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2006年3月21日

人間不死の信仰を生きる

 お彼岸の中日である今日は、午前10時から東京の生長の家本部会館のホールで春季慰霊祭が挙行された。このお祭りは、生長の家の運動に功労のあった幹部・信徒のうち霊界へ移行された方々の慰霊のために行われる恒例の行事である。秋季と春季の2回行われ、功労者名は立教以来の「霊名簿」に記載され、一人ずつ招霊の後に合祀される。私は主宰者として祝詞を唱え、聖経『甘露の法雨』を読誦させていただいた。

 お祭りの後、遺族代表のお言葉を受けて、大略次のようなご挨拶をした:
 
 今日は皆さん、遠いところからお参りに来て下さいまして、ありがとうございます。
 今年は春の到来が遅く、梅の花は2週間から3週間遅く咲いたなどと言われていますが、最近では寒暖の差が激しいですね。

 一昨日の日曜日は、山梨県甲府市で生長の家の講習会がありましたが、空は晴れていましたが、強風が吹き荒れて大変でした。講習会後に幹部会をやるのですが、その時は、立派な建物の中の一室でしたが、ヒューヒューという強風の音で幹部会での会話が聞こえにくいほどでした。翌日の新聞を読むと、この日は3月としては1937年以来、69年ぶりの強風が吹いたそうです。最大瞬間風速33.4mといいますから、台風並みでした。関東地方ではJR線も地下鉄東西線も一時運休したほどです。

 しかし、日本には「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるように、冬はやがて終わり、春が来ます。山梨県ではモクレンが満開で、ボケも咲いていました。私の家の庭ではレンギョウも咲き始めました。こうして季節が巡っていくことは、自然界の豊かさの表現でもあるわけです。冬には冬でなければ味わえない善さがあり、春には春の善さがあるし、夏にも秋にも、それぞれの季節でなければ味わえないような善さがあり、また厳しさもある。そういう体験を通して、私たちは真・善・美の豊かな表現を知るし、自分でもその表現に参加するのです。そして1年が過ぎれば、また同じ季節が巡ってくる。これが繰り返される。しかし、今年の春は去年の春とまったく同じというのではなく、微妙に違っている。その変化があることがまた味わい深い。
 
 人生も、ときどき季節の移り変りに喩えられ、またよく似ています。「青春」という言葉があり、「人生の夏」と言われる時期があります。それは、新婚生活から子育てが終るまででしょうか? その後に来るのは人生の「実りの秋」です。子育てが終ると、人間は仕事や自分を磨く面で充実した収穫期を迎えます。人間はこの時期に、最も生産性が上がるといわれています。そして、静かな「老後」へと移行していきます。この人生の春夏秋冬も、それぞれの季節に独特の善さがあり、味わいがあり、意義があります。
 
 では、その次に来るものは何でしょうか? つまり、一人の人間の人生の冬が過ぎると、その人間はどうなるのでしょうか? ご存知のように、生長の家では「人間の生命は不死である」と説いていますから、“人生の冬”の次には、また春がめぐって来るのです。つまり、人間は生まれ変わるのです。また新しい人生が始まります。しかしその人生は、前回と全く同じというのではなく、肉体も環境も、前のものとは違うものをいただいて、前の人生とは違う体験をするわけです。だから、1つの人生が幕を閉じようとしていることを嘆き悲しむことはない。それは、冬にあって春を待ち望むような気持で過ごすのが、最も適当であると言うことができます。
 
 人間は神の子であって、この地上で無限の表現を行うことで魂を向上させ、神性・仏性の表現を完成させていく。だから物質的、肉体的、金銭的なことは、この1回の表現の過程における一種の“小道具や“大道具”にすぎないわけです。また、1回の“舞台”にも喩えられる。この人生が終れば、それらの道具や舞台は全部捨てていくものです。だから、いつまでも「自分のそばに取っておきたい」と考えて執着してはいけない。そのことは、恐らく多くの人が頭では理解できる。しかし頭で理解できても、なお捨てられないでシガミツイテいる人が多い。すると、人生に「歪み」が出てくるのです。その歪みから苦しみや悩みが生じてきます。だから生長の家では、「人間は本来神の子であって完全円満な本性を有している」ということを伝えて、執着を放つ道へ人々を案内しています。

 人生で出会う人・物・事に執着しないということは、人生に興味を持たないとか、人を愛さないとか、人生を楽しまないということでは決してありません。それは、我々が季節の移り変りの中で、花や天候やスポーツや行事を愛し、盛んに実行しても、いつまでも同じものにしがみつかずに、「また来年がんばろう!」「来年、今年より良い結果を出そう」「来年は、新しくこんな工夫をしよう」などと“次”へ向かって前進するのと同じことです。今シーズンはベストを尽くすけれども、その結果にいつまでも拘らないのです。
 
 そのことを人生の最後に知ることもいいでしょう。しかし、肉体が死ぬ直前になって初めてそれを知るのでは、執着によって生じる様々な人生苦を避けることができない。だから、人間の生命は不死死滅であることと、人間の本性が仏であり、神の子であることを早く、多くの人々に伝えることが、人々や社会の発展と向上に貢献することになります。その運動を、これからも大いに盛んに展開していきたいと、この日に改めて感じる次第です。

 皆さんも、この機会にいよいよ信仰を深めて、人間不死の信仰と執着を放つ生き方を多くの人々にお伝えいただきたいと思います。

谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 いつも素晴らしいお言葉、ご指導有り難うございます。

 「人間は肉体でない、神の生命だ」と言うことをお伝えする事の尊さを改めて学ばさせて頂きました。

堀 浩二
 

投稿: 堀 浩二 | 2006年3月24日 09:20

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