« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005年8月31日

野生のダイコン

 休日を利用して、久しぶりに大泉の山荘に来た。1ヵ月来ていなかったので、家の周りのあらゆる草々が茫々に伸びて、玄関までの通路はふさがれていた。しかし、この通路の「草」はブッドレアという花をよくつける植物で、わざわざ買って植えたものだった。花期は7~10月。直径7ミリほどの十字形のものが茎の先端にイネのように密集してつくから、これが開くと稲穂のように頭を垂れる。和名のフサフジウツギは、この房状の藤色の花を形容したのだろう。買ったのは確か紫とピンクの花の2種類だったが、いつのまにか白と濃いピンクのものまで生えている。この花はチョウをよく呼び寄せるので、キタテハやアサギマダラなどの美しいチョウも飛んできて楽しい。だから、種が飛んで、通行の妨げになる場所に生えてきても、できるだけ抜かずに放っておいのだった。妻は、4色の花のブッドレアを切り、それに黄色い花のオミナエシを添えて花器に生けた。なかなか豪華な室内装飾となった。

 私が気になっていたのは、狭い畑に植えておいたダイコンとニンジンの運命だった。1ヵ月前に10~20cmに伸びたダイコンと、その三分の一ほどのニンジンの苗を間引きし、「収穫までにもう1回間引きが必要だ」と思いながら帰京したから、その後成長した根がケンカし合って大変な状態になっていないか心配だった。ところが畑を見ると、青々としているはずのダイコン畑に、緑色が少ないのだ。その代わり、土の間に白くて太い幼虫のようなものがゴロゴロと横たわっている。「死屍累々」という感じだ。よく見ると、それは成長半ばで土の上に引き出されたダイコンだった。“犯人”は、だいたい見当がついた。人間だったら、抜いたダイコンは持ち帰る。こんな山の中で他人の畑を荒らすのは人間ではなく、シカのはずだった。その証拠に、抜かれた株の多くは、緑色の葉の部分だけが短くなっている。シカは辛味のある根は食べずに、葉だけ食べたのだ。その食べられた跡から、新しい茎や葉が出ているダイコンもあった。よく見ると、土の上に横たわった根の先端が土中に入り込んでいるのもあって、そういうダイコンは、横になった根から茎が90度の角度で空に向って伸びていたりする。つまり、シカに引き抜かれたのはかなり前で、ダイコンたちはその後も持ちこたえて成長しようとしているのだった。私は、“彼ら”に土をかけて埋めもどしてやりながら、こういうのが本当の「野生のダイコン」だと思った。

 漫画家の吾妻ひでお氏の作品に『失踪日記』(イーストプレス刊)というのがある。私は漫画本を読むことなど(今では)ほとんどないのだが、この作品は、NHKの衛星放送で日曜の朝にやっている『週刊ブックレビュー』という番組で取り上げられているのをたまたま見た。そこでの紹介によると、これは失業して実際にホームレスの生活をした作家の体験物語、ということだった。しかも、紹介者は実に面白そうにこの作品を推薦するのである。そこで、私と一緒に番組を見ていた妻が、ついにこれを買ってしまった。私は、妻が買って来たのを見て、この作品が漫画であることを初めて知ったのだ。で、この物語の主人公(作者)は、作品の原稿を描けなくなって家を出て、町をうろつきながら食べ物を探す。プライドを捨てて人前でゴミ箱を開け、公園で野宿したり、焚き火をして怒られたりしながらも、生きていかねばならないから、食べられそうなものは何でも口にする。サラダ油のボトルが捨ててあれば、中身をゴクゴク飲むし、“野生のダイコン”や“野生のキャベツ”も食べる。その際の絵では、夜中に畑の前へ来た主人公が、「あっ、野生のダイコン!」と言って歓喜するのである。我々夫婦は、そのギャグを大いに気に入った。もちろん「野生のダイコン」などあるはずがない。人様が育てているダイコンに決まっているが、ホームレスの人は、それを無理矢理に「野生だ」と考えるほど逼迫した精神状態になっているのだろう。

 ところで、私の畑へ来たシカたちは、何を思いながらダイコンの葉を食べたのだろう。多分、何も考えずに、嗅覚や味覚からの信号にしたがって「食べられる」と感じたものは皆、かじったのだ。私が心配しているのは、彼らがダイコンの味を好んだかどうかである。好んだならば、私が埋めもどしたダイコンは、いずれまた抜かれる。去年は、同じ畑からダイコンを収穫できたのに、今年はシカの餌になるのだろうか。

谷口 雅宣

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年8月30日

スーフィズムについて (3)

 本シリーズの前回までは、西暦750年のアッバス朝成立までのスーフィズムをごく簡単に紹介したが、初期スーフィズムの全盛時代は、この後に来るアッバス朝の最初の100年間である。ちょうどその頃、サラセン帝国の首都がバグダットに移され、ここが東方世界の学問と芸術の最大の中心地となる。首都には早くから優秀なスーフィーが移り住んで活動を開始していたが、その中の重要な一人にサリー・サカティー(865年没)がいる。

