« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月31日

政治が科学を抑えている? (2)

 前日の本欄で、肝腎なことを書き漏らした。それは、政府から地球温暖化の危険について自由な意見表明を抑えられていると抗議したNASAのジェームズ・ハンセン氏が、一体どんな意見を具体的にもっているのかという点である。前日のブログで『ニューヨーク・タイムズ』の記事にリンクを張ったので、それを読んだ方はお分かりと思うが、ハンセン氏は、「地球温暖化の原因である温室効果ガスの排出を相当削減しなければ、気象変動が次々と起こって、地球はそのうち“違った惑星”になってしまう」と言ったというのだ。これは、昨年12月6日にサンフランシスコで行われたアメリカの地球物理学会の集まりでのハンセン氏の発言で、同氏はこの「相当の削減」は「とりわけ自動車については」今存在する技術で行うことができる、と言ったという。
 
 同氏は、これに続く15日には、2005年が少なくともこの100年間で最も暖かい年になることを示すデータを発表した。すると、NASA本部の高官が広報担当官に何度も電話して来て、その種の発言が今後も続くならば「深刻な結果」になることを伝えてきたという。『ニューヨーク・タイムズ』の記事には、そう書いてある。

 ところで、昨年の12月の初めには何が行われていただろうか? 当時の本欄を見ていただけば分かるが、カナダのモントリオールでは、2013年に期限切れを迎える京都議定書の後に、温暖化防止をどう進めるかという同議定書締約国による第一回会合(COPMOP1)が開かれていた。そして同11日には、締約国は来年5月から開かれる特別会合で「13年以降に空白期間が生じないようなるべく早く検討する」とだけ合意した。日本は、世界最大の排出国・アメリカをこの枠組みの中に引き入れようと努力したが結局、アメリカは「イエス」と言わなかった。そんな時期に、NASAの筆頭気象科学者が「今年は100年間で最も温暖化したようだ」などと発表したわけだ。また、今存在する自動車技術で温室効果ガスを「相当削減」できるのは、言わずと知れたハイブリッド技術である。が、そんなことをNASAの科学者が言えば、アメリカの自動車会社(いずれも、最新モデルで同技術の搭載を余儀なくされた)の危機が深まる。
 
 ブッシュ政権にとって「温暖化の証拠」を直接提示されたり、間接的にでも「政策の誤り」を見せつけられるのはたまらない--ブッシュ氏本人がそう思ったかどうかは別として、周囲の人々が“膝元からの反乱”に神経質に反応したことは充分考えられると思う。

 ところで、公務員であるハンセン氏が職を失う危険を覚悟で言わなくても、アメリカを走る自動車から出る温室効果ガスを劇的に減らす方法については、アースポリシー研究所のレスター・ブラウン氏(Lester Brown)が本に堂々と書いている。今年発行されたばかりの彼の著『Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization in Trouble』(New York: Earth Policy Institute, 2006)の中には、自動車から出る二酸化炭素を「85%」も減らせるとして、次のような方法が紹介されている--①自動車を改良ハイブリッド型にする、②改良ハイブリッド型には、現在の内蔵電池のほかに予備電池を入れて、家庭の電源から充電する、③風力発電設備を大幅増設し、家庭への送電線につなげる、④風力による夜間電力を自動車の予備電池に充電する、⑤近場の運転は予備電池で行い、遠出の時だけガソリンを使う。

 私は、この方法は充分現実味があるので、日本でも検討してみるべきだと思う。

谷口 雅宣
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年1月30日

政治が科学を抑えている?

 21世紀の時代にあって、科学者が政治的圧力によって自分の研究結果やそれにもとづく信念を公表できない国があるとしたら、それはどんな国だろうか? 自由主義や基本的人権の考え方が充分に育っていない旧社会主義国か、あるいは宗教的支配が強いイスラム原理主義の国か……と考えがちだろう。しかし驚くなかれ、アメリカ合衆国がそれだと言って非難する科学者が出た。それも、NASA(航空宇宙局)の気象科学者がそう言ってブッシュ政権を批判しているのだ。NASAの下部組織であるゴッダード宇宙学研究所(Goddard Institute for Space Studies)の所長を長くしているジェームズ・ハンセン博士(James Hansen)は、自分の講演原稿、発表論文、同研究所ウェッブサイトへの書き込み、さらにジャーナリストからの取材依頼をNASAの広報担当部門がチェックするよう命令されたとして、抗議の声を上げている、と30日付の『ヘラルド朝日』が伝えた。

 さらに物議をかもしそうなのは、ハンセン氏は気象学者として1988年以来、地球温暖化の危険を訴え続けてきた一人だからだ。彼は2001年には、チェイニー副大統領その他の閣僚の前で2回、温室効果ガスの排出による気象変動についてのブリーフィングを行っている。しかし、2004年に、アイオワ大学で行った講演の中で、「政府の気象学者は口止めをされている」と不満を漏らしてから、ブッシュ政権から白い目で見られるようになったらしい。『ニューヨークタイムズ』が最近、ハンセン氏から何度も取材した結果、それを記事にしたものの一部が『ヘラルド朝日』(ニューヨークタイムズと朝日新聞の共同発行)にも掲載された。

 記事の中では、NASAの高官はもちろんこのことを否定している。広報担当官のディーン・アコスタ氏(Dean Acosta)は、ハンセン氏に適用される制限は、NASAの意見を代表すると見なされるすべての職員に平等に課せられているもので、科学的知見について議論することは何ら制限されていないとはいえ、政策にかかわる事項は政策決定者とそのスポークスマンを通じて発表されなければならない、というのである。また、ジャーナリストからの取材申し込みを広報部門に報告することは、情報の流れを秩序づけて予想外のハプニングを防ぐためだという。そして、この方法は地球温暖化という特定の問題や特定の人物に限定して行っているのではなく、「局内の協力体制の問題だ」というのである。

 ハンセン氏はこれに反論し、このような手続きが行われているため、国民は気象変動についての最近の発見の意味と、この先の危険について充分理解していないのだ、と言う。そして、「国民とのコミュニケーションが大切なのは、恐らく国民の関心だけが、この問題を見えなくしてきた特定の利害関係者の力を抑えることができるからだ」と言っている。

 読者はどう感じるだろうか。本欄ではすでに何回も書いてきたが、現在のアメリカ合衆国政府は、地球温暖化の危険を否定しないまでも、重要視していないことは事実だ。それよりも、将来にわたって化石燃料の供給源を確保しておくことが重要だと考え、アフガニスタンや中東へ派兵しているし、自然エネルギーへの転換よりも、原子力発電への再投資を推進している。日本政府も、このブッシュ政権の方向を横目で見ながら、全面的に追随しないまでも、一部でマネをし、自然エネルギー利用に関しても遠慮しているのか、あまり前へ進んでいない。私は、ハンセン氏のような科学者が怒りの声を上げるのは無理もないと思う。そして、日本の科学者がハンセン氏のように声を上げないのを、不思議に思う。

谷口 雅宣

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年1月29日

隼 人 塚

 鹿児島県で行われた生長の家講習会の後、隼人塚というところへ寄った。ここは、大正10年に国が遺跡として指定したところで、『古事記』や『日本書紀』に記された古代の南九州の住民「隼人」の反乱に関係があるとされている。発見当時は、高さ3mの丘の上に多重石塔3塔、四天王石像4体が、一部傾いて土に埋まり、あるいは欠けた形で立っていたそうだ。それを平成10~11年に補修して、今は小ぎれいな公園の中に当時の面影を残しながら皆、正しく上を向いて立っている。
 
「薩摩隼人」という言葉があるから、私は「隼人」とは鹿児島県の男性の別称だろうくらいに思っていた。しかしこれは間違いで大昔、九州地方に住んでいた部族のことだ。日本の文献に最も古く「隼人」の文字が現れるのは『古事記』(712年成立)と『日本書紀』(720年成立)で、海幸山幸の神話にある兄の海幸彦のことを「隼人族の祖先」だと紹介してある。この物語では、ホオリノミコト(山幸)が兄のホデリノミコトを服従させて皇室の系譜を継ぎ、ホデリノミコトは隼人族の祖先となって代々朝廷に仕えたということになっている。

 しかし実際は、隼人族の一部は朝廷に服従して「畿内隼人」として近畿地方に移住させられたりしたが、九州南部には依然として朝廷に従わない隼人族がいて、薩摩国設置(702年頃)や大隈国設置(713年)の際に反乱し、さらに養老4年(720年)に大きな反乱を起こしている。この最後の戦いは「隼人の乱」と言われ、1年半にわたって戦われ、朝廷方の1万人の追討軍に対して、首を切られたり捕虜にされた隼人族は1400人余にのぼったというから、かなり熾烈な“部族解放戦争”だったことが窺われる。

 隼人塚は、これらの戦いの際に死んだ人々の霊を慰めるために造られたという説がある。この場合は、建立時期は和銅元年(708年)ごろということになるらしい。しかし、この塚に建てられた石塔などの形態が大隈国国分寺跡にある六重塔に似ていて、後者に彫られた年号が康治元年(1142年)であることから、この頃に造られたという説が後に唱えられた。これだと平安末期の建立ということになる。このほか、「寄せ集め説」とか「移転説」もある。前者は、明治初年の廃仏毀釈で破壊された石塔や石像を、その後付近から寄せ集めたものという説。後者は、天保年間に書かれた『三国名勝図会』に国分市の重久にあると記された隼人塚が、ここに移転されたという説だ。とにかく、建立の目的や時期は正確には不明だ。(これらの記述は、隼人町立隼人塚史跡館提供の資料による。この資料では、塚の建立は「約850年前」となっていた。)

Hayato  隼人塚史跡館を出て、隼人塚まで足を運んだ。3基の五重の塔よりも、塚の四隅に立っている甲冑姿の四天王の石像に惹かれる。4体すべてが甲冑を着ているのは珍しいそうで、それだけかつての戦いの激しさを想像させる。石像のあちこちが壊れて失われている姿が、逆にリアルである。現代の戦争でも、最後は白兵戦だ。
 
 寒風に矢尽き佇む隼人かな
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月27日

サツマイモ、食べてますか?

