« 天災はなぜ起こる | トップページ | 科学と原理主義 »

2005年10月17日

受精卵を壊さないES細胞の道

 9月5日の本欄に書いた「ES細胞は“劣化”する」という文章に、生長の家本部の職員であるメイ利子さんから、コメントがついた。各新聞が10月17日付の紙面で一斉に報じた「受精卵を壊さずにできるES細胞」の開発に関してのものだ。メイさんのコメントへのコメントという形で、私の考えをそこで述べてもいいのだろうが、重要な進展と思われるので、注目度の多い新規文章として、ここで述べてみることにする。

 まず、彼女のコメントを再掲しよう:

ES細胞:米チームのマウス実験 受精卵を壊さず作成」という記事を見つけました。既にご覧になっているかもしれませんが、トリビューンのネット版ではこちらです。これによると、受精卵の細胞が8つに分裂した段階でそのうち1つの細胞を別のES細胞と一緒に培養して、神経や臓器等を作ることが可能であるとし、残りの受精卵も母マウスの体内に戻して順調に生長して赤ちゃんマウスが誕生したとのことです。記事では、これは受精卵を犠牲にしないので、倫理的な問題はクリアできると前向きに評価していました。でも、ES細胞が劣化するのであれば、それほど画期的発見ではないように思いますが、どうなんでしょうか?いずれにせよ、こうした技術が一般化する社会がもうそこまで来ているのかと思うと複雑です。

 ご存じのように私は専門家でないので確定的なことは言えないが、記事を読んだ限りでは「画期的進展」のように思われる。受精からまもない初期段階で受精卵の一部を取り出し、そこからES細胞を得ただけでなく、一部を削られた受精卵を生かしたままで成長させ、代理母に移植して子を誕生させたからだ。これによって「ES細胞を得るためには受精卵を壊さねばならない」という従来の前提が覆ってしまった。この研究には、もう一つ“画期的進展”がある。この方法によれば、子(赤ちゃん)が誕生したときに、その子のES細胞も用意するということが可能になるからだ。この点を『産経新聞』に載った共同通信の記事は、次のように書いている--
 
「赤ちゃんとES細胞はもともと同じ受精卵から育ったことから遺伝子は同じ。このためES細胞を凍結保存しておけば、将来、けがや病気で治療用の細胞や移植用の臓器が必要になった場合に、拒絶反応なく利用できることになる」。

 まず最初に強調しておきたいのは、これはあくまでも「マウス」を使った研究であるということだ。人間はマウスより複雑だから、マウスで成功したことが必ず人間で成功するということにはならない。ただし、「可能性が開けた」とは言えるだろう。で、その可能性が人間で実現するとどんな結果をもたらすかを考えると、複雑な気持になる点は、私はメイさんと同じだ。

 いろんなことが考えられるが、一つ考えられることは、誰がこのようなES細胞の利用を決定するかが問題になる。成人が自分の治療のためにES細胞を利用しようと思うときには、自分と遺伝子が同一なES細胞は存在しないのである。そういう意味では、「将来の利用のため、自分のES細胞を誕生の時点で用意しておく」ということは、純粋に理論的な可能性にしかすぎない。言い方を変えれば、そういう意思決定は本人の誕生前にしなければならないということだ。だから、現実問題としてそういうことが可能なのは、医師か、あるいは誕生してくる子の親のいずれか、ということになり、しかも「深刻な遺伝病を発病する可能性のある子」が生まれてくるとき、などというごく例外的なケースに限られるだろう。
 
 もっと普通の場合でも、この技術は利用できる。それは、すでに存在しているES細胞の遺伝子を患者のものに組み換え、それを治療に使うという方法である。恐らく、この方法の利用が主となっていくだろう。しかし、このような高度医療技術を使える人は相当な経済力をもっていなければならないだろうから、先進国のリッチマンばかりが恩恵を受けることになる。そして、治療対象者は若い人よりも老人の方が多いのだから、老人が他人の受精卵の一部を(無断で)利用し、自分の寿命を延ばすために使うことになる。こういう点に、私はやはり倫理的問題を感じるのである。

谷口 雅宣

|

« 天災はなぜ起こる | トップページ | 科学と原理主義 »

コメント

谷口 雅宣 先生
私のコメントを再掲して下さり、感謝申し上げます。(実は、文章全体に「リンク」の線がかかって見苦しい文章になったことに後で気づいて、取り消すこともできずに焦っていました!)先生のご指導のお蔭で、釈然としなかったところがすっきりしました。ありがとうございます。ところで、柳沢桂子さんというサイエンスライターがおられます。この方は遺伝子研究者でしたが、難病を患って36年以上闘病生活を送っておられます。しかし、その体験を通して、科学者として「生命」とは何かを追究され、沢山の著書を出されています。その一つ『生きて死ぬ智慧』は「般若心経」を科学者として現代語で解釈した本で、40万部も売れているそうです。 この作品では「いのち」の根源を「粒子」と翻訳し、 仏教と科学の共通点を上手に表現していると評価されているようです。柳沢さんが3年ほど前に、NHKの人間講座で、「生命の未来図」という番組を担当され、最後に仰っていたことは、科学の発展が人間の欲望を実現する時代を予見して、高度な科学技術の暴走を憂慮し、肉体的な「長寿」が決して人間の幸福ではなりえないこと、科学者が謙虚さと良識をもつ必要性をうったえていました。彼女のような科学者にもっと声を上げて頂きたいです。  
メイ 利子拝

