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2006年2月 9日

ヒツジとヤギの共存

 昨年6月11日の本欄で、私は「内外一如」と題して“顔細胞”のことに触れた。それは、大脳の一部(側頭連合野の一部)にある細胞で、外界にある「顔」の形に似たものに敏感に反応するので、この名がある。この細胞があるおかげで、我々は実際には「顔」でないもの--例えば、雲の塊り、壁のシミ、自動車のフロント周り、火星の岩など--にも「顔」を見るのである。だから、我々の内部と外部は全く別物ではなく、むしろ内部のものを外部に見たり、外部のものが内部に映ったりする「内外一如」の状態にある--そんな話だった。

 ここで問題にしたのは、①我々の内部に“顔細胞”がまずあったから、存在しない顔を外部に見るようになったのか、それとも、②我々の外部にまず顔があったから、やがて内部に“顔細胞”ができたのか、ということだった。もちろん、正解は②である。しかし、②によって①の効果が生まれたのだ。では、次に問題を拡げて考えよう。我々人類が太古の昔から、「神」や「仏」というような見えないものを、見えるものの背後に見たり、感じたりするのはなぜか? それは、①我々の内に“信仰の種”がまずあったから、存在しない神仏を外部に感じるようになったのか、それとも、②我々の外にまず神仏があったから、やがて内部にも“信仰の種”ができたのか? 上記の文章では、私は②を支持したのだった。
 
 心理学者を初めとした多くの科学者は、しかし①を支持しているようだ。つまり、人類は進化の過程で脳の内部に複雑な情報処理機構を作り上げてきた結果、存在しない神仏や超常現象を、あたかも存在するかのごとく感じるようになった、というのである。イギリスの科学誌『New Scientist』は1月28日号で「信仰の科学(The science of belief)」という12ページの特集を組んで、信仰や神の起源をさぐっている。

 その中で面白かったのは、人間には神仏や超常現象を信じやすい“ヒツジ型”とそれらを疑う“ヤギ型”の2タイプがあるという話だ。前者は、神仏を信じるだけでなく、自分の周りで起こる現象の中に一定のパターンを見つけやすく、後者はそういうパターンの存在を疑うというのである。今風に表現すれば、前者は「シンクロニシティー」を肯定し、後者はそれを「偶然」や「確率」の問題として理解するのである。そして、この2つの傾向は一人の人間の中にも程度の差をもちながら共存しているという。そして、どちらか一方の傾向が強すぎると、普通の日常生活が困難になる場合が多いというから、ますます興味深い。
 
 また、“ヒツジ型”は右脳を使うことに優れ、“ヤギ型”は左脳をよく使うという。多くの脳科学者によると、右脳は創造活動や“横断的思考”(lateral thinking、互いに離れた概念を関係づけて見る傾向)を行い、左脳は言語活動や論理的思考に使われるようだ。ということは、“ヒツジ型”は神を信じやすいだけでなく、迷信や占いや超常現象をも信じやすいということで、“ヤギ型”は論理ずくめで考える傾向が強いために無神論的、懐疑主義的になるということだ。もっと専門的な表現を使えば、“ヒツジ型”はパターンがない所にパターンを見るという「タイプ1」の間違いを犯しやすく、“ヤギ型”はパターンがあるのに、それを見落とすという「タイプ2」の間違いを犯しやすい。
 
 こういう書き方をすると、神仏を信じやすい人々は何か劣っているように聞こえるかもしれない。しかし、そうではない。統計的に言うと、信仰者は不信仰者よりも幸福で健康な生活をしており、しかも長寿であることが分かっている。また、信仰者は不信仰者よりも社会によく適応しており、暖かい人間関係をもっているのである。だから、進化生物学的に言えば、宗教を信じることは生存に有利であり、そのために人類は宗教を生み出したのかもしれない。

 そこで最初の質問にもどろう。人間は宗教を生み出したときに神や仏も生み出したのか、それとも神や仏がまずあったから、それを信仰する宗教を後から人間が生み出したのか? 現代科学では物質的に測定できない「神」や「仏」の存在を認めないから、科学者は当然前者を唱えるだろう。しかし、宗教者は後者を支持する以外にない。ここに科学と宗教の間の超えられない“溝”を感じる人もいるだろう。でも、この双方の議論はいずれも「時間」の概念の枠内にある。もし、時間を含んだより高次の次元が宇宙の本当の姿だとしたら、双方の対立はなくなるだろう。また、我々人間の体では“右脳”も“左脳”も発達しているのだから、双方の得意とする考え方が調和的に共存することが、人間の幸福にとって必要なのだ。

 ところで、聖書にはイエス・キリストが“ヒツジ”と“ヤギ”との明らかな違いを説いている箇所がある(『マタイによる福音書』25章31-46節)。関心のある方はぜひ、ご一読あれ。
 
谷口 雅宣

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