 真夏のブラジルから帰ってきたため、よけいに寒さが身にしみるのかもしれないが、こう寒いと、町角の焼きイモ屋の前で立ち止まりたくなる。あの甘い香りとホカホカの熱さの誘惑には、逆らいがたいものがある。が幸い、私の妻はサツマイモ好きで、家にいるときはほとんど毎朝、それにありつける。かつては“救荒作物”とか“食糧難の食事”とか、英語でも“貧者の食物”(poor man's crop)とか言われていたサツマイモだが、最近は利用価値が各方面から見直されているようだ。

『朝日新聞』の夕刊にちょうど「さつまいもシンデレラ物語」(27日に終了)という記事が連載されていて、サツマイモの効用を学ぶことができた。暑さに強く、やせ地でもよく育つため、アフガニスタンやスリランカでも日本の援助で栽培が始まっているという。食物としては、繊維量がジャガイモの2倍近くあるため排便促進の効果があり、ポリフェノールも多く、糖度もあるから評価が高い。また、米アラバマ州のタスキギ大学では、NASA(米航空宇宙局)の委託により蛋白質とアミノ酸が通常の3~5倍のニュー・スイートポテト(新サツマイモ)の開発に取り組んでいるという話だ。その目的は「肉なしでも生きていける完全食品」を作るためだという。
 
 食品以外の用途としては、燃料用アルコールや、生分解性プラスチックの原料にもなるといい、千葉大学の古在豊樹学長(62)の言として「食糧とエネルギーを奪い合い、環境破壊が深刻化する」現代にあって、「この3大問題を同時に解決できる」と紹介してあった。このため、トヨタは2000年に10億円をかけて同大と共同で栽培施設を開設したそうだ。

 1月23日の本欄で、ブラジルでの生長の家国際教修会で「肉食の弊害」を扱ったことを書いた。上に挙げたNASAの計画と古在学長の話は、関係がないようでいて関係があるように思う。というのは、宇宙空間では最も効率よく育ち、最も栄養価がある食品が求められるが、人口増大により資源を極限まで使いつつある“宇宙船地球号”でも、同じことが求められると思うからだ。今どきの牛は、肥育のために穀物を大量に与えられており、そこから採れる牛肉1キロに必要な穀物は7キロと言われている。人類が肉食を増やせば増やすほど、地球の資源は枯渇し、環境破壊が深刻化するのである。

 地球政策研究所のレスター・ブラウン所長は、経済発展目覚しい中国やインドがこのまま化石燃料にたよった成長を続けていくと、環境破壊が進み、人類を含めた生物多様性に甚大な被害が及ぶことを警告している。つまり、“経済大国”中国に住む人々の胃袋を満たすために穀物が足りなくなり、貧しい国々の飢餓が深刻化する。その穀物不足を補えるかどうかは、“食糧大国”ブラジルの農業政策にかかっているという。しかし、ブラジルが農地拡大のためにアマゾンやセラードの開発を際限なく進めれば、地球温暖化は後もどりできない状態になる--と警告しているのだ。(『プランB』参照)
 
 27日の『ヘラルド朝日』紙には、中国での鶏肉消費とダイズ輸入の関係が書いてある。それによると、中国にはダイズを破砕して動物の餌にする能力が7000万トン分あるが、昨年は鳥インフルエンザが流行して2100万羽以上の鳥が殺処分されたため、飼料工場の操業は停滞しているという。にもかかわらず、昨年のダイズ輸入は前年より31%増えて2660万トンとなり、今後5年間はさらに40%増えて3500万トンに近づくという。中国はダイズの国内消費の半分以上を輸入に頼っており、主な輸入先はアメリカ、アルゼンチン、そしてブラジルである。鶏肉の消費が増えればダイズの国際価格が上がるか、あるいはダイズ生産を増やすための土地が海外に必要になる。これが飼料効率の悪い牛肉の場合は、鶏肉の数倍の土地が新たに必要になるわけだ。

 宗教的な問題を考えない人も、領土や資源・エネルギー面から見て今後、人類が肉食を拡大していくことの危うさに気がついている。牛肉を食べるよりも、サツマイモを食べる方が倫理的であるばかりでなく、地球資源の保全に寄与でき、平和にも貢献できるのである。にもかかわらず、日本の総務省統計局によると、1世帯当たりのサツマイモの購入量は年間3.3キロ(2004年)で、1965年の6.6キロから半減しているそうだ。皆さん、寒い日だけでなく、もっとサツマイモを食べましょう!

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月26日

カンタン旅日記を公開

 昨日の本欄に「白のワイシャツに緑色のベストを着てネクタイを締めたロバ」の写真のことを書いたが、「百聞は一見にしかず」ということで、この写真を見て描いた絵をご覧に入れようと思った。機内でスケッチブックに描いたものだが、旅行中に描いた絵はほかにもあったので、ついでに一連のものも見ていただき、旅先の雰囲気を味わっていただくのは如何だろうか。固い話ばかり続いたので、実は、読者も飽きてしまったのではないかと危惧しているのです。

 ということで、10枚の絵を公開します。どれも急いで描いたラフスケッチなので、クオリティーを期待しないでください。ところで公開先だが、本サイトではなく、「よいニュース」を発信中のプレザントニュース社のサイト(本欄の昨年11月28日で紹介)へ送ったので、そちらを参照してください。送っただけで、すぐには登録してもらえない可能性もあるので、公開まで待たされるかもしれない。コメントはこちらへでも、“あちら”にしていただいてもいいが、“あちら”のサイトでは私は「MT」というハンドル(仮名)を使っているので、その点はご配慮ください。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月25日

動物の個性

 前日の本欄で The New York Times Magazine のことを書いたが、これはニューヨーク・タイムズの日曜版に挟まれて入ってくる週刊誌である。発行日は、ブラジルでの教修会当日の22日だ。表紙の写真は、白のワイシャツに緑色のベストを着てネクタイを締めたロバが、腰に両手を当て、耳を立てて読者を睨んでいる。モンタージュ写真に違いないが、一見ゾッとする迫力がある。雑誌の中を開くと、三つ揃いを着てポケットに手を入れてニッと笑うブタとか、ブラウスの肩をすくめ、口をヘの字に曲げたヒツジの写真も出てきた。単なる悪趣味かと思っていたら、そうではなく、「The Animal Self」という題の10ページ以上もある特集記事を飾る写真だった。記事は、これらの写真が示すように、「動物にも個々の性格がある」ことを科学者が発見していると伝えていて、興味深く読んだ。

 私は、心理学の中に「動物パーソナリティー」(animal personality)という小分野があることを知らなかった。これは、動物のもつ性格や個性について研究する分野だそうで、「人間のもつ行動上の性格は、程度の差や幅の違いはあれ、すべての生物種を通じて存在している」ことを発見しつつあるそうだ。ちょっと待ってくれ、と言いたくなる。イヌやネコやサルならともかく、「すべての生物種」ということになると、植物にも、菌類にも、軟体動物にも、性格があることになる。科学者たちは、人間以外の生物を研究する際、「擬人化」(anthropomorphism)のワナに陥らぬように注意するとは聞いていたが、この心理学上の発見は、擬人化(動物も人間と同じようなものの見方、感じ方をすると考えること)は正しいと言っているように聞こえる。

 従来の心理学では、動物が個性をもたないことの理由として、動物には「自己」の意識がないから、自らの経験や感情や行動を振り返って反省し、あるいは心の中で自分と論争することもなく、したがって人間ならばそういう過程を通じて形成される「性格」というものを持ちようがない、というものだった。しかし、あるガチョウが、いつも、どんな場合でも、別のガチョウとは違う行動の仕方を示すならば、自己意識があろうがあるまいが、それをそのガチョウの「性格」として考えることは、何が不都合なのか? と考える人が出てきたという。この人は、サム・ゴスリング(Sam Gosling)というイギリス人で、動物性格研究所(Animal Personality Institute)という研究機関を最初に設立した人だそうだ。この人は、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)で飼われていた34匹のハイエナに対し、4人の飼育係に人間に用いる性格分類法を少し変えて、「興奮しやすさ」「社交性」「好奇心の強さ」「自己主張度」などを、それぞれ別々に評価してもらった。すると、4人の結論はよく似たものになったという。つまり、ある程度客観的な性格判断が可能だったというわけだ。

 この記事には、動物の性格を思わせるような様々な実例が出てくるが、私にはオオダコの例が面白かった。軟体動物は、動物の中でも“低級”と見なされるようだが、シアトルの水族館に飼われているオオダコは、名前で呼ばれるという。それぞれが特徴のある行動をとるからだ。餌を食べる時いつも岩陰に隠れている恥ずかしがりやの雌もいれば、訪問者に腕を伸ばして巻きつこうとする雄もいるし、雌ダコでも夜中に水槽内をかき回して、底の岩を動かしたり、水のフィルターやナイロンのケーブルを食いちぎったりするのもいる。また水槽内を清掃されるのを特に嫌う雄ダコもいて、清掃用具をつかんで全身が赤くなるまで放さなかったり、別の雄ダコは、ある特定の女性研究者が水槽内を懐中電灯で照らすのが嫌いで、彼女に水を吹きかけてビショビショにしたそうだ。