投稿: メイ 利子 | 2005年10月18日 16:31

谷口 雅宣 先生、 メイ 利子さん:

生まれる前に自分の病気の予想をして、それに対応するためにES細胞を準備しておくということ自体がとても不自然に思います。それも「生命」という人間にとってはとても未知なものに対して、分かりもしないのにほんの一部を知って全体像を知らないのに、自分の都合でどんどん使用していくのは、決して賢明な行為とは思えません。もちろん、その方法しかないと思いこんで唯一の希望のように扱ってしまうのかも知れませんが・・・。

メイさんが紹介していた方のような科学者も結構いるのではないかと思います。中村桂子さんという人は『「生きもの」感覚で生きる』という本の著者ですが、ある雑誌のインタビューで「分析して分かることは一面にすぎません。昔の人はDNAを知らなかったけれどお釈迦様は、生き物はみんなつながっているとおっしゃっている。直感ですね。今DNAを調べると、『すべての生き物はつながっている』と自信を持って言えます」と言っている。そして「死ぬということは、生きるということの反対ではありません。『死ぬ』は、『生きる』の中に入っている・・・生き物は生まれるものであって、作るものではない」とも言っています。

川上 真理雄 拝

投稿: Mario | 2005年10月19日 01:15

メイさん、

 柳澤さん訳の『般若心経』を読まれましたか? 私は本屋でちょっと立ち読みしかけましたが、何か「ちょっと違う」という感じがしてやめました。でも、彼女は科学者ですから、科学者としての感受性と、自らの体験からの翻訳なのだろうと思います。

 こういうように、一般人が仏典を翻訳するというのは、新しい展開のようで、興味があります。

投稿: 谷口 | 2005年10月19日 10:54

川上さん、

 中村桂子さんの情報、ありがとうございます。彼女の主唱する「生命誌」の考え方が今ひとつよく分からなくて、中断していました。
 科学者も人間であることに変わりないので、自らの「心」との対話が必要なのかもしれません。

投稿: 谷口 | 2005年10月19日 10:57

谷口 雅宣 先生
柳澤さんの『般若心経』は、なんとなく暗い印象を受けたので(絵がオドロオドロしかったせいかもしれませんが)立ち読み止まりです。今月NHKのBSハイヴィジョンで『般若心経の智慧』と題した柳澤さんの番組が放映されていたので、そちらを見ました。その後、彼女の生い立ちや境遇の方に興味を持ったので、『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』を読みました。彼女の解釈では、科学者として物質なしを説きつつ、「神」「仏」はあると思うけれど、それは全人類の「脳」に最初から組み込まれているもので、人間の成熟度によってその「部分」が徐々に鮮明になるのだろう、というようなことを仰っていました。一科学者として、ご自身の境遇との折り合いを、「現象生命」からほんものを見つけることにおかれているように感じて、科学者も同じ一人の求道者なのだと思いました。そこで、(こういうことはめったにしないのですが)思い切って、谷口雅春先生ご著書『あなたは自分で治せる』とブック型『聖経』を手紙を添えて送りました。同著の「般若心經講義」 を読んでいただければ、今おかれている苦しみから解放されるきっかけになればと思いまして...。ご本人にちゃんと届くといいのですが。 
メイ 利子 拝

投稿: メイ 利子 | 2005年10月19日 13:20

川上 真理雄 さんへ

お久しぶりです。中村桂子さんのことは名前だけは知っていましたが、まだ著書を読んだことはありません。いつか読んでみたいです。それにしても、同じ「桂子」さんなんですね!科学の世界では女性研究者が少ないと言われますが、生命科学の分野は女性にあっているのかも。私のきっかけは柳沢桂子さんの著書でしたが、賛否両論ありながら、科学者が般若心経を訳したことが話題となったことから、科学技術や科学的思考が発達した現代においても人は神や仏を求めていて、科学に答えを見つけられるのかもしれないという期待を与えたのかもしれないと思いました。 私も日々勉強中ですが、科学と宗教の関係を正しく伝えられるようになりたいと思っています。  
メイ 利子

投稿: メイ 利子 | 2005年10月19日 13:38

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 受精卵を壊さないES細胞の道:

« 天災はなぜ起こる | トップページ | 科学と原理主義 »