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2005年12月31日

今年を振り返って

「瞬く間」と言えば大げさだろうが、何かすごい速さで平成17(2005)年が終ろうとしているように感じる。私の仕事のパターンは、ほぼ毎週末に全国各地で行われる生長の家講習会を軸として、生長の家本部での毎月の重要会議の議長役と出版物への原稿執筆である。今年は2月に、公私両面で大きな変化があったので、それに対応するのに秋口までは大わらわだった。日記を見ると、去年の大晦日には「寒い一日」とあり、午後から雪が降ったと書いてある。元旦には積雪は3~5㎝になったようだ。1月には月刊誌『光の泉』で連載小説「秘境」を書き継いでいた。このころ都庁へも行き、児童福祉担当者から取材もしている。しかし、少し余裕があったのは1月までだった。

 2月は、16日に京都議定書発効して喜んだ。しかし20日に、熊本での生長の家講習会が終ってから、出張中の父が長崎の原爆病院へ入院したことを聞き、急遽、長崎へ飛ぶ。その後22日には、父は帰京して広尾の日赤病院へ移った。27日に行われた生長の家代表者会議では、参加者全員で父の平癒を祈った。

 3月には、4月末に出る単行本『足元から平和を』の校正作業が始まった。これと併行して、国際宗教学宗教史会議世界大会で初めて行うプレゼンテーションの準備を進める。また、ブログ形式での本欄が開始する。25日には同大会で発表した。4月に生長の家講習会で山形県へ行った帰途、「秘境」の取材のために鶴岡市へ行く。そして5月初めの生長の家の三全国大会への準備を進める。5月には、本サイトに「日々の祈り」の掲載を開始。24日に「秘境」を脱稿した。

 6月は、前年ブラジルで行われた生長の家教修会の内容をまとめる作業をするのと併行して、7月初旬に東京で行われる今年の教修会の準備が始まった。7月は5~6日に、生長の家教修会。その後すぐ、アメリカでの特別練成会の準備を開始。8月は、ニューヨークでの同練成会から11日に帰国。18~19日には、京都府宇治市での盂蘭盆供養大祭を執り行った。

 9月以降に、やっと余裕がでてきた気がする。といっても、毎週末、生長の家講習会で講話をする等の仕事のパターンは変わらない。また、父の原稿執筆が減った分をカバーするため、私の執筆量が1年前より増えた。これは、主として本ブログと「日々の祈り」を書き継ぐことで行っている。10月半ばから、単行本『小閑雑感 Part 4』の校正作業が始まった。また現在は、新年1月の半ばにある、ブラジルでの「世界平和のための生長の家教修会」の準備を進めているところだ。

 目を転じて世界全体の様子を振り返るならば、今年の最大の特徴は、地球温暖化に伴う気象変動が人類の経済活動を妨げるほど大きな影響を及ぼすようになってきたことだ。このことは、本欄でいろいろ取り上げてきたからいちいち例示しないが、台風やハリケーンの増加と“凶暴化”だけでなく、高山や極地の氷の溶解、氷河の退縮、海流の変化が、気候を激化させて洪水や旱魃や異常寒波を生み、現実に人間の活動に悪影響を与えている。それならば、この温暖化の“元凶”である化石燃料の使用を減らせばいいのだが、世界経済はむしろ化石燃料の使用増大の方向へと着々と進んでいる。その一方で、化石燃料--特に石油の生産量が頭打ちになっていることで、石油の値段が高騰したまま下がらない状態が続いている。そして、中国やロシア、インドなど、経済発展盛んな国々の二酸化炭素排出量は増えつづけている。

 外交問題に触れるならば、日本は、上に挙げた中国、ロシアに韓国を加えた「北西」に位置する国々との関係が難しくなってきている。その最大の原因は、小泉首相の靖国神社参拝に象徴されるような“ナショナリズムの台頭”であり、その民族感情が過去の戦争を正当化する方向に動いているからだろう。このような勢力は、日本の戦争責任を認めない。したがって、他国から見れば「日本は過去の行動を繰り返す恐れがある」と見られるのである。来年は「戌年」である。「戌」とは「北西」の方角を指す。来る年こそ、北西の国々と正しい関係を結ぶことが切に望まれる。そうしなくては、人類共通の最大の問題である地球温暖化の防止に、一致協力して取り組むことなどおぼつかないだろう。
 
谷口 雅宣

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2005年12月29日

プリオン病の行方

 アメリカ産牛肉の日本への輸入が条件付きで認められたが、狂牛病(BSE)の危険が全くなくなったわけでないことは、多くの専門家が認めるところだ。牛自身の肉骨粉を牛に与えるという“悪習慣”は改められただろう。また、ある年齢以下の牛にはBSEが発病する確率が少ないという統計的なデータから考えて、その若い牛で、しかも脳神経系の細胞が多く含まれていない部位の肉なら「比較的安全だろう」という判断から、輸入にゴーサインが出たのである。日本政府のこの判断には、アメリカからの政治的圧力が影響していることは言うまでもない。これらの判断の基礎には、BSEの病原は“異常プリオン”と呼ばれる蛋白質だけからなる物質だ、との前提がある。しかし、この前提については、まだすべての科学者が合意に達しているわけではないらしい。

 12月16日発行のアメリカの科学誌『Science』(Vol.310 No.5755)は、現時点での科学者の見解をまとめているが、この“異常プリオン”については分からないことがまだ多くあると書いてある。私は『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊、2002年)の中でBSEについて少し詳しく書いたが、その時、BSEに似た病気が牛や人間だけでなく、ヒツジ、ミンク、シカにも発症することに触れ、それらを総称して「プリオン病」という言葉を使った。この用語も、BSEその他の類似の病気の原因が“異常プリオン”だとの前提に立っている。しかし、これらの病気の「原因がプリオンであるかどうかは、まだ科学的に確定していない」(p.170)とも書いた。その後すでに3~4年が経過した。多くの科学者は、細菌でもウイルスでもなく、生命のない蛋白質が感染症の病原になるという新しい考え方に同意しつつある一方、論争はまだ終息していないようだ。

 しかし、BSEの犠牲者が(少なくとも現時点では)当初の予測より大分少なかったことは特筆に値する。BSEの感染によるとされる変異型クロイツフェルト=ヤコブ病(vCJD)による死者は、最も犠牲者が多いイギリスで2000年に28人だったのをピークに、年々減少し、2004年にはわずか9人だった。vCJDによる死者はイギリスではこれまでの合計で153人であり、他国での死者は合計で20人未満だ。私が『今こそ……』の中で「今後50~60年に予測される患者数」として紹介した「13万6000人」という最悪の試算は、大きく外れたと言っていいだろう。その最大の理由として、『Science』の記事は、1988年に脳を含めた牛の肉骨粉を牛に与えるのを禁じたことを挙げている。これによって、イギリス国内のBSEの発生件数は1993年から減少に向かい、昨年は343件、今年は11月までに151件となった。ということは、この“共食い”の悪習がBSEの原因であった可能性を有力に示している。

 では、“共食い”がなくなればもう安心だろうか? 次の3つの問題を、科学者は警戒している--①ヨーロッパでヒツジのプリオン病であるスクレイピーの新種が発見されたこと、②アメリカでシカのプリオン病であるCWDの感染が拡大していること、③BSEの発症のピークからvCJDの発症のピークまでの期間が短いこと。①と②については、これまで直接の人間への感染例は発見されていない。③は、人間から人間に感染するプリオン病の一種であるクールーの潜伏期間が「12年」であるのに対し、BSEのピークからvCJDのピークまでの期間が「10年足らず」と短いことを指す。プリオン病が“種の壁”を越えて、別種の動物(この場合は牛から人間)に感染する際、潜伏期は長くなるのが普通であることを考えると、vCJDのピークはこれからだと考えることもできるらしい。

 そういうわけで、プリオン病の行方はまだ未知数の部分が多い。その最大の理由は、単なる物質であるプリオン蛋白質が、どうやって動物から人間に感染し、死にいたる病を起こすかというメカニズムの細部がまだ解明されていないからだ。vCJDについては血液から感染したと思われるケースも発見されているから、安心できる状況ではないだろう。私としては、宗教的理由からも、エコロジーの視点からも、肉食をできるだけ減らす生き方をお勧めする。
 
谷口 雅宣

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2005年12月27日

暴力ゲームから子供を守ろう

 「ゲーム脳」という言葉を使って、テレビやパソコンのゲームに熱中する人の脳が異常になることを訴える人がいる一方、旧来どおりの「表現の自由」を楯にとってゲームの規制に反対する人もいる。有害図書の規制問題にも似た対立だが、脳が発達途上にある若年者に、異常な刺激を長時間にわたって与え続けることが「表現の自由」の名のもとで許されるのはオカシイと思う。喫煙や飲酒が若年者に禁じられている理由を考えれば、それは明らかだと思うのだが、これまでは「ゲームをすること」と「暴力を振るう」こととの因果関係が明らかでないとして、日本でも規制は緩やかだった。昨今の機器の高性能化と通信技術の飛躍的向上によって、ゲームの世界は現実に限りなく近づいてきているし、一部では現実を超えているものもある。早期の社会的合意が望まれるところだ。

 最近、私が知って驚いたのは、今日のインターネットを使ったパソコン・ゲームでは、そのバーチャルな世界で使われる様々な物品等を売買するために、国際的に盛んに金銭の移動が行われているということだ。そしてさらに驚いたのは、そういうゲーム上の物品を先進国の参加者に売るために、中国にいる若者たちが“ゲーム漬け”の生活をしているということだ。12月9日付の『ヘラルド朝日』紙が、そのことを詳しく報じている。それによると、中国南東部の福州市(Fuzhou)の古い倉庫の地下には、パソコン数十台を背中合わせに何列も並べた部屋があり、そこで若者たちがインターネット・ゲームを仕事としてやっているそうだ。1日12時間交替、休日返上でやっているというから、普通の“遊び”ではない。