 本欄では、ネズミが歌う話を紹介したが、笑うネズミも、数をかぞえるオウム、互いに顔を識別するヒツジもいるそうだ。そう言えば、私が飼っていたブンチョウも、それぞれが特徴ある行動を示していたのを思い出す。「新奇性を好む」方向に働く遺伝子もあるというから、それが動物と共有されていれば(遺伝子には“種の壁”はないから)、「冒険好きのブンチョウ」がいてもおかしくないことになる。しかし、そういうものを「個性」とか「性格」と同じものと見ていいのだろうか? もし、生きている動物に個性があるなら、動物の霊にも個性があることになる。これでは宗教上、少しややこしいことにならないか……など、様々な思いが心を過ぎった。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月24日

ニューヨークで本を買う

 サンパウロから8時間余をかけてニューヨークに着いた。JFK空港からマンハッタンまで交通渋滞に巻き込まれたが、『The New York Times Magazine』(1.22.06)を読みながら時間を過ごした。マンハッタンは42丁目のグランド・セントラル駅に隣接したグランド・ハイアットにチェックイン。その後、活気に満ちたNYの朝のビジネス街を、妻とのんびり歩いた。ここへ来た目的の一つは本を買うことだったので、地図で見つけた5番街48丁目のバーンズ・アンド・ノーブルという大手書店へ向う。が、そこより手前の46丁目の角にも支店を見つけたので、そこへ入った。
 
 この書店は2階にカフェがある今流行のタイプで、何冊もの本をテーブルに置き、読みながらのんびりしている客もいる。これだったら、調べ物だけして本を買わずに済ませることもできるが、店としてはそれでもいいのだろう。カフェ以外の店内のあちこちにも椅子が用意されているのは、同じ“寛容さ”を示している。日本にも、これと似たタイプの書店が増えてきているから、きっとカフェなどない従来型の書店と売り上げを比較して得た結論なのだろう。本好きの私としては、ありがたい傾向である。
 
 結局、1時間半ほどかけて5冊の本を買った。内訳は、
①Daniel C. Dennett, Sweet Dreams: Philosophical Obstacles to a Science of Consciousness (Cambridge: The MIT Press, 2005)、
②Khaled Abou El Fadl, The Great Theft: Wrestling Islam From the Extremists (New York: Harper-Collins, 2005)、
③Robert Baer, See No Evil: The True Story of A Ground Soldier in the CIA's War on Terrorism (New York: Three Rivers Press, 2002)、
Socrates (New York: Barnes & Noble, 2004)、
Walden (New York: Barnes & Noble, 2004)、である。

 ①は、アメリカの哲学者の近刊本だ。実は、この人の本は空港からホテルまでの時間に読んだ上記の雑誌に、最新刊として、Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon という本が紹介されていたので、それを買うつもりだった。ところが書店の人に聞くと「来月の初めに入庫する」というので、別のものにした。本のカバーの説明によると、この本は1984年から1996年にかけて著者が雑誌に発表した文章をまとめたもの。著者、ダニエル・デネット氏は、最新の神経科学の知識を駆使して「意識とは何か」「心とは何か」の問題を哲学的に探求している人で、私も著書の中で引用したことがある。1991年に出した Consciousness Explained という本は邦訳がある。

 ②の著者は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)法律学校のイスラム法教授で、現代の過激なイスラームであるワッハーブ派に対する有力な批判者の1人。今日のジャーナリズムでは、イスラームの“過激派”をめぐる報道は数多くあるが、多数派である“穏健派”の声を聞くことは少ない。しかし、世界中にいる10億を上回るイスラーム信仰者にとって、この教えは精神の平穏と倫理・道徳の源泉としての役割をはたしている。本のカバー袖の説明によると、現在イスラーム世界の中では、この少数の過激派と多数の穏健派との間の対立が激化、互いに対立する2つの世界観が生まれており、かつてのヨーロッパの宗教改革にも匹敵するような大きな変化を遂げようとしているという。この本は、イスラーム法にもとづく穏健派からの過激派に対する批判であり、イスラームの倫理的伝統を再提出する試みである、という。
 
 ③は、ブッシュ政権の“テロに対する戦争”の最前線にいた元CIAベテラン諜報員の回顧録で、ニューヨーク・タイムズのベストセラーになったもののペーパーバック版である。著者は、1976~97年にCIAで働き、イラク、ダシャンベ、ラバト、ベイルート、ニューデリーなどに駐在、その優秀な活動によって1998年にはCIA内で表彰されている。本の表紙にある説明では、著者は中東における過激派の動きを察知し、その脅威を除くようワシントンに進言したが、それが受け入れられなかったため、ビン・ラディンやサダム・フセインの立場が一層強固なものとなり、ついに9・11へと発展したことを訴えているらしい。
 
 ④と⑤は、既刊本のコンパクト・ハードカバー版である。「愛蔵版」という表現の方が正しいかもしれない。日本の新書判の左右を少し拡げたような判型で、三方金の上製本でありながら、1冊6ドルと安い。④はプラトンの著作からソクラテスの思想をよく表したもののアンソロジー。⑤は言わずと知れたアメリカのナチュラリスト思想家、ヘンリー・D・ソローの代表作である。邦訳の文庫本をもっているが、それとは比較にならない重厚さに惹かれて、ついに買ってしまった。バーンズ・アンド・ノーブル社は書店経営だけでなく、この種の出版もしている。著作権の切れた著者のアンソロジーや復刻版である。こういう凝った本を手にすると、電子出版とは異なる「本」の良さをしみじみと感じるものだ。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月23日

ブラジルで行事を終える

 今はサンパウロ時間で23日午後5時前、ブラジルでの行事をすべて終えてサンパウロ空港へ向う前の“小閑”を利用して、ホテルのデスクでキーボードを叩いている。19日以降、バタバタと行事をこなし、21~22日に今回の渡伯の主目的である「世界平和のための生長の家国際教修会」を無事に開催できた。天候もよく、運営もスムーズで、内容的にも充実したものになったことは、すべての関係者の方々の愛念と努力によるものであり、心から有難いと思う。16ヵ国から2,829人が参加し、ブラジル、日本、アメリカからの12人の講師の発表を、11人の通訳者が4つの言語に翻訳しながら行われた。「国際教修会」の名にふさわしい集会となった。プログラムは大別して2つ、①「2004年の研修を顧みる」と、②「肉食と世界平和について」である。詳しくは、後日の報道や発表に期待していただきたい。

 その間、19日には、ラテン・アメリカと北アメリカの生長の家幹部の方々との懇談会があった。ここでは9ヵ国から71人が集まり、国際会議の様相を呈した。教修会での発表言語は日・英・ポの3ヵ国語だったが、懇談会ではこれにスペイン語(西)も加わったため、「日←→ポ」「日←→英」「日←→西」「ポ←→英」「西←→英」の5つの翻訳の片方向の翻訳を1人ずつで行う態勢がとられた。つまり、5×2=10人の同時通訳者が会場の片側に設けた同時通訳ブースに並んだわけで、なかなか壮観だった。生長の家の国際本部(東京)では、毎年の運動方針を発表する生長の家代表者会議等で、これまでにも数ヶ国語の同時通訳は行われてきた。が、これだけ多くの言語が飛び交う集会はなかったと思う。初めての経験であったにもかかわらず、懇談会らしく自然な発言がどんどん飛び出し、実りのある会になったと思う。20日は、午前中に教修会での発表講師との最終打ち合わせをすませ、会場でのリハーサルを行った。そして今日(23日)は、午前中に伝道本部でブラジルにおける生長の家の儀式についての会議が開催され、2時間半にわたって密度の濃い意見交換が行われた。

 さて、教修会について少し書こう。今回、テーマとして「肉食」を取り上げることについては、実は不安があった。その大きな理由の一つは、ブラジルという国が牧畜の盛んな国で、しかもシュラスコやフェイジョアーダなど肉を主体とした食習慣をもつ国であるからだ。また、会に参加する北米やブラジル周辺の国々にしても、肉を常食とする人々が大半である。そんな人々の前で、米と野菜と魚介が主体に食べる日本人が「肉食の弊害」を説いても、「文化の違い」のひと言で一蹴されてしまうことを危惧していた。しかし、こういう懸念を事前にブラジルの生長の家幹部の人々に伝え、「別のテーマにした方がいいか?」と尋ねたところ、「肉食を扱ってくれて問題ない」との回答を得ていた。これには少し驚いたが、現地の人が賛成するのならばやろう、ということになったのである。
 
 私の泊まったホテルはサンパウロ市の中心部にあり、すぐ隣にヒルトンホテルや米マイクロソフト、ネッスル、京セラなどの高層ビルが建つビジネス街だ。地下には、これらのビルをつなげる地下街が広がっていて、フードコートやレストランが社員の胃袋を満たすために軒を連ねている。そのうちの一幹に「現代」という名前の日本食の店があり、その名前には「Japanese fast food」という英語が添えられていた。私と妻は最初、日本食のファーストフードなんて聞いたことがないから敬遠していたのだが、1度食べてみると、安い割には案外美味しいことがわかった。その店には昼時となると、近くのビルから繰り出したブラジル人が押し寄せるのだった。もちろん昼には、ほかの店の前にも人の列ができる。しかし、それだけ多くの人が箸を持って、寿司や刺身、天婦羅、焼ソバ、天丼、牛丼、野菜炒め丼、焼魚弁当、照焼弁当、春巻、餃子などを食べる風景を、私は想像していなかった。

 ニューヨークやトロントでも、スーパーに寿司やお握りなどが売られているのを見て驚いたことがあるが、サンパウロでは日本食はさらに普及しているようだった。現地の人の話では、同市にある日本料理店の数は、中国料理店よりもはるかに多いのだそうだ。私たちの宿舎がある地域は、サンパウロでもエリートクラスの人々が働く場所だそうだから、そういう所で日本食に人気があることを考えると、当地で「肉食の弊害」を説くことが、あながち無謀ではないことに気がついた。
 