 彼は、神秘主義の究極の境地は神の美を直視し、それに合一することだと考えた。スーフィズムにおける「神への愛」については前回触れたが、その信仰者の愛は、愛の対象である神に向って「あなたは私です」と言えるときに完成する、とサリーは考えた。イスラームの信仰の根幹を表す言葉に「タウヒード」(tawhid)というのがある。これは、字義的には「一つにすること」の意だが、イスラームの文脈では「アッラーのほかに神なし」という信仰告白を指す。それは普通の意味では「神は唯一である」ということだが、サリーはこれに「神と一つになる」という隠れた意味を与えた。井筒俊彦氏の言葉を借りれば、サリーにとってタウヒードとは「神秘道の修業段階を切磋琢磨の功によって完成した人の魂が生滅の繋縛を脱して『真実性』のうちに融和包摂され、永遠の歓喜を享ける神秘主義的『神人合一』を意味する」(『イスラーム思想史』、p.195)のである。これは仏教的に表現すれば「我は仏と一つなり」との悟りの境地に達することだろう。タウヒードという言葉は、このサリー以来、スーフィズムにとって不可欠のものとなった。

 このサリーの甥であり高弟でもあるジュナイド(Junayd 910年没)は、しばしば“陶酔の人”と形容されるバスターミー(874年没)に対比して“醒めた人”と呼ばれる傑出したスーフィーである。バスターミーについては、今年の生長の家教修会でも取り上げられたが、彼はそれまでのスーフィーたちが「神への愛」を極めようと修行していた“人間の側からの努力”を突き抜け、神との合一の境地に達したとして、次のように書き記した:

「30年の間、いと高き神は私の鏡であったが、今や私は私自身の鏡である。しかし私は既に絶対無であるが故に、いと高き神は彼自らの鏡である。視よ、私はここに神は私の鏡であると言う。何とならば私の舌をもって語るものは神であって、私は既に消滅して跡かたもないからである」(前掲書、pp.204-205)

 上の意味を単純に解釈して「私の言葉は神の言葉である」と理解すると、これは神への無条件の服従を建前とするイスラームの文脈では極めて危険な思想となり、一般的に見ても「誇大妄想」と紙一重の錯乱した精神状態と受け取られるかもしれない。が、「私は既に絶対無」との小我を捨て去る境地に達した修行者の言として考えたとき、初めて宗教的な高貴さを感得することができる。しかしいずれにせよ、誤解を生じやすい言葉であることは否定できず、これが神への“陶酔境”と言われる所以である。これに対しジュナイドは、自らのもつ神秘体験に理論的基盤を与え、“正統的”イスラームから見れば異端視されがちなスーフィーズムを、教説的にイスラームの中につなぎとめた功績が大きい。前掲書にある井筒氏の説明はとても分かりやすいので、以下に引用する:

「彼(ジュナイド)にとっては、スーフィズムとは自己に死に切って神に生きることであり、人は修道によって自我を殺し、自己の一切を放下して幽邃な『一者』の大洋の底深く沈潜し、聖なる『愛』に導かれて新しいいのちに『生まれかわら』ねばならぬとした。そしてこの新生において、人間は自分のあらゆる人間的属性を脱却し、新に『愛する人』の諸属性を受け、かくて始めて修道者は、『もはや我れ生くるにあらず、神わが裡にありて生き、われを通じて働き給う』という不可思議の次元に躍出できるのであると説いた」(pp. 198-199)

 なお、この時期に出現した偉大なスーフィーとしてハッラージ(Husain b. Mansur al-Hallaj, 922年没)を挙げることができる。彼はバスターミーが神人合一の体験中に自我が消滅し「我は彼である」(我・即・彼)と認識したのに対し、さらに一歩進んで、自己の魂が本質的に転換して神と等しくなるとして「我・即・真実在」(Ana al-Haqq!)と宣言した。が、この宣言は、キリスト教の受肉説に等しいと見なされ、神を冒涜する異端者として告発された末、ハッラージはバグダッドにおいて十字架刑で死亡することになる。

谷口 雅宣

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年8月29日

再生医療の“分水嶺”?

 患者本人の骨髄から採った幹細胞で心筋梗塞の治療に成功した埼玉医大の治療例が報告された。心強い限りである。使えなくなった臓器や組織を再生して治療する「再生医療」が注目されているが、従来の考え方は、受精卵から採る胚性幹細胞(ES細胞)や中絶胎児から採る胎児細胞などに患者の遺伝子を組み込むことで拒絶反応を抑え、治療に使うというものだった。しかし、過去の本欄で何回も書いたように、この方法では「他人の命や肉体を犠牲にして自分を治す」という倫理的な問題が解決できない。ところが今回の治療例は、患者自らの生命力と潜在能力をフルに生かし、他人の組織や臓器を必要としない再生医療への新しい道が見出せるという点で、特筆に値する。8月27日の『朝日新聞』夕刊は、「心臓移植以外に回復の見込みがなかった重い心筋梗塞などの人にとって、拒絶反応の心配がない自分の細胞を使う再生治療が新たな選択肢に育つ可能性が示された」と評価している。

