ヒガンバナの教え
東京・原宿の生長の家本部会館のホールで「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が行われた。私は「奏上の詞」を読み、挨拶をさせていただいた。都内の交通量も少なかったが、遺族の方々の出席数が例年より若干少ないように感じたのは、連休の初日であったためかもしれない。
以下は、私の挨拶の概略である:
皆さま、本日はお忙しい中、よくお参りくださいました。有難うございます。
今日は幸い関東地方は好天に恵まれましたが、世界では巨大ハリケーンや台風の到来におののいている人々も大勢いるというのは、大変残念なことであります。地球温暖化が進むにつれて、台風やハリケーンが大型化し、破壊力を増す傾向にあることが最近、専門家などから指摘されています。海水の表面の温度が上がると、暴風雨の規模や力が増すというのです。気象学的にはそういう説明になるかもしれませんが、私は、これは「心の法則」の一つの例証だろうと思うのであります。
心の法則の中には「動反動の法則」というのがあって、「与えよ、さらば与えられん」「奪うものは奪われる」などと表現されることがあります。地球温暖化の最大の原因は、人間がエネルギーや資源を得るために化石燃料を燃やすということです。人間は化石燃料を掘り出して使う前には、地上に生えている樹木を切り倒して家を建てたり燃やしていた。それが足りなくなったため--つまり、その時地球上で共に生きている植物から奪うこと、そして植物に頼って生きてきた動物からその食糧や棲みかを奪うことをしても、さらに足りなくて--太古の昔に栄えた生物の死骸を、地中の奥深くから掘り出して燃やすことを始めたわけです。
こうして「人間以外の生物から奪う」ことを続けてきた人類はいま、生物ではない「気象変動」や「地殻変動」の力によって生命や財産を奪われるという事態に遭遇している。もちろん台風やハリケーンは昔からあったが、最近はその破壊力が増大している。その理由の一つが地球温暖化、あるいは海面水温の上昇にあるということです。このことから、私たち地球上の存在はみな互いに深く関連して「一体」をなし、心の法則に支配されていることが分かるわけです。「奪うものは奪われる」のです。だから今後、人類は心の法則を正しく利用して、人間以外の生物からも「できるだけ奪わない」生き方を開発し、推し進めていかなければならないのです。
さて、話は変りますが、今日はお彼岸の中日です。
自然界ではお彼岸が近くなると、何の痕跡もなかった土からでもヒガンバナが芽を出し、ぐんぐん伸び、ちょうどお彼岸の時に花を開かせる。私の家の庭でもヒガンバナが満開です。今年は、白いヒガンバナがたくさん咲いた。昨年は赤も同時期に咲きましたが、今年は彼岸の中日には遅れてしまい、今は蕾の状態です。この花は秋の季語ともなっていて、俳句や短歌に表現されると、読む人の心に様々な情緒を生んでくれます。そういう意味でも、気候と自然の草花と人間の心、そして人間が形成する社会とは「一体」の関係であることが分かります。自然にも生命にも周期性があり、人生にも春夏秋冬があって、「青春」という言葉もあれば、「人生の盛夏」あるいは「濡れ落ち葉」というような、人生の一コマを季節に喩えた表現もあります。
このヒガンバナを見ていると、人生についてのある教示を感じます。これは「宿根草」なのです。地中に根が残っていて毎年、同じところから芽を伸ばす。そして花を咲かせた後に“枯れる”ように見えるが、それはヒガンバナの「死」ではない。また、次の年に同じような花をつけるからです。人間も一種の「宿根草」と言えます。それは実相世界に「根」を下ろした存在であるという意味です。ですから、我々は人生の1周期を経験すると「枯れた」ように見えるけれども、また時期が来れば、現象世界に芽を出して、ぐんぐん成長し、再び花を咲かせるのである。こうしてヒガンバナは、人間の生命が生き通しであり、何回も生まれ変わって学習することを教えてくれているのです。
谷口雅春先生の書かれた『真理』の別冊「生死を超える道」の中に、この「人間生き通し」の真理を哲学的にどう考えるかが詳しく説かれています。その中から、一節を紹介させていただきたいと思います:
次のことだけは間ちがいない。即ち来世がもしあるならば来世は現世と同様に、無限創造者(即ち神)によって“霊”を材料として創造されたのであるということであります。従ってそこは、それぞれの人々の魂の次なる段階の生活に完全に適しているということであります。そして、そこには現世と同じように「心の法則」が当てはまる、そこは因果応報の世界であって、現世で心の法則によって魂を訓練してきた者は、来世に於いても心の法則を適正に使用してよき環境をあらわし得るにちがいないのであります。(p.38)