谷口 雅宣
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月18日

ホテルのロビーで番組収録

 今日は午前中、宿泊しているホテルのロビーでテレビ番組の収録をした。とは言っても、ブラジルの一般のテレビ局の人々が来たわけではなく、生長の家ブラジル伝道本部の関係者がインタビューアーと撮影スタッフを引き連れて登場したのである。同本部では現在、ブラジルの20のテレビ局で番組を放映しており、その番組の中で私と妻にインタビューする企画を流すのだという。テレビ番組出演など初めての私は、緊張して出かけたが、スタジオではなく、ロビーの一角にカメラ2台を構えた設定を見て、何となく拍子ぬけした。妻は、航空会社に勤めていたときに一度、テレビに出たことがあるから慣れているのかと思ったら、本人の弁では「緊張しっぱなし」だったそうだ。

 事前には「どうらんを塗る」と聞いていたので、撮影までの準備に時間がかかるのかと思ったが、光線の加減でその必要もないということになり、小型マイクを背広の襟元に取り付けただけで、いきなり撮影に入ってしまった。一応、“想定問答集”のようなものを作ってあったが、カメラの前でそれを読みながら話すわけにはいかない。ロビーの応接セットを使っての撮影だったが、カメラから見えない位置のテーブルの上に“問答集”を置いて、あとは何を書いたかを思い出しながら日本語で話す。インタビューアーは、もちろんポルトガル語だ。質問の日本語訳は“問答集”に書いてある。しかし、ポ語で質問されると内容は分からない。が、質問が分かっているような顔をしてインタビューアーに反応しなければならない。私の日本語の“しゃべり”は、後日ポ語に翻訳されて、録画テープの音声の上に誰かの声をポ語でかぶせる--そういう手法で番組を作るらしい。

 私への質問は8つ、妻へは4つだった。私と妻の2人がインタビューに答える様子を録画するというので、私が第1問を答え終わると、インタビューアーは妻に向って彼女用の第1問を質問する。それが終ると、私への第2問の質問が始まる……こういう段取りでインタビューは進行し、2人とも3問答え終ったところで小休止した。ブラジルの濃いコーヒーで一息入れた後は、慣れてきたこともあり、脱兎のごとく番組収録は終った。そういう印象だった。

BrTVInt  撮影に3時間を充てていたところ、2時間半で終了したのはありがたかったが、NGもあまり出ずに撮り終えてしまったことに、逆に不安が残る。言い間違ったところはないか。発音がはっきりしない部分はなかったのか。オーバーアクションや誤解を招く表現はなかったか……など考えているうちに、「そうだ!」と思い当たった。番組はポ語をかぶせて放送されるのである。日本語での間違いは、ポ語で修正すれば問題にならないのだった。

 そんなわけで、収録した番組の日本語版を作るとすると、問題のある場面があるかもしれない。が、とにかく初めて体験は緊張裡に終り、私たちは胸を撫で下ろしたのである。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月17日

女性の素晴らしき発展

 こんな題をつけると「おまえはフェミニストか!」と一部から言われるかもしれないが、今日(1月17日)の新聞を眺めると、どうしてもそんな印象をもつ。世界の各地で女性政治家が国の最高責任者になりつつある。南米チリで初の女性大統領となったミッチェル・バチェレ氏(Veronica Michelle Bachelet Jeria)、西アフリカ・リベリアでアフリカ初の女性大統領となったエレン・サーリーフ氏(Ellen Johnson Sirleaf)、そしてドイツ初の女性首相、アンジェラ・メルケル氏(Angela Merkel)が、国際ニュースに揃って登場している。おまけに、16日に行われたリベリア大統領の就任式には、アメリカの大統領夫人、ローラ・ブッシュ氏と女性国務長官、ライス氏が出席して、国際政治の表舞台への“女性進出”をはっきり印象づけた。

 もしかしたら「女性進出」という言葉は政治的に正しくない(politically incorrect)のかもしれない。なぜかというと、人によっては「進出」という言葉の中に「出るべきでないところへ出る」というニュアンスを読み取る可能性があるからだ。しかし、私はこの語をそういう意味で使っていないことをお断りしておく。それよりもむしろ、変転きわまりない現代に於いては、世界や国家の運営には、従来考えられなかったような多様な能力が求められているのであり、それに適するような経験と教育(広義での)を得た人がたまたま女性であった、というのだろうか。言い方を変えれば、従来の男性による伝統的政治手法だけでは解決の困難な様々な問題--例えば、人権や環境、人口問題--を解決することの優先順位が高まっている、とも言えるだろう。
 
 現時点では、リベリアのサーリーフ新大統領(57)のデーターは多く入手できない。ただ彼女は、国連開発計画(UNDP)の元アフリカ局長で、米ハーバード大学を出た後、銀行に勤め、政治犯として2度捕らえられた経験をもつという。私は今、南米にいるので、今日付の『International Herald Tribune』紙などをもとにチリの新大統領の横顔を紹介しよう。

 バチェレ氏は私と同年齢の54歳。同国の元国防相で、小児科医でもある。父親のアルベルト・バチェレ将軍は、1974年のクーデターによる軍政下で拷問により獄死し、娘のバジェレ氏自身も母親とともにピノシェ政権に捕らえられ、拷問を受けた経験をもつ。バチェレ氏はチリのサンチャゴで生まれたが、11歳の時、軍属だった父親のワシントン赴任にともなって渡米。そこで人種差別やケネディー暗殺事件を体験し、1年後に帰国。60年代世代の文化の影響下、ビートルズやベトナム反戦運動に触れ、従兄妹と組んでフォークソングのデュオを結成、ジョーン・バエズやボブ・ディランの曲を歌ったという。チリの大学では父親の勧めで医学を専攻した。

 父親が捕らえられた時、彼女は22歳、母親とともに解放されたのは24歳の時。その後、独裁政権による国外追放のため兄がいたオーストラリアへ逃れ、数ヶ月で東ドイツのポツダムへ渡った。しばらくそこで母親と生活した後、バチェレ氏は東ベルリンの大学へ移って医学の勉強を続けた。28歳の時にチリに帰国し、そこで医学を修めて小児科医となる。1990年に独裁政権が倒れると、保健省の顧問となるが、1996年にはチリ国立防衛大学へ進み、翌年にはアメリカの防衛関係大学へ移った後、チリに帰国して国防省職員となる。2000年には保健相、2002年にはチリ初の女性国防相となった。

 なかなか波瀾万丈の半生を生きた人だと思う。経歴からいって英語、ドイツ語も堪能に違いない。父親が長く軍属にあった影響で軍事にも関心が深く、ついに国防省までつとめた経験は大統領として貴重なものだろう。また、医学への傾倒は、この人の科学への関心と人間への愛情を感じさせる。軍政下で拷問を受けたという経験でさえ、彼女の意志の力を鍛え上げたとすれば、無駄なものではなかったのかもしれない。

 ところで、ドイツのアンジェラ・メルケル首相だが、上掲紙の記事によると、16日にはモスクワでプーチン大統領と会談し、前任者のシュレーダー首相とは「かなり違ったトーンを打ち出した」そうだ。メルケル首相はロシア語に堪能で、プーチン氏はドイツ語が上手だというから、コミュニケーションに問題はなく、3時間の会談と昼食をともにしながら、しかし話の内容は、「シュレーダー首相がプーチン氏に持ち出すことをためらってきた難問をいくつも取り上げた」らしい。その中には、7日の本欄で書いた天然ガスの価格交渉をめぐるロシアの強硬策もあり、首相は「ロシアは、ヨーロッパのエネルギー需要を満たしてくれるパートナーとしては、信頼性を失わせる危険を冒した」と、はっきりと言ったという。また、ウクライナの問題についても、かなり突っ込んだ議論をしたようだ。彼女に言わせると、ドイツとロシアは“戦略的パートナー”としての新しい関係に入ったのだという。
 
 優秀な女性が政治をしているというよりは、優秀な政治家がたまたま女性なのではないだろうか。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月16日

サンパウロへ到着

 成田からニューヨーク経由のサンパウロ行き(JL048便)でこちらへ来たが、飛行場が混雑していたおかげでニューヨークを発つのに定刻より約1時間遅れた。それでもサンパウロまでの空路で若干遅れを取り戻したのか、こちらに着いたのは午前8時17分。定刻より20分余の遅れですんだ。成田空港でもJFK空港でも、旅客機の“渋滞”を経験した。北半球の今ごろの時期は、いわゆる「シーズン」ではないと思っていたが、どうしてどうして満席か満席に近い大型機が行列しながら離陸を待つ。どちらの空港も1本の滑走路で離発着の双方をさせていたから、離陸した飛行機の後へ、別の機が上空から着陸する。夜間だと、その2機の間の距離がよく分からないので、着陸態勢に入った機の前へ離陸機が割り込むように見えて、なかなかスリルがある。管制官の一時の居眠りでも大惨事の原因となるだろう。それだけ、航空機を使った旅行者が全世界で増えているのだ。

 サンパウロは今、午後6時半だが、ホテルの窓からは西日が照りつけて暑い。今は「サマータイム」を実施中とかで、実際の時刻より1時間、時計の針を早めているそうだ。南半球にある当地は今、夏の盛りだ。空港から市内のホテルまでの道路の脇には、赤や黄色のカンナ、ハイビスカス、赤紫のブーゲンベレア、その他、名前がよく分からない藤色の花などが咲き乱れる。しかし交通渋滞は東京並みで、乗用車やトラックの繋がった長い列の間を、急便を運ぶバイクが後から後から高速で追い越していく。このバイク便による事故が、最近多いという。

