カメノテを食べる
宮崎市で行われた生長の家講習会の帰途、高度1万メートルの上空を飛ぶJAL1892便のMD-90機の中でキーボードを叩いている。前日に泊まった宮崎観光ホテルの夕食で、面白いものを食べた。大淀川が見渡せる窓辺の席で、私と妻は向かい合って「板長おまかせ定食」というのを食べたのだが、味噌汁を一口すすって「うまいっ」と思った。出汁がよくきいたコクのある味で、具には魚肉と海草らしいものが入っている。刺身や煮物をつつきながら、何口目かの味噌汁を具とともに口に含んだ時、何か硬質のザラザラした感触がしたので、思わず箸でそれを取り出して眺めた。小指大の黒っぽいものの先に、白っぽい三角形の貝殻のようなものが付いている。「カメノテじゃないか!」と私は驚いた。
カメノテの名は「亀の手」から来ている。「これは亀の手です」と言って出されたら、「ああそうですか」と納得してしまいそうな形をしているが、亀とは無関係だ。事典で調べると、蔓脚亜綱ミョウガガイ科の小型甲殻類と書いてあるから、亀よりはカニやエビに近いのだろう。潮の満ち干のある潮間帯の岩の割れ目などに固着して、原生動物や藻類などの小型プランクトンを餌とするそうだ。
私は小学生の頃、夏休みに父母姉弟とともに石川県の「小木」という海辺の町に何回も連れて行ってもらったことがある。入り組んだ湾に面した旅館に泊まり、波のない紺碧の海に、水中眼鏡とシュノーケルを付けて潜るのが楽しみだった。海中の岩場には、それこそ無数の生物が蠢いていて、それを眺めながら足鰭をバタつかせてゆっくりと泳いでいると、時間を忘れてしまう。そんな海中の風景の中に必ず見えるのが、カメノテだった。もちろん巻貝やヤドカリ、イソギンチャク、フジツボ、バフンウニなども豊富にいたが、この奇妙な形の生物は印象が深かった。しかし当時、泊まった旅館の料理にはこれが出てくることがなかったから、食用とは考えてもみなかった。
妻は伊勢の出身だから、東京生まれ東京育ちの私よりも海の生物に詳しいと思って訊いてみたが、カメノテを知らなかった。私は得意になって、この生物がどういう所に棲息しているかを話した後、食べようと思い、箸でつまんだカメノテを仔細に眺めた。が、どこにも食べられそうな所がない。カメの「手」のように見える部分は、貝殻のように固く閉まっていて、「腕」に見える部分は、忍者が着る鎖帷子のようなゴワゴワした表皮で覆われている。「これはきっと出汁を取るためだね」などと知ったかぶりの解説をしてみたが、どうも自信がない。なぜなら、出し殻の煮干を味噌汁に入れて出す旅館などないだろうから、カメノテが専ら出汁用だと考える不自然は拭いがたいのだ。
結局、料理を持って来た女性に「これはどうやって食べるんですか?」と尋ねた。その答えは--「腕の部分を開いて中身を食べます」だった。言われたように歯を立てて開いてみると、カニの足に肉があるように、カメノテの先の方まで肉が入っている。、干し貝柱のような濃厚な味と歯ごたえだった。事典によると、地方によっては食用にするといい、「塩煮にして殻をとり内部の肉を食べたり味噌汁の出汁にもする」と書いてある。私の想像は、まんざら間違っていなかったわけである。
谷口 雅宣
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コメント
能登・小木の旅館 (http://www.100raku.com/index.html )に、私は成人してから3度宿泊しました。能登の自然を生かした、しっとりとした美しい日本旅館です。洞窟のお風呂や、海岸の上に建つ食事処が売り物です。ここで、不思議なご縁を感じました。私が尊敬する音楽家・福澤もろさんが、この宿を気に入り、ここの音楽を作っていたのです。福澤もろさんは、「宇宙のうた」という素晴らしい曲を作っていますが、伊勢・猿田彦神社で細野晴臣さんたちが行う「おひらきまつり」のメンバーで、細野さんが「喉に神様がいる人」と言っていました。その福澤さんが、小木の旅館の前にある「蓬莱島」をモチーフに「七夕伝説」を創作し、「のと・たなばた」というCDを作っていました。福澤もろさんは4年前に亡くなりましたが、この地をこよなく愛していました。
投稿: 久保田裕己 | 2006年2月 7日 00:02
久保田さん、
「百楽荘」のURLを教えていただき、ありがとうございます。ホント奇縁ですね。「蓬莱島」は『天使の言葉』に出てきますが、これぞ“地上の楽園”ですネ!
投稿: 谷口 | 2006年2月 8日 12:53