麺の起源
10月に入って麺類--特にうどん--を食する機会が多い。その理由は、生長の家の講習会のために2日に群馬県へ行き、8日には秋田県へ行ったからだ。東京にいると幸いなことに、その気になれば日本全国の名産をデパートやスーパーなどで入手することができるが、私たち夫婦のように各地を巡るのが仕事になっていると、かえって“その気”にならないものである。だから、旅先ではできるだけ当地の名産を食するようにしている。
そこで群馬では「水沢うどん」、秋田では「稲庭うどん」をいただいた。私はどちらかというと太い麺が好きで、長崎で皿うどんを食べるときも、細麺と太麺がある中で太い方を注文する。しかし、秋田でいただいた細めの稲庭のざるうどんも、なかなかコシがあっておいしかった。水沢うどんは、13日の本欄で書いた「山採りきのこのうどん」に使って、これまたおいしくいただいた。私たちの山荘のある山梨県大泉町ではソバの栽培が盛んだが、12日の夕食はそこの藤野屋という手打ちソバ店で「山のキノコそば」というのを食べた。妻は「天ざる」だった。
我々日本人の中では、うどんもソバもラーメンも「当たり前」の食事だが、西洋人の中には麺をうまく食べられない人がいるという話を、何かの本で読んだことがある。その理由は、長いものを吸って食べるという経験を子供の頃にしたことがないからだという。イタリアに数多くあるパスタのことを考えるとちょっと信じられない話だが、そう言われれば、パスタをフォークで巻いて食べれば吸う必要はない。また私は、パスタを汁ソバのように食べることがあまりないのは、ズルズルと音が出てマナー違反になるからだと考えていたが、「吸う食べ方ができないから」ということになると、何か不思議な感じがする。(もっとも、ミネストローネ・スープなどには麺が入っているのだが……)
「麺は中国人の発明」というのが定説になっている。ものの本によると、中国語で「麺」と書くと、もともとは小麦粉を意味する。その小麦粉を水などを混ぜてこねたもを「餅」(へい、日本語ではモチと読む)という。これを料理の際に蒸すのが「蒸餅」、焼くのが「焼餅」、ゆでるのが「湯餅」、揚げるのが「油餅」だ。唐の時代(618~907年)の記録にそうあるらしい。このうちの湯餅を細長く切ったものを「切麺」(せつめん)と呼び、この料理法が発達して麺類ができたらしい。一方、パスタのはじまりは14世紀初頭、探検家のマルコ・ポーロが中国からもち帰った麺が元祖で、それを真似て、南イタリアでとれる硬質小麦を使ってパスタを作り出したという。そのパスタの代表格であるスパゲッティとマカロニが、日本には1893年(明治28)に入った。当然、うどんもソバも日本には存在していた。
こういう麺の歴史を考えてみると一時、広告コピーが元で流行った「中国三千年の幻の麺」などという言葉が。「白髪三千丈」式の誇張のように聞こえる。ところが、事実は中国の麺の起源はもっと古いということが、最近わかった。10月15日付の『NewScientist』のニュースによると、このほど中国の黄河の川底から細い黄色い麺が入った壺が発見され、その古さを測定したところ4千年はたっていることが分かったという。私は、上に書いた中国起源説を平凡社の『世界大百科事典』で見つけたのだが、人間の知識というものはまだまだ不完全だということを思い知ったと共に、「西洋人は麺を吸えない」という俗説をますます怪しく感じるようになった。
谷口 雅宣
【参考文献】
○『全集・世界の料理3 イタリア』(小学館、1970年)
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