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2005年12月21日

映画『SAYURI』

 話題になっている『SAYURI』を妻と2人で見にいった。すでに新聞記事をいくつか読んでいて、この映画に「本当らしさを期待してはいけない」というメッセージを受け取っていた私は、それほどガッカリしなかった。しかし、それにしても「文化が違う」ということは、同じテーマを扱ってもこれほど表現が違うのか、と驚きながら映画館を出た。そういう意味では、アメリカ人が考えた“エキゾチックな日本”を体験できたのは、面白かった。
 
 出だしからアップテンポのジャズ風の音楽--和太鼓でリズムを取っているのだろうが、その使い方が何となくアフリカ的でおどろおどろしい。それを背景に、極貧の漁村の家から少女が2人、病気の母親の治療費や家族の生活費のために置屋に売り渡される。少女たちの目線から描かれているから、説明的な描写は一切なく、「夜、わけも分からず見知らぬ男に連れて行かれる」という邪悪で、暴力的な導入部である。似たような状況はテレビドラマ『おしん』にも出てくるが、日本人が描く場合、不本意にも子を手放さねばならない親のつらさがきちんと出ているが、この映画は“親心”を省いた残酷な描写である。

 花柳界の描き方は何とも場末的である。もっと具体的に言うと、上流階級が風流に遊ぶ京都が、まるで新宿の歌舞伎町のようだ。また、芸者の着る最高級の着物をカメラがアップで映しているのだが、薄暗い質屋の店頭に吊るした中古の着物のように見える。芸者の舞は、宝塚と歌舞伎を混合したように、大仰でしかもテンポが速い……そういう“違和感”を感じているうちに気づいたことは、この映画は「日本」や「芸者」を描いているのではなく、「日本」や「芸者」を大道具、小道具として使いながら、現代アメリカ人の心情を描いている、ということだ。だから、日本がエキゾチックに感じられるのである。
 
 原作は、アーサー・ゴールデンという日本美術史を学んだアメリカ人の小説『Memoris of a Geisha』で、監督は『シカゴ』のロブ・マーシャル。おまけに製作はスティーブン・スピルバーグだから、作品に“日本人の視点”を要求してはいけないのだ。原作はベストセラーになったそうだが、邦訳本(があったとしても、それ)についてあまり話を聞かないのは、その辺の事情があるのかもしれない。

 もう一つ面白かったのは、「過去が未来にすり替わる」ような体験をしたことだ。ハリウッド映画だから、登場する芸者たちが英語をしゃべるという“異国情緒”は当然だ。これに加えて当初、大物芸者2人が中国人であることが表情や物腰から気になっていた。しかし、ドラマが佳境に入り、彼女たちが彼女たちの個性のまま、桃井かおりや工藤夕貴と一緒に同じ置屋でいたわり合ったり、競い合ったり、憎み合ったりしているのを見ているうちに、私は物語の舞台が「戦前の京都」であることを忘れ、そこはまるで近未来のシカゴかロサンゼルスであるかのような錯覚に陥った。近未来ならば、「英語でしゃべる芸者」がいてもおかしくないし、彼女たちが中国人でも中国系シンガポール人でも日本人でもおかしくない。さらに彼女らが、昔の日本の芸者のような立ち居振る舞いをしなくても、全く違和感はない。
 
 映画『ブレード・ランナー』の導入部には、ハリソン・フォード扮する警察官が未来のロサンゼルスの盛り場を歩き回るシーンがあるが、私は『SAYURI』を見ながら、なぜかそれを思い出していた。
 
谷口 雅宣

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コメント

この作品は、あまり興味が湧かなかったので観ていませんが、先生のコメントで、観ないでよかったと思いました。WEB産経の招待で「男たちの大和」を試写会で観ました。テレビ朝日や朝日新聞が出資しているのにフジテレビでの試写会でした。大金をかけて作られた迫力あるセットにもかかわらず、大きな感動はありませんでしたが、最後の5分間、特攻機が米戦艦に体当たりする実写フィルムにとても感動しました。真実の映像がこれほど感動するもとのは思いませんでした。これからのお勧めは「ルワンダホテル」と「マサイ」です。どちらもアフリカが舞台ですが、それぞれに意味のある作品だと思います。先生の感想もお聞きしたいと思います。

投稿: 久保田裕己 | 2005年12月23日 23:58

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