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2006年3月 1日

自然への愛

 今日から3月である。3月1日は生長の家の立教記念日なので、午前10時から東京・原宿の本部会館ホールで「立教77年 生長の家春季記念日祝賀式」が行われた。以下は、この式典で私が行ったスピーチの概要である:

 3月からは春ですが、このところ寒い日が続いています。昨年の12月初めごろ、気象庁は今年は暖冬だとの予測を出しましたが、そのすぐあとで、日本各地で雪が降り出し、積雪量の史上最高記録が次々と打ち立てられました。地球温暖化に伴い、世界中で従来の気候や気象のパターンとは違った現象が現われてきています。それで気象の予測が困難になってきているのです。

 生長の家では、この地球温暖化をできるだけ防ごうと熱心に取り組んできていますが、これは単なる環境保全運動ではなく、宗教的に言えば「自然をどう愛するか」という問題であります。現在の地球規模の環境問題が示しているのは、我々人類が「自然を正しく愛していない」こと。その歪みが拡大してきていることを示しています。

 今日の立教記念日は、谷口雅春先生と輝子先生のご努力で『生長の家』誌の創刊号が発行された日であることは、すでに皆さん充分ご承知のことですが、この記念すべき創刊号に谷口雅春先生が「三種の愛」について説かれている所を、ご紹介したいと思います。この雑誌の28ページから引用します。
 
 「愛せよ。少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。
  こんなに愛してやっているのに相手はこうだと批難するな。呟くな。
  愛は、その結果がどうなるからとて愛するのであってはならない。
  愛すること、そのことが神の道だから愛するのだ。
  愛すること其のことが幸福だから愛するのだ。
  結果をもとめた愛は必ず不幸に終る。」
  
 こう書かれてから、先生は「愛には3つの段階がある」と次のように説かれます。
 第1段階の愛--これは愛の結果の利益を予想して愛するのだから「功利的愛」であり、結局のところ「自己愛」である。
 第2段階の愛--これは相手が喜んでくれるから愛する、という段階で、功利的ではないが、相手からの認知が必要な愛であり、「求める愛」「特定の他者への愛」と言うことができます。
 第3段階の愛--これは報いや認知を求めない、自分を抜けきった愛で、「無私の愛」「無償の愛」「全体への愛」と呼ぶことができます。
 
 人生は、愛することを学ぶ場で、第1段階の愛から始まり、第2、第3へと進むことで「神の子」の実相が現れてくる喜びを体験するところに意義があります。人類全体も、このような愛の学習を歴史を通して行っているのです。私たちは皆、春が来て花が開けば嬉しく、明るい気分になります。自然を愛しているのです。でも、その愛し方に問題はなかったか。これを反省し、正しく愛すべきことを学んでいく過程にあります。

 例えば、「花を愛する」という場合は、①自然の場から取ってきて、花瓶に差す、という方法がありますが、これは「自分のために美しいものを取っておく」のですから、第1段階の愛です。花のついた枝を切って持ってくれば、植物にはいい迷惑です。次に、②庭に植え、あるいは植木鉢で育てる、という方法がありますが、これは一方で植物のためになるのですが、他方では「自分のためになる」ことを期待して育てるのですから、まだ第2段階の愛であり、「特定の他者への愛」と言えます。「特定の他者」という意味は、例えばサクラが咲いてお花見をする場合では、サクラの木の下にビニールシートを敷いて、大勢の仲間と一緒に酒を飲んだり、食事をしたりする。その間、サクラ以外の植物や動物のことなど忘れている。花見が終って弁当ガラなどのゴミを捨てていけば、自然の中から自分に都合のいい「特定の他者」を選び出して、それだけを愛している。その特定の自然物から「求める愛」であるということになります。
 
 これらに対して③そのまま自然界でそっと鑑賞する、という愛し方があります。また、自分に何か利益が及ばなくても、自然界の繁栄のために手を尽くすというのも、愛することです。そして、花が咲いている時だけ愛するのではなく、常に、すべての生物に、山や川もすべて含めて自然をそのまま慈しむようになれば、これは第3段階の愛に近づいていきます。
 
 我々は今、「特定の他者に対する愛」が昂じると、問題が出てくることを学んでいるのではないでしょうか。例えば、鳥インフルエンザを考えてみましょう。これは、去年から今年に入って、世界各地で致死性の高い種のウイルスに感染した鳥が発見されています。野生の鳥が渡りをする際に、人間の飼っている家禽類にウイルスを感染させていると思われます。しかし、このウイルス自体は、昔から鳥類に寄生しているのに、これまでは特に深刻な問題とはならなかった。それがなぜ今、世界各地で大問題になっているのでしょう。これは、予測される被害が莫大なものになるからです。その一つの原因は、現代の家禽の飼育は、牛や豚と同様に、自然界を改変し、狭いところに多くの鳥を囲って育てる方法をとっています。そのことによって、短時間のうちに大量の鳥にウイルスが感染することになる。言わば人間にとって、食用として価値のある「特定の種に偏重して愛している」わけです。この愛が「執着の愛」であるために、自然界を破壊し、さらに人間にも被害を及ぼすのです。
 
 愛とは、自他一体の実相を現わすことです。第3段階の愛は、それを最も明らかに実現させます。自他一体であれば、「他」のある所に「自」もあるのですから、人間の近くへ無理矢理もってくる必要はない。自然そのままの所にあっても、自分の意識が延長して「それと一体である」と感じるのです。人工的状態にもってこないと一体感を感じないのでは、自然との自他一体でなく、一種の奪う愛、執着の愛です。地球環境問題を考えることは、そういう歪んだ愛の修正を考えることでもあります。結局、我々がこの世界で学ぶことは、「すべては一体である」ことを実生活で体験することが、我々にとって本当の喜びだと知ることです。

 それでは最後に、私のウェッブサイトに掲載している祈りの言葉の中から、「“すべては一体”と実感する祈り」というのを紹介したいと思います。では、瞑目合掌をお願いいたします。

谷口 雅宣

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