 今日は午後8時から、Hotel Park Suites ITC というホテルのレストランで、ブラジル伝道本部の教化指導者の方々(約50名)が出席する歓迎レセプションが開かれるので、まもなく出発である。当地の治安はあまりよくないので、ボディーガードつきでの移動となる。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月15日

資源をめぐる対立の構図

 ブラジルのサンパウロで開かれる「世界平和のための生長の家国際教修会」の準備のため、しばらく本欄を休載していた。準備が整ったわけではないが、成田からニューヨーク行きの航空機の中でひと息つけたので、キーボードを叩くことにした。成田空港の待合室にあった英国の『フィナンシャル・タイムズ』に添付された広告を見て、ボーイング社の旅客機にはインターネット接続機能が搭載されつつあることが分かった。そこで待合室のJALのスタッフにそのことを聞くと、「うちではまだサービスは始めていません」という答えだったので、少しガッカリした。飛行中の航空機からインターネットができるようになると、機上の時間の使い方に大きな変化が起こるに違いない。来年は、私もそういう変化に巻き込まれることになるかもしれない。
 
 さて本欄では、これまで石油の話を取り上げてきたので、最近の国際情勢との関係で“続編”を少し書いておこう。1月7日の本欄で、ロシア産の天然ガスをめぐるロシアとウクライナの熾烈な価格交渉について書いた。ロシアが値上げを目的として、ガスの供給を止めてしまったことが問題となり、EU諸国は一斉に反発した。しかし、アメリカはほとんど何も言わなかった。問題は、その理由だ。アメリカのメディアの中には、アメリカはイランの核開発との関係でロシアの助力を得たいから、今回は大目に見たとの見方があった。

 ご承知のように、イランは平和目的のために核開発をすると主張しているのだが、欧米諸国はそれを信じていない。そこで、原子力発電のための核燃料をロシアから入手してはどうか、との提案をしている。イラン国内でそれをやらせると、核兵器の開発につながると考えているからだ。アメリカは、こういうイランへの側面からの働きかけをロシアにやってもらいたい。だから、自分と直接利害関係のないロシア産の石油については、あまり口出ししない方が賢明だと考えている--そういう見方だ。私は、この見方が正しいかどうか分からない。しかし、ウクライナとの石油の値段交渉が妥結した後のロシアは、イランの核開発について明確な反対意見を表明しだしているから、あながち間違った見方ではないのかもしれない。
 
 ところで、このイランの核開発が石油の問題とも結びついているのだ。イランはもちろん産油国である。昨年来の石油の高騰で相当豊かになっているはずだ。だから、それに加えて「原子力発電をする」という理由は、説得力がないと考える国もある。イラン自身は、「減っていく石油に国の将来を委ねることはできない」という理由を挙げて核開発を進めている。そして、国際原子力委員会(IAEA)の査察を自主的に受けてきたのだが、今回それを停止するという強い措置に出た。EUはそれに驚いて、問題の解決を国連安全保障理事会に付託すると言い出したが、イランはひるまない。そのひるまない理由が、石油の高騰であると言われている。
 
 この問題が今回安保理に回されても、イラクの時のように、いきなり軍隊を送るということにはならないだろう。すると、国連の制裁は「禁輸」という形になる可能性が高い。しかし、イランから石油を輸出させないとなると、高値の石油の価格がますます高くなり、石油を大量に使用している先進各国にとっては、相当の負担となる。欧米諸国は、そういうリスクを冒してまで禁輸に踏み込むことはないだろう--イランは、そう読んでいるというのである。ここに、「石油の高騰が産油国の立場を強め、それが先進諸国の態度の硬化を生む」という関係があるのが分かる。産油国は、石油を武器に自国の利益を追求する一方、石油の値段に振り回される消費国は、態度を硬化させて対立する。

「石油ピーク」はまだ来ていないはずなのに、すでに世界はこんな状況にある。「国益」を掲げて有限の資源を得ようとすれば、資源の奪い合いになることは自明である。だから、誰からも奪わない資源やエネルギーの開発と利用を、今こそ全力で進めるべきなのだ。それが、現時点での平和への道と言えるだろう。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月10日

技術と文化のむずかしい関係

 日本語で「文化」というと、「法隆寺」とか「歌舞伎」とか「北斎」など、中学や高校の日本史の教科書に出てくる何となく美的で、高尚で「よい」ものを指すように聞こえる。しかし、よく考えると「差別」や「切捨て御免」や「芸者」を生んだのも文化だから、「好ましくない」ものや「悪い」ものも中には含まれる。そうすると、「文化を守る」とか「伝統を守る」と言う場合も、必ずしも「よい」ものばかりを守ることにはならないという点に注意しなければならない。そんなことを考えたのは、科学技術のおかげで「子の性別の選択」が可能となった昨今、昔からインドにある“男子優先”の文化が、重大な社会問題を招来する可能性があることを知ったからである。

 もっと具体的に言うと、インドでは過去20年の間に女の胎児が1000万人も妊娠中絶されたために、現在の若者の男女比に深刻な差が生じているそうだ。1月10日付の『ヘラルド朝日』紙は、イギリスの医学誌『Lancet』に発表された研究を取り上げて警鐘を鳴らしている。長い間“一人っ子政策”をとっていた中国では、推定で4千万人もの未婚の若者(男)がいるというから、インドでも同様の問題が生じる可能性が大きい。

 その記事によると、同国では医師が胎児の性別を親に告げることを法律で禁じているにもかかわらず、超音波診断装置の登場したこの20年間に、推定で毎年50万人の女の新生児が欠落している、とこの調査の主任研究員であるトロント大学のプラバハ・ジャー博士(Prabhat Jha)博士は書いている。しかも、この推定値は「低く見積もった」数だそうだ。実際のインドの人口を見ても、男千人に対する女性の数は、1991年が「945人」だったものが2001年には「927人」へと減少している。最初の子が女子だった場合、2番目の胎児が女児だとわかると中絶されるケースが特に多いという。

 インドでは、娘(女児)はいずれ結婚して他家へ行ってしまうので、娘への出費は“債務”として考えられがちという。また、他家へ嫁ぐときの“持参金”の習慣がある地方では、女児の誕生は特に望まれないらしい。そして、教育程度の高く富裕な家庭ほど、生まれてくる子の性別の選択をする傾向があるという。同国では1994年に施行された法律で、胎児の性別を告げることが医師に禁じられているだけでなく(違反は医師免許停止)、性別を知ろうとした妊婦にも3年の禁固刑と5万ルピー(1100ドル)の罰金が科せられるはずだが、実際にはこの法律によって罰せられた人はいないという。つまり、長い間の考え方や習慣(いずれも文化の一部)が法律より優先されているのである。

 この問題は、「超音波診断装置」という科学技術が、従来からの文化のもつ傾向を強めたために生じている。別の言い方をすれば、この技術が存在しない時代には、インドの文化に内在する“男子優先”の傾向はさほど大きな社会問題を生む原因にならなかったと思われるが、技術によって文化的傾向が強まりすぎると、社会全体にはマイナスの作用を及ぼすこともあるということだろう。
 
谷口 雅宣

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年1月 9日

ネコの進化

 日本各地では歴史的なドカ雪が降っているが、雪を歌った童謡に「ネコは炬燵で丸くなる」という一節がある。寒くなって雪が降れば、ネコは戸外へ行かなくなり、人間の家の中で暖をとるという意味に聞こえる。しかし、本当にそうだろうか、と最近思う。なぜなら、この連日の寒さの中、わが家のノラネコだけでなく、東郷神社や明治公園、霞ヶ丘団地のノラネコたちも皆、相手を求めて走り回っているからだ(詳しくは、昨年10月21日の本欄参照)。

 今朝、生ゴミをコンポストに捨てるために庭へ行ったとき、ゴミの中に小アジの煮干が2~3匹見えた。昨年12月3日の本欄で書いた“高知産”の煮干だ。私はわが家のノラネコのことを思い出し、「出汁をとった残りだが、ノラネコにはご馳走だろう」と考えて、煮干だけコンポストには入れずに、庭の跳び石の上に置いておいた。案の定、半時間もたたないうちに漆黒のノラが1匹現れた。そして、周囲に気を配りながら骨まできれいに平らげてくれた。私は家の中からその様子を観察していたが、黒ノラは私と目が合っても動じない。かと言って、感謝の態度を示すわけでもない。人間との距離のとり方をよく心得ている、と感じた。

「人につかず離れず」というこのネコの習性を、嫌いな人と好きな人がいるようだ。ネコの側もそれを心得ていて、「この人間はネコ好きか否か」を上手に見分ける。そして、ネコ好きの人間には時々、媚を売る。そういう「人間とのつき合い方」をノラネコに対して一体誰が教えるのか? こんな疑問に対する答えを、ネコ族のDNAの解析によって科学者が突き止めたという記事が出ていた。

 7~8日付の『ヘラルド朝日』紙の伝えるところでは、900万年前に、ネコの先祖は現在のシベリアとアラスカを結ぶ陸地を伝って北アメリカへ渡り、その後、その子孫が再びアジアへ戻ってきたらしい。この2度の「渡り」のたびごとに、ヒョウのような猛獣だった先祖から、現在の様々なネコ科の動物--トラやライオン、そして家ネコにいたるまで--が次々に進化してきたというのである。特に家ネコは、猛獣的な性格を失う代わりに、人間に媚びて棲みかと餌をもらうという習性を獲得し、最も生存に有利な進化を遂げたらしい。現代に残っているその他のネコ族--ライオン、トラ、ヒョウ、チーター等--は人間との共存が難しいため、みな絶滅危惧種になっている。
 
