スーフィズムについて (5)
アッバス朝の滅亡は1258年、モンゴル軍の侵攻による。同朝の最初の100年にイスラム法の体系化はほぼ完了し、宗教法の代弁者であるウラマー(聖職者)とカリフ体制との密接な関係が成立し、法の執行者を頂点とした“理想的”な共同体の制度が確立したことなどから、この時代のイスラームを「古典的イスラム教」と言うことがある。しかし、イスラム法の実践を通じて理想的宗教社会を地上に実現しようとしたにもかかわらず、そこには形式主義という新たな問題が発生していた。このアッバス朝の“黄金時代”に発生したスーフィズムは、そのような傾向に対する危機意識を表していたとも言える。また政治的にも、アッバス朝は問題を抱えていた。イスラームによる中央集権的体制も100年足らずのうちに崩れ始め、すでに9世紀から、共同体内の各地に軍事力を背景としたアミールやスルタンなどが政治的支配を確立しはじめていた。この中にはカリフ(モハンマドの後継者)を僭称する者も現れ、政治的、社会的に分裂したり、混乱を来してくる。ここにも、宗教や信仰と政治権力が結びつくことの難しさが顕われているようだ。
イスラーム研究者の中村廣治郎氏は、現代の政治家を髣髴させるようなこの時期の例を引いている:
「ハナフィー法学派の祖であるアブー=ハニーファの高弟で、アッバース朝カリフ、ハールーン・ラシードの信任の厚かった大法官アブー=ユースフ(798年没)は毎年末、妻に自分の財産を贈与し、あとでそれを返させるということでザカート税を免れていた。このことが師のアブー=ハニーファに伝えられると、師は次のようにいった--『それは彼の法学のやり方であり、それはそれで[法学的には]正しい。なぜなら、それが現世の法学なのだから。しかし、それが来世においてもつ害はどんな罪よりも重い』と。」
このような宗教指導者の腐敗の問題に加えて、もう一つの形式化の問題がある。それは、イスラム法学や神学、コーラン解釈学などのイスラム諸学が発達するにつれて、その学問内容はしだいに高度化し、精緻化し、神は非人格化し、抽象化してくるから、信仰が民衆からかけ離れてくるという問題である。これは、キリスト教がローマ帝国の国教となることによって生じた問題とも似ている。また、上座部の仏教が少数のエリート知識層によって高踏化して、民衆の欲求に応えられなくなったため、クシャーナ王朝下に大乗仏教運動が始まった事情とも共通点をもっている。
スーフィーたちにとっては、イスラームの聖職者ウラマーは、模範的信仰者では必ずしもなかった。例えば中村氏によると、以前に取り上げたジュナイドは、「神は唯一なり」という信仰を表すタウヒードを4段階に分け、低い段階のものから①民衆のタウヒード、②ウラマーのタウヒードとし、スーフィーは③④の段階にあるとした。また、ウラマーの側からは、内面を重視するあまり形式を否定したり、「我・即・真実在」などと唱えたスーフィーを危険な異端者と見た者も多かった。さらに、両者が重視するものの性質に違いがあった。スーフィーたちは(これまで述べてきたように)神との合一体験にもとづく直観を重視したのに対し、ウラマーはイスラム法の知識や哲学を重視した。このようなスーフィーとウラマーの対立を異常と感じたスーフィーの中には、修行の方法を整理・明確化すると共に、修行者の内面的変化を理論化して、誰でも真偽判断のできるような基準を示そうとした者もいる。サッラージュ(988年没)、アブー=ターリブ・マッキー(996年没)、カラーバーディ(1000年没)、ガザーリー(1111年没)などである。
体験や直観を重んじるスーフィズムでは、師と弟子の関係が基本である。入門者は「ピール」とか「シャイフ」と呼ばれる導師につかねばならず、「導師なきムリード(入門者)の導師はサタンなり」と言われた。弟子は師について修行し、一人前のスーフィーとして認可されれば、師を離れて一人立ちし、「シルシラ」(仏教における“血脈”)を受け継ぎ守りながら、今度は自分が弟子を指導するようになる。この場合、従前の師との間に組織的関係が残らないのが初期の形だった。ところが、12~13世紀ごろからは、師弟関係が組織として残るようになった。つまり、特定の聖者を一種の“教祖”として、弟子は各地に散って支部を開くことで、「ターリカ」と呼ばれる恒常的な教団組織が成立してくる。そして、しだいに普通の仕事に従事している民衆を組織化して“在家”の信仰の要素を広げてくる。即ち、在家信者を定期的な教団の勤行に参加させたりするようになるのである。勤行のための道場(ザーウィヤ)や集会場(テッケ、ハーンカー)が造られ、そこで集団によるズィックル(称名)などが行われるようになる。
谷口 雅宣
【参考文献】
○中村廣次郎著『イスラム教入門』(岩波新書、1998年)
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