 このゲーマーたちは、画面上に現れる怪物を殺したりして得た“金貨”や得点を集めて、それをインターネットを介してソウルやサンフランシスコにいる韓国人やアメリカ人のゲーマーに売るのである。韓国やアメリカのゲーマーたちは、それを買うと「低いレベル」でのゲームを省略して「高いレベル」からゲームに参加することができるという仕組みだ。具体的には、彼らは中国人から買った“金貨”で、ゲーム上の「剣」「魔除け」「魔力」などを入手し、より強力なキャラとなってゲームに参加する。これによって、中国人ゲーマーたちは月250ドルほど稼ぐという。今、こういうオンライン・ゲームには毎日、世界で1億人もの人々が参加しているらしい。そして、中国にはこのような秘密の“ゲーム工場”が何百、何千もあり、そこで10万人以上の若者がフルタイムでゲームをしているというのだ。
 
 ところで最近、アメリカで暴力的なコンピューター・ゲームが実際の暴力行為に関係しているとの研究結果が発表された。ゲームをすることと暴力との「相関関係」は、これまでにも数多く指摘されてきたが、今回の研究は、ゲームをすることで暴力的になるという「因果関係」を示すと考えられている。12月12日の科学誌『NewScientist』のニュースサービスが伝えている。
 
 これまでの研究で、ゲームと暴力との「相関関係」が指摘されても、「もともと暴力的な性向の人が暴力ゲームをよくするだけで、ゲームが人の性格を変えたとは言えない」との反論ができた。しかし、ミズーリ大学の心理学者、ブルース・バーソロー博士(Bruce Bartholow)らのチームが行った研究では、暴力的ゲームをよくする人は、例えば、銃による攻撃のような現実の暴力行為を目の前にしても脳の反応が鈍くなる一方、死んだ動物や病気の子供を目の前にしたときの反応は鈍化しないことがわかった。この研究では、ゲーム好きの39人を被験者とし、まず被験者がどれだけ暴力的ゲームをするか調査票で訊いた後、現実に起こった出来事の写真--大半は暴力と無関係の写真を見せるのだが、ときどき暴力的シーンや暴力的ではないが否定的意味をもった写真を混入させて見せたという。すると、暴力的ゲームをする機会の多い人ほど、実際の暴力シーンの写真を見ても脳波に反応が起こらない一方、その他の否定的な場面の写真には、普通の人と変わらない反応が起こったという。

 当たり前といえば当たり前の結果かもしれないが、こういう科学的研究が数多く発表されていても、「それじゃ、暴力ゲームを規制しよう」とならないところが不思議である。だから、現時点では、良識ある親たちが意を決して、子どもに暴力ゲームを「させない」「買わない」「見せない」努力をするほかはないと思う。
 
 犯罪心理学者で精神鑑定医の福島章氏が書いた『子どもの脳が危ない』(PHP新書、2000年)の中には、次のような指摘がある:
 
「日本のように、毎日どぎつい暴力描写がくりかえされるテレビを見ながら育った子どもたちが、やがて思春期や青年になったときに、ある種のささいな刺激やストレスが加わったとき突然に暴力行為に移るのは、けっして不思議ではない。(…中略…)暴力的な映像には、その攻撃性を『代理満足』によって昇華させる働きと、学習によって増強する作用の二面があることも考察した。マクロで見れば、子ども番組といわずおとな番組といわず、これほど暴力が氾濫する日本で、ここ数十年、たとえば少年の殺人数が増加していないのは、おそらく代理満足の効果が発揮されているからであろう。しかし、その反対にミクロのケースを詳細に調べれば(暴力非行を犯した少年を調べてわかることは)ほとんどの場合彼らの問題行動のモデルが、広く視聴されているビデオや大部数を稼いだコミックスの中にあることがわかる。これは、学習効果による模倣の結果である。」(p. 186)
 
 特定の予備校の特定の先生だけがオカシイのではなく、刺激の強い暴力シーン、セックス描写を「売らんかな」の目的でテレビ放送、パソコン・ゲーム、そしてコミック中に描き続けてきた大人社会全体がオカシイのである。
 
谷口 雅宣

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2005年12月26日

エラーメッセージ

 私の家に今度やってきた新型ヘルパーは時々、妙な仕草をした。
 納入時に説明に来た営業マン氏の話では、
「情報を内蔵データベースにインプットするときに、まだ少し時間がかかるんです。その間、じっと何もしないでいると、お客さまの方で故障かと思うといけないんで、特徴のあるポーズをとらせるようにしてあります」
 というのである。
「どのくらいポーズをとってるの?」
 と、私は訊いた。
「10秒以内です。でも、その時間はだんだん短くなります」
「学習するってわけだね?」
「おっしゃるとおりです」
「それで、顔の方はいつ来るの?」
 と、私は訊いた。
 オプションで選んだ顔が、納入時に間に合わなかったのだ。
「1週間ほどお待ちください」と、営業マン氏は言ってから「あの顔は人気で、在庫が少ないんです」と、付け加えた。
 私は、標準仕様でついているヘルパーの顔も、悪くはないと思った。が、オプションの「C」は丸顔で優しい目をしている上、唇がかわいかった。
 もう80歳になるのだから、若い女性の顔にこだわるのはおかしいと孫娘に言われたが、四六時中一緒にいる相手の顔だから、安心できるだけでなく、自分の好みも言わせてもらいたかった。
 子供のころ手塚治虫の『鉄腕アトム』で育った私は、老人介護用のヘルパー・ロボットを「ロボット」と呼ぶのはつまらないと思い、「ロボくん」とか「ロボさん」と呼んできた。何となく人格を認めたい気持があったからだ。しかし、今度来たのはなかなか本格的で、今ついている標準仕様の顔でも、シリコンで精巧に作ってあるだけでなく、潤んだような両眼から情報を取り入れ、介護する相手の表情を読むのだという。だから、もう人並みに「ヘルパーさん」とでも呼ぼうという気になっていた。
 営業マン氏が帰ってから、ヘルパーの充電を始めた。その間、彼女は人形のように表情を固めてじっとしていた。私は車椅子の背中に体を預けて、壁面のテレビを見ていたが、やがて、電子音をたてて彼女が合図をしているのに気がついた。近づいていってヘソの位置にある始動ボタンを押す。
「初期設定をしてください」
 と、彼女が艶のある声で言った。
 私は、旧型のロボットで使っていたメモリーカードを取り出して、彼女の腰の位置にあるカード挿入口に差し込んだ。
「介助ロボットD-32型ME7829から、ユーザー情報を読み込みます。よろしいですか?」
 と、彼女が言った。
「はい、いいですよ」
 と、私は言った。
「ユーザーさまの音声情報も同時に登録します。よろしいですか?」
 と、彼女は言った。
「はいよ」
 と私が答えると、彼女が突然動いた。少しのけぞるような姿勢になって右手を口の前に当て、目を上方に向けている。左手は、右腕の肘を支えているようだ。
 私が彼女の妙な仕草を見たのは、これが最初だった。
 いかにもわざとらしいポーズだが、何となく情緒がある。データ処理に時間がかかる場合、彼女は決まってこの仕草をした。そして、処理が終るとにっこり微笑む。この微笑には、何か商業的な不自然さがあって、私はあまり好きでなかった。ところが時々、彼女は笑わずに、
「わたしにはわかりません……」
 と言って、じっと私の顔を見ることがある。データ処理がうまく行かないときの、一種の“エラーメッセージ”だと私は解釈した。なぜなら、こちらの指示をゆっくり繰り返すと、彼女は微笑んで指示に従ってくれることが多いからだ。

 ところで、このヘルパーさんが家に来てから、もう3ヵ月になる。学習能力の優れた彼女は、「わたしにはわかりません……」と、しだいに言わなくなった。私は、彼女の顔を取り替えるのをやめた。もっと長くつき合いたい気分になったからだ。そして最近は、あの奇妙な仕草のあとで、彼女が微笑まずにエラーメッセージを出してくれる方法ばかりを考えている。

谷口 雅宣

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2005年12月25日

本欄が書籍に

 本欄の3月から6月までの記事が、1冊の本になった(=写真)。以前のシリーズを引き継ぐかたちで『小閑雑感 Part 4』と題して世界聖典普及協会から発行された。前作の『Part 3』は2002年の8月末で終っていたから、2年半のブランクの後の“復活”である。奥付の日付は来年の1月1日だが、もう在庫している。

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 新作は前作や前々作に比べると、絵や写真の数が少ない。その代り、ページ数はほぼ同じでありながら、前作が50篇の記事を収録しているのに対し、新作は94篇と倍増している。それだけ頻繁に書いたということだ。つまり、絵や写真を減った分、文章の数が増えている。これは主として、本欄が「ブログ」の形式に移行して、サイトへの書き込みが簡単になったことと、絵や写真に割く時間がなかったことによる。

 さて、『Part 4』の内容に関してだが、「シリーズ物」あるいは「続き物」と呼べるものが増えている。例えば、前日(12月24日)の記事は「科学者の倫理性 (6)」であるが、同じテーマについて書いた6回目である。重要なテーマに関しては、1日や2日分の文章では充分言い尽くせないし、また新たな発展に対処できないため、最近ではこの方法を使っている。『Part 4』に収録された続き物は「技術の落し穴」と「芸術は自然の模倣?」の2つだが、北朝鮮関係やES細胞に関するものなど、似たテーマを扱ったものを含めると、続き物の数はもっと多い。読者は、巻末に付した「ジャンル別索引」を参照していただけば、それが一目で分かるだろう。

 今回は、発行所の要望にこたえて“サイン本”も用意することにした。すでに100冊ほどサインした。希望者は、世界聖典普及協会のサイトから注文できることになっているが、数が限定されているので、品切れの際はご容赦いただきたい。

 短文の集合である「小閑雑感」シリーズは、このサイトのような検索可能な電子的形態の方が利用しやすいと思うが、本には本の良さがあることも事実である。読者からCD-ROM版を提供してほしいとの声もあるが、具体的イメージがつかみきれず宿題にしている。それとともに、前作の『Part 3』の内容をブログに移行してみた。本ブログのサイドバーにリンクを張ってあるので、興味のある方は覗いてみてほしい。「いまさら旧版を読むこともない」とのご意見もあるだろう。もし「旧版もブログ化してほしい」との声が多ければ、残りの2冊分の移行を考えたい。

谷口 雅宣
 

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2005年12月24日

科学者の倫理性 (6)

