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2006年2月25日

信仰と風刺 (3)

 ヨーロッパのメディアによるモハンマドの風刺漫画掲載に端を発したイスラーム諸国での抗議や暴動は、一向に収まらない。私は当初(2月4日)、この問題は文化の違い、考え方の違いが原因だと書き、さらにマスメディアの“悪を集める”報道姿勢も暴力拡大に一役買っている、と述べた。しかし、その後の報道を見ていると、この一連の騒ぎの背後にはもう一つの要素がからんでいるように思う。それは、イスラーム側が宗教を政治的に利用する動きである。
 
 問題の風刺漫画は昨年9月、デンマークの新聞に掲載されたのだが、その時は今のような大規模な抗議の声は上がらなかった。それが今年になってベルギー、フランス、ノルウェーなどのメディアが「再掲載」したことで、イスラーム信者の怒りに一気に火がついた……という印象を私はもっていた。ところが、今日の『朝日新聞』の報道では、デンマークでの最初の掲載から18日後の昨年10月17日に、エジプトの日刊紙『アルファガル』が第1面にその風刺漫画を掲載し、さらに「風刺画で預言者とその妻を侮辱」と題する別刷りの特集版を発行したという。続いて11月10日にヨルダンの新聞、12月12日にはエジプトの週刊紙がこの漫画を転載し、昨年末までにイスラム系ウェッブサイトにも載っていたというのである。ということは、イスラーム社会にあるという「預言者モハンマドを形に描いてはいけないという約束事」は、それほど厳密なものではないことを示している。なぜなら、「転載」だって「形に描く」ことに変わりないからだ。
 
 ではなぜ、イスラーム国内での「転載」が抗議の嵐を起こさずに、ヨーロッパでの転載が嵐を起こしたのか? その大きな理由の一つには、イスラーム圏内での転載は「漫画を批判する」ためだが、ヨーロッパでの転載は「漫画を擁護する」ためだ、との認識がイスラーム側にあるからだろう。ここに大きな誤解がある、と私は思う。ヨーロッパのメディアが漫画を転載したのは--私自身はこれを軽率な行為と考えるが--漫画の内容を擁護するためではなく、「漫画によって宗教を批判する自由」を擁護するためである。暴動に参加している人々の多くは、その重要な違いを理解していないに違いない。また、理解している人も大勢いると思うが、そう人々は別の目的で大衆の感情の昂ぶりを利用しているのだ。
 
 また、イスラーム圏内での転載が“嵐”にならなかったもう一つの理由として、上掲の『朝日』の記事に出てくる28歳のイラク人記者の分析は、興味深い--「アブグレイブ刑務所で米兵がイラク人収容者を虐待した時も、地元メディアは早くから何度も報じたが、欧米で伝えられ始めてから、急に抗議行動が広がった。イスラム世界の世論が自国の政府やメディアを信用しておらず、欧米メディアに強く影響されている証拠だ」。
 
 人々の宗教的感情を政治目的に利用することは、政治の“常道”といってもいいだろう。日本でも一向一揆や明治維新の際にこれが行われたし、最近では旧ユーゴスラビアの内戦、タリバンによるアフガニスタンの支配、9・11テロ、そして現在のイラクでの宗派間対立など、いくらでも例がある。そして、悲しいことに今回は、アフリカ西部のナイジェリアで、モハンマドの風刺漫画を契機として政治紛争が起こっているという。25~26日付の『ヘラルド・トリビューン』紙の伝えるところでは、この地ではキリスト教徒が暴徒化してイスラーム信者の家や商店、モスクを攻撃し、100人以上の死者を出している。この暴力行為は先週、モハンマドの風刺漫画に怒ったイスラーム信者がキリスト教徒を攻撃し、多数の死傷者を出したことへの報復だという。

 しかし、この衝突は宗教的な原因ではなく、古くからの民族間の政治対立が基本にある。この地では、1960年代に「ビアフラ」という国の独立を目指した民族間の激しい内戦があり、この“古傷”が今回の風刺漫画事件に口を開け、武力対立にまで発展しているのだ。民族と宗教は一体となって発展することが多いため、民族間に政治対立が起こると、それは一見“宗教対立”のような様相を呈する。しかし、対立の内容をよく見てみると、教義上の対立ではなく、民族間あるいは宗教・宗派間の「利害の対立」が原因になっていることが多い。政治と宗教が一体となる危険性を、よく示していると思う。
 
谷口 雅宣

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