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2005年9月16日

痛みは心がつくる

 8月19日付の本欄で、『天使の言葉』の中にもある催眠による鎮痛法が今は病院でも使われていて、催眠中に痛みを制御することができることを書いた。ところがこの「痛みの制御」は、催眠など行わなくても覚醒した意識下で、心で“期待する”ことでできる、という実験結果が公表された。ウェーク・フォーレスト大学バプテスト医療センターで行われた実験で、9月初めにオンライン版『アメリカ科学アカデミー紀要』(Proceedings of the National Academy of Sciences)に掲載された。

 研究チームの中心となったテツオ・コヤマ博士は、「期待することは、痛みに対して驚くほど大きな効果を与えることが分かりました。積極的な期待は、痛みの感覚を28%ほど和らげます。これはモルヒネを打った場合と同じです」と言う。またチームの一員であり、神経科学者のロバート・コグヒル博士(Robert Coghill)は、「我々は何もないところに痛みを感じるわけではない。痛みというものは、傷ついた体の部分から送られてくる信号だけで起こるのではなく、そういう信号と各個人に特有な認知情報との相互反応から起こるものです」と言う。
 
「認知情報」(cognitive information)とは難しい言葉だが、「自分はこういう状態だ」と考えることを指すのだろう。自分が強い痛みを与えられていると考える人には、物理的な強さがさほどない痛みでも「痛い」と感じ、自分は弱い痛みを与えられていると思う人には、物理的に強い痛みでも「あまり痛くない」と感じるということだ。この実験で面白いのは、「痛み」の測定に被験者の主観的判断を使っただけでなく、それと同時にfMRI(機能的核磁気共鳴映像法)によって客観的に、被験者の脳の痛覚に反応する部分の変化を調べてみたことである。すると、被験者の積極的期待(つまり「痛くないぞ」という期待)は、主観的な痛さだけでなく、脳内の反応も和らげたというのだ。

 この「脳内の反応」を和らげるのに「エンドルフィン」と呼ばれる脳内化学物質が一役かっていると思われる。いわゆる“脳内モルヒネ”と呼ばれているものだ。8月24日付の医学誌『Journal of Neuroscience』(神経科学雑誌)には、ミシガン大学の分子行動神経科学研究所(Molecular and Behavioral Neurosciences Institute)で行われた「プラシーボ効果」の研究が発表されている。それによると、プラシーボ効果が起こる際には人間の脳内でエンドルフィンが生成され、これが痛みを和らげる効果を生むという。そのとき、被験者が「痛み止めの薬を処方された」と知らされれば、(実際はそうでなくても)痛みはさらに軽減するという。これを被験者の主観だけでなく、PETやMRIという装置を使って脳内の変化を映像化して客観的に確認した点が重要である。というのは、プラシーボ効果とは、単なる心理的(主観的)な感覚の違いだと考える人がいるからだ。しかし、この研究の中心となったジョンカー・ズビータ博士(Jon-Kar Zubieta)は、「脳の痛みに関する領域にエンドルフィン系が作用し、被験者が『痛み止めが処方された』と聞くとその活動がさらに増加し、さらに痛みは和らぐのです。心と体の繋がりは明白です」と言っている。心が物質を生成するのである。

 簡単に言ってしまえば、「痛いと思えば痛く、痛くないと思えば痛くない」ということだろう。こういうことは、我々も経験したことがあるのではないだろうか。「これから怪我をするな」と思って怪我をするのと、何の前触れもなく怪我をするのとでは、怪我の瞬間の痛みが違う。(怪我を見てしまった後は、また別だが……)前者の方が痛く、後者は痛くないことが多い。前回も引用した『天使の言葉』の一節--「物質にあり得べからざる痛苦を物質なる肉体が感ずるは、唯『感ずる』と云う念あるが故なり」--を思い出し、さらに『甘露の法雨』にある「感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず」という言葉を反芻してみよう。なかなか味わい深いではないか。
 
谷口 雅宣

出典:http://www.newswise.com/articles/view/514158/
    http://www.newswise.com/articles/view/513897/

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コメント

谷口雅宣先生

久しぶりに書き込みさせていただきます。
痛みは心によるというようなことを私も体験しました。
それは、左の手首の骨を折った時のことです。その時、大学生でアルバイトをしていたのですが、1.5メートルぐらいの所から体制を崩して地面に落ちてしまいました。最初は腕が折れたことに気がつかず、痛いというよりもしびれているという感じでした。救急車に乗せられ、思わず口をついて出た言葉が、“ありがとうございます”という感謝の言葉でした。“神様ありがとうございます”から始まり、お父さん、お母さんや、空気や水、等思いつくもの全てに“ありがとうございます”をつけて大きな声で無我夢中で唱えていました。そして、思いつくものがなくなり最後に行き着いた言葉が“実相円満完全”という言葉でした。その言葉を病院に着いても唱えていました。折れた腕を元に戻すために医者がその腕を一度外に引っ張って元に位置に戻すのですが、その時も“実相円満完全”と唱えており、痛いとは感じませんでした。結局家に帰るまで痛いという思いをする事がありませんでした。(しかし、家に帰ったその日の夜は痛くてうずきましたが。)
痛みを感じなかったのは気が動転していたこともあると思うのですが、感謝の言葉がもつ偉大な力と、痛みも心に関係しているということを実感しました。(長くなって申し訳ありません)

投稿: 田中道浩 | 2005年9月17日 10:54

田中さん、

 なかなかいい体験談じゃありませんか!
 「気が動転していた」から痛みを感じない、とおっしゃりますが、これも考えてみれば不思議な現象ですね。「気の動転」というのは一つの心の状態です。ある心の状態の下では、痛いはずのものが痛くないということは、結局、痛みは心の状態に左右されるということですから……。

 ところで、コメントいただいたエントリーには、あとから「プラシーボ効果」に関する情報を加えて補強しました。

投稿: 谷口 | 2005年9月17日 21:22

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