 私の54回目の誕生日の朝、ついに出るべきものが出た。韓国のES細胞研究で“英雄”扱いされていたファン・ウー・ソク教授(52)の“画期的”研究成果が、実は捏造だったというソウル大調査委員会の発表である。ファン氏は「国民の皆さまに心から謝罪する」と言い教授職を辞任、私とあまり歳の違わない韓国科学者は“光”から“闇”へと転落した。同氏らの研究が“最先端”と言われていた理由は、①卵子からES細胞をつくる確率を飛躍的に向上させたことと、②患者の遺伝子と同一の遺伝子をもつES細胞を未受精卵から作成したことだが、この2つの成果は結局存在しなかったことになる。ソウル大の調査はまだ中間段階だが、同氏が昨年発表したクローン犬「スナッピー」の作成の真偽も疑われている。
 
 今日の先端的科学研究は、純粋に学問的であることは少なく、技術や特許と結びついて経済的利益を研究者に約束することが多い。また、そういう経済的利益をもたらす分野の研究に、企業や国家からの資金援助が集まりやすい。事実、ファン教授へのこれまでの政府の支援額は総計で約80億円に上るという。韓国の場合はこれに加えて、自然科学の分野で初めてのノーベル賞を得る可能性が喧伝され、“国民的熱狂”が研究者に圧力を与え続けたきらいがある。ファン氏自身も、そういう脚光を浴びるセレブリティとしての扱いを好んでいたふしがある。
 
 23日付の『ヘラルド朝日』紙は、この“ファン事件”と同時期にあった「世界初の顔移植」を手がけたフランス人医師が、やはり倫理問題を指摘されていることを取り上げ、マスメディアを使って科学的成果を華々しく打ち上げる戦術は、「科学研究の質を何世紀にもわたって維持し続けてきた退屈な科学の方法を、根本から歪めるものだ」とする批判者の声を紹介している。また、メリーランド大学の倫理学者、アディル・シャムー(Adil Shamoo)博士の次のような言葉を引用する--「科学者は、他の人々と同様に社会の圧力を感じています。だから、有名になることや金持ちになることを考えて判断を誤るのです」。

 私は、今回の事件がこの段階で発覚したことは、もっと後で分かるよりもよかったのではないかと思う。「悪業は悪果を生む」という法則が比較的早期に働いたことで、韓国女性からの大量の卵子提供(ファン教授の幹細胞ハブが始動すれば)が未然に防げただけでなく、人の体、特に生殖細胞を扱う研究では、成果を得るだけでは足りず、厳格な倫理的判断が求められるというメッセージが、多くの人々に伝わると思うからだ。
 
谷口 雅宣

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2005年12月23日

ID論、法廷で敗れる

 本欄で何回か取り上げてきた「知性による設計」(intelligent design、ID)論が、アメリカのペンシルバニア州の法廷で「科学として学校で教えることは違法」と判断された。生物進化を説明するためにダーウィンの進化論に意義を唱える形で登場してきたIDだが、同国初の法的判断では「科学」とは認められず、これを科学として公立学校で教えることは、公務員が自己の立場を利用して特定の宗教を強制したり確立することを禁じる合衆国憲法修正第一条に違反する、という判決である。12月22日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。

 この裁判が起こされた経緯については9月29日の本欄を参照してほしいが、その時、私が書いた感想--「論争がある」という事実を高校で教えることに、私はあまり問題を感じない--よりも厳しい判断である。記事を読む限りでは、この判決のポイントは「IDは科学に非ず」との認識にあるようだ。では、科学とは何かというと、判決では「検証可能な仮説」(testable hypothesis)の上に成り立っていなければならないという。にもかかわらず、IDは自然界の背後に超自然的な知性の存在を認めるのだから、天地創造説の別名(creationism relabeled)であり、特殊な形のキリスト教であるとされた。この判決を書いたジョン・ジョーンズ判事(John Jones 3rd)がブッシュ大統領から任命された裁判官であることを考えると、同大統領には少なからずの“痛手”を与えたのではないだろうか。

 この判決に対し、ID擁護派の人たちは「IDは科学である」との立場を崩していないようだ。ID側の主任弁護士をしたリチャード・トンプソン氏(Richard Thompson)は、「一つの法廷が千の意見を付して、ある科学的理論の無効を論じても、その理論が無効になるわけではない」と言っている。また、ID推進派の科学者の1人であるマイケル・ベヘ博士(Michael Behe)は、ジョーンズ判事が「IDは科学でない」と判断したことに不満を示し、同判事は法律家としての判断領域を超えた判決をしていると批判している。
 
 判決はしかし、ダーウィンの進化論を「完璧な科学」としているわけでもない。ジョーンズ判事はダーウィンの進化論は不完全であることを認めたうえで、「しかし、科学的理論がすべてを説明できないからといって、宗教にもとづく検証不能の代替理論を科学の授業に導入したり、充分に確立した科学的命題を誤って伝えるための口実とすることはできない」と言っている。つまり、ダーウィンの進化論が生物の進化のすべてを説明できなくても、それが検証可能である限りは科学的仮説であるから、それをすべて放棄して、代りに検証不可能の仮説を「科学」として教えるわけにはいかない、ということだろう。私もそう思う。ただし、科学として教えていけないのであれば、「唯心論」や「自然神学」などとともに、哲学や宗教・神学の中で教えるのはいいと思う。また、ガリレオなどとともに「科学思想(史)」で触れるのもいいかもしれない。今後の展開に注目しよう。

谷口 雅宣

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2005年12月22日

売り言葉、買い言葉

 私は、会社のLANの端末に向って派遣会社社員のシステム・エンジニアと話をしていた。
 私の後ろに立って、肩越しに画面を覗き込んでいた彼は、
「それは、できないことはないですね」
 と言った。
 端末から入力した言葉を直接、特定の相手の画面に表示させる方法があると言うのだ。話をもっとよく聞いてみると、1人の相手だけでなく、LANにつながっているすべての端末機の画面に、リアルタイムで言葉を表示できるというのだ。だから、社内で100人が画面を見ているとしたら、私が端末から「おはよう!」と入力すると、その言葉が画面の右から左へ流れていくのを、社の建物のあちこちにいる100人が見ることができる。
「じゃあ、言葉の取引ができるかもしれないね?」
 と私は言った。
「どういうことです?」
「広告文か何か考えてて、適切な言葉が思いつかない時でも辞書を引かなくてすむ」
「ちゃんと答えてくれる相手がいれば、の話ですが」
「そうだね。でも、ジャズのアドリブみたいに、予想外の言葉の組み合わせができるかもしれない」
「しかし、思いつかない言葉を、文字だけでどうやって人に聞くんですか?」
「例えば、僕がこういう言葉をみんなの端末の画面に流す……『今日は総務部長が出張中、○○○○な朝だ』」
「なるほど、○○○○の中に入る言葉を捜してるってことですね?」
「そう。で、文書課のK子がこれを受けて、『ウキウキする朝だ』と流す」
「なるほど、じゃあ別の……例えば経理部のS君が『専務がソワソワする朝だ』とやる」
「ふーん、君の考えた方が良さそうじゃないか」
「じゃあ、買いを入れてください」
「買い?」
「だって、取引でしょう?」
「そうか、S君の売り言葉を僕が買うわけだ。どうやってやろうか?」
「『Sのを買う』とか『Sを採用』とか流せばいいんじゃないですか?」
「うん、それでいい」
「言葉が売れたら報酬を出すのはどうでしょう?」
「なぜ?」
「その方が皆、まじめに考えてくれると思います」
「そうか。でもいちいち金を出すわけにもいくまい」
「ポイント制にしては? 売れるたびにポイントを増やすんです。で、その数を給与計算のプログラムと連動させる」
「なるほど。それなら実際に役に立ちそうだな!」
「でも、社長……」と、システム・エンジニアは言った。「ほんとにこれやるんですか?」
「何かマズイことがあるかね?」
 と、私は聞いた。
「仕事の妨げになるんじゃないでしょうか……」
 と、彼は上目遣いで言った。
「なーに心配することはない。ウチは言葉を売る商売だからね。いい練習になるさ」
「?……」
「つまり、広告会社だから」

谷口 雅宣

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2005年12月21日

映画『SAYURI』

 話題になっている『SAYURI』を妻と2人で見にいった。すでに新聞記事をいくつか読んでいて、この映画に「本当らしさを期待してはいけない」というメッセージを受け取っていた私は、それほどガッカリしなかった。しかし、それにしても「文化が違う」ということは、同じテーマを扱ってもこれほど表現が違うのか、と驚きながら映画館を出た。そういう意味では、アメリカ人が考えた“エキゾチックな日本”を体験できたのは、面白かった。
 
 出だしからアップテンポのジャズ風の音楽--和太鼓でリズムを取っているのだろうが、その使い方が何となくアフリカ的でおどろおどろしい。それを背景に、極貧の漁村の家から少女が2人、病気の母親の治療費や家族の生活費のために置屋に売り渡される。少女たちの目線から描かれているから、説明的な描写は一切なく、「夜、わけも分からず見知らぬ男に連れて行かれる」という邪悪で、暴力的な導入部である。似たような状況はテレビドラマ『おしん』にも出てくるが、日本人が描く場合、不本意にも子を手放さねばならない親のつらさがきちんと出ているが、この映画は“親心”を省いた残酷な描写である。

 花柳界の描き方は何とも場末的である。もっと具体的に言うと、上流階級が風流に遊ぶ京都が、まるで新宿の歌舞伎町のようだ。また、芸者の着る最高級の着物をカメラがアップで映しているのだが、薄暗い質屋の店頭に吊るした中古の着物のように見える。芸者の舞は、宝塚と歌舞伎を混合したように、大仰でしかもテンポが速い……そういう“違和感”を感じているうちに気づいたことは、この映画は「日本」や「芸者」を描いているのではなく、「日本」や「芸者」を大道具、小道具として使いながら、現代アメリカ人の心情を描いている、ということだ。だから、日本がエキゾチックに感じられるのである。
 
 原作は、アーサー・ゴールデンという日本美術史を学んだアメリカ人の小説『Memoris of a Geisha』で、監督は『シカゴ』のロブ・マーシャル。おまけに製作はスティーブン・スピルバーグだから、作品に“日本人の視点”を要求してはいけないのだ。原作はベストセラーになったそうだが、邦訳本(があったとしても、それ)についてあまり話を聞かないのは、その辺の事情があるのかもしれない。