今日、新合祀者として御祀りされた物故者の方々も、また皆さんも、生長の家の教え、「心の法則」を学びつつ魂を訓練されて来られた方々です。だから、霊界へ行かれてもきっとその教えを守り、心の法則を駆使して、さらなる魂の進歩・向上の道を歩まれることは間違いないと思います。また今後は、我々の守護神として、我々の運動の霊界からのよきアドバイザーとして導いて下さることと信じます。皆様も、これから益々信仰を深め、心の法則を駆使して人類光明化運動・国際平和信仰運動を推進し、現世での意義ある人生を歩まれることを希望いたします。
この彼岸会のよき日に際して、皆さまに感謝の気持を込めて一言ご挨拶申し上げました。ありがとうございます。
谷口 雅宣
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コメント
谷口雅宣先生
心の法則というものが現代の環境問題の根底にあるのですね。これからは人類以外のものからなるべく、奪わない生活をしなければならない・・・その事をカテリーナやリタは教えてくれるということですね。
霊界にも心の法則があり、私たちの祖霊はこの世界と同様に心の法則を通して魂を進化させ、人類光明化運動しているというお話はなるほどと思いました。
そう言えば、神奈川の相愛会の人が言ってましたがその方が生長の家の組織で人類光明化運動をしようと決意したら不思議とその方とその方の息子さんが本当だったら命を落とすような大事故に遭遇したのに助かったというお話がありました。そういうのも霊界からの人類光明化運動を支援して下さっている祖霊の働きなのではないかと思いました。
堀 浩二
投稿: 堀 浩二 | 2005年9月24日 13:25
谷口雅宣先生
生長の家本部・国際部アジア・欧州・大洋州課でお仕事をさせて頂いております森下紗由里と申します。生長の家本部には、2004年2月1日に奉職をさせて頂きました。
昨日の秋季慰霊祭では、来賓の方の接待をさせて頂いておりましたので、先生のお話を直接お聴きすることは出来ませんでしたが、ホームページにお話された内容を掲載してくださって大変ありがたく感謝しております。
「實相世界に根をおろした永遠生き通しの存在」である「魂」について、ご自宅のお庭に咲いたヒガンバナを例えにわかりやすく示して下さっていることに非常に感動致しました。
昨年の2004年2月末、父が末期の胃ガンということが判りまして、半年間入院を致しました東京大学医学部付属病院で8月に亡くなりました。
突然のことでしたので、現実を受け止めるのに非常に葛藤致しましたが、国際部の雪島部長も昨年のアメリカでの教修会、そして宇治別格本山の盂蘭盆供養大祭の直後でお忙しい中、長野県まで父の葬儀に来て下さったり、『生命の實相』18巻45ページに、永遠の魂の向上について説かれている文章を紹介して下さったりしながら励まして下さいました。他にも色いろな方の励ましを頂戴しながら、この1年を過ごすことが出来ました。
今年の6月に総本山での谷口雅春先生の20年祭に参列させて頂きましたが、先生が『希望を叶える365章』の文章を引用しながらお話して下さった内容にも非常に救われた思いが致しました。
そして、今回改めて、ヒガンバナの例えを通して、周期的に生まれ変わる「魂」について学ばせて頂くことが出来、大変ありがたく思っております。
余談になりますが、昨年の生光展に行かせて頂いたのがきっかけで、生長の家芸術家連盟の鈴木幸男先生と御縁を頂戴いたしまして、鈴木先生にご指導いただきながら、油絵を描き始めました。
絵を描くのは全くの初心者ですが、絵画や芸術の世界についても理解を深め、今後も楽しみながら描いて参りたいと思っております。
少し前に、先生も難波田龍起展に行かれたことをお書き下さっておりましたが、難波田龍起さんという方の存在は先生のご文章を通して初めて知りました。
私も4月にゴッホ展に行って参りました。時を経るに従い、ゴッホの作品の色づかいが変化し、また「点描」という独特の細かい筆のタッチで、日本の浮世絵をゴッホが模写しているのも大変興味深く感じました。
また、先生の新しいスケッチ、作品を拝見できるのを楽しみにしております。
投稿: 森下 紗由里 | 2005年9月24日 16:36
堀さん、
霊界でも心の法則が働くということは、我々現世の人間と霊界の住人との間にも、同じ法則が支配するということですから、「心が通じ合う」とまでいかなくても、例えば「親和の法則」が働いて、似たような心境の人のところに似たような心境の霊魂が来るし、その逆として、似ていない場合は、互いに反発し合うことになるのだと思います。
ですから、ある事件が「親和の法則」で起ろうとしている場合、「似ていない」心を霊が起すことによって、その事件から現世の人を遠ざけることはできるのかもしれません。
私の想像ですが……
投稿: 谷口 | 2005年9月24日 21:18
森下さん、
お父さまを亡くされて、大変でしたね。
鈴木さんが、貴女のことを話しておられたのを思い出しました。今年も出品されるのですか?
