだ。(ユダの死は、『マタイ』の第27章には首吊り自殺だと書いてあるが、『使徒行伝』では必ずしも自殺ではなく、事故とも受け取れる表現になっている。)

 そこで同師は、かつて聖書学者のウィリアム・バークレイ氏(William Barclay)が唱えた解釈を紹介し、それが今日でも「最も妥当な(plausible)」説明だとしている。それによると、ユダは、イエスがローマの支配をなかなか転覆しないのに業を煮やし、“革命の引き金”を引くために裏切りを演じたというのである。この場合、ユダはイエスが「神の子」であり、神の庇護の下に奇跡を行う能力があると信じていたことになる。だから、切羽詰った状況になれば、イエスは神の力を招き寄せて一大奇跡を起こし、きっとローマの支配は崩壊する。そのためには、多少の荒療治も許されると考えた。しかし、実際は、イエスはローマ兵に捕らえられ、拷問を受け、十字架上で非業の死を遂げる。だからユダは、自責の念に堪えきれずに自殺するのである。

 さて、“ユダの裏切り”の動機について3種類の解釈を紹介したが、どれもある程度「ありそう」であり、ある程度「ありそうもない」ように感じられるだろうか? 1700年も昔の、記録があやふやな出来事にあっては結局、事実は分からないことの方が多い。そんな場合、我々は自分の心を投影して「最もありそうな」解釈を選ぶ以外にないのかもしれない。こういう点で、歴史と宗教は似てくるようだ。

谷口 雅宣

|

« “ユダの裏切り”の理由 (2) | トップページ | GM動物の誕生 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: “ユダの裏切り”の理由 (3):

« “ユダの裏切り”の理由 (2) | トップページ | GM動物の誕生 »