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2005年8月24日

スーフィズムについて

 今年7月、東京で行われた生長の家教修会のことは本欄(7月6日)でも簡単に紹介したが、その会で宗教多元主義の外国の事例を扱った講師が、「イスラム神秘主義」とも呼ばれるスーフィズムについて興味ある発表をしてくれた。それによると、スーフィズムの信仰の中には生長の家の「人間は神の子」の教えと“近い”ものが存在するというのだ。「近い」というのは、なかなか便利な言葉である。しかし「同じ」というのではないから、どれだけ「近い」かが判明しないと、本当の意味で「近い」かどうかは分からない。そこのところが、特に宗教では難しい。「人間は神の子」という表現を使う宗教は、生長の家以外にもある(旧約聖書にさえある!)。しかし、その教えの内容をよく知ってみると、重要な点で生長の家とは違う場合が多い。だから、スーフィズムに関しても、教えの内容を仔細に検討してみないと判断を間違う可能性があるのである。

 ところで、8月22日付の『ヘラルド朝日』紙には、イラクのバグダッド市内で行列し、片手を胸に当て、半眼の陶酔した表情で“お題目”を唱え続けている一団の写真が掲載されていた。写っているのは男性がほとんどで、多くは髪を肩より長く伸ばし、服装はネグリジェのような白い裾の長いガウン姿である。写真説明にはこうある--「バグダッド市内でスーフィー・イスラム信者が詠唱する様子。このスーフィー達に攻撃をかけたのは、スンニ派の原理主義者だと言われており、スーフィー側も防衛のため自警団を組織しはじめた」。記事によると、写真は日の出の際のスーフィー信者の儀式で、男たちは円を描いて並び、ドラムの音に合わせ、長い髪を振り乱して頭を回転させながら、「神よ、あなたは唯一の存在、永遠の存在」「我は神と一つ、神と一つ」などと合唱しているのだという。またスーフィー信者は、舞踏や音楽、詠唱その他の体をよく動かす儀式を通して、自分の現世的存在を超えて、神の姿を見ようとする、とも書いてある。彼らの信仰の中心は「神との内的合一」にあるから、外的な社会や政治の変革を目指すスンニ派のイスラム原理主義者からは異端視され、最近は武力攻撃の対象にさえなっているという。

「スーフィズム」(Sufism)とは、イスラムの内部に起こった神秘主義の運動に対して、西洋の側がつけた呼称である。アラビア語では「タサゥウフ」(tasawwuf)というが、神秘家自身のことをアラビア語でも「スーフィー」と呼ぶのでこの名がある。なぜこう呼ぶかについての一般的説明では、「スーフ」が羊毛を意味するから、「スーフィー」とは「羊毛を着た者」のことというのである。井筒俊彦氏によると、古代のアラビアでは「羊毛の粗衣」は下層社会、極貧者、奴隷、囚人等の衣であると同時に、アラビア半島の砂漠の奥地に密かに棲んでいた多数のキリスト教の隠者、修道士の衣でもあったという。イスラムが政治権力や経済的繁栄と結びついた後世、物質的繁栄が魂の腐敗を招くとして世を捨て、羊毛の粗衣を着て隠遁生活に入る人も多く出た。そこから「羊毛を着る人」とは、現世的生活を厭離して苦行することを意味するようになったらしい。

 このように、世俗を捨てて神や仏に近づこうとする考え方は、キリスト教の「修道士」だけでなく、仏教でいう「出家」や「修行」の概念とも似ている。ここで強調しておきたいのは、イスラムの信仰は発足の初期から、すでにキリスト教の隠者や修道士との接触を暗示するような考え方や生き方を生み出していたということである。しかし、アッバス朝(750~1258年)より前の初期の段階では、「魂の救済のために現世を離れる」という「考え方」や「生き方」が追求されただけであり、その生き方から得られたものを一つの「主義」(ism)や「思想」として深めるまでには至っていなかったようだ。前掲の井筒氏によると、スーフィズムが組織され始めたのは「西暦8世紀の末葉、所はクーファ及びその付近一帯の地域であったことはほぼ確実」という。もちろん、教祖モハンマドの没年(632年)以降のことである。

谷口 雅宣

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