投稿: 谷口 | 2005年9月24日 21:22
生と死の問題は宗教の一大問題ではないでしょうか?
ところで、こんなのをみつけましたよ。
いのちの電話
http://www.inochinodenwa.or.jp/05-moyoosi06.htm
投稿: 紅林孝治 | 2005年9月25日 00:08
谷口雅宣先生
お返事を頂戴致しまして本当にどうもありがとうございます。
父は、私が4歳~7歳のころ、ニューヨークの癌研究センターで研究をしておりまして、日本に帰国後も臨床医として「癌」をライフワークとし、最期は自分自身も「癌」で亡くなってしまいました。
魂が抜けてしまった父の遺体と向き合いながら、人間が肉体ではないというのはこういうことなのかな~と複雑な気持ちで葬儀を迎えました。ですが、少しずつでも前向きに生きていかなければ!と思いまして、ずっと興味のありました「絵」を描くことにしました。
生光展には昨年初めて鑑賞に行かせて戴きまして、そこで鈴木先生に初めてお会いしました。昨年の生光展終了後の2004年11月から鈴木先生に絵のご指導をいただいております。
ですので、私は、生光展にはまだ一度も出品をしたことがありません。私より先に鈴木幸男先生に絵を習っていた、本部の職員の女の子3人が昨年の生光展に出品をしましたので、鈴木先生が、先生にお話をされたのはその子達のことかもしれません。
鈴木先生のところに通い始めて半年間、初めは毎回鉛筆でスケッチブックにデッサンの練習をしまして、途中から絵の具を使わせていただけるようになりました。本当に拙い絵ではありますが、油絵の具で「日本人形」と「黄色のバラ」の2点を小さい6号のキャンバスに描きました。
今回の生光展に向けて10号サイズのキャンバスに「フランス人形」の絵を描いておりましたが、細かいデッサンがまだ思うようにいかないことや、鈴木先生のご判断もあり、今年の生光展への出品は出来ませんでした。
話は変わりますが、私は山梨県の大泉村の近くにある長坂町の高校に通っておりました。大泉村、長坂町、小淵沢町、等の市町村で合同で経営している公立の高校ですが、高校のマラソン大会では大泉村の山道を走りました。
先生の別荘が大泉村におありになるということで、懐かしい地名を聞くことができまして、非常に嬉しく思っております。
東京での生活は便利ですが、人に溢れたあわただしい喧騒を離れ、時には大自然の中、時間を忘れてのんびりと、絵を描きたいな~とも思ったりもします。
投稿: 森下紗由里 | 2005年9月25日 14:53
森下さん、
人違いだったようで、スミマセン……。
そうですか、あなたは“北杜市”出身なんですね。この新しい市名、私にはまだシックリ来るませんが……。(笑)
投稿: 谷口 | 2005年9月26日 12:48
谷口雅宣先生
‘杜’という字には「やまなし」という意味があるのですね!大変勉強になりました(笑)
長野県諏訪市にある実家から、山梨県の“北杜市”まで、トコトコと電車に乗って高校3年間通いました。学校帰りに友達と、小淵沢から出ている一両編成の「小海線」という電車で清里に立ち寄ったり、“北杜市”の自然ならではの生活を楽しみました。
母も若い頃、大泉村に住んでいたことがあるそうです。大泉村に滞在されていたアメリカ人のご家族(ご主人はアメリカ人、奥様は日本人)が日本に滞在中、母も一緒に生活をさせていただき、その後アメリカでもホームステイをさせていただいたということです。
今、ご主人は亡くなってしまい奥様が、ワシントンD.C.にお住まいで、クリントン元大統領の奥様、ヒラリー・クリントン夫人ともお付き合いがあるそうで、一緒に映っている写真を先日、日本に一時帰国された際に見せて下さいました。
私自身、高校時代にワシントンD.C.、ニューヨークを訪れ、また映画「マディソン郡の橋」の舞台にもなったIowa州という田舎でホームステイをして以来、しばらく日本を出ていませんので、また、アメリカを訪れたいと思います。
ホストファミリーが1週間アメリカの色々な州をキャンピングカー連れて行ってくれましたが、アメリカの大自然は本当に壮大で、圧巻でした。
全く、勉強不足で環境問題の詳しい知識はありませんが、日本国内、アメリカのみならず、地球上の美しい大自然を大切に護っていきたいと心から思います。私達の業を清めて下さっている様々な自然現象にも感謝をしなければと感じています。
投稿: 森下紗由里 | 2005年9月26日 14:59