 もう一つ面白かったのは、「過去が未来にすり替わる」ような体験をしたことだ。ハリウッド映画だから、登場する芸者たちが英語をしゃべるという“異国情緒”は当然だ。これに加えて当初、大物芸者2人が中国人であることが表情や物腰から気になっていた。しかし、ドラマが佳境に入り、彼女たちが彼女たちの個性のまま、桃井かおりや工藤夕貴と一緒に同じ置屋でいたわり合ったり、競い合ったり、憎み合ったりしているのを見ているうちに、私は物語の舞台が「戦前の京都」であることを忘れ、そこはまるで近未来のシカゴかロサンゼルスであるかのような錯覚に陥った。近未来ならば、「英語でしゃべる芸者」がいてもおかしくないし、彼女たちが中国人でも中国系シンガポール人でも日本人でもおかしくない。さらに彼女らが、昔の日本の芸者のような立ち居振る舞いをしなくても、全く違和感はない。
 
 映画『ブレード・ランナー』の導入部には、ハリソン・フォード扮する警察官が未来のロサンゼルスの盛り場を歩き回るシーンがあるが、私は『SAYURI』を見ながら、なぜかそれを思い出していた。
 
谷口 雅宣

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2005年12月20日

イ ミ シ ン

 私がそれを最初に見たのは、夕食後の片付けを終えてひと息入れ、ダイニング・テーブルの上で焙じ茶の入った湯のみを両手で包んでいるときだった。じーんとした暖かさが両手に伝わってくる。その感触をしっかり受け止めながら、「今日の仕事もひとまず終り……」という言葉が頭に染み出てきたのを放っておく。すると、やがて言葉が頭の中をグルグルと回りだした。
 普通だったら、香ばしいお茶を2~3口すすったあとは、すぐにその日の家計簿をつける作業に入るのだが、この日は、1日中動き回っていたことと、夜勤の夫を会社に送り出した後だったので、もう何もしなくていいという安心感が手伝って、本当に何もしないことにしようか、と思っていたのである。
 食器棚に近い側のダイニング・テーブルの端を、白い小さな細長い虫がゆっくりと這っていた--少なくとも私の目にはそう見えた。私は、小虫が大きらいだ。特に、食卓や食器棚あたりに虫がいることは耐えられない。だから、すぐに立ち上がってティッシュペーパーを1枚抜き取ると、手を伸ばしてその“虫”を上から
「エィ!」
 と声を出してつぶした。
 それから、ティッシュをつまんだ指先を恐る恐る顔に近づけた。自分の原始的感情の犠牲者が何者であるかを目で確かめようとしたのだ。が、指先には、虫らしいものは見当たらない。テーブルの上を探したが、やはりそこにも白い虫の痕跡はない。ティッシュをていねいに拡げてみた。紙の皺のあいだに挟まっていないかと思ったが、何もなかった。最後にテーブルの下を覗き込んだ。ご飯粒を1つ見つけたが、虫の痕跡はなかった。
 それからだった。私は時々、1人で家にいるときに“白い虫”を見つけて驚く自分を発見するようになった。最初に見た虫は、シャクトリムシのように細長かったが、それ以後は、小指の爪の先のように薄っぺらだったり、タピオカの粒のように丸かったり、かと思うと、線香のかけらのように短い円筒形だったりした。どれもモソモソと動いているので“虫”だと分かるのだが、私がパニックを起こしてつぶすと、跡形もなく消えてしまう。
 ある時、この話を夫にした。
「へぇー、白い虫ねぇ……」
 最初は、半分上の空で聞き流していたようだが、
「形がいろいろあるのよ」
 と私が言うと、ギョッとしたような表情でこっちを見た。そして、
「それ、妄想じゃないの?」
 と、疑わしい視線を向ける。
「私もそんな気がするから、いやなのよ」
 と、私は答える。
「イミシンだよねぇ……」
 と夫は言った。
「なぜ?」
「だって、ポカンと何もしてない時に、そいつが出るんだろ?」
「そうだけど……どういう意味?」
「で、そいつをやっつけると消えてしまう」
「うん。でも、何か意味があるの?」
「わからないよ、僕が見るわけじゃないから。でもさ、つぶさなかったらどうなるんだろ?」
「……」
 家の中を虫が這っているのに、放っておくことなど私には考えられなかった。しかし言われてみれば、小虫はそこからいなくなればいいのだから、殺さない方法もあるはずだった。
 夫からそう言われてから、私は虫の出現を少しだけ心待ちにするようになった。イミシンの虫を殺さない方法を考えながら……。

谷口 雅宣

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2005年12月19日

沖縄で震える

 今年最後の生長の家講習会が18日に沖縄県宜野湾市で行われた。南国の温暖な気候を期待していたのだが、折から南下してきた寒気に日本列島がスッポリ覆われたおかげで、日中でも16℃ぐらいの冷涼な気温だった。前日の夕方、海岸近くにある宿舎のホテルから例のごとく妻と二人で散歩に出たが、海からの強風が吹きつけていて、体感温度は10度前後の寒さだ。二人とも東京からコートを持ってきたのが幸いだったが、それを着込んでいても寒気が浸み透る。手中に使い捨てカイロを揉みながらの散歩となった。

 埋立地にあるホテルは講習会の会場からは近いが、周囲は新興住宅地然としていて昔ながらの文物を想起させるものはほとんど見当たらない。我々は白波を立てる海とは反対方向へ坂を上り、窓から大きな横文字を見せる回転寿司屋やレストランの前を通り過ぎ500メートルほど歩くと、中型のスーパーがあった。こういう所では地元の人々や産物と出会えると思い、中へ入った。予想通りの雰囲気の店で、我々はゴーヤや沖縄バナナ、パッションフルーツ、サトウキビ、ソーキ、ミミガーと対面しただけでなく、米国産のアイスクリーム、長野産のリンゴ、福岡産シイタケなどを見つけ、沖縄の地理的位置を再確認したのだっKiwiJuice た。そして、本州ではあまり見かけないキーウィーフルーツのジュース(ペットボトル入り)を1本「198円」で購入した。「少し高いなぁ~」とは思ったが、翌日、那覇空港で同じものが300円で売られていたのを見つけ、得意な気分になったものである。

 我々が沖縄で震えていた時、日本中の人々がもっと厳しい寒気の中で震えていたことを、東京に帰ってから知った。19日の『産経新聞』によると、この日は日本上空にこの冬一番の強い寒気が流れ込み、「全国の32地域で、12月の積雪量としては観測史上最高を記録した」のだそうだ。その原因について、気象庁は「気温変化に大きな影響を及ぼす偏西風(北極を中心に西から東へ吹く風)が、何らかの原因によって南側に蛇行し」、この「偏西風に乗って、北極からの強い寒気が日本列島を直撃した」という。この「何らかの原因」が何であるかが事前に分からなかったため、気象庁の使っているスーパーコンピューターでの3ヵ月予想が見事に外れたらしい。気象庁は、当初出した「今年は暖冬」との予想の修正を検討しているという。
 
 北極周辺の“異変”については、私は12日の本欄でも触れた。それは、偏西風の蛇行ではなく北大西洋を流れる暖かいメキシコ湾流が、ヨーロッパへ到達しにくくなっているという話である。18日の講習会でもそのことに言及した。この事実は、11月30日付の『NewScientist』のニュースで配信されたものだが、その後に発行された12月12日付のアメリカの『TIME』も、見開き2ページを使って取り上げている。また、この現象と関係が深いと思われるのは、9月30日の本欄でも書いた「北極の氷の溶解」である。今年9月の北極海の氷の面積は過去最低となり、1978年以降と比較すると2割も海中に溶け出しているということだ。
 
 これらの2つの現象--北大西洋での暖流の停滞と北極海の氷の溶解--が、今後ヨーロッパを冷やすだろうか? と『TIME』誌は問題提起しているのだ。北極海の氷が海中に溶け出すと、周辺の海の塩分が薄まることになる。塩分の薄い水は、海中に沈みにくくなる。すると、メキシコ湾流に発する暖流がヨーロッパへ北上し、冷たい北極の水と接して冷やされ、通常は海中へ深くもぐるはずが、塩分が薄まるために潜りにくくなる。これが、海中で一種の“交通渋滞”を引き起こすというのだ。つまり、暖流の速度を弱めることになるから、海面温度が下がり、それによってヨーロッパの気温を下げる結果になる--そういう説明が『TIME』誌の記事には書かれている。

 もし上の考えが正しいならば、「北極地方」での異変が北東アジアとヨーロッパの「厳しい冬」の原因になっているのである。今回明らかになった偏西風の南方への蛇行が地球温暖化と関係があるかどうかはまだ分からないが、ヨーロッパの寒さは、温暖化の結果だと言えるだろう。この話は、地球温暖化によって氷河期が再来することを描いた映画『ザ・デイ・アフター・トゥモロー』を彷彿させるが、気候変動の複雑さをしみじみ感じる。
 
谷口 雅宣

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2005年12月17日

アンビバレンス

 アンビバレンスとは「矛盾する感情」というような意味の英語だ。「アンビ(ambi)」が「2つ」とか「両面」という意味だから、直訳すると「2つの側面をもった感情」ということになり、例えば「好き」なのか「嫌い」なのか分からない感情のように、互いに「矛盾する」という意味になる。のっけから小難しい話になったが、これにはわけがある。東京から沖縄を目指して飛んでいる機上で見た夢が、まさにこのアンビバレンスを私の中で引き起こしたからだ。

