« 悪を放置するのか? (2) | トップページ | 人類は進化する? »

2006年3月 9日

大都会を走る

 休日だったので、久しぶりに東京都内を運転した。仕事で出張の際も、東京駅や羽田空港の間をよく往復するが、この時は自分で運転せずに、車内では読み物をしていることがほとんどだ。だから、外の風景をじっくり眺めることは少ない。しかし、自分でハンドルを握りながら、コンクリートとアスファルトで塗り固められた都会の道を走っていると、「人間はトンデモナイものを作り上げて、その中でよくもまぁ嬉々として生活しているなぁ~」と嘆息してしまう。そんな嘆息の対象の中に私自身も含まれることは、言うまでもない。私は、こういう都会生活を決して嫌っていないのだが、よくもまぁこれだけの量の石灰質を空高く積み上げ、また地下深くにまで塗り込んだと思うのである。
 
 サンゴという動物(植物ではない)は、8本の触手のあるポリープ(サンゴ虫)が雌雄の交配なしに殖えていき、木の枝のような殻を作り上げていくらしい。この殻は、ご存知のように宝飾品として利用される堅い有機質で、主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)である。つまり、ポリープが海中の炭素を固定したものだ。海中の炭素は、大気中にあった二酸化炭素から来ていると考えられるから、サンゴの繁殖は地球温暖化の防止に役立っている。サンゴ以外の貝類の殻、有孔虫、石灰藻も炭酸カルシウムを多く含むから、同じような役割をしている。この炭酸カルシウムが「石灰石」だ。また「石灰岩」と呼ばれるものは、石灰質の殻をもつ生物の死骸が堆積してできた岩で、炭酸カルシウムが重量の半分以上を占めるものを言う。これらはもともと、生物の作用により大気中の二酸化炭素から作り出されたものだ。

 そう考えると、石灰を塗り固めてできた都会は、人工的な空間の“極致”のように感じられるが、人間の力だけではできなかったことが分かる。アスファルトの原料である原油も太古の生物の死骸がもととなっているし、コンクリートの主原料であるセメントは石灰石で、これまた生物の炭素固定作用のおかげで作られたものだ。そんなことを思いながら、大都会のビルの谷間を延びる高架式道路の上を走っていると、そこは無味乾燥な人工構造物などではなく、海中のサンゴ礁に匹敵するような複雑な“自然”の一部であり、ハンドルを握る自分は無数のサンゴ虫の中の一匹であるかのような錯覚にふと陥る。ただし、サンゴ虫と人間との違いは、前者が自分の行動を意識的にとらえることがないため、自分を超えられないのに対し、後者は自分を意識することで行動を制御する力を有し、行動の結果から次の行動を変えることができる点だ。
 
 人類が地球上の多様な環境に適応して生きてこられた理由が、そこにある。しかし今や、64億とも65億とも言われる数に達した人類は、地球環境問題に直面して、本当の意味で、この適応能力が試されているのだと思う。海中のサンゴは、自らが繁栄しながら、無意識にではあるが「サンゴ礁」という生物多様性の宝庫を作り上げる。これに比べ人類は、自らが繁栄を目指して意識的に作り上げた「都会」の中で、生物多様性を急速に減退させながら、毎日の仕事に肉体と精神をすり減らし、自分の孤独と戦う。これがかくも多様な環境に適応することができた人類の行き着く先とは、私にはとても思えないのである。もしそうなのであれば、人類には本当の意味での適応能力はないのである。
 
 人間が自然を力ずくで征服しようとする方法が本当の意味での「適応」ではないことに、多くの人々が気づきつつあるゆえんである。
 
谷口 雅宣
  

|

« 悪を放置するのか? (2) | トップページ | 人類は進化する? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大都会を走る:

« 悪を放置するのか? (2) | トップページ | 人類は進化する? »