 ネコの先祖が大陸間を「渡る」という表現は分かりにくいかもしれない。が、1100万年から600万年前の地球では、海面が今よりかなり低かったから、現在、島が点在している海域は陸続きだった、と科学者は考える。そして、このときにネコ族の最初の先祖がアジアから西へひろがってカラカル(オオヤマネコ)の系統を生んだ。そして東に移動したものは、北アメリカに達して、オセロット(ヒョウに似た斑点のあるヤマネコ)やリンクス(北米産オオヤマネコ)、ピューマの系統になったという。一方、アジアでは650万年前ごろ、新たにヒョウの系統が現れ、この系統から620万年前ごろに、アジアとアフリカに家ネコの系統が出現したというのである。この際、北アメリカからベーリング地方を経由してアジアへもどった種が、家ネコの系統を生んだとの考えが有力らしい。また、現在アフリカに棲むチーターは、北アメリカのネコ族を先祖としていて、約300万年前にベーリング地域を経由してアジアへもどり、そしてアフリカに棲みついたらしい。

 こういう話を聞くと、ネコ族がいかに「長い旅」をするかを思い知らされる。英語でノラネコのことを「stray cats」というが、この「stray」とは「群から離れる」とか「さすらう」という意味である。ネコ族は、地球上の広大な領域を何100万年もさすらい歩いた結果、猛獣から家ネコになり、今は人間とともに大都会に溢れている。そう考えると、彼らが厳冬の中を走り回ることは“先祖帰り”の一種で、何も不思議なことではないのだろう。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 8日

アメリカ企業が言論弾圧に協力?

“社会の公器”とは言われても、営利企業としてのジャーナリズムには限界がある--考えてみれば当然のことかもしれないが、その事実をまざまざと見せつけられた思いがする。マイクロソフト・ネットワーク(MSN)社が、自社の通信ネットワークを使っていた中国人ブロッガーのサイトを、中国政府の要請によって閉鎖したのだ。言い換えれば、中国政府に協力して、政府に批判的な言論を展開する中国人の表現の自由を奪ったのである。7~8日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。

 MSN社を「ジャーナリズム」と呼ぶことには異論があるかもしれないが、ブログやウェッブサイトなど言論活動の場を多数の人々に提供しているのだから、それなりの見識と信念を期待されてしかるべきだ。にもかかわらず、中国での営業拡大を期待して、利用者の自由を制限した。もし私のブログが自民党政治を批判したという理由でプロバイダーから一方的に閉鎖されたら、それは明確な憲法違反だ。MSN社は、自社の利益のためにアメリカ合衆国憲法を踏みにじる行為に出たと言わねばならない。アメリカ国内の事件であれば当然、訴訟されるし、顧客を失うだろう。しかし、中国国内ならばそれをしてもいいということか。同社がもしそう考えたとしたら、その論理はアブグレイブ刑務所やキューバの収容所での拷問や違法行為と同じである。

 閉鎖されたサイトを運営していたのは、アン・チーというペンネームでブログを書いていた30歳の中国人男性で、ニューヨークタイムズ紙の北京支局で調査助手をしていた人である。彼は昨年末、北京新聞の編集者が解雇されたことをブログで取り上げて書いたため、同新聞のジャーナリスト100人以上が12月29日、それに抗議してストライキを起こした。言論の自由が許されていない中国としては、珍しいことだ。が、このことが原因で12月30日に、このブログは突然閉鎖されたという。「私のブログは何の警告もなく削除されたから、ファイルのバックアップを取っておくこともできなかった」と彼は言っている。
 
 シアトル市のMSN社の担当マネージャー、ブルーケ・リチャードソン氏(Brooke Richardson)は、「これは複雑で難しい問題だ。我々は、中国に我々のサービスがないよりもある方がよいと考える」と言ったそうだ。私には苦しい弁解のように聞こえる。この論理でいけば、同じMSN提供のウェッブサイトで私が中国の批判をすると、私のサイトも閉鎖されるのだろうか? 中国で政府の言論弾圧に協力しているアメリカ企業は、MSNだけではない。ヤフーも昨秋、自社のネットワーク上にある中国人ジャーナリストの電子メールの情報を中国政府に漏らしたことで、そのジャーナリストは逮捕・収監された。批判されたヤフーの弁解は「地元の法律には従わねばならない」というものだった。

 ブッシュ大統領は、イラク戦争に関して「自由を守る」とか「アメリカの価値を守る」と言っていたのだから、この件では沈黙せずにぜひ何か言ってもらいたい。
 
 谷口 雅宣
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 7日

エネルギーの政治力

 これからの世界の動きを暗示するような出来事が、新年早々に起こった。メディアの報道などですでに承知のことだろうが、天然ガスの供給をめぐるロシアとウクライナの“鍔競り合い”である。ウクライナは、旧ソ連圏の一員として、ロシア産の天然ガスを国際価格よりかなり安く輸入していた。一種の資金援助である。ところが、ユーシェンコ大統領の登場以降、急速に“西寄り”の動きを始めたのを苦々しい思いで見ていたロシアが、急に優遇価格を撤廃して国際価格に移行するとして、大幅な値上げを求めてきた。ウクライナは、値上げは仕方ないが、もっと緩やかに、段階的に移行してほしいと求めたが、ロシアがこれを拒否、条件が飲めないならば、ガスの供給を止めるといって、本当に止めてしまった。

 そこであわてたのはEU諸国だ。なぜなら、ウクライナはロシアからパイプラインでガスの供給を得ていたが、その同じパイプラインを経由して、EU諸国もロシアから天然ガスを輸入していたからだ。その量もハンパでない。1月5日の『産経新聞』によると、ドイツは国内需要の35%、イタリアは同じく30%、オーストリアにいたっては実に60%もの量をロシアからの輸入に依存している。ロシアは、EUへの供給は減らさないというのだが、同じパイプラインを通っているガスを「ウクライナの分だけ減らす」ことなどできるだろうか? EU側にあるパイプラインのガスの圧力も減り、大いに動揺することになった。結局、両国の交渉は1月4日、ウクライナが現行の「5倍弱」の値上げを飲む形で妥結したらしい。

「らしい」と書いたのは、ロシアとウクライナの交渉結果の細部がまだよく分からないからだ。1月6日付の『朝日新聞』は、モスクワ駐在特派員名の記事の中で、「ロシアが求めていた1千立方メートル当たり230米ドルから大幅に下げ、実質95ドルで5年間ウクライナに供給することで合意した」と報じている。『産経』の報道と数字は違うが、それは、ロシアの独占企業ガスプロムからウクライナ向けとして「230ドル」で第3者に売り、その会社が別の中央アジアルートで来る安いガスと混合してウクライナに供給することで、実質的には「95ドル」になるのだという。これまでは優遇価格で「50ドル」だったものが、約2倍に値上げされることになる。

 ところで、ウクライナが得たこの「95ドル」という価格だが、これに対してルーマニアが自国への価格(270ドル)よりなぜ安いか、と異議を唱えていることを、1月6日付の『産経』は報じた。東欧諸国ではルーマニアだけでなく、アゼルバイジャン(110ドル)、グルジア(同)、アルメニア(同)、バルト3国(120~125ドル)、モルドバ(150~160ドル)等が、ウクライナより高い価格をロシアに支払っているらしい(1月7日『朝日』)。ロシアは「国際価格にしたい」とは言っているが、結局、各国のロシアへの“忠誠心”を天秤にかけて天然ガスの価格を操作する可能性が大きい。このことは、サハリンの石油・天然ガス開発に期待している日本や中国との関係にも言えることだから、エネルギーを武器とした国際政治にロシアが本腰を入れ始めたという認識をもたねばならないだろう。

 さて、EU諸国の反応だが、EUが輸入する天然ガスの約3分の1を、今回の問題を起こしたガスプロム社が供給しており、そのうち8割がウクライナ経由だったことから、ロシア非難の大合唱が起こった。ソ連時代にもガスの供給停止などしなかったそうだから、文明国は「契約を遵守せよ」というわけである。そういう圧力が、今回のウクライナとの交渉の早期妥結につながったと思われる。しかし、ロシアの政治的意図を明確に感じ取った各国では、ドイツで原発廃止見直し論が起こったり、フランスが「第4世代」の原子炉施設の製造に着手することを表明したり、大いに揺れている。とりわけ今年は、ロシアがG8の議長国であるから、その“最初の仕事”として、エネルギーの政治力を先進国全体に誇示して見せたことになる。

 昨年からの石油高騰で、エネルギー資源は、天然ガスや石炭へと世界の需要シフトが起こっているようだ。温室効果ガスの発生源でもあり、減少しつつあるこれらの資源を世界中の国々が欲しがれば、国としては危険を覚悟でその“争奪戦”の渦中に突入していくべきだろうか? 私としては、技術力のある日本こそ、自然エネルギー開発へもっと本腰を入れて進むべきだと考える。それが、どこからも奪わない倫理国家への道ではないか。
 