 私はイラクの首都・バグダッドにいた。時はまさに現在進行形で、米軍肝いりの新憲法にもとづいてかの国で総選挙が行われた直後のようだった。米国ABC放送の女性キャスター、エリザベス・バーガスが町角に立って、テレビカメラとプロンプターの前で撮影中だった。その現場に私もいた。43歳の彼女はスペイン系の彫りの深い顔で、日光の眩しさに眉をひそめながら、抑揚のある英語でバリバリと口角泡を飛ばしながらしゃべっている。一見、ジュリア・ロバーツ風だが、顔がやや大きく肩幅が狭い。その周囲を大勢のイラク人たちが遠巻きにしている。が、奇妙なことに皆、指を立てて何かの合図をしているようだ。老人も子どもも黒スカーフの女性も、満面笑みをたたえながら天を指差して何かを喜んでいるのだ。
 エリザベスの説明では、生れて初めて民主選挙をした人々が、赤インクに半分ほど浸した人差し指をカメラマンの前で誇示しているのだという。これは、二重投票を防ぐために今回考案された方法で、投票用紙を投票箱の中に入れた人だけが、インク壺に指を突っ込んで色をつけるのである。米軍にとっては二重投票防止策だが、イラク人にとっては「歴史的な第一票を投じた」という動かしがたい証拠なのだった。選挙に反対する武装勢力から見れば、同じ印は「占領軍に協力した証拠」として見られ、へたすると攻撃される危険さえある。にもかかわらず、彼らはその指を高く掲げて新時代の到来を喜んでいるのだった。
 私は「これは文句なくおめでたいことだ」と感じ、うれしかった。が、その一方で、外国の占領下で、しかも自ら起草した憲法ではない憲法にしたがって、周囲で散発的に炸裂する迫撃弾を気にしながら投票することが「民主政治の第一歩」というのは何かおかしい、と感じていた。
 放送用の撮影を終ったエリザベスを取り囲んだ群衆の中に、私もいた。
「みなさん、どうもありがとう」
 と、彼女は周囲を見回し、大きな笑顔をつくる。
「これが本当に民主的な選挙だと思いますか?」
 と、私は列の後方から大声で聞いた。
「もちろん、そうです。70%の人が投票したのよ」
 とエリザベスは私を目で探して答えた。
「しかし、憲法はアメリカ製だ!」
 と私は反論する。
「憲法起草委員会にはイラク人だけしか入ってないわ」
 と彼女は、少し不機嫌そうに答える。
 私は、周囲のイラク人たちに押し出されて、円陣の中央まで出た。
「憲法起草委員会は、アメリカ軍の支配下にあったことは貴女も知ってるだろう?」
 と私は言った。
「私たちアメリカは、独裁者とテロ支援者からイラク国民を守るために軍を送っているのよ。私たちはイラクのために命を張ってるの! アメリカ軍があるから民主的な憲法ができ、民主的選挙ができたんでしょう?」
 エリザベスは、あくまでもアメリカを擁護する。
 そこで、私はこう言った。
「貴女は本当にジャーナリストか? ABCはブッシュの戦争を批判していたじゃないか!」
 すると彼女は眉間にシワを寄せ、唇を突き出して私を指差した。
「あんたはフセイン支持なのね。テロリストの一味ね!」
 それを聞いて、周りのイラク人たちが一斉に私の方をにらみつけた。皆、赤く染まった人差し指を私に向けて突き出している。
「お前は、テロリストだ!」
 と、エリザベスの目の前にいた体格の大きいヒゲづらの男が叫んだ。
「違う。ぼくは日本人の記者だ!」
 と私は怒鳴り返した。
「日本人がそんな立派なヒゲを生やしてるもんか!」
 と、今度は私のすぐ近くにいる子供が言った。
 私があわてて自分の鼻の下に手をやると、ふさふさとした口ヒゲがあるだけでなく、ほほからアゴにかけても、長いヒゲで覆われていた。
 遠くで「あの男を取り押さえろ!」という声がした。
 私は身の危険を感じて、人ごみから抜け出そうと身を翻した。
「テロリストをつかまえろ!」という声が、私を後ろから追った。
 と次の瞬間、私の背中に何か重いものがドシンとぶつかった。
 
 私は機上の椅子に縛られたまま目を覚ました。搭乗機はたった今、那覇空港に着陸したところだった。
 
谷口 雅宣

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2005年12月16日

科学者の倫理性 (5)

 韓国のファン・ウー・ソク教授によるES細胞研究をめぐる疑惑は、どうやら最悪の事態にいたりそうな情勢だ。同教授の“先進的”研究自体がニセモノであったと本人が同僚に語ったという韓国発のニュースが、今朝から世界中を駆け巡っている。もしこの話が事実であれば、13日の本欄で「そういうことはない」と書いた私は、ナイーブすぎたと認めなければならない。ただ、“渦中の人”である同教授自身がその事実を人前で認めていない段階だから、日本の報道にはバラツキがある。16日の『産経新聞』の見出しは「ES細胞存在せず」と断定しているが、『朝日』の方は「ES細胞、存在せず?」と疑問符つきの見出しだ。また、正午のNHKニュースでは、「……の疑いが出ている」という抑えた表現になっていた。が、周辺状況から判断して、どうやら“限りなく黒に近い灰色”のようである。

 しかし……一体なぜ? という疑問が、私を含めた多くの人々の胸中に渦巻いているのではないか。真っ先に考えられるのは、名誉欲だろう。「世界初」とか「世界最先端」という地位を得るためには、多少のデタラメもいいだろうと考え、専門家の目に晒されることが分かりきっている場--世界有数の科学誌--にニセの論文を提出した……私には、その“愚”を愚だと感じなかった理由が、正直言って理解できない。日本の偽装建築士の場合は、「専門家の目に晒されても分からないだろう……」と考えてやったフシがあるが、ファン教授も同様の精神状態だったということか。発覚後は両者とも“病気”を理由に引きこもっているようだが、家族や関係者はもちろん、被害者がいる場合には、社会全体に対する責任は“病欠”ではすまされない。自分のウソにより、そういう深刻な事態がいずれ引き起こされる可能性について、事前に熟慮できなかったことは極めて残念である。今後、自らが撒いた種の“収穫物”を刈り取ることになるのである。

 15日付の『ヘラルド朝日』紙は、ファン教授の問題の論文の25人の執筆陣の1人である、ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン教授(Gerald Schatten)が、ファン教授に対してその論文を撤回すべきだと発言した、と報じている。その理由は、論文にはニセのデータが使ってある可能性があるからという。記事中に引用されているシャッテン教授の言葉では、「すでに発表された数字や表を、新たに分かった問題情報に照らして注意深く再検討したが、今や論文の正確性について相当程度の疑いをもつようになった」というのである。このシャッテン教授は、ファン教授が研究で使った卵子の入手方法について倫理的問題があったとして、共同研究者の関係を絶ったことをすでに発表している。

 今回のニュースの発端となったのは、同じ論文のもう1人の共同執筆者であるロー・サンイル氏が、ファン教授の病室を見舞った際、ファン教授から直接告げられたとして発表したことだ。つまり、共同研究者のうち2人までが論文の信憑性を否定しているのだから、ファン教授の研究内容自体に問題があることは事実、と推測できる。今後は、ファン教授の態度表明を受けて、韓国政府や『Science』誌がどのように対応するかが焦点になってくる。しかし、それにしてもこの話は、科学者も“普通の人間”であることをいたく教えてくれている。科学技術の発展を、専門家だけに任せておいてはいけない所以である。
 
谷口 雅宣

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2005年12月15日

朝、駅地下は空振り

 休日の木曜の朝は、のんびりしたいもの--というわけで、まだ人通りが少ない表参道へ妻と2人で繰り出した。出張以外のときに朝食を外で食べるのは珍しい。が、前日の新聞の夕刊に、地下鉄表参道駅の構内に「パリの街角をイメージしてリニューアルした……約1300メートルの空間に26店舗が登場した」などと書いてあったので、新し物好きの私としては覗いてみたくなったのだ。この地下の空間は「Echika表参道」と呼ぶそうで、「駅地下」をひねって洋風にシャレただけでなく、「フランス最優秀料理人賞受賞シェフがプロデュースしたパン屋『ブーランジェリー ジャン・フランソワ』は日本初出店」などという鳴り物入り。加えて、同潤会アパートの後に安藤忠雄氏の設計で姿を現した「表参道ヒルズ」を眺めるのもいいか……などと思い、しっかりと防寒態勢を整えて7時過ぎに家を出発した。

 最近は「デパ地下」(デパートの地下食料品街)とか「エキナカ」(駅構内の売店)で買い物をする人が多いそうで、その流れに沿った「駅地下」の店だろうから、きっと駅の改札の内側の構内に、いろんな店ができたのだろうと思った。で、千代田線「明治神宮前」駅から最低料金を払って地下鉄に乗り、表参道駅で降りた。地下3階のホームから階段を登って地下2階へ出たところで、長い人の列に出くわした。コンビニ風の店が出ていて、そこに行列ができている。店内を見るとワインの瓶がいくつも置いてある。「朝からワインでもあるまい」と思い、残りの二十何店はどこかと周囲を見回したが、隣がジュースバー、その隣がベーグルパン屋、さらにその隣は菓子屋でおしまい。他にはどこにも見えない。

 そこで階段をさらに上がって地下1階に出ると、すぐ脇にカフェ・アンド・バーがある。が、朝だからカフェは開いているが食事ができない。その奥には“鳴り物”に使われていたフランスのパン屋がある。店は開いているのだが、パンを売っているだけで「朝食」という感じではない。その奥にもベトナム料理とかクレープ屋とかイタリヤ料理店があるようだが、手前にロープが張ってあって営業は11時からだという。それでは別の場所へ……というわけで、表参道の地下を明治神宮方向へ下っていくとソバ屋とスープ専門店があった。しかし、この2店も閉まっているのである。後で案内の印刷物を入手してよく読んでみると、この「駅地下」の商店街は朝来るべきではなく、昼以降には楽しめるということが分かった。

 そんなわけで、腹を空かせた我々は“新し物”の物色は諦めて、よく知っている店で朝食をすることにした。青山通りを渡った先にあるベーカリー「アンデルセン」である。ここの2階が朝7時半からやっていて、地下1階は8時からオープンする。この店の特徴は、何種類ものパンを好きなだけ食べられる点だ。もちろんコーヒーも何杯でも飲める。値段は少し高いが、広いガラス窓から青山通りをゆっくり眺めながら朝食ができる。パン好きの人にはお勧めの場所だ。我々はそこで、おのおの目の前のパンを絵に描きながら朝食と決めこんだ。

BreadAND

谷口 雅宣

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2005年12月14日

CO2の地下固定に日本企業参加

 5月15日の本欄で、「二酸化炭素の地下固定」について書いた。地球温暖化防止のためには、二酸化炭素を排出する化石燃料を燃やさないことが重要だが、いったん排出された二酸化炭素を「地下にもどして固定する」ことで大気中の二酸化炭素を減らす方法がある。石油会社などは、これを実効性のある温暖化防止策と見なしており、すでに北海やアルジェリアのガス田など一部で行われている。その事業に日本企業も参加することになったようだ。

