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2006年3月19日

ブッシュ氏よどこへ行く?

 前回の本欄で、イラク戦争が「対立する双方の誤算から生れた」という側面を検証してみた。これを「迷いと迷いがぶつかり合って生じた」と言い換えるには、必要な情報はまだ不完全かもしれない。しかし、誤った判断から何かを行ったとき、我々個人は普通どうするだろうか。誤りに気づいた時点で、その行動を中止し、その行動によって損害が生じたならばできるだけ償おうとするだろう。それが正直者の行動だ。が、国際政治はそれほど単純ではないのが残念だ。
 
 戦争ともなれば、「ちょっと間違ったからやめましょう」というわけには行かない。すでに2300人もの米国兵士が死亡しており、負傷者の数は米軍だけで1万7000人と言われている。彼らや彼女たちに「あなた方の犠牲は間違いから生れた」などと言って、大統領は次期選挙を戦うことなどできないし、何千人もの兵士やその遺族から一斉に訴訟される可能性もある。選挙どころの話ではない。だから、「後退する」という選択肢は政治家としては存在しないと考えたのだろう、ブッシュ氏は「前へ進む」以外に方法はないと決意したようだ。そして「判断は誤ったけれども、正しい方向に進んでいるのだから、その方向へ国全体を、そして世界全体を導いていこう」というのだ。

 最近のブッシュ大統領の演説の内容を見ると、このような考え方が透けて見えるような気がする。しかし、「判断を誤った」とは言っていない。イラク戦争開始の当初の理由は、①イラクが大量破壊兵器をもち、②テロリストを支援しているということで、この2つは間違っていたのだが、圧政を布くフセイン大統領を倒してイラクを民主化するという“第3の理由”だけを書いて、「そのための戦争だった」との正当化を行っている。間違いを「間違いだった」と言えず、失敗を「失敗した」と言えないのは、「唯一の超大国の大統領」としての面子に執着しているからなのだろうか。しかし、間違いや失敗を糊塗し、その上に築かれる政策は“砂上の楼閣”のような危うさを感じる。

 一国の信じる価値観と相容れない政治形態や支配構造をもつ国の政権を武力で転覆して、自らの価値観に沿った政治形態をその国に導入する。アメリカがアフガニスタンとイラクでやったことは、結局そういうことではなかったか。このやり方について、ブッシュ氏は何の問題も感じていないようだ。それどころか、必要ならば今後もそういう外交政策を継続していくことを暗示している。

 このたび発表された「国家安全戦略」(national security strategy)という49頁の文書には、「我々の世界から圧政を終らせることを最終目標として、すべての国と文化の中に民主的な動きや制度を求め、支援していくのがアメリカ合衆国の方針である」と書かれている。このような目標は、もちろん簡単には達成されない。だから、同文書は現段階を、冷戦が始まった当時の状況になぞらえ、「これは何世代にも及ぶ仕事だ」と言っている。そして、現在の敵はファシズムや共産主義のような世俗思想ではなく、「誇り高い宗教の曲解」(perversion of a proud religion)に基づく新しい全体主義だと宣言している。名指しは避けているものの、これが過激な「イスラム原理主義」と言われるものであることは容易に想像できるだろう。

 アメリカの新保守派と言われるフランシス・フクヤマ氏(Francis Fukuyama)は、『ヘラルド・トリビューン』紙(3月18~19日)の取材に対し、この種の考え方をこう批判する--内情をよく知らない国や社会に民主主義を導入しようとするのは、アメリカ保守主義の基本的考え方に反する。実際、2000年の大統領選挙では、当時のクリントン政権がソマリヤやハイチ、そしてバルカン半島に民主主義導入のための介入をすることを、ブッシュ氏もライス氏も批判したのだ。
 
 私は、いくら勇まし好きであっても、「唯一の超大国」と言われる国の大統領が、世界宗教の一部を相手に宣戦布告するような文書を出すことは決して好ましいとは思わない。「敵を認めれば認めるほど、敵の姿は明らかに現われてくる」という心の法則を伝える方法はないのだろうか。
 
谷口 雅宣

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