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2005年10月 3日

夫の死後に妊娠する

 先月29日に東京地裁であった生殖補助医療をめぐる判決には、いろいろ考えさせられた。新聞報道によると、内縁関係にあり、精子の凍結保存をしていた男性が病死した後、相手の女性が体外受精で女児を妊娠・出産したケースが問題になっており、この場合、産まれた女児を生前の内縁の夫の子として認知することはできない、との判決が下ったのだ。問題を複雑にしているのは、同様の例でのこれまでの司法判断に“揺れ”があるということだ。2003年に松山地裁が出した結論は、原告の女性の訴えが否認されたのに対し、翌年、上級裁である高松高裁は女性の訴えを認める逆転判決をしている。

「子供がほしい」という女性の願望の切実さは、男性の私には完全には理解しきれないものがあるかもしれないが、切実な願望はすべて満たされなければならないと安易に結論することはできない。かつて日本でも、60歳にして初産をした女性がマスメディアで話題になり、私も『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)や本欄の前身である『小閑雑感 Part 3』(2003年、世界聖典普及協会刊)で取り上げたことがある。この人の場合は、加齢のために自分の卵子は使えず、渡米して他人の卵子の提供を受け、体外受精した受精卵を自ら妊娠するという方法を使った。このような不妊治療にかかる費用や肉体的・精神的負担を考えると、それを押してまで「子を産みたい」と思う彼女の切実さは推測できる。しかし、「願望が切実だから」というだけでは、ある行為が倫理的、宗教的に正しいとは言えないのである。

 卵子提供による高齢人工妊娠に関しての私の考えは、上記2冊を参考にしてほしいが、今回の東京地裁の判決に関しては、2つの要素が重要だと思う。1つは、夫の意思であり、もう1つは子の意思である。第1の点については、東京地裁は仔細に検討した結果、「夫の同意があったとは言えない」と判断した。第2点について、裁判所は「子の利益」という観点から考慮しているらしが、新聞記事からは詳しいことは分からない。ただ、現行法の不備を指摘し「女児が健やかに成長していくために国や社会として可能な限りの配慮をしていく必要がある。急速に進展する生殖補助医療について早急な法整備が求められる」(『朝日』)と述べていることは当然だろう。

「当然」と書いたのは、凍結精子を使った出産は、わが国では40年以上も前から行われているからだ。にもかかわらず、その正しい方法を定めたり規制する法律が存在しないというのは驚きである。これは、生殖補助医療の全般について言えることだが、現在のやり方は、「親の願望」を重視することに傾いていて、(まだ産まれぬ)「子への配慮」が足りないように思う。この場合の「子」とは、「胚」や「胎児」の段階にある者も含んでいる。不妊治療では、多数の受精卵を“予備”として作ったり、多胎妊娠が起こることが多い。宗教的には胚や胎児は「人間」であるから、それを“予備”として作ったり、不要となったら“廃棄”したり、多すぎる場合は“減数手術”して捨て去ることは、決して誉めるべきことではない。今回のケースでも、受精卵に対するそういう粗末な扱いがあったことが推定されるのである。「父のいない子」を産む可能性についてどれだけ考慮したかという点でも、疑問が残る。

 また、今回の判決は「夫の同意なく子を作った」と認定したようだが、そういうことが今日の技術では可能なのか、と改めて驚いた。冷凍技術が発達した現代では、精子のみならず、卵子も受精卵も半永久的に凍結保存できるのである。その場合、純粋に技術的に言えば、夫だけでなく、妻の同意もない妊娠と出産も可能なのだ。同意どころか、受精卵を作った男女が死んだあと、無関係の誰かがその受精卵を妊娠して子を産むこともできる。社会的な合意をもっと早急に確立し、「ここから先は、技術的に可能でもしない」ときちんと“線”を引く必要がある。日本不妊学界は2003年に作ったガイドラインで「本人が死亡した場合、凍結精子は直ちに廃棄する」との見解をまとめたそうだが、今回のケースはこの合意が守られなかったことになる。早期の法律の制定が望まれる所以である。
 
谷口 雅宣

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