 14日付の『朝日新聞』の記事によると、三菱重工は国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルの子会社と提携して、二酸化炭素を油田に注入して原油の採掘量を増やす事業に参加することを発表した。シェルが採掘権をもつ油田で、三菱重工が二酸化炭素の抽出・圧縮・分離の各施設を建設する案が有力で、年内にも中東で調査活動を始めるという。記事中には「二酸化炭素の地下固定」という言葉は出てこないが、恐らくそれを目指しているのだろう。というのは、原油採掘の際の通常の方法は、地層に水を注入して原油を回収するのだが、今回の事業では水に代えて二酸化炭素を使う。その方が効率が高いらしい。また、京都議定書の規定により、大気中の二酸化炭素を削減した場合には「排出権」が生まれ、それを市場で売買できる。その効果も狙っているに違いない。

 しかし、素人考えかもしれないが、「気体を地下に封じ込める」という方法には何となく不安を感じる。というのは、パキスタンやスマトラ沖地震の例などを考えれば、地球表面の地層は永遠に安定しているわけではないからだ。仮に大量の二酸化炭素が「地下固定」できたとしても、大地震などの地殻変動の影響で海中や大気中に漏れ出すことは絶対ない、と言えるのだろうか。もしそんな事態がありえるなら、我々の子孫が高いツケを払うことになる。もっと別の方法--炭素のままで個体や液体中に固定しておく方法--つまり、化石燃料を掘り出さない方法の方が優れているように思うのは、誤解だろうか。

谷口 雅宣
 

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2005年12月13日

科学者の倫理性 (4)

 11月29日の本欄で、ES細胞の先駆的な研究で注目されている韓国のファン・ウー・ソク教授が倫理的問題で失敗した後も、卵子提供希望者が絶えないという話を書いた。韓国の国民感情の高まりを示している。が今度は、韓国メディアを中心に、ファン教授の研究成果自体を疑問視する声が上がっている。13日の『朝日新聞』によると、ファン教授が所属するソウル大学は、同教授の研究結果を再検証するための調査委員会の設置を決めた。ということは、メディアの批判に全く根拠がないわけではなさそうだ。問題の発端は12月2日、韓国民放のドキュメンタリー制作陣が記者会見し、「体細胞提供者のDNAと、実験で作られたES細胞のDNAが一致しなかった」と言って、実験データの信憑性に疑問を唱えたことにあるらしい。ファン教授自身が、身の潔白を証明するために大学側に再検証を要請したという。

 12日付の『ヘラルド朝日』は、しかし少し違う内容の記事を掲載している。問題の研究論文を掲載したアメリカの科学誌『Science』(6月17日号)が、韓国の科学者から批判されている点をファン教授に説明を求め、同教授の研究データを専門家が再検証する必要があると言ったらしい。そこでソウル大学は緊急会議を開いて、同教授の研究データの再検証を決定した。これと並行して12月7日には、30人の教授陣が同大の学長に対して「DNA検証のかなりの部分が説明不可能である」という報告を提出したというのだ。また、問題の研究論文の電子版に添付されていた写真のいくつかが、同一のものであったとの指摘もある。
 
 さらに13日の『ヘラルド朝日』紙は、その“後追い”記事を掲載して、韓国のある大学がファン教授の問題の論文の信憑性を検証することを申し出た、と報じている。そして「専門家」の話として、この論争は、ES細胞のDNAと患者のそれとを比較すればすぐ決着するはずなのに、ソウル大学はそれを早くしないで、調査委員会などを作るのはなぜか、との疑問を挙げている。こんな書き方をすると、問題のES細胞のDNAと体細胞提供者(患者)のそれとの比較がされたのか、それともされていないのか分からなくなるだろうが、実際に、2つの新聞の記述は食い違っているのである。事態はまだ「混乱の中」なのだろう。

 真相はいずれ明らかになるだろうが、この混乱の大きな原因は、やはり研究の最初の時点で「ウソを言った」(正確な事実を隠していた)ことにあると思う。この“ウソ”の期間が1年以上あったから、「1年以上もウソを通していた研究者なのだから、ほかにもまだウソはあるだろう」との疑いがどうしても生まれてくる。日本で耐震強度偽装をした建築士の場合でも、1箇所でそれが発覚したならば、「ほかにももっとあるだろう」と考えるのは自然の成り行きである。かの建築士は、その疑い通りにゾロゾロと偽装の事実が暴露されたが、ファン教授の場合はどうなるだろうか。私見を言わせてもらえば、問題の先駆的研究自体がウソだったというような結果は「ない」と思う。科学者が研究データを捏造して発表すれば、それは社会的な自殺行為だ。韓国の科学界がそれほどヒドイとは思いたくない。
 
谷口 雅宣

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2005年12月12日

“京都後”も「前向き」で合意

 12月6日の本欄で、モントリオールで開かれていた京都議定書の締約国による第1回会合(COPMOP1)が難航していることに触れたが、11日付の新聞各紙はこの会合での結論を一斉に報道した。が、その内容は「今後も温暖化防止に向って前向きに取り組む」ことが合意できたという程度だ。

 2013年以降の“京都後”の取り組みに、アメリカは最後まで「参加する」と言わなかったし、経済発展目覚しいBRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)も温室効果ガスの削減義務を持たされることに難色を示した。議定書に参加している日本などの先進諸国が“京都後”にどのような削減目標を定めるかについては、来年5月から開かれる特別会合で「13年以降に空白期間が生じないようなるべく早く検討する」とだけ合意した。ただし、京都議定書で運用ルールとして打ち出されていた温室効果ガスの排出権取引などを正式に採択し、議定書の目標が達成できない先進国には罰則を設けることが合意された点は、評価できるだろう。
 
 今問題なのは国益ではなく“地球益”ないしは“世界益”である--そういう議論は、国益と国益がぶつかり合う国際政治の現場では、どこかへ棚上げされてしまうようだ。アメリカは、南部の歴史都市・ニューオールリンズをハリケーンで破壊されていながら、それが温暖化の影響であることに目をつぶり、国益の範囲内でしか物事を考えていないように見える。グローバル時代の超大国がこの状態であることは、まことに嘆かわしい。

 10月24日の本欄で、アメリカを襲うハリケーンの数が増えて、用意しておいた21の名前がなくなってしまったことを書いた。22番目以降は、ギリシャ文字のアルファベット順に名前が付けられるが、この日に「ハリケーンα」が命名されたのだった。が、その後も記録は破られ続けていて、「β(ベータ)」「Γ(ガンマ)」「Δ(デルタ)」が次々に発生し、11月29日には、ついに26番目のハリケーンとなる「Ε」(イプシロン)が誕生している。ハリケーンの発生数は長い間、年平均で「11」だったそうだ。それが今年の予測では「18~21」だとされた。だから「26」は異常に多いのだ。まだ「カトリーナ」のような被害が出ていないから安心しているのだろうか? が、被害が出てからでは遅すぎる。実際、最近の気象関係の変化は過去に例を見ないものが多いのだ。
 
 11月29日付の『NewScientist』のニュースによると、ハリケーン「デルタ」は、大西洋を横断するというきわめて異例なコースをたどり、アフリカ大陸北西端のカナリア諸島を通過してモロッコへ行ったという。また、アメリカの国立ハリケーン・センター(NHC)が今年のハリケーンの大きさを再検討してみたところ、7月に来た「エミリー」は発生当時の「カテゴリー4」の規模ではなく、最大級の「カテゴリー5」だった可能性があることが分かったという。これによって、今年は、最大級のハリケーンが3つ来たことがすでに新記録だったのに、「エミリー」を加えれば明らかに“異例”の年となるのだそうだ。さらに、ハリケーンは通常、海上での発生から上陸まで1週間ほど余裕があるのに、ハリケーン「ウィルマ」は、発生からわずか24時間の早さで最大級の「カテゴリー5」へ成長して上陸した。このような異例な現象はみな「海面水温の上昇」と関係しているらしい。
 
 北大西洋の海流にも変化が起こっているらしい。30日付の同誌のニュースでは、西ヨーロッパの比較的温和な気候が変化しつつあるという。イギリスのサウサンプトンにある国立海洋学センターが昨年、北大西洋の海流を調べたところ、温暖なメキシコ湾流から発してヨーロッパへ近づく海流が、30%ほど減少しているらしい。同センターでは、この変化が一時的なものかどうか分からないとしているが、気になるところだ。メキシコ湾流は、その名の通りメキシコ湾から始まって大西洋をヨーロッパ方面に北上し、北緯40度の当たりで二分するという。一つは海面近くを南へ向い、残りはさらに北上してヨーロッパへ達し、風を暖めることで大陸の気温を5~10℃上げる効果があるという。この海流の量が30%ほど減っているのだそうだ。この減少の大きさには異議を唱える学者もいる。しかし、世界の気象に何か大きな変化が起こっていることは確かなようだ。

 12月になって、日本列島周辺は一気に寒気に包まれている。私は鼻風邪をひいてしまったが、読者の皆さんも充分注意していただきたい。今年は「鳥インフルエンザ」も控えているようだから……。
 
谷口 雅宣

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2005年12月11日

柿の葉寿司

 奈良の橿原市で行われた生長の家の講習会の帰途、京都駅で柿の葉寿司を買った。新幹線の車内での夕食のためである。最近は伝統的なサバだけでなく、タイやサケなどの寿司を柿の葉で包んだものがあるのが、変化に富んでいてうれしい。押し寿司の一種で、柿の葉に包まれた直方体の概観からは、中身の寿司の種類は分からない。その一つを手に取って、「何が出てくるかな」と期待しながら柿の葉を剥く楽しみもある。「柿食えば……」という有名な俳句にもある通り、奈良地方には柿の木が多いところから、その葉を利用したのだろう。
 
 食文化研究家の冨岡典子氏の著書『大和の食文化』(奈良新聞社、2005年)によると、大和地方では江戸時代からサバ寿司が作られていて、『和漢三才図絵』には元禄の頃に今井(現在の橿原市今井町)で、柿の葉を使わないサバ寿司が名物だったとの記述があるそうだ。柿の葉は紅葉するが、柿の葉寿司に使われる葉は紅葉していない。冨岡氏によると、この葉を取るのは田植えも終った7月上旬で、吉野地方の子供たちは柿の葉を集めに回り、その葉の水気を拭き取って準備の手伝いをしたそうだ。大人たちは寿司飯を作り、一口大に固く握って、上から酢に浸したサバの薄身を載せる。これを、柿の葉の表面を内側にして包み、寿司桶の中に隙間なく詰め込んでいく。桶がいっぱいになれば上から押し蓋をし、さらに重石を載せて一昼夜置く。作ってから3日目に食べるのが最も美味しいとか。
Kakinoha

