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2005年12月 9日

クリスマスはアメリカの伝統?

 11月17日の本欄で、クリスマスはもともとキリスト教の祭日ではなく“異教”からの借り物だったことを書いた。今ではもちろん、天下公認のイエスの生誕日を祝う日である。だから、アメリカではこれをさぞ盛大に祝うだろう、と多くの人は想像するかもしれない。しかし、「クリスマスを祝わない店はボイコットする」という運動が今、かの国の“キリスト教右派”と呼ばれる人々によって展開されている。つまりアメリカでは、誰もが祝う祭日ではないのだ。ニューヨークタイムズの編集委員、アダム・コーヘン氏(Adam Cohen)が8日付の『ヘラルド朝日』紙に書いている。
 
 日本ではキリスト教信者でなくても、クリスマスをほとんどの人が何かロマンチックな舶来の“年中行事”としてとらえ、クリスマスの飾りつけをし、贈物を交換し、讃美歌まで流したりする。しかしアメリカでは、キリスト教以外のユダヤ教、仏教、イスラム教の信者などが「クリスマス」(Christ + Mass = キリストのためのミサ)という言葉を嫌がるのを気にかけて、デパートやスーパー等が「メリー・クリスマス」(クリスマスおめでとう)という言葉を避け、「ハッピー・ホリデーズ」(Happy Holidays)などの言葉を使うらしい。また、「クリスマスツリー」を「ホリデーツリー」、「クリスマス休暇」を「冬季休暇」などと言い換えることも珍しくない。“キリスト教右派”の人々は、それらにめくじらを立て、そんな店でクリスマス・ショッピングをするのはやめようと気炎を上げているのだ。

 8日に放送されたABCニュースも、“キリスト教右派”の人が、毎年この時期にホワイトハウスが100万通以上出すカードに「メリー・クリスマス」という言葉がなく、その代わり「With best wishes for a holiday season of hope and happiness.」と書いてあることを非難する様子を放映した。この人によると、今の大統領は共和党で、しかも「神」を語る人なのだから、もっと堂々と「クリスマス」と書くべきだというのである。彼らにとって“アメリカの伝統”であるクリスマスを疎かにしてはならない、というわけである。

 しかし--とコーヘン氏は言う--アメリカの伝統ではクリスマスは忌避されていたし、“クリスマスの贈物”や“クリスマス・パーティー”などとんでもない、という時代もあったそうだ。「神の国」の実現を夢見てメイフラワー号でやってきた清教徒たちは、クリスマスはキリスト教的でないとして毛嫌いした。理由は、私が冒頭に書いたことだ。つまり彼らは、聖書の記述を文字通り信じる原理主義者だったから、聖書には「12月25日」がイエスの生誕日とは書いていないため、これを“異教の習慣”として拒否したのだ。この清教徒的考えが廃れてからも、1800年代を通じて、アメリカの宗教指導者たちは、クリスマスのドンチャン騒ぎはキリストへの敬虔な思いを壊すとして反対したという。南北戦争(1861-65)勃発前夜の段階で、クリスマスを公認していた州は、わずか18にすぎない。
 
 1920年代に入ってクリスマスは一気に商業化したが、そうするとアメリカの宗教指導者たちはこれに強く反対した。飲酒やドンチャン騒ぎや利益追求の口実にキリストを利用するのはけしからん、というわけだ。こういう「敬虔な信仰心」がアメリカの伝統であるなら、キリスト教右派の人たちが「クリスマスを祝う店だけでショッピングをしよう」と提案することは、本当にアメリカの伝統を守ることになるのだろうか?--コーヘン氏は、こうハッキリと書いていないが、恐らくそう言いたいに違いない。

「伝統」という言葉には力がある。宗教的標語にも力がある。それゆえに、これらが間違って使われたり、利用されることも多い。本当は伝統でないものを伝統的と言いくるめ、宗教でないものを宗教として利用する人がいるからである。アフガニスタンのタリバン政権や戦前の日本にも、そういう傾向があった。現在のアメリカで似たような現象が起こっているとしたら、それは“戦時体制”にあるということか?

谷口 雅宣

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