谷口 雅宣
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 6日

恩 返 し

 その人からの贈答品は、もう何回来ただろうか?
 --と幸子は思った。
 幸子は結婚以来、20年以上も到来物をノートに几帳面に記録している。もちろん、差出人の住所、氏名も書き込む。そしてきちんと礼状を書く。夫に言われたわけではなく、自ら買って出た仕事だ。それによって、あまり社交的でない夫の印象を和らげることができれば、と考えたのである。
 夫が出世するにつれて、到来物のリストは長くなった。ところが、夫が転勤になったもう5年ほど前から突然、知らない女性の名前で、米や紅葉饅頭などが年3~4回届くようになったのである。
 夫はその女性を知っていると思い、尋ねたことは何度かある。が、「知らない」というばかりだ。あまり追及しても逆効果と考え、近頃は「○○が来ました」と報告するだけにしていた。
 夫はその報告を聞くと、「そう」「ふーん」「また?」などと無感動な返答をするのだった。
 柏尾夕美。
 --それが差出人の名前である。
 手紙でも添えてあれば何かの手掛かりになる、と思う。しかし、宅配便で品物だけが届く。差出人の住所は大阪・住吉区で、住居はアパートかマンションのように「204号」と部屋番号が書いてある。礼状は、宛先人不明で返ってきたことはない。ということは、仮名ではなく実在の人物なのだ。もちろん、幸子の旧友や知り合いの中に「柏尾」姓も「夕美」という名前も思い浮かばない。ひょっとして結婚前に勤めた会社の同僚、樫尾さやかか、とも思ったが、本人は結婚して「尾藤」姓に変わっていることが判明した。
 子育てが終った幸子にとって、子供のこと以外で自分の周りに未整理の問題があるのはいやだった。だから、柏尾夕美のことも、早く疑問を晴らしてしまいたかった。喉の奥に刺さった魚の小骨のような状態から、もう解放されたかった。
 何事もスッキリさせたい。
 --こういう気持は、もしかしたら「母の死」と関係しているかもしれないと幸子は思う。彼女は最近、自分がそろそろ母親が死んだ時の年齢に近づいている、と感じていた。
 幸子の母、珠樹は54歳で亡くなった。軽自動車を運転中の出会い頭の衝突で、相手は大型トラックだった。幸子は当時まだ19歳だったから、ショックが大きかった。人生の先輩である母親から、もっといろいろのことを学びたいと思っていた矢先の出来事だった。珠樹は、臓器提供の意思をドナーカードに示してあったから、脳死段階で臓器は諸方へ散逸した。
「散逸した」という言い方は正しくないかもしれない、と幸子は思う。しかし、娘にとって、母親の体がまだ温かいうちに解体されて、臓器が部品のように外されて持ち去られたと思うと、それは「略奪」でなければ「散逸」だった。幸子は、母の死に目に逢えなかった。ちょうど大学のクラブの合宿で、長野県の高原に行っていたからだ。だから、棺桶の窓から見える無表情の白い顔の母が、臓器を取り去られた後であることを知って、口惜しかった。母が臓器提供の意思表示をしていたことを、怨みに思ったほどだ。自分の子どもにはこんな思いを決してさせまい、と幸子はその時思った。
 幸子が柏尾夕美に手紙を書こうと決意したのは、だから決して思いつきなどではない。心に刺さった“魚の小骨”を抜くためには、その“骨”に直接当るほかない、と考えたからだった。

 柏尾夕美からの返事は、なかなか来なかった。が、半年もたった頃、分厚い手紙が彼女の名前で届いた。詳しい内容は省略するが、手紙の主は30歳の独身女性で、贈物は夫のためではなく、幸子自身へのものだった。宛先を夫の名前にしたのは、それが礼儀だと思ったかららしい。そして、いつも「幸子」の名前の礼状を待ちわびていたという。理由は、「貴女のことを母親のように感じていたから」と書いてあった。
 柏尾夕美の母親は、幸子の母、珠樹の心臓を移植して立ち直ったという。しかし数年後、夕美を産むときにうつった感染症が原因で、死亡した。免疫系が弱っていたようだ。夕美は成人後その事実を知り、自分が生まれたのは死んだ母親に心臓をくれた人のおかげだと考え、苦労して提供者を探し出したという。
「お会いしたいと思いましたが、片思いなので……」
 と、その手紙は結んでいた。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 5日

やはりあった米朝の“瀬戸際戦”

 今日(5日)付の『産経新聞』が第1面に、「米、北朝鮮に武力行使警告」という6段抜きの記事を載せている。それを読んで、昨年5月末の本欄「朝鮮半島は“キナ臭い”?」の見方が正しかったことを知った。私はその日の『ヘラルド朝日』紙の2本の記事から、米朝間で軍事衝突に発展する恐れのある緊張状態が起こっているとの認識をもったのだが、日本の新聞各紙があまりに平穏無事の記事ばかり載せているのを訝しく思ったのだった。『産経』の今日の記事は、その周辺事情について「アメリカは昨年4月22日、北朝鮮に対して6ヵ国協議が崩壊すれば軍事行動を含む他の選択の準備をせざるを得ないとのメッセージを伝えた」と説明している。

 外交において「メッセージを伝える」という意味は、単に言葉でそれを言うだけでは足りない。言葉で言ったことを、現実の行動によって裏打ちするのでなければならない。また、言葉で伝えるときにも、正式な外交ルートを使うのか、“密使”のような秘密ルートを使うのか、マスメディアを介するのか、政府高官に言わせるのか、大統領自身が言うのか……等の別によって、深刻度のニュアンスが違ってくる。同記事によると、この時の米側のメッセンジャーは「北朝鮮に太いパイプをもつワシントンの朝鮮半島専門家」であり、この人が「国務省の“特使”としてニューヨークの北朝鮮国連代表部に派遣された」という。これは言わば“密使”ルートである。その言葉を裏打ちするために、「米国がレーダーの電波に捕捉されにくいF-117戦闘機を在韓米軍に派遣するなどして軍事行動の準備が真剣であることを示した」らしい。その結果、北朝鮮側は4月末に条件つきで6ヵ国協議復帰に応じる考えを伝えてきたというのである。

 しかしこれだけでは、当時の緊張感は伝わりにくい。私の上掲の記事には、F-117戦闘機の数は「15機」だとあり、それ以前に米側は「訓練」と称してグァムの基地にB-2ステルス爆撃機やF-15E戦闘機を飛行中隊(squadron)規模で派遣したことにも触れている。B-2爆撃機の航続距離は、グァム島から朝鮮半島まで充分にカバーする。また、この特使派遣に先立ってアメリカは、北朝鮮で9年間続いていた米兵の遺骨収集活動を突然中止していた。これは、国交のない北朝鮮からの米国人一斉引き揚げであり、「戦闘開始の前触れ」というメッセージを読み取れる。そして、これだけの実際行動を示した後に、ブッシュ大統領は4月27日に海軍士官学校へ行き、「この新しい戦争の時代には、我々は国家でなく政権を狙い撃ちにすることができる。それは、テロリストや圧政者が、もはや罪のない国民の背後に隠れていることはできないという意味だ」と演説したのだった。
 
 北朝鮮へのメッセージの伝達がこれだけ大規模で、明確だったにもかかわらず、日本のマスメディアは察知し得なかった。それとも察知していながら、「世論を刺激しない」ことを配慮して報道しなかったのだろうか? 軍事情報に詳しい『産経』からして今ごろになって(しかも、ワシントン駐在記者の名前で)それを言うのは、前者だったことを暗示しているようだ。なぜなら、アメリカの武力行使があった時の日本への影響が重大なことは明らかだからだ。換言すれば、日本全体に重大な影響があることを報道しないことは、ジャーナリズムとして許されないからだ。

 私の“古巣”でもある『産経』について厳しいことを言ったので、その“宿敵”の『朝日』にも苦言を一つ。『朝日新聞』はニューヨークタイムズと共同で『ヘラルド朝日』という英字新聞を出している。その英字タイトルは『International Herald Tribune--Asahi Shimbun』である。それならなぜ、『朝日』の国際面担当記者や担当デスクは、この英字紙をよく読まないのか? すべての記事を読めとは言わないが、日本との関係が深い記事ぐらいは目を通してほしい。それでなければ何のための提携だろう? それとも、『ヘラルド朝日』紙を発行した目的は、国際情報は『朝日』ではなくニューヨークタイムズから得てくれ、という意味なのだろうか。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 3日

お伊勢参り

 恒例のお伊勢参りに行った。幸いにも妻が伊勢出身なので、毎年“役得”にあずかる。というのは、妻の実家の世話になるばかりでなく、複雑な交通規制の網の目をくぐって神宮近くまで車に乗せて行ってもらい、親戚一同でにぎやかに参拝できる。今年は82歳になる義母の歩行に支障が出てきたため、残念ながら妻の両親が居残り組となったが、それでも小学2年生から54歳まで総勢14人の参拝である。驚いたことに、この一団中の最年長者は自分だった。前を行く人の数が減っていく--新年を迎えるというのは、そういうことでもあるのだった。

 三賀日中の有名神社の混雑ぶりは、どこもさほど違わないと想像するが、明治神宮の混雑を知っている私にとっては、伊勢神宮にはまだ“救い”がある。普通の速度で歩いても、前の人の足を踏むことはない。ホコリの立ち具合も、それほどではない。しかし拝殿の正面で祈るためには、人の列の中で半時間も待たねばならない。私たちは拝殿の右側をすり抜ける例年のコースを辿って参拝をすませた。伊勢神宮内宮の拝殿前は上り坂で、立派な自然石の石段になっているから、車椅子での参拝は難しい。義父母が参拝を控えた理由が納得できる。しかし、今後の“超高齢社会”の波の中では参拝客の便宜を考えざるを得なくなるのだろう。

Ise2006  そんなことを思いながら、人々の流れについて拝殿の裏側まで回ったところで、黒いオーバーコート姿の神宮衛視が、こわばった表情で人々の流れとは逆に小走りで来るのを見た。その時、隣を歩いていた妻が声を上げて指差した先に、人の脚が見えたのだった。その脚には、鮮やかな赤と青の長靴下かゲートルのようなものが巻いてある、と私は思った。しかし妻は、「あれは血だわ」と言うのである。赤色の部分が大きすぎると思った私は、「うそだろー」と反論したが結局、妻の方が正しかった。老人が石段の脇の溝に転落して脚を切り、動けなくなっているのだった。止血のために巻いたマフラーか何かが、ゲートルのように見えたのだ。すでに衛視1人が老人の足を抱えていたが、1人では無理だ。先を歩いていた義弟の1人が駆け寄って、老人の上半身を支えた。老人はしきりに礼を言っているようなので、私は安心した。そこへ別の衛視と、白い装束姿の若者2人が車椅子を持って駆けつけてきた。