 
 柿の葉寿司の老舗である中谷本舗(本店・奈良県上北山村)の栞にも、「夏祭りの時期には、庭の柿の木から葉を取り」とあり、寿司に使われるのは、緑色が鮮やかでしなやかな渋柿の葉だそうだ。しかし、今の時期の寿司に使われている葉は、それほど緑鮮やかでないから、恐らく冷蔵物なのだろう。渋柿のシブはタンニンという成分で、これが渋柿の葉には特に多いから、殺菌効果を発揮する。また、蛋白質を凝固させる性質もあって、サバの身を締めてくれる。なかなか合理的な製法だと言わねばならない。
 
 起源については、いくつか説があるようだ。中谷本舗の説明では、南北朝時代に後亀山天皇の玄孫が北山小檬の瀧泉寺に御所を構えたとき、土地の人々がサバ寿司を捧げに来たが、これを臣下に分け与えるための食器が足らず、柿や笹の葉の上に盛ったのが始まりという。冨岡氏が著書で紹介している起源は、もう少し時代が下がる--「江戸中期に紀州の殿様が熊野の漁師に重い年貢を課したことから漁師は、そのお金をひねり出すために、夏サバを塩で締め、吉野川筋の村に売りに出掛けた丁度その頃、夏祭りの時期と重なりお祭りのごちそうとなった」(p.37)。冨岡氏が中谷本舗の説明を採用しない理由は定かでない。しかし、あえて推測すると、氏の著書の別の箇所に、柿の葉寿司が普及しているのは「平野部の吉野川本流から五条・御所・高市の地方」(奈良県北西部)であり、同じ吉野郡でも「大塔・十津川・川上・野迫川などの村」(南西部)には普及してないと書いてあることと関係しているかもしれない。南北朝時代の奈良県南部の山地が起源であれば、こういう現象は説明しにくいということか。

 事の真偽はともかく、現代人の私は、冷蔵技術と大量生産の恩恵を受けて、高速で東上する列車の中で、季節外れの古の味を楽しんでいるのである。
 
谷口 雅宣
 

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2005年12月10日

季語・クリスマス

 前回に引き続いてクリスマスのことを、もう一つ。というのは、生長の家講習会のため新幹線で奈良へ向う車中、月刊『ウェッジ』の12月号に俳人の佐川広治氏が、クリスマスのことを書いているのを読んだからだ。そうなのだ。「クリスマス」は、日本ではすでに俳句の季語になっているのだ。そのことを考えると、古代のローマから2千年の歳月と地球半周をかけて東洋の東の端にまでたどりつくと、宗教行事がいかに変化するかを思い知らされるのである。佐川氏の理解によるクリスマスとは、「キリスト教の最大の祭日」であり、具体的には次のようなものだ--
 
「前日24日から荘厳な儀式が行われる。各家庭では、クリスマスケーキなどを囲んで楽しい夜を過ごす。圧倒的に仏教徒の多いわが国のクリスマスは、西欧諸国とは異なり、プレゼントの交換や若い恋人たちのデートの日であったり、大人たちが歓楽街に出向いたりする風習が一般化した」

 引用の前段は西欧の習慣を描き、後段はそれが日本化した様子を描いているのだろう。「プレゼント交換」や「歓楽街」と仏教の関係はよく分からないが、確かに日本のクリスマスは佐川氏が描く通りに“変形”されていると思う。人の姿で生誕した“神の独り子”の受難を回顧し、神とイエスに尊崇と感謝の念を捧げる記念日が、この国へ来ると、恋人や夫婦が愛を語らう日や、上司や同僚との親睦の日に見事に変質してしまっている。西欧のクリスマスには「神と人」あるいは「キリストと人」という“上下”の関係が明確にあるが、日本のクリスマスには人間同士の“左右”の関係しかない。宗教の周縁を構成する儀式や文化の表現が、明確な変容を示している一例だと思う。

 この俳句の季語としてのクリスマスは、「幸福な人々の親交・親睦の日」というニュアンスを運んでいる。佐川氏は、次の3例をもってそれを証明する--
 
 クリスマス地に来ちちはは舟を漕ぐ (秋元不死男)
 へろへろとワンタンすするクリスマス(  同  )
 クリスマスイヴ好きな人ふたりあり (後藤比奈夫)
 
 私にとってのクリスマスは、西欧的でもあり日本的でもある。11月17日の本欄でも言及したが、幼稚園から大学までミッション系の学校へ通った私は、キリストの誕生劇に親しみ、讃美歌をいくつも暗唱できた。キリストが実際に誕生劇どおりに生まれたと、当時の私が信じていたかどうかは別として、この日が「神」や「キリスト」と直接関係があり、その神やキリストの「愛」を通して、人間同士が愛を与え合うことを学ぶ特別な日であることは自明だった。だから、この特別な日を迎える前夜が、たまたま自分の誕生日であることを、私は誇りに思っていた。結婚して子供ができてからも、私たち夫婦はこの日を家族にとって特別に“楽しい日”に仕立て上げようと、様々な工夫をしたものだ。
 
 クリスマス特大靴下忍び入れ

谷口 雅宣

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2005年12月 9日

クリスマスはアメリカの伝統?

 11月17日の本欄で、クリスマスはもともとキリスト教の祭日ではなく“異教”からの借り物だったことを書いた。今ではもちろん、天下公認のイエスの生誕日を祝う日である。だから、アメリカではこれをさぞ盛大に祝うだろう、と多くの人は想像するかもしれない。しかし、「クリスマスを祝わない店はボイコットする」という運動が今、かの国の“キリスト教右派”と呼ばれる人々によって展開されている。つまりアメリカでは、誰もが祝う祭日ではないのだ。ニューヨークタイムズの編集委員、アダム・コーヘン氏(Adam Cohen)が8日付の『ヘラルド朝日』紙に書いている。
 
 日本ではキリスト教信者でなくても、クリスマスをほとんどの人が何かロマンチックな舶来の“年中行事”としてとらえ、クリスマスの飾りつけをし、贈物を交換し、讃美歌まで流したりする。しかしアメリカでは、キリスト教以外のユダヤ教、仏教、イスラム教の信者などが「クリスマス」(Christ + Mass = キリストのためのミサ)という言葉を嫌がるのを気にかけて、デパートやスーパー等が「メリー・クリスマス」(クリスマスおめでとう)という言葉を避け、「ハッピー・ホリデーズ」(Happy Holidays)などの言葉を使うらしい。また、「クリスマスツリー」を「ホリデーツリー」、「クリスマス休暇」を「冬季休暇」などと言い換えることも珍しくない。“キリスト教右派”の人々は、それらにめくじらを立て、そんな店でクリスマス・ショッピングをするのはやめようと気炎を上げているのだ。

 8日に放送されたABCニュースも、“キリスト教右派”の人が、毎年この時期にホワイトハウスが100万通以上出すカードに「メリー・クリスマス」という言葉がなく、その代わり「With best wishes for a holiday season of hope and happiness.」と書いてあることを非難する様子を放映した。この人によると、今の大統領は共和党で、しかも「神」を語る人なのだから、もっと堂々と「クリスマス」と書くべきだというのである。彼らにとって“アメリカの伝統”であるクリスマスを疎かにしてはならない、というわけである。

 しかし--とコーヘン氏は言う--アメリカの伝統ではクリスマスは忌避されていたし、“クリスマスの贈物”や“クリスマス・パーティー”などとんでもない、という時代もあったそうだ。「神の国」の実現を夢見てメイフラワー号でやってきた清教徒たちは、クリスマスはキリスト教的でないとして毛嫌いした。理由は、私が冒頭に書いたことだ。つまり彼らは、聖書の記述を文字通り信じる原理主義者だったから、聖書には「12月25日」がイエスの生誕日とは書いていないため、これを“異教の習慣”として拒否したのだ。この清教徒的考えが廃れてからも、1800年代を通じて、アメリカの宗教指導者たちは、クリスマスのドンチャン騒ぎはキリストへの敬虔な思いを壊すとして反対したという。南北戦争(1861-65)勃発前夜の段階で、クリスマスを公認していた州は、わずか18にすぎない。
 
 1920年代に入ってクリスマスは一気に商業化したが、そうするとアメリカの宗教指導者たちはこれに強く反対した。飲酒やドンチャン騒ぎや利益追求の口実にキリストを利用するのはけしからん、というわけだ。こういう「敬虔な信仰心」がアメリカの伝統であるなら、キリスト教右派の人たちが「クリスマスを祝う店だけでショッピングをしよう」と提案することは、本当にアメリカの伝統を守ることになるのだろうか?--コーヘン氏は、こうハッキリと書いていないが、恐らくそう言いたいに違いない。

「伝統」という言葉には力がある。宗教的標語にも力がある。それゆえに、これらが間違って使われたり、利用されることも多い。本当は伝統でないものを伝統的と言いくるめ、宗教でないものを宗教として利用する人がいるからである。アフガニスタンのタリバン政権や戦前の日本にも、そういう傾向があった。現在のアメリカで似たような現象が起こっているとしたら、それは“戦時体制”にあるということか?

谷口 雅宣

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2005年12月 7日

オランダ、「水と共存」を決断?

