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2005年10月 9日

心で世界をつくる

 秋田市で行われた生長の家講習会で「現象世界は心でつくる」という話をしたら、33歳の女性の方から「現象世界は万物の霊長である人間の心だけでつくられるのか、それとも動物の心も世界をつくることに関与するのか」という内容の質問をいただいた。これは、簡単に答えるにはなかなか難しい内容なので、説明しているうちに予定の時間をオーバーしてしまい、あわてて中途で回答を打ち切ってしまった。当初から予定していた主題の講話をしたかったからだ。そこで、このとき説明が不十分だったと思う点をこの場で少々補ってみたいと思う。
 
「世界をつくる」という表現は、一個の不変堅固な「客観世界」なるものが実在していると考えている人からは誤解されることがある。現代人は普通、学校でそういう考えを教わるから、それが常識になっている。その常識では、この堅固不変の「客観世界」は、人間の心や考えなどとは直接関係がなく、またそれらから影響されることのない“実在”だと思われている。ところが、「心が世界をつくる」と言うと、物理的には質量やエネルギーを測定できない、何か得体の知れないフワフワした「心」が、どこか目に見えない別世界から不思議な作用をして「客観世界」に決定的な影響を及ぼす--こういうイメージで捉えられやすい。これだと、心と関係のない堅固な客観世界が心によって影響されるということになるから、初めから論理的に矛盾してしまい、理解されないのである。そこで、講話の中で私が言いたかったのは、まず常識的に想定されているこの堅固不変の「客観世界」の存在を疑え、ということだった。

「空は何色ですか?」という質問を発したのは、そういう意図からである。秋田地方は昨夕から夜にかけて雨が降ったから、夕方の空は「灰色」だった。しかし、講習会当日は秋の青空が雲間からよく見える晴天となった。そういう時の空は、文字通り「空色」である。では、本当に空は空色かどうかを考えてほしい。人間の感覚によれば、空がある条件下で「空色」に見えるというのは事実である。しかし、だからといって空が「客観的に」空色であると考えるのは間違っている。空は、明け方や夕暮れ時など、人間が見ている目の前で刻一刻と色を変える。その色のどれが「本当の空」の色であるかを考えるのは無駄である。なぜなら、我々人間は「本当の空」を見ることはできず、さらに言えば、「本当の空」などというものも存在しないかもしれないからだ。

 また、地上に生きるおびただしい数の生物の中で、人間のような色覚をもっているのはごく少数にすぎない。オランウータンやチンパンジーなどの高等な霊長目を除いて、哺乳動物のほとんどは「色」のついた世界に生きていない。それは、「彼ら」の感覚が劣っているのではなく、人間とは違った感覚をもっているために、その感覚に相応した世界に生きているだけである。人間の肉体は確かに精巧な感覚器官を装備しているが、それでも、他の生物に感覚されて人間には感覚されない物理・化学的信号はおびただしく存在する。ネコやミツバチの視覚、イヌの嗅覚、鳥類の平衡感覚、化学物質を感知する植物やバクテリアの感覚などをもし人間の肉体が備えたとしたならば、我々は今見慣れている世界とはまったく異なる世界を経験することになるだろう。そういう意味では、「感覚が世界をつくる」と言ってもいいし、「脳が世界をつくる」と言っても間違いではないだろう。

 こういう事実を思い起こしてみると、我々が感覚によって捉える「現象世界」というものは、常識的に想定されている“堅固不変の客観世界”などではないことが分かるだろう。それぞれの生物種にそれぞれ固有の感覚器官があるのだから、「現象世界」は生物種の数だけが存在する可能性がある。また、同一種である人間の感じる現象世界だけを考えてみても、それぞれの人間の「感覚」や「脳」や「心」の状態には違いがあるだろうから、「一個」の堅固不変な現象世界が存在するのではなく、厳密に言えば、互いに微妙に異なった現象世界が人類の数だけ存在することになる。そうすると、最初の質問に対して、どういう答えをすべきかの方向性が理解されるのではないか。

谷口 雅宣

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