科学者の倫理性 (5)
韓国のファン・ウー・ソク教授によるES細胞研究をめぐる疑惑は、どうやら最悪の事態にいたりそうな情勢だ。同教授の“先進的”研究自体がニセモノであったと本人が同僚に語ったという韓国発のニュースが、今朝から世界中を駆け巡っている。もしこの話が事実であれば、13日の本欄で「そういうことはない」と書いた私は、ナイーブすぎたと認めなければならない。ただ、“渦中の人”である同教授自身がその事実を人前で認めていない段階だから、日本の報道にはバラツキがある。16日の『産経新聞』の見出しは「ES細胞存在せず」と断定しているが、『朝日』の方は「ES細胞、存在せず?」と疑問符つきの見出しだ。また、正午のNHKニュースでは、「……の疑いが出ている」という抑えた表現になっていた。が、周辺状況から判断して、どうやら“限りなく黒に近い灰色”のようである。
しかし……一体なぜ? という疑問が、私を含めた多くの人々の胸中に渦巻いているのではないか。真っ先に考えられるのは、名誉欲だろう。「世界初」とか「世界最先端」という地位を得るためには、多少のデタラメもいいだろうと考え、専門家の目に晒されることが分かりきっている場--世界有数の科学誌--にニセの論文を提出した……私には、その“愚”を愚だと感じなかった理由が、正直言って理解できない。日本の偽装建築士の場合は、「専門家の目に晒されても分からないだろう……」と考えてやったフシがあるが、ファン教授も同様の精神状態だったということか。発覚後は両者とも“病気”を理由に引きこもっているようだが、家族や関係者はもちろん、被害者がいる場合には、社会全体に対する責任は“病欠”ではすまされない。自分のウソにより、そういう深刻な事態がいずれ引き起こされる可能性について、事前に熟慮できなかったことは極めて残念である。今後、自らが撒いた種の“収穫物”を刈り取ることになるのである。
15日付の『ヘラルド朝日』紙は、ファン教授の問題の論文の25人の執筆陣の1人である、ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン教授(Gerald Schatten)が、ファン教授に対してその論文を撤回すべきだと発言した、と報じている。その理由は、論文にはニセのデータが使ってある可能性があるからという。記事中に引用されているシャッテン教授の言葉では、「すでに発表された数字や表を、新たに分かった問題情報に照らして注意深く再検討したが、今や論文の正確性について相当程度の疑いをもつようになった」というのである。このシャッテン教授は、ファン教授が研究で使った卵子の入手方法について倫理的問題があったとして、共同研究者の関係を絶ったことをすでに発表している。
今回のニュースの発端となったのは、同じ論文のもう1人の共同執筆者であるロー・サンイル氏が、ファン教授の病室を見舞った際、ファン教授から直接告げられたとして発表したことだ。つまり、共同研究者のうち2人までが論文の信憑性を否定しているのだから、ファン教授の研究内容自体に問題があることは事実、と推測できる。今後は、ファン教授の態度表明を受けて、韓国政府や『Science』誌がどのように対応するかが焦点になってくる。しかし、それにしてもこの話は、科学者も“普通の人間”であることをいたく教えてくれている。科学技術の発展を、専門家だけに任せておいてはいけない所以である。
谷口 雅宣
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