 怪我をした老人には連れがいないようだった。妻は、そのことを気にしていた。私たちの伊勢参りでも、去年までは杖をつく義母の脇を娘のうち1人が必ず歩いていた。そういう介助者なしに初詣をする老人が増えているのだろう。そして、参拝を控える老人も増えているに違いない。そう言えば、今年の参拝客の数が昨年より少ないような気がしたのは偶然ではないかもしれない。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 2日

カルタ遊び

 元旦を神社の拝殿で迎えた方、山頂で初日の出を拝んだ方もいると思うが、私の場合はいたって普通である。朝食は、“里帰り”した子どもたちと共に一家5人でおせち料理を食べる。午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館で行われる新年祝賀式に出席する。帰宅して年賀状を読む。返事を書くべき人がいればそうする。昼食を一家でいただく。近くの産土神社(穏田神社)へ参拝に行く。近所を散歩しながら、新年の到来を味わう。夜は、一家対抗の「カルタ遊び」をする。

 今回は、このカルタ遊びについて少し書こう。これを私たちは「キッテーノ」と呼んでいる。正式な名前は別にあるのだが、忘れてしまった。昔、祖母から教わった遊びで、小倉百人一首のカルタの絵札だけを使って4~5人でやるゲームだ。わが家のように5人でする場合は、100枚の札をよく切ってから1人当たりに20枚を配る。そして、プレーヤーは同種の札をそろえて場に出すことを順番に行っていき、持ち札がなくなった者が「上がり」である。この際、上手(自分の右側の人)の注文通りの種類と数の札を出さねばならない。出す時には「受けてーのぉー」と言い、札の表を見せて捨てる。上手から言われた種類の札を言われた数だけ持っていなければ「お通り」と言って、パスする。札を捨てることができた人は、次に自分の手持ちの札の中から適当な種類と枚数を選んで、「○○を何枚」と言って札の表を向けて出す。この種類と数が、次に下手(左側の人)が出すべき札となる。
 
 百人一首の絵札には、その歌を詠んだ人の絵が描かれている。それを見ると、服装や持ち物などから天皇、女帝、僧、公家、武士、女官などの身分や職業が類推できる。そういう共通項をひと括りにして、「台座」「姫台座」「坊主」「つね」「かんじゃ」「姫」などのニックネームで呼ぶ。これは、トランプで言えば「ハート」「ダイヤ」「スペード」「クラブ」に当たる。ただし種類はもっと多く、前掲の6種に加えて「耳矢架」「本矢架」「まめ」「なげ」などがある。「つね」や「かんじゃ」などの枚数は、トランプのように13枚と決まっておらず、1枚しかないものもあれば20枚以上のものもある。そんなまちまちの札をランダムに組み合わせた手持ち札20枚を、効率よく捨てるのを競うゲームである。
 
 このゲームを複雑に--したがって、より面白く--しているのが、「切る」という手続きだ。一部の種類の札には、「強い札」と「弱い札」が設定されている。そして強い札は1枚で、弱い札を何枚でも「切る」ことができる。つまり、上手が弱い札を何枚出すように求めても、手元に特定の強い札があれば1枚で代用できる。その際には「切ってーのぉー」と言って、強い札を1枚出せばいい。例えば、「つね」は「台座」で切れ、「姫」は「姫台座」で切れ、「耳矢架」は「本矢架」で切れる。

 このゲームでは、例えばこんな調子で会話が続く--

「つね7枚」
「切ってーのぉー。坊主3枚」
「受けてーのぉー。かんじゃ5枚」
「お通り」
「かんじゃ5枚、受けてーのぉー」
「…………」

 こういう独特の言い回しが何か“時代的”で面白く、元日という非日常にもふさわしい感じがして、成人して間もない子どもたちにも人気がある。説明が複雑になったかもしれないが、実際にやってみると案外簡単な、しかし奥の深いゲームである。

 元日の夜、私たちはこのカルタ遊びに夜が更けるのも忘れた。ゲームの名前をご存知の方がいれば是非、ご教示いただきたい。
 
谷口 雅宣
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 1日

イヌ年の初めに思う

 新年、明けましておめでとうございます。
 旧年中、皆さまには本サイトをご愛顧いただきましたことを心より感謝申し上げます。本年も変わらぬご支援・ご鞭撻を賜りますことをお願い致します。
 
「イヌ年」の初めの日に当って2つのことを考えた。

 1つは、生長の家の発祥の精神の一つである「日時計主義」をもっと強力に展開したいということだ。昨年5月13日の本欄で書いたことだが、今日のジャーナリズムは「人が犬に噛みつく」(犬が人に噛みつくのではない)ような異常な事件ばかりに注目し、「当たり前」の出来事の中に隠された素晴らしさには目もくれないのは、誠に残念である。もちろん、“社会の監視者”としてのジャーナリズムの役割が重要であることは言をまたない。が、社会の“異常”ばかりを取り上げることで“異常”が“正常”だとの錯覚を生んでいることは、見逃すことことができない。“異常”はあくまでも“異常”として取り上げ、“異常”が“社会の縮図”であるかのような取り上げ方は、改めてほしのである。

 大病をした人が痛感することは、体が健康で普通の生活が普通にできるということが、どんなに有難いかだ。私も歯を痛めたときに本当にそう感じた。大げさに言えば、歯が1本痛むだけで世界が変わってしまう。そういう時、「正常な生活」というものが、どれだけ多くの「当たり前」によって支えられているかが、はじめて実感できるのである。「普通に歩ける」ということが、どれだけ人間の尊厳の維持に貢献しているか、歩けなくなって初めて分かる。今日も夫や妻がそこにいるということ、家族が健康であるということ、仕事があるということ、食事ができるということ、暖房装置が動くということ、自動車が走るということ……そういう無数の“当たり前”を、我々は普段忘れていて、感謝する心を起さない。そこから世の中の「不満」や「争いごと」が起こる場合が、いかに多いことか。

 犬という動物は、飼い主に忠実なことで有名である。だから、逆に「飼い犬に手を噛まれる」という表現が生まれる。これは予想外のトンデモナイ出来事を指し、多くの場合、「信頼していた部下に裏切られる」ことを言う。そういうことは、部下の忠誠を“当たり前”として感謝せず、横柄な言動、冷たい仕打ちを続けていたりすると起こる。明智光秀の“謀反”を思い出す。しかし、こういう出来事は“当たり前”ではない。当たり前なのは、犬が今日も自分の声を聞くだけで尻尾を振ってくれることである。それに感謝し、飼い犬に愛情を注ぐことの方が、飼い犬を虐待して「手を噛まれる」よりも重要であることに疑いの余地はないはずだ。「日時計主義」は、“当たり前”すぎて何も感じなくなってしまったような、そういう人生の日常の諸々の些事にも「光が当っている」ことを認めて、称揚し、感謝するのである。
 
 生長の家は発祥の初めから、月刊誌や単行本、誌友会、講習会などを通じてそういう生き方を広めてきた。にもかかわらず、この「光明面を見て暗黒面を見ない」生き方は、まだ社会全体に受け入れられているとは言えない。そこで今年は、この日時計主義にターボチャージすることはできないだろうか? 従来の印刷媒体、放送媒体、行事などのイベントに加えて、もっと新しい媒体を利用するのである。具体的には、昨年11月28日の本欄で取り上げたように、昨今の「手帳ブーム」を利用したり、インターネットを重要媒体の1つに位置づけるのである。前者は、伝統的な「紙に手で書く」方法だから、個人の心に“深い”影響を与える可能性をもつ一方、後者は、先進的な「瞬時に世界に伝わる」方法だから、多くの人々の目に触れて“幅広い”影響を与える可能性をもっている。巷ではすでに両者を組み合わせた試みも行われているようであるから、研究・実験の価値は大いにあると思うのだが……。

「イヌ年」の初めに思う2番目のことは、「羊頭狗肉」をしない生き方である。私は、新年祝賀式の挨拶でこれを言った時、「羊の顔をした犬」という表現を使った。これには、ピンと来た人とそうでない人がいたようである。「羊頭狗肉」の「狗」とは犬のことである。日本には犬の肉を食う習慣がないので分かりにくいと思い、表現をひねって「羊の顔をした犬」と言った。「本当は犬の肉なのに、羊だと言って売られている」ことを羊頭狗肉というのである。昨年は、そういう詐欺まがいの大きな事件が多かった。“振り込め詐欺”は数年前から起きているが、一級建築士が手抜き工事を積極的に進めたという「耐震強度偽造事件」の悪影響は、新年に入っても続いている。また、隣国では、“一流”であるはずの科学者が、最先端分野であるES細胞の研究データーを捏造し、「ない」ものを「ある」として発表し、国家から多額の資金援助を得ていたことが明らかになっている。

 生長の家の運動では、まさかそんな詐欺はないと信じているが、運動目標達成を急ぐあまり、不正な数字を正しいとして発表することは「羊頭狗肉」に通じるものである。不正な手段を弄している限り、正しい目標には永遠に到達できない。今年こそ、不正のない明るい運動をしたいと心から思うのである。日時計主義を、正しく明朗に、新たなエネルギーと工夫をもって推進する--皆さん、そんな年にしようとは思いませんか?

谷口 雅宣

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »