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2006年2月11日

建国記念の日に思う

 今日は日本の建国記念日である。東京・原宿にある生長の家本部では、例年のように午前10時から祝賀式典が行われた。東京地方は朝から澄みわたった青空が広がり、小春日和の暖かさの中、この記念すべき国の誕生日を迎えられたことは、大変ありがたいことである。建国記念の式典では、これまで生長の家総裁が挨拶をしてくださっていたが、今回はまだ静養中ということで、私が代りにスピーチをすることになった。以下は、その大略である:

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 皆さん、本日は建国記念の日、おめでとうございます。
 世界には、建国記念日をもっている国が120を少し割る数ほどあるそうですが、そのうち三分の二以上は、植民地からの独立記念日が建国の記念日になっています。また、ヨーロッパの国々では、民主主義革命が行われた日が建国記念日である場合がほとんどといいます。ですから、フランスではフランス革命が祝われ、アメリカではイギリスからの独立記念日が建国記念日です。いずれの国も、人類の歴史から言えばごく最近の建国ということになり、日本のように神話の時代に遡って建国を祝う国は、大変珍しい。世界に1つか2つあるくらいです。日本以外ではお隣の韓国が10月3日に「開天節」を祝いますが、これは古代の神話にもとづくものだそうです。

 日本の場合、国の中心をなしてきた天皇家の家系が120代以上も続いてきたため、その始まりを国の始まりとすると、神話の世界へまで遡ってしまうという、非常に珍しいケースです。西洋諸国は、王家が革命によって断絶しているし、アジア=アフリカの諸国のほとんどは、西洋による植民地支配の際に王家が断絶したり消滅しているから、日本のように長く続いている王家をもっている所はほとんどありません。そういう意味で、日本の天皇家は世界的にも非常に貴重な存在であり、日本の建国記念日はユニークであると言えます。

 さて、我々が何かの誕生を祝う場合、その何かが自分にとってどのように重要であるかが問題になります。自分や家族の誕生日は、自分や家族が自分にとって重要であるから祝われる。恋人の誕生日もその通りである。肉身の場合は、その本人の重要性にしたがって誕生日が祝われるが、肉体をもたない会社や組織の創立や結成を祝う場合は、その会社や組織の設立時の“目的”や“精神”や“理想”が問題にされることが多い。生長の家では、3月1日を「立教記念日」として祝いますが、その時には、昭和5年3月1日に発行された『生長の家』誌創刊号に書かれている谷口雅春先生の立教の精神を、私たちは振り返るわけです。国家の場合も同様で、その国の建国が祝われるときは、国を創った際の“目的”や“精神”や“理想”が重視されるのです。だから、フランスではフランス革命の精神を、アメリカでは独立宣言の精神を振り返る行事が行われます。
 
 日本の場合は、幸いに植民地化されず、また近代の民主主義への変化が暴力的な革命ではなく、緩やかな形で、ほぼ自主的に、天皇家を断絶させない形で行われため、日本建国の“目的”や“精神”や“理想”は、神話の世界にまで遡って振り返られるのです。それが、初代の天皇と言われる神武天皇の建国の理想である。しかし、これは残念なことに、かつての中国大陸における戦争を正当化する手段に利用された。そういう歴史的経緯があるため、この建国の理想をもって日本建国の精神とは認めないという考え方の人々がまだ多い。特に問題にされるのは「八紘一宇」という言葉で、これを他国の意志を無視して自国の下に武力で統合してしまうという考え方だと解釈する人々は、これに反対している。しかし、生長の家では、これは諸方の国々が互いに調和して一つの家になるという考え方だと理解しており、将来実現が望まれている世界連邦の構想の萌芽をそこに見るのです。

 また、この世界連邦による平和の実現をどのような方法で行うかについても、『古事記』や『日本書紀』には、神武建国の理想として大切なことが書かれています。それは、神武天皇が国家統一のための戦いをされていた時、長髄彦(ながすねひこ)という強力な抵抗勢力が現れて、天皇の進行を阻む。そして、五瀬命が流れ矢に当たり、重症を負って進むことができなくなったとき、天皇は神意にうかがって次のような勅を発しておられます:

 「今我(いまやつかれ)は是れ日神(ひのかみ)の子孫(うみのこ)にして、日に向いて虜(あた)を征(う)つは、此れ天道(あめのみち)に逆(さか)れり。若(し)かじ、退き還りて弱きことを示して、神(あまつやしろ)祇(くにつやしろ)を礼(いや)び祭(いわ)いて、背(そびら)に日神(ひのかみ)の威(みいきおい)を負いたてまつりて、影(みかげ)のまにまに圧踏(おそいふ)みなんには。此(かく)の如くせば、かつて刃に血ぬらずして、虜(あた)必ず自ずからに敗れなん」
 
 つまり、自分は天照大神(太陽神)の子孫なのに、その太陽に向って戦っているのでは天の道に背いているから、一度退却して、神々の社で祭祀を行い、天の神、国の神の御心を聞き、そして次には太陽を背にして進んでいけば、流血なく、相手は自ずから敗れるだろうということです。これは、暴力によって天下統一はできず、神意を受けて、それを背後にいただいて進むことが正しい方法だとの理想を述べたものです。
 
 神話では、この後、長髄彦といろいろ交渉したりしますが、最後にはやはり軍を出すことになる。が、やはり苦戦するわけです。その時、こう書いてあります:

 「すなわち金色(こがね)の霊(あや)しき鵄(とび)有りて、飛び来りて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止れり。その鵄(とび)光り輝(てりかがや)きて、状(かたち)流電(いなびかり)の如し。是によりて長髄彦(ながすねひこ)が軍卒(いくさのひとども)、皆迷(まど)い眩(まぎ)えて、復力(またきわ)め戦わず」
 
 敵対する長髄彦の軍勢は、光り輝くトビの荘厳な姿と霊力によって戦意を喪失してしまうわけです。そこで「刃に血ぬらずして」勝利を得ることになる。これが「神意」であるわけです。日本神話における「理想」がここに書かれています。つまり、武力によって「刃に血をぬって」進むのではなく、神の御心を背に受けて、真理の力を借りて進めば、暴力によらずに相手は自ら従うということです。

 これが日本建国の理想だったけれども、日中戦争や大東亜戦争では、実際には天皇の意思を重視せずに、軍部が独走して「刃に血をぬって」進んだがために結局、敗れてしまったわけです。そいう意味から言っても、武力だけによる平和の実現は無理だということが分かる。神意をいただき、それを宣布することで、納得ずくで平和の実現をはかるのが古来からの日本人の理想だった。その理想を思い出し、これからの21世紀の日本の指針にすることができれば、この「建国記念の日」は本当の意味で意義ある祝日になると思うわけです。
 
 私たち生長の家の運動にも、同じことが言えます。現象的にはいろいろな問題が起こるかもしれないが、常に神意をうかがって(神想観をして)、これからも益々真理の光を高く掲げ、「人間はみな神の子である」という光明思想を背に受けながら人類光明化運動・国際平和信仰運動をさらに自信をもって展開していきたいと、今日の佳き日に改めて決意するしだいであります。

谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 本当に素晴らしいお言葉有り難うございました。

 生長の家の真理を神想観しながら神意に基づいて世界に宣布して行くのが本当の世界平和の実現になるという事を新たに認識させて頂きました。

堀 浩二拝

投稿: 堀 浩二 | 2006年2月13日 09:05

堀さん、

 お元気ですか?
 お役に立てて光栄です。

投稿: 谷口 | 2006年2月13日 13:22

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