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2005年8月27日

人間動物園

 私はいわゆる「動物園」には久しく行っていないが、そういう場所へ行くとよく考えたことは、檻の中に入った動物たちが毎日何を考えながら生きているかということだ。まぁ「考える」などという高級なことをする動物は哺乳類の霊長目ぐらいだと言われているが、そういう“学説”は別にして、直感的な認識では、サル以外の動物でもものを考えることはあると思う。

 私の家の鳥小屋にいるブンチョウでさえ、止まり木の上で何度も首をかしげながら、じっと一方向を見ていることがある。そんな時、つい「おまえ、何を考えているんだ」と言いたくなる。家の庭に棲みついている野良ネコは、私と鉢合わせになると身構える。その時は、「次はどう動くべきか」と緊張して考えているに違いない。今年の2月半ば「花鳥園」という所へ行ったときには、カゴから出て止まり木にとまったままのオウムとしばらく顔を見合わせていたが、私は、目の前の異種生物とどうやってコミュニケーションをはかろうかと戸惑ったことを憶えている。いかにも“賢そう”に思えたからだ。こういう時の異種生物を見る視点では、自分と相手とが共通点の少ない「異種」であることを強く意識しているから、同種を見るときより注意深く、また相手を突き放した、より客観的な観点から見ようと努力するだろう。そうしないと、相手の次の動きに不意を襲われる可能性があるからだ。

 そんな視点を、人間同士の間に持ち込ませようとする実験がイギリスで行われているようだ。今日(8月27日)の『北海道新聞』の夕刊に、ロンドン動物園で26日から、裸に近い人間の男女8人を“展示”する特別企画が始まったという記事が載っていた。目的は「人間が地球の生態系に属していることの重要性を知ってもらう」ためだという。“展示”される8人は皆ボランティアで、10~30代の水着姿の男女。日中、柵で囲われた岩山を歩き回ったり、音楽を聴いたりゲームをしたりするのを、入園者たちが離れた所からじっと観察するのだそうだ。動物界の一員として人間の行動を見てほしいというのが動物園側の企画意図だ。アイディアとしは「なるほど」と思うのだが、これと、プールサイドや海水浴場で人々を観察するのとどこが違うだろうか、とも思う。人間は“社会的動物”だから、他人から期待されているような行動をとろうとする傾向がある。あるいは、わざわざその逆の行動をとる人もいる。すると、こういう特殊な状況に置かれた人々は、どんな行動をするようになるのか、興味深い。

 私は、動物園の企画意図にもかかわらず、この実験は「動物としての人間の行動」を示すよりは、「人間の人間らしい行動」を露呈するのではないか、と密かに期待している。動物園の柵内に入った人々に、園がどのような注文を出しているのか私は知らない。しかし、もし何の注文もつけていないならば、彼らは入園者の喜びそうなことを始めるのではないか。それは例えば、サル山のサルのような行動である。「動物の一員としての人間の行動」を見てもらうのが目的でも、それがどんな行動なのか、柵の中のボランティアが前もって打ち合わせしているわけでもあるまい。それぞれが思い思いに行動し結局、人間として当たり前の行動をしているのでは入園者は退屈してしまう。すると、サービス精神に溢れた人は--ボランティアとはサービス精神旺盛なのだから--、せっかくの貴重な機会だから、日常とは少し違う行動をとって入園者を喜ばせたいと思うに違いない。そういう人は、仲間の“毛づくろい”とまでいかなくても、互いに身だしなみを整えあったり、岩山でトンボ返りを打ったり、パントマイムをしたり、瞑想をしたり、“サル山合戦”の芝居をうったり、恋愛ごっこをしたり……という具合になっていくような気がする。こうなれば、入園者が目にするのは「動物の一員としての人間」ではなく「人間の人間らしい行動」--つまり、一種のエンターテイメントやスポーツを楽しむことになるのではないだろうか。

 外国から来るこの種のニュースには“続報”が少ないのが気にかかるが、この興味ある実験の結末がどうなったかの話も、ぜひ伝えてもらいたいものだ。実験は29日まで行われるという。

谷口 雅宣

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