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2006年2月16日

春 の 兆

 暦の上ではとっくに春だが、気温は暖かになったかと思うと冷え込むという三寒四温が続いている。昨日(2月15日)の東京地方は快晴、最高気温は19.9℃で、平年より9.8℃も高かった。最低気温を見ても、平年より5.6℃高い8.1℃だ。街を行く人の中にはTシャツ姿の人もいて、室内よりも屋外の方がよほど暖かだった。水曜日は私にとって“週末”だから、妻とともに日比谷で『白バラの祈り』という映画を観た。ナチス時代のドイツ国内で、政府に反対する若者たちの抵抗運動を描いたもので、実話にもとづいている。ていねいな心理描写を続けていく地味な映画で、主人公は最後に処刑されてしまうのだが、銃殺刑かと思ったらギロチンだった。主題が真面目なだけに結構疲れた。

 夜の10時ごろ家に帰着し、門から石段を上り始めたところで、妻が悲鳴を上げた。体長20センチもあるようなヒキガエルが、妻の足にひっかけられて白い腹を見せていた。妻はその日、台所でゴキブリを見つけたと嘆いていたから、啓蟄(けいちつ)にはまだ2週間も早いが、すでに虫やカエルは動き出しているのだ。

 蟇(ひき)穴を出て蹴られたり白い腹

「蟇穴を出る」とは仲春の季語だから、今どきの俳句に使ってはいけないのかもしれない。しかし、本当にヒキガエルが出てきたのだから仕方がない。もっともヒキガエルは早春に一度穴を出て、産卵をしてから再び春眠をするらしい。この後の2回目の出穴時の方が俳句に詠まれやすいということか。とにかく、生物界では水面下で春がゆっくりと頭をもたげている。

 今日は一転して朝から小雨模様、時間がたつにつれて気温が下がった。私は朝、食事前に表通りまでゴミを出しに行く。今朝は霧雨の中を資源ゴミである古新聞の束を両手に下げて門までの石段を降りていくと、途中で黒ネコと出会った。彼(?)は10メートルほど先で私を見て立ち止まったが、距離が5メートルぐらいになると踵を返して脇の植え込みの中へ消えた。私は「まぁ、そうだろう」と思いながら門まで降り、新聞の束を指定場所に置いてもどってきた。それから、池に一尾だけいるコイに餌をやる。といっても、コイは水が冷たい冬の間は、池の底でじっとしているだけなので、私がそばへ行っても何の反応も示さないことがほとんどである。そんな時は餌をやらない。しかし、前日が暖かだったので、私は「もしかして……」と思って池の端に立った。すると、白いコイは真っ直ぐに私の足元へ来たではないか。私は早速、小指の頭大の球形の餌を10粒ほど撒いてやった。

Fukinoto06  生長の家講習会で1月28日に鹿児島市へ行った時、宿舎の鏡台の上にフキノトウが飾ってあった。ずいぶん早い、と驚いたのを憶えている。実は、東京の自宅の庭の東側の斜面にもフキが生える。鹿児島から帰ってまもなく、そこへ下りていってフキノトウを捜したが、まだ出ていなかった。ところが今日そこへ行ったら、ちょうどよい大きさのものがいくつも頭を出していた。摘むと、根元からほろ苦い春の香りが立ちのぼる。4本ほど、ありがたく頂戴した。
 
 谷口 雅宣

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