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2006年2月14日

科学者の倫理性 (8)

 昨日に引き続き、韓国のES細胞研究のデータ捏造事件を振り返ると、科学誌に掲載された論文の取り扱い方の問題がある。現代の科学誌は、一般にピアーレヴュー(peer review、同僚による検定)という方法で論文の審査を行う。今回のようなES細胞研究の場合、この分野の専門知識をもった科学者がファン氏の論文を読んで、その方法や結論の出し方を審査し、問題がないと思われ、しかも重要な研究であるとの判断がなされた場合、雑誌に掲載される。しかし、これはあくまでも、論文に添付されたデータが真実であるとの仮定のもとに行うから、今回のように偽データが使われ、それが見つからないように写真の改竄や偽装が行われていた場合、気づかずに掲載されてしまうこともある。だから、世界有数の科学誌に掲載されたからといって、その研究結果はすべて真実であるという保証はないのである。

 では、科学研究の多くはニセモノの可能性があるかと言えば、それほどひどい状態ではないだろう。というのは、科学研究には「再現性」という指標があり、これが証明されれば最終的な評価が下されるからである。言い換えれば、論文に書かれた一定の条件のもとで同じ研究をすれば、論文執筆者以外の誰がやっても同じ結果が出る(再現性)ことが分かれば、その研究の正しさが証明される。しかし、今回のように、社会的に影響が大きい研究結果が出た場合、メディアは再現性が証明されないうちにその研究を大きく取り上げ、政府や企業を含めた社会全体がその研究の“成果”を利用しようと急ぐ。科学者の側でも、そういう社会の動きを充分に予想し(あるいは期待し)て行動する。「国家の威信を高めた画期的研究」などと言われ、記者会見し、ゴールデンタイムのテレビニュースで報道されれば、その研究結果が不確かな土台の上に載っていても、もはや後へ引くことは困難になるだろう。

 2月14日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、今回の事件を踏まえて、科学研究におけるメディアの役割を反省する記事を載せている。それによると、今回の事件後、科学記事を扱うメディアは科学誌の論文一般を以前より懐疑的に見るようになったという。しかし、今日の科学は高度に専門化し、難解な内容のものが少なくないので、サイエンス・ライター(科学記者)と呼ばれる人々でさえ、論文そのものの内容を審査することはできず、結局、発表した科学者本人か、その人の所属する研究機関、あるいは別の科学者の説明や判断に頼る以外にないらしい。このため現在、企業による利用価値や社会的影響が大きいと思われる科学研究の成果を発表する場合、特定の期日までの「発表禁止」(embargo)が定められることが多い。つまり、メディアによる発表の「解禁日」を事前に決めておき、ジャーナリストはその日までに専門家による説明や周辺取材を行っておくという制度である。
 
 私は、科学研究の結果を集めたインターネットのサイトをよく利用するが、そこにも時々、発表解禁日を定めて科学や医学関係のニュースが発表される。こういう記事はサイトに登録されたジャーナリストだけが読めるもので、私のような一般ユーザーは記事の「見出し」も見ることができない。しかし、そこに書かれた発表指定期日が過ぎると読めるようになる。
 
 さて、今回のファン氏の論文は、ジャーナリストが科学者に騙された唯一のケースではない。同紙によると、『The New England Journal of Medicine』(ニューイングランド医学雑誌)は最近、すでに掲載したガンに関する2つの論文が、データの捏造をしていた疑いがあると発表した。また、「バイオックス」という鎮痛剤に関する2000年の論文では、その鎮痛剤を使用中の患者が、何人も心臓発作で死亡していたという事実が隠されていた。さらに、『アメリカ医学協会紀要』(The Journal of the American Medical Association)に掲載された「セレブレックス」という鎮痛剤の研究論文には、著者がもっている1年分のデータのうち半年分しか掲載されていなかったという。
 
 このような事情を知ってみると、科学研究も人間の“欲”や“迷い”から自由でないことがよく分かる。そのように科学者も“普通の人”なのだから、強力な科学を扱うに際して高い倫理性が求められるのは当然であり、「何でも自由にしたらいい」というわけにはいかないのである。また、我々一般人も「科学研究はみな正しい」などと安易に考えない方がいいだろう。

谷口 雅宣

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