「知性による設計」論、法廷へ
8月の本欄で何回かに分けて(14、16、20日)、アメリカで台頭している「知性による設計」(intelligent design、ID)論のことを書いたが、進化論に対抗するこのID論を学校で教えるべきかどうかの審理が、ペンシルバニア州の法廷で始まった。9月16日付のアメリカの科学誌『Science』が伝えている。
訴えたのは、同州ハリスバーグ市のドーヴァーという学校区(生徒数3700人)の11人の親たちで、学校側が「ダーウィンの進化論には矛盾と問題があること」だけでなく、「ダーウィン以外にもID論を含めたいくつかの進化論があること」を教えるという方針を多数決で採択したことが発端となり、昨年12月に訴訟を起したという。ドーヴァー高校の7人の生物学教師は、この学校の方針に従わなかったので、今年の1月と6月の2回、学校側の他の教師が教室へ出向き、「ダーウィンの進化論は一つの理論にすぎない」という内容の文章を生徒を前にして読んで回ったという。
原告側の主張では、IDを教えることは一定の宗教を確立する行為だから憲法違反だという。そのことを主張するために、原告側は哲学や神学、数学、科学教育などの専門家、そして(本欄でも取り上げた)反ID論の尖兵であるブラウン大学の生物学者、ケネス・ミラー教授やカリフォルニア大学バークレー校の古代人類学者、ケヴィン・パディアン教授(Kevin Padian)など20人を超える証人を準備しているらしい。これに対し弁護側の証人は、現在は次の2人が予定されているという--リーハイ大学の生物学者、マイケル・ベヘ(Michael J. Behe)教授とアイダホ大学の微生物学者、スコット・ミニック(Scott Minnich)教授だ。
これによって進化論をめぐる科学論争が法廷で戦わされるのかどうか、定かではない。というのは、ID側の主張は、「ダーウィンの進化論は間違っている」とか「IDはすべての進化の現象を説明できる」という点にあるのではなく、「進化をめぐる理論はダーウィンの進化論以外にも存在しており、そのことを学校で教えるべし」という点にあるからだ。これは「IDを教えろ」という意味ではなく、「進化がどう起るかについては論争がある」ということを教えることだ。また、ドーヴァーの教育委員会も「ID論が正しい」としているのではないから、法廷では「どの進化論が正しいか」という科学論争にはならない可能性がある。
『Science』誌は、同教育委員会側が勝訴する可能性は少ないと見ているが、今後、アメリカの高校教育においては、進化を教える際にID論に言及するケースが増えてくる可能性があるようだ。日本では、ダーウィンの進化論のほかに今西錦司氏の唱えた自然淘汰によらない「棲み分け説」なども人気がある。いずれにしても、進化という現象を多角的に考えることは科学的にも意味のあることだから、「論争がある」という事実を高校で教えることに、私はあまり問題を感じない。アメリカの科学者たちは、ブッシュ政権の下でキリスト教右派と呼ばれる政治勢力が影響力を増していることと関係づけて、IDの台頭に警戒しているようだが、そんなに神経過敏になる必要があるのかどうか、私にはいま一つ疑問が残る。
谷口 雅宣
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コメント
ID論をめぐって進化論を公立学校でどう教えるべきかがアメリカで論争になっているという点については、English Journal誌2005年10月号にも載っていて、それを昨日の英会話学校・時事英語クラスでも習いました。
そのクラスで少しだけ議論したのですが、先生から「あなたが学校でダーウィンの進化論を教えられたとき、教師はそれを“事実”として教えたか、それとも“理論”として教えたか」と聞かれたので、「“事実”として教えられたように思う」と答えました。そのクラスでの議論の結論は「論争になっているいくつかの立場をすべて教えるのが正しい教育のあり方だろう」というところに落ち着きました。
今の日本の教育現場で進化論がどのように教えられているのかは知らないのですが、せめて今西錦司氏の「棲み分け説」ぐらいはダーウィンの説と並行して教えられていてほしいものだと思います。私自身は、理科の時間にダーウィンしか教えられた記憶がないものですから…。
それともう一つ、時事英語クラスの先生が教えてくれたのは、「『人間はサルから進化した』とダーウィンによって唱えられてきたけれども、言語能力の獲得がサルからの漸進的進化によってたしかに生じたことを示す証拠が、まだ骨として出土していない。それがいわゆる"missing link"だ」ということでした。
この"missing link"については、この専門分野では旧聞に属することなのかもしれないのですが、恥ずかしながら私は知らなかったので、大変興味深く聞いたことでした。人間はやはりサルとは質的に異なる存在なのだということを示すものとして、日本の学校でもちゃんと教えてほしいものだと思いました。
投稿: 山中 | 2005年9月30日 23:06
山中さん、
私は、学校で進化論をどう教わったかなど、あまり憶えていないのです。でも、厳密に言えば、「人間はサルから進化した」のではなく、「現在のサルと共通の先祖から分化して発生した」ということですよね。現象界に登場したのがそういう順番だというわけですから、実相を想定する場合はあまり驚くべきことではないのかもしれません。
投稿: 谷口 | 2005年10月 1日 12:08
アメリカABCのコラムニスト、ジョージ・ウィル氏の発言より、
自然科学があつかうべきもの
進化論は生命進化のメカニズムを自然現象的に説明しようとする仮説である。仮説とは実証可能なものでなければならない。新事実、新発見によっては、正しいとされていたものが否定される可能性を常に含んでいる。
知的設計論について
知的設計論は仮説ではなく、信仰であり、命題である。自然科学として扱うのは不適切。「進化の過程に神の意志が介在する」との主張は、超自然的であり、否定も肯定もできないし、実証もできない。進化のメカニズムを究明する自然科学の仮説とは全く違った土俵の上にある。思想・哲学、宗教の授業で扱うなら問題ないが、自然科学の分野として授業で(進化論と)同列に扱うべき問題ではない。
投稿: 松上浩士 | 2005年10月 5日 22:47
松上さん、
情報、ありがとうございます。
情報の“出典”が分かりませんか? つまり、いつどこでそう言ったかということです。
投稿: 谷口 | 2005年10月 6日 16:31
雅宣先生、
早速、ご返信いただき恐縮です。
録画の画像では、米国東部時間、8月10日付テッド・コッペル氏のABCナイト・ラインでした。題はDoubting Darwin, the marketing of Intelligent Designのように聞こえます。何度か聞き返しましたが聞き間違っているかもしれません。約2ヶ月前に録画したもので、記憶があいまいですが、おそらく8月10日午後4時15分から35分まで、NHKのBS1での放送(英日二ヶ国語)ではなかったかなと思います。
投稿: 松上浩士 | 2005年10月 7日 00:03
申し訳ございません。
BS1での放送時刻は時差から考えますと10日ではなく、8月11日午後4時15分から35分であったかもしれません。
投稿: 松上浩士 | 2005年10月 7日 00:14
雅宣先生、
あ、ありました!
GoogleでTed Koppel ABC Nightline 8/10 Intelligence Design などと検索しますと、見つかりました。
http://www.bringyou.to/apologetics/p90.htm
投稿: 松上浩士 | 2005年10月 7日 07:10