鳴子コケシ
明日(23日)の日曜日に宮城県を対象とした生長の家講習会が仙台市であるので、午後東京を発って仙台へ来た。宿泊は、仙台駅前のホテル。前回こちらに来たときは青葉城址まで足を延ばしたが、今回はすぐにも降り出しそうな天気なので“インドア散歩”を決め込んだ。東北最大の都市だけあって、広告サインに見る企業名も店名もブランド名も、東京の新宿や渋谷とあまり変わらない。地下街も歩道橋も立派なものだ。我々のような旅人にとって、これでは旅をしている気になれないから、少し残念である。そんな理由もあって、ローカル色豊かな「仙臺みやげ館」という土産物コーナーへと足が自然に向かう。片側の壁いっぱいに、コケシが陳列されている店があった。普段はコケシなどに興味をもたない私だが、一見、同じように見えるコケシにも形や色、模様の描き方などに色々な違いがあることを知る。店の棚に置いてある札には「○○系」などとコケシの種類の別が表示されているのも興味深い。
宮城県に来たのだからということで「鳴子コケシ」を買った。並んでいるコケシの中で一番素朴で、木の色が美しく、色使いがシンプルだったからだ。コケシが明治維新以前から作られていたのは東北地方だけだというから、東北が発祥のようだ。温泉の土産物として売られていたという。子供の玩具として作られていたらしいが、この手も足もない人形は当初、何のために考案されたのかと思う。コケシの起源については二説あるそうだ。一つは「固有玩具説」で、当初から「おしゃぶり」のように、子供の玩具だったというもの。山奥の木地屋が暇のときに自分の子供のために作ったものが進化したと考えるのだ。もう一つは「信仰玩具説」で、宗教的儀礼で使っていたものが玩具になったと考える。宗教の世界では縄文時代の「土偶」に始まり「人形」や「人型」がよく使われるから、こちらの説もうなずける。
そんなことを考えていると、引き目・鉤鼻のコケシの顔が何となく神秘的に見えてくる。コケシを買ったとき店員がくれた栞によると、東北のコケシには、この「鳴子」のほかに土湯、弥次郎、遠刈田、木地山など何種類もあり、土湯は「枯淡」の趣、弥次郎は「豊饒」な感じ、遠刈田は「華麗」で、木地山は「素朴」な味が特徴だという。そして、鳴子コケシは「清楚」な感じで、「初々しいみちのくの山あいの娘の雰囲気がにじみ出ている」のだそうだ。仙台の駅ビルでは大勢の若者がショッピングやデートを楽しんでいたが、化粧もファッションも東京の若者と変らないように見えた。もっとじっくり観察すれば、そんな「初々しいみちのくの娘」が発見できるのか。それとも、コケシのような娘は、もう昔話の世界にしか住んでいないのだろうか。
駅ビル内に、今どき珍しいサイフォン・コーヒーの店があったので、妻と入った。わが家では毎朝、サイフォンでコーヒーをいれる。専門家のいれ方から学べるかもしれないと思い、カウンター席に座った。ついでに、買ったばかりのコケシを出してスケッチした。
因みに、宮城県の伝統コケシには11の系統があるとか。鳴子コケシの生産地は玉造郡鳴子町、遠刈田コケシは刈田郡蔵王町遠刈田温泉・川崎町青根温泉など、弥次郎コケシは白石市が生産地で、その他、仙台市近郊では作並系、肘折系などのコケシが生産されているという。詳しくは、宮城伝統工芸ネットワークのサイトを参照されたい。
谷口 雅宣
| 固定リンク
« ネコとの共存 | トップページ | ハリケーン「α」 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント