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2006年1月 3日

お伊勢参り

 恒例のお伊勢参りに行った。幸いにも妻が伊勢出身なので、毎年“役得”にあずかる。というのは、妻の実家の世話になるばかりでなく、複雑な交通規制の網の目をくぐって神宮近くまで車に乗せて行ってもらい、親戚一同でにぎやかに参拝できる。今年は82歳になる義母の歩行に支障が出てきたため、残念ながら妻の両親が居残り組となったが、それでも小学2年生から54歳まで総勢14人の参拝である。驚いたことに、この一団中の最年長者は自分だった。前を行く人の数が減っていく--新年を迎えるというのは、そういうことでもあるのだった。

 三賀日中の有名神社の混雑ぶりは、どこもさほど違わないと想像するが、明治神宮の混雑を知っている私にとっては、伊勢神宮にはまだ“救い”がある。普通の速度で歩いても、前の人の足を踏むことはない。ホコリの立ち具合も、それほどではない。しかし拝殿の正面で祈るためには、人の列の中で半時間も待たねばならない。私たちは拝殿の右側をすり抜ける例年のコースを辿って参拝をすませた。伊勢神宮内宮の拝殿前は上り坂で、立派な自然石の石段になっているから、車椅子での参拝は難しい。義父母が参拝を控えた理由が納得できる。しかし、今後の“超高齢社会”の波の中では参拝客の便宜を考えざるを得なくなるのだろう。

Ise2006  そんなことを思いながら、人々の流れについて拝殿の裏側まで回ったところで、黒いオーバーコート姿の神宮衛視が、こわばった表情で人々の流れとは逆に小走りで来るのを見た。その時、隣を歩いていた妻が声を上げて指差した先に、人の脚が見えたのだった。その脚には、鮮やかな赤と青の長靴下かゲートルのようなものが巻いてある、と私は思った。しかし妻は、「あれは血だわ」と言うのである。赤色の部分が大きすぎると思った私は、「うそだろー」と反論したが結局、妻の方が正しかった。老人が石段の脇の溝に転落して脚を切り、動けなくなっているのだった。止血のために巻いたマフラーか何かが、ゲートルのように見えたのだ。すでに衛視1人が老人の足を抱えていたが、1人では無理だ。先を歩いていた義弟の1人が駆け寄って、老人の上半身を支えた。老人はしきりに礼を言っているようなので、私は安心した。そこへ別の衛視と、白い装束姿の若者2人が車椅子を持って駆けつけてきた。

 怪我をした老人には連れがいないようだった。妻は、そのことを気にしていた。私たちの伊勢参りでも、去年までは杖をつく義母の脇を娘のうち1人が必ず歩いていた。そういう介助者なしに初詣をする老人が増えているのだろう。そして、参拝を控える老人も増えているに違いない。そう言えば、今年の参拝客の数が昨年より少ないような気がしたのは偶然ではないかもしれない。
 
谷口 雅宣

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