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2005年9月 6日

スーフィズムについて (4)

 本シリーズの前回までは、アッバス朝初期(最初の100年)までのスーフィズムの足跡をごく簡単にたどった。それを要約すると、この宗教運動の中心は「神との合一」体験であり、また「神への愛」を生活に実践することだった。その生活とは、世俗的な富や名声に背を向けて「禁欲的修行」をすることであるから、スーフィズムには現世否定的傾向がある。仏教的に表現すれば、「社会の救済」よりは「個人の悟り」を目的とした神への徹底奉仕行を重んじる、と捉えることができるだろう。ところで、イスラームの特徴の一つは、その信仰や考え方が「個人」の領域に留まらず「社会」や「政治」の領域と不可分の関係にあることだ。もしスーフィズムが社会や政治などの「現世」を否定的に捉えているとしたら、それはイスラム社会の中にあっては“異端”と言うべきものだろうか?

 この問いかけに対して、いわゆる「原理主義」的立場のイスラーム信仰者は、大抵「その通り!」と答えるだろう。彼らの多くにとっては、スーフィズムは「イスラーム」の名に値しない“迷信”であり“偶像崇拝”である。なぜなら、スーフィズムは(前にも触れたように)ギリシャ哲学の匂いがし、ムハンマドが「最終の預言者」であるにもかかわらず、その後に現れたスーフィーという“聖者”を中心とした宗教団を形成するからだ。それにスーフィズムは、自己の内面の向上を第一として、神の秩序が現世に(外的に)現れることにあまり期待しないから、現実の社会の不合理な状況--例えば、キリスト教社会がイスラム国家を支配・抑圧している状況--を変えようとしない。本シリーズの冒頭で、イラクに住むスーフィズムの信奉者が反米アラブ人から攻撃をかけられているという新聞記事を紹介したが、その理由がこれで理解できると思う。

 実は過去にあっては、スーフィズムは原理主義勢力からもっと激烈な攻撃を受けていた。19世紀の初め、アラビア半島では、現代のイスラム原理主義運動の“走り”とも言われているスンニ派イスラームのワッハーブ派が支配的だった。同派が権力を握ったとき最初にしたことの一つは、アラビアとイラクにあるシーア派の指導者とスーフィーたちの墓をすべて破壊することだった。原理主義者にとってみれば、これによって様々なスーフィーたちが築き上げてきた内面重視の文化と伝統を否定し、自分たちによる『コーラン』や『ハーディス』の原理主義的解釈のみで理想的な“イスラム国家”が建設されうると思ったのだろう。オサマ・ビン・ラディンを生んだ現在のサウジアラビアは、このワッハーブ派のイスラームを国教とする。

「ワッハーブ派」とは、ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブが創始した宗派で、イスラームのスンニ派の4つの公認法学派の一つであるハンバリー派の系統にある。イスラム研究者の保坂修司氏によると、ワッハーブの思想は、「彼が考える非イスラーム的なもの、反イスラーム的なものに対する容赦ない攻撃を特徴とする。ハンバリー派の徒として、ムハンマド(ワッハーブ)はコーランとスンナに書かれていること以外を信仰からの逸脱としてはげしく断罪するのである。彼にとっては、イスラーム思想史を豊に彩る思弁神学やスーフィズム、また聖者崇拝やシーア派も本来のイスラームを汚す不純な要素にすぎなかった」という。アメリカのイスラム研究者、カール・アーンスト氏(Carl W. Ernst)によると、この原理主義運動の浸透により、「現代の多くのイスラム教徒は、スーフィズムを注意深く除外した形の宗教的伝統を教え込まれてきた」のだという。

 このような事実を考えてみると、スーフィズムは今日のアラビア半島周辺のイスラム世界--特に、イスラム原理主義の支配下--にあっては、正当な評価を受けていない“少数派”であることが分かる。

谷口 雅宣

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