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2005年12月20日

イ ミ シ ン

 私がそれを最初に見たのは、夕食後の片付けを終えてひと息入れ、ダイニング・テーブルの上で焙じ茶の入った湯のみを両手で包んでいるときだった。じーんとした暖かさが両手に伝わってくる。その感触をしっかり受け止めながら、「今日の仕事もひとまず終り……」という言葉が頭に染み出てきたのを放っておく。すると、やがて言葉が頭の中をグルグルと回りだした。
 普通だったら、香ばしいお茶を2~3口すすったあとは、すぐにその日の家計簿をつける作業に入るのだが、この日は、1日中動き回っていたことと、夜勤の夫を会社に送り出した後だったので、もう何もしなくていいという安心感が手伝って、本当に何もしないことにしようか、と思っていたのである。
 食器棚に近い側のダイニング・テーブルの端を、白い小さな細長い虫がゆっくりと這っていた--少なくとも私の目にはそう見えた。私は、小虫が大きらいだ。特に、食卓や食器棚あたりに虫がいることは耐えられない。だから、すぐに立ち上がってティッシュペーパーを1枚抜き取ると、手を伸ばしてその“虫”を上から
「エィ!」
 と声を出してつぶした。
 それから、ティッシュをつまんだ指先を恐る恐る顔に近づけた。自分の原始的感情の犠牲者が何者であるかを目で確かめようとしたのだ。が、指先には、虫らしいものは見当たらない。テーブルの上を探したが、やはりそこにも白い虫の痕跡はない。ティッシュをていねいに拡げてみた。紙の皺のあいだに挟まっていないかと思ったが、何もなかった。最後にテーブルの下を覗き込んだ。ご飯粒を1つ見つけたが、虫の痕跡はなかった。
 それからだった。私は時々、1人で家にいるときに“白い虫”を見つけて驚く自分を発見するようになった。最初に見た虫は、シャクトリムシのように細長かったが、それ以後は、小指の爪の先のように薄っぺらだったり、タピオカの粒のように丸かったり、かと思うと、線香のかけらのように短い円筒形だったりした。どれもモソモソと動いているので“虫”だと分かるのだが、私がパニックを起こしてつぶすと、跡形もなく消えてしまう。
 ある時、この話を夫にした。
「へぇー、白い虫ねぇ……」
 最初は、半分上の空で聞き流していたようだが、
「形がいろいろあるのよ」
 と私が言うと、ギョッとしたような表情でこっちを見た。そして、
「それ、妄想じゃないの?」
 と、疑わしい視線を向ける。
「私もそんな気がするから、いやなのよ」
 と、私は答える。
「イミシンだよねぇ……」
 と夫は言った。
「なぜ?」
「だって、ポカンと何もしてない時に、そいつが出るんだろ?」
「そうだけど……どういう意味?」
「で、そいつをやっつけると消えてしまう」
「うん。でも、何か意味があるの?」
「わからないよ、僕が見るわけじゃないから。でもさ、つぶさなかったらどうなるんだろ?」
「……」
 家の中を虫が這っているのに、放っておくことなど私には考えられなかった。しかし言われてみれば、小虫はそこからいなくなればいいのだから、殺さない方法もあるはずだった。
 夫からそう言われてから、私は虫の出現を少しだけ心待ちにするようになった。イミシンの虫を殺さない方法を考えながら……。

谷口 雅宣

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コメント

う~ん、すごい作品ですね。
わずか1300字足らずで、心に余韻を残す。
水に投げられた小石の作る波紋のように・・・

渕上幸江

投稿: 渕上幸江 | 2005年12月22日 23:32

幸江さん、

 もったいないお言葉に、感謝します!
 今年のカナダは、雪は深いでしょうか?
 日本は、東京以外はとんでもないドカ雪ですが……

投稿: 谷口 | 2005年12月23日 12:03

そうでしたか、12月17日の記事『アンビバレンス』は実話ではなかったんですね。私もテッキリ、本当にあの夢をご覧になったのだと思っていました。いやぁ、「一本とられた!」っていう感じです(笑)。

