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2006年2月13日

科学者の倫理性 (7)

 昨年の本欄で何回も扱った韓国のES細胞研究のデータ捏造事件は、その後の調査で渦中の人、ファン・ウー・ソク氏(52)に公金横領の容疑まで出て(『産経』1月13日)、依然として燻り続けているようだ。この問題は、去る1月4日、論文を掲載したアメリカの科学誌『Science』が論文の撤回について著者26人全員から同意を取り付けたと発表、10日にはソウル大学の調査委員会が最終調査報告の中で、ファン氏が作成したとするES細胞は存在せず、データは捏造されていたと結論したことで、同氏の研究の科学的価値は無に帰した。しかし、科学研究のあり方に関しては、これから解決しなければならない様々な問題を提起している。

『Science』誌は2月3日号で、韓国の生命科学関係科学者の集まりである韓国分子細胞生物学者協会のパク・サン・チュル会長の手紙を載せ、同協会が昨年10月、科学研究における倫理規定を定めたことを伝えている。この規定は次の4つのポイントからなる:①科学研究を始める前に、その研究が人間、社会、環境に与える影響を考慮しなければならない、②細胞から生物にいたるまで、研究対象となる生命の尊厳を維持し、尊重しなければならない、③実験結果を創作してはならず、研究材料や研究結果の配分は正しくなければならない、④研究成果の著作者や知的所有権を正当に取り扱わなければならない。

 この4点--とりわけ②~④--は、同協会が今回のES細胞データ捏造事件から学んだものだろう。最初のポイントは最も重要であるが、今回の事件とどう関係しているのかよく分からない。ファン氏が今回“成功した”と(偽って)発表したことは、若者から高齢者にいたるまでの「特定の人間の遺伝子を組み込んだES細胞を効率よく作成した」ということだった。これが(もし真実であれば)個人や社会に及ぼす影響は甚大だ。難病で入院している患者の遺伝子を組み込んだES細胞を作成し、そこから分化させた肉体組織や臓器を、拒絶反応を心配せずに移植することができる。これは医学の大きな進歩であり、世界中の多くの患者が恩恵を受けるに違いない。しかし、そのことは研究以前から分かっていたことである。ファン氏にもそれが充分分かっていたから、多少分野が違っていても(もともとは獣医学)この研究に飛び込んだのではなかったか?
 
 むしろ問題は、①が一見“素晴らし”すぎたため、②~④を慎重に進めることが疎かにされたということだろう。別の言い方をすれば、研究の「目的」は文句なく(倫理的にも、経済的にも)“善い”と考えられたため、研究のための「手段」の検討がないがしろにされたのである。ここに「目的のためには手段を選ばない」という初歩的な過ちが犯された、と見ることができる。『ヘラルド・トリビューン』紙の1月22日の記事によると、韓国では1980年代末までは何にも増して国益優先の政策が行われ、「目的は手段を正当化する」との考え方が繰り返し教え込まれてきたという。同紙の取材に対して、韓国高度科学技術研究所の教授は、ファン氏について「我々の多くは彼を信用していなかったが、世論や政府からの圧力に負けて彼を批判できなかった。何も言えなかった。だから、科学者たちは彼の研究への反証をウェッブサイトに匿名で掲載したんです」と話している。

 私は、昨年12月16日の本欄で、ファン氏のデータ捏造の動機について「名誉欲」を疑ったが、もう一つ、韓国のナショナリズムの高まりも無視できない要素だろう。同紙は同じ記事で、ファン氏の次のような弁明の言葉を載せている:「私は仕事に狂っていました。目の前には、他のものが何も見えませんでした。見えていたのは、韓国というこの国が、世界の中で真っ直ぐに立てるかどうかだけでした」。もしファン氏と氏周辺の人々が「国威高揚のためには、多少の無理や不正には目をつぶれ」という感覚で仕事を進めたのであれば、それは日本の戦前の雰囲気を思わせるようで不気味である。ぜひ今回の失敗から学び、冷静さと良識を取り戻してもらいたい。

谷口 雅宣
 

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