 前日の本欄で、地球温暖化を「不可避だ」と考えて観念し、その中でどう生きるかを考えはじめた国があることを示唆したが、そんな感想をもったのは、6日付の『ヘラルド朝日』で、オランダの洪水対策の変更の記事を読んだからである。「風車」で知られるオランダは、国土の6割以上が、海抜ゼロメートル以下か海面すれすれの地域であることは、よく知られている。これまでは、堤防や岸壁の補強と排水によって国土を浸水から守ってきた国だが、記事によると、最近オランダ政府は、主要な河川沿いの広大な農地や工業用地を買収しつつあり、これらを高潮時の氾濫原に転換することを考えているらしい。これらの土地を守ってきた高い堤防はもっと低くしたり、向きを変更したりし、中には崩されるものもあるという。
 
 河川沿いのこれらの低地は、水が引いている時は農地として使い、また“浮上式”の工場や家屋を建てることが検討されているらしい。また、冬の雨によって河川の水位が上がったときは、低地に洪水を起こさせて水の勢いを和らげることで、堤防の決壊による壊滅的被害を減らす計画という。また、オランダの開発業者は、“水陸両用”の家の販売を始めているらしい。こういう家は、通常は陸に固定されていても、洪水時には浮き上がる構造になっているという。それだけではない。オランダの建築家やエンジニアは、アムステルダム郊外のシフォール国際空港近くに1万2千戸の浮上式住宅を擁するコミュニティーの建設を計画中であるほか、農場や工場、温室、アパートも浮上式のものを考えているという。
 
 こういう“方針転換”に反対がないわけではなく、堤防の補強や排水をやめるわけでもないが、地球温暖化が長期にわたって継続するとの認識から、オランダ政府は単に堤防の増設や高度化では充分な対応ができないとの結論に至ったようだ。オランダでは、北海の冬の嵐や、雪解けにともなうデルタ地帯の氾濫が恒常化しているが、それらへの対策と同様の長期的視点が必要になってきているという。“硬い”コンクリートによるだけでなく、砂丘や湿地、干潟など、“軟らかい”自然の手段も動員しなければ間に合わないということだろう。
 
 ヨーロッパ環境局によると、北部ヨーロッパの降水量は1900年以降、40%も増加しているという。これに加え、温暖化にともなうヨーロッパ・アルプスからの水量の増加を考えると、今後さらに洪水の可能性が増すことは否めない。それと同時に、温暖化は夏場の日射量の増加を引き起こしている。オランダは河川の氾濫を防ぐのに、土を使った堤防を多用しているから、日射量の増加は、堤防のヒビ割れの問題も深刻化させているのである。
 
谷口 雅宣

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2005年12月 6日

“京都後”の交渉は難航中

 日本列島は一気に冬に入ったようで、このところ各地で降雪の知らせが続いている。地球温暖化にともなう気候変動がどのような結果をもたらすかは、世界中の気象学者がスーパー・コンピューターを使って予測しようと試みているが、実際のところ正確な予測はなかなか難しいようだ。しかし、科学者の予測している「気象の激化」という点では、今のところその通りの現象が起こっているように感じる。つまり、夏はさらに暑く、冬はさらに寒く、乾期は旱魃が続き、雨期には激しい雨が長く降って洪水が起こる、ということだ。ヨーロッパと北米を覆った寒気団が、韓国や日本にも降りてきているという。

 カナダのモントリオールでは、京都議定書の締約国による第1回会合(COPMOP1)が開かれており、7日からは日本の小池環境大臣も出席して閣僚レベルでの会合が始まる。最大の課題は、京都議定書が期限切れとなる2013年以降の温暖化防止をどのように進めるかという大枠を決めることだが、これが難航しているらしい。京都議定書では、温室効果ガスの削減義務をもっぱら先進諸国に課していたが、この義務を途上国にも課すべきだとの先進国の考えに対し、途上国側が反対しているからだ。また、議定書に参加しなかったアメリカは、「議定書条約交渉の下でのいかなる議論にも反対する」との態度を示しているという。
 
 12月6日付の『ヘラルド朝日』紙によると、難航している原因の一つは、京都議定書での約束--先進38ヵ国が温室効果ガスの排出量を1990年のレベル以下にするという約束--が、さらなる排出削減への第一段階として捉えられているからという。次の段階として考えられるのは今、急速に経済成長を続けている中国やインドにも同様の義務を課すことだが、両国はこれに猛然と反対している。そして、この中国とインドの態度がアメリカの反発を招いてきた。人口において世界最大の中国と第2位のインドが、誰も予想しなかったような勢いでエネルギーを消費していながら、排出削減の義務を追わないのでは実効性がないというわけだ。この議論の背後にあるのは、「主要な温室効果ガスである二酸化炭素は、現状においてはあらゆる経済活動の副産物である」という考えだ。すなわち、経済発展と温室効果ガスの削減は両立せず、どちらを採るかと問われれば、ほとんどの国は経済発展の方を選ぶのである。
 
 しかし、本当にそうだろうか、と私は思う。10月24日の本欄で述べたように、アメリカ南部を襲ったカトリーナやリタのような巨大暴風雨が、温暖化によって増えつつある。そういう極端な気象(extreme weather)が増えるならば、経済発展は災害の被害によって帳消しになるか、もっと悪い場合は“マイナス発展”を招くことになる。温暖化と経済とのこのような関係は政策立案者には自明のはずだが、外交の舞台ではあまり問題にされないようだ。それよりも、彼らは地球温暖化はもはや不可避と考え、将来の温暖化した地球環境の中でどのように自国民や国益を守るかを模索し始めたのだろうか。
 
谷口 雅宣

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2005年12月 3日

小アジの煮干

 生長の家講習会のため高知市に来た。宿舎は、高知城の近くにある新阪急ホテルである。ここは講習会でこの地に来るたびによく泊まる所で、過去何回か、チェックイン後に城まで歩いて行ったことがある。ということで、今回は商店街を歩くことにした。ホテルから大通りを城側へ渡って東へ数ブロック行くと、「大橋通り」という賑やかなアーケード街に出る。ここは“土佐の台所”と呼ばれている商店街で、青果や魚介等の食料品を専門に扱う店が軒を接して並んでいるが、そこから直角に東へ曲がる通りには、衣料品店、文具店、土産物店などが並ぶ。店の種類がはっきりと区分けされているのが面白い。

 大橋通りの一角に「ひろめ市場」という食品売場がある。大型のテントで区画されたコーナーで、土佐藩の家老、深尾弘人蕃顕(ひろめしげあき)の屋敷跡の近くにあることから、この名があるそうだ。テントの中には、セルフサービス式の飲食店が何軒も入っていて、女子高生から頭の白い紳士まで、さまざまな年恰好の客がいてにぎやかである。

 この市場では、魚介類の種類の多さが印象に残った。東京の市場では見られないような青緑色の大型のカニが、これまた大きなハサミを結わえられたまま樽の中でひっくり返っていた。つついてみると、脚を動かした。その近くには、鮮血色のクジラ肉が木箱の中いっぱいに広げてある。また、巨大なウナギを思わせるウツボが、皮を剥かれて何尾も長々と横たわっている。かと思うと、試食自由のケンピの専門店がある。つまんでポリポリと食べてみる。ショウガ入り、ゴマ入りは当然として、シナモン、ガーリック、ユズ、青海苔入りもあれば、「砂糖抜き」とか「砂糖少量」などもあり、バラエティーに富んでいる。買うのに迷ったすえ結局、3種が入った詰め合わせを1袋買った。
 
 妻はここでもう一つ買物をした。煮干である。家にある分が、もう少なくなっていたからである。別の日に渋谷の市場へ行くよりも、ここで今買う方が時間の節約になると思ったそうだ。普通の小さいイワシの煮干の入った袋を一度手に取ったが、その隣に小アジの煮干の袋もあったので、私がそれを買うように勧めた。せっかく高知まで来ているのだから、渋谷ではあまり見かけない珍しいものの方が面白いと思ったからだ。妻も、その説明に納得した。その時、妻に言わなかったもう一つの理由があった。それは、小アジの煮干の方が「絵になる」と思ったからだ。体長5~6cmくらいの煮干は、砕けてしまわずに形が整っているものが多く、表面がほんのりと青光りしていて、なかなか美しいと感じたからだ。そこで、ホテルの部屋にもどってから、ペンで描いてみた。

Niboshi

 
谷口 雅宣

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2005年12月 1日

若者撃退器

 ネズミが人間には聞こえない“恋の歌”をうたっていることが、ごく最近わかったという話を11月7日の本欄で取り上げた。人間の聴覚があやふやである証拠と言えようが、正常な聴覚をもった人間同士の間でも、聞こえる音と聞こえない音があるそうだ。それも、子供や若者には聞こえても、中年以降の人間には聞こえない音があるというのだから、不思議である。30日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。

 それによると、ネズミだけでなく、30歳以下の人間にも周波数の高い領域の音が、中年以降の人間よりもよく聞こえるそうだ。これに気づいたのはイギリスのハワード・スタプルトン氏(Howard Stapleton)で、12歳のときに父親が経営する溶接工場に入ろうとした際、内部の騒音がひどくて入れなかった経験から学んだという。スタプルトン氏は39歳になった今、この原理を応用して“若者撃退器”を製作し、実験段階にあるという。この器械は小型で人をイライラさせるので、「モスキート」(蚊)という名前にしたそうだ。器械は現在一台だけ、ウェールズ南部のバリー市にあるコンビニ店に取り付けられているが、効果はまずまずらしい。
 
 かつてその店の前には、いつも若者がたむろしてタバコを吸ったり、酒を飲んだり、客に向って罵声を発したり、時には店内に入って暴れたりしていたという。そこで店主は一度、外の駐車場に向けたスピーカーからクラッシック音楽を流して若者を撃退しようとしたが、うまくいかなかった。ところが、この器械を据えつけてまもなく、若者は店の前に集まらなくなったという。それが器械の効果であることは、当初、これまで通りにやってきた若者が耳を押さえながら店内に入って来て、「あの音を止めてくれ」と頼んだことから明白だという。しかし店主は、「あれは、鳥が来ないようにするためだ。鳥インフルエンザは困るからね」と言い張って応じなかった。
 
 この記事を書いた記者には、その音が聞こえなかったそうだ。しかし、店に来た若者に尋ねてみると、確かに「キーキーという、体の中を突き抜けるような大きな音がする」という。だから、大人には聞こえなくても実際に音がすることが分かる。オックスフォード大学の神経生理学者、アンドリュー・キング博士(Andrew King)によると、人間の聴覚は事実、加齢とともに高い周波数帯の音が聞こえなくなってくるが、それは非常にゆっくりとした過程だから、20歳を過ぎた人でもこの器械の音が聞こえる人はいるという。だから、実際に店舗に設置する効果には、疑問が残るようだ。それよりも、痴漢や強盗撃退用になら、限定的な効果はあるかもしれない。
 
谷口 雅宣

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