それにしても、面白い表現方法ですね。「夢で見た」というスタイルですか…。

私は仕事ではもっぱら論説文ばかりを読んだり書いたりしておりますが、“フィクション”を使った文学表現には、論説文にはない、読者をその世界にグイグイ引っ張っていく力がありますね…。これって、一体何なのでしょうか? フシギです……。

そう思って、『生命の實相』頭注版第32巻「宗教戯曲篇 下」の序に書かれている、谷口雅春先生の芸術創作論(「自然と生命と芸術」)を読み直してみました。ナルホド…と一方では思いつつも、他方ではやっぱりまだ、「この魅力って、一体何なんだ?」という疑問が、まだぬぐえませんでした。

そこで、今度は『叡知の学校』299ページの「訳者から一言」を読み直してみましたら、ようやく少し合点が行ったような気がしました。考えてみれば、心の中の出来事の方が先で、いわゆる「現実」なるものは、いや現象は、本当はその「コピー」にすぎないのですものね…。

それに、創作の方が想像力を掻き立てられるので、その意味でも読者は魅力を感じるのかもしれないなぁ、とも思いました。現実、いや現象を忠実に分析しようとする科学的な論説文よりも、芸術的な創作の方が、読者は心の解放感を味わえるのだろうと思います。

かといって、まったく荒唐無稽なフィクションにとどまるとしたら、それはおそらく面白くないのであって、「創作を通じて人生の“真実”を語る」ということが要求されるのでしょうね。作者としてはそこが腕の見せ所といったところでしょうか?そういう意味では、神話も、壮大な「創作による真実物語」なのかもしれませんね。

それはそうと、今回の『イミシン』も面白い作品ですね。「小さな命を生かすには…?」という公案をいただいたような気がします。

殺すのはいけないし、かといって、「処を得る」ことも必要ですし…。いやぁ、奥深いですね(笑)私はいつも、殺さないようにして追い払うよう心がけてますが…。

山中 拝

投稿: 山中 | 2005年12月23日 21:47

合掌。雅宣先生、こんばんは。冒頭から身を乗り出すようにして読んでしまいました。東京在住のヤングミセスでお世話になっている米山恭子と申します。
この主婦の気持ちすごくよくわかります。主婦の仕事は24時間、精神的には休みなしです。うっかり休んでしまうと(ぼーっとしてしまったりとか)なにか罪悪感が伴います。
区切りがないというか、家事、育児に関してはcloseがないので、仕事を持っていても、家でも仕事。さらに子育てと仕事を両立しようとする事にも、バッシングもあり、自分もそのたび迷います。(でも子供の学費のためですが。)
白い虫、そのままにしておけば置いたで、立ち上がるまでずっと見え続けるのでしょうか。
座っていてはいけないという、切迫感を感じますね。彼女から。
先生も存在そのものが公人のような私人のようなお方ですよね。どのように切り替えていらっしゃるのか、伺ってみたいなと思いました。
寒いのでお体をお大切になさってくださいませ。
米山恭子拝

投稿: 米山恭子 | 2005年12月24日 22:44

米山さん、

>>先生も存在そのものが公人のような私人のようなお方ですよね。どのように切り替えていらっしゃるのか、伺ってみたいなと思いました。<<

 あまり意識していないんですが……。あなたにとって、ブログを書く私は「公人」ですか、それとも「私人」のように見えますか?

投稿: 谷口 | 2005年12月27日 18:11

雅宣先生。
コメントのコメントにドキマギしております。
失礼があったらすみません。直感で言葉にしてしまうたちなのです。
ブログでは私人と見えています。だからこうしてコメントなどもさせていただけるのですよね。
(さすがに絵文字は使う気になれませんが…それと名前呼びなども出来ませんし、やっぱり公人の尊敬する先生という気持ちも当然あるのです。)

ただ「先生が先生ご自身であるというのは、どんな気持ちなのだろう?」と、ふと思いをはせてしまいました。それほど先生のご文章、とりわけこのショートストーリーは様々な想像力をかきたてる力があったのだと思います。
ブログの内容全体も広い地図を見ているようで興味深いです。次はどこのテーマの話かな、とか。
これからも楽しみに読ませていただきますね。ありがとうございます。
米山拝

投稿: 米山 | 2005年12月27日 23:52

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