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2006年3月14日

ボストン通りの店 (3)

 白木の扉から奥へ入ると、そこは細長いL字型のテーブルが高い位置に設置され、鮨屋のカウンターのような店になっていた。先客が3~4人いて、止まり木式の椅子の上で何かを箸でつついている。私は、その後ろの狭い通路を体を横にして通り抜け、椅子の一つに上った。
 襷がけをした女主人がもう目の前にいて、暖かいおしぼりをくれた。
「何にしましょうか?」
 私はおしぼりで手を拭きながら、周囲を見回した。一杯飲み屋といった雰囲気であるが、インテリアを白木と同じ色で統一してあって清潔感がある。その明るい色の店内の要所要所には、猫の絵や、写真、置物があった。
「櫃まぶし、あります?」
 私は、もう決めていた食事の名前をメニューも見ずに言った。
「それは、あります」と、女主人は自信ありげに言った。そして、
「お飲み物は?」と言いながら、白い厚手の和紙のメニューを目の前に滑らせた。
 それを手にして、私は驚いた。表紙の中央部に1匹の黒猫の模様が押してあるデザインはよかったが、中を開くと、猫にまつわる飲み物ばかりが写真入で並んでいた。マタタビ酒、ねこまた焼酎、猫ボトルのビール、猫ラベルのワイン、キーウィーのリキュール……。顔を上げると、女主人が目を光らせて笑った。
「うちは猫のお店なんです。お嫌いですか?」
「いや別に……」
 私は返事に困っていた。嫌いではないが特に好きでもない。道端で猫に遭えば、撫でる時もあれば追い払う時もある。猫は猫で、人間は人間だと思っている。
「インターネットで猫好きの仲間と騒いでいるうちに、お店を作ろうってことになりましてね……」
 と、女主人は笑う。
 私はそれで合点した。看板や広告など出さなくても、ネット仲間がたくさんいれば営業は成り立つのだ。しかし、私は猫のお酒など飲んだことがなかった。
「こういうの、飲んだことないんですが……」
 と私は言った。
「ビールもワインも、中身は普通のものですよ。ボトルの形やラベルのデザインだけが猫なんです」
 と女主人は言う。
「ワインで何か推薦してもらえませんか?」
 と、私はおずおずと訊いた。
 女主人はこっくり頷くと、冷蔵庫を開けて青い小瓶を1本取り出し、
「これ、いい猫でしょう?」
 と言いながら、それをコトンと私の前に置いた。
 500ミリリットル入りのワインの小瓶で、尻を突き上げた黒猫がラベルの中で踊っていた。
「これは有名なドイツ・ワインで、ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ。“村の黒猫”っていう意味です」
 よどみないドイツ語の発音に、私は思わず女主人の顔を見た。とんがった顎が自慢気だ。

CatWine 「どうして猫がワインなんです?」
 そう言ってから、私は自分でも妙な日本語だと思った。しかし彼女は、質問の意味を了解したようだ。
「ヨーロッパでは、猫には魔力があると見なされていて、黒猫の座った樽のワインがいちばん美味しいんですって」
 女主人は顔を紅潮させている。私は、何か気まずくなってきた。
「じゃあ、それでいいです」
 会話を切り上げるために、私はそう言って女主人から目を逸らした。
 ここはマニアの店なのだった。私のような部外者が入り込んではいけないのかもしれない。が、注文してしまったからには、すぐには帰れない。腹をくくるしかなかった。私は、女主人が注いでくれたワイングラスを手に持って、鼻に近づけてみた。フルーティーなモーゼルワインの香りがした。口に含むと、甘口の当たり前のワインだ。猫の味などしない。女主人は店の奥にいったん消えてから、再び姿を現すと、私の前に小鉢を置いた。
「サルナシの胡麻和えです」
 私は「へぇー」と思った。サルナシはキウィーの原種で、日本の山にも生えているマタタビの近種だ。食べてみるとその甘酸っぱさが胡麻の香りとよく調和している。なんとなく猫になりそうな気分だ。
 女主人は、私がさほど猫に興味がないのを看て取ったのか、先客の前へ行って食器を拭きはじめた。
 私は、店内に飾られた猫の写真や置物をしげしげと見ていた。その中に、黒猫が絡みついたデザインの緑色の瓶がある。先客の一人は、それと同じものを手で弄んでいた。
 気がつくと、その隣の中年女性の膝の上には毛足の長い猫が載っている。
「あぁ、猫だなぁ……」
 と、私はため息をついた。
 猫は人に飼われたり、媚びたりするだけでなく、そのイメージだけで人間を陶然とさせている。猫はこの魔力で人間を惹きつけ、多くの生物種が絶滅する中でも子孫を着実に殖やしてきたのだ。
 そんなことを考えていると、目の前のワイン・ラベルに描かれた猫の顔が、女主人の顔と限りなく重なってくるのだった。
 
 谷口 雅宣

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