 私は『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)の中で、「卵子、精子の操作」「ヒト胚の利用」「ES細胞の研究」「クローン胚の研究」「死亡胎児の利用」にすべて反対した。その理由の一つは、上に書いたように「他人の犠牲の上に成立する医療」が倫理的でないからである。また、もう一つの理由は、これらの研究は「霊魂」の存在を無視する唯物論にもとづいているからである。もっと別の言い方をすれば、受精卵やヒト胚のように「痛覚が発達していない段階の人間は、他人の治療の手段として利用して構わない」という考え方が社会に蔓延することに反対するからである。私は、現代の先端医療のすべてに反対しているのではない。だから、『今こそ……』の中では、上記の2つの問題のない「成人幹細胞」(成人の体内にある種々の幹細胞)の医療への応用を訴えている:

「例えば、骨髄の中にある幹細胞は、これまで血液を作るだけの能力しかないと考えれてきたが、最近の研究では、これが神経細胞、心筋細胞、さらには骨格筋細胞にまで変化する能力があることが分かった。また、皮膚にある幹細胞は神経細胞、筋肉細胞、そして脂肪の細胞になる能力があることが明らかになった。さらに、人間の皮下脂肪の中にも幹細胞があり、これは筋肉や骨、軟骨になる能力があることが分かってきた」(同書、P.264)

 この文章は2001年8月に書いたものだが、あれから4年たって、当時の研究が漸く実用段階にまでこぎつけたわけだ。関係者の皆さんの努力に大いに感謝し、喝采を送りたい。

 再生医療の分野では、上記の発表の数日前に、ES細胞から患者の細胞を分化させる効率的な方法が開発されたと報道された。この研究では、特定の人の皮膚細胞を既存のES細胞と“融合”させることで、その人の遺伝子を取り込んだES細胞が神経や筋肉、消化管など多種の細胞に分化することが確認されたという。この方法の優れている点は、新たに受精卵や卵子を破壊することなく、既存のES細胞さえあれば、移植患者に合致した細胞を分化させることが可能になりそうな点だ。そういう意味では、従来のものより“より倫理的な方法”と言えるかもしれない。

 これまでES細胞を治療目的に使う場合は、まず「クローン胚」を作成した。それは、患者の体細胞(精子や卵子などの生殖細胞でない細胞)から抜き取った細胞核を、除核卵細胞(核を除いた卵子)に移植した後、電気刺激などを与えることで細胞内物質を融合させて作る。そのために、他人から卵細胞をもらう必要があった。また、クローン胚ができた場合、これを他人の子宮に移植すればいわゆる“クローン人間”ができるという点が、論議を呼んでいた。今回の方法では、この2つの問題点を解決できる可能性があるという。8月23日の『朝日』夕刊に載った記事によると、今回の方法でできた融合後の細胞は、まだ皮膚細胞とES細胞双方の遺伝情報をもつという。だから、移植による拒絶反応を起さないためには、ES細胞側の遺伝情報を除かなければならず、それが今後の課題らしい。

 この2つの実例により、今後の再生医療が、受精卵や卵子の利用をしない方向へと発展してくれることを望んでいる。

谷口 雅宣


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月27日

人間動物園

 私はいわゆる「動物園」には久しく行っていないが、そういう場所へ行くとよく考えたことは、檻の中に入った動物たちが毎日何を考えながら生きているかということだ。まぁ「考える」などという高級なことをする動物は哺乳類の霊長目ぐらいだと言われているが、そういう“学説”は別にして、直感的な認識では、サル以外の動物でもものを考えることはあると思う。

 私の家の鳥小屋にいるブンチョウでさえ、止まり木の上で何度も首をかしげながら、じっと一方向を見ていることがある。そんな時、つい「おまえ、何を考えているんだ」と言いたくなる。家の庭に棲みついている野良ネコは、私と鉢合わせになると身構える。その時は、「次はどう動くべきか」と緊張して考えているに違いない。今年の2月半ば「花鳥園」という所へ行ったときには、カゴから出て止まり木にとまったままのオウムとしばらく顔を見合わせていたが、私は、目の前の異種生物とどうやってコミュニケーションをはかろうかと戸惑ったことを憶えている。いかにも“賢そう”に思えたからだ。こういう時の異種生物を見る視点では、自分と相手とが共通点の少ない「異種」であることを強く意識しているから、同種を見るときより注意深く、また相手を突き放した、より客観的な観点から見ようと努力するだろう。そうしないと、相手の次の動きに不意を襲われる可能性があるからだ。

 そんな視点を、人間同士の間に持ち込ませようとする実験がイギリスで行われているようだ。今日(8月27日)の『北海道新聞』の夕刊に、ロンドン動物園で26日から、裸に近い人間の男女8人を“展示”する特別企画が始まったという記事が載っていた。目的は「人間が地球の生態系に属していることの重要性を知ってもらう」ためだという。“展示”される8人は皆ボランティアで、10~30代の水着姿の男女。日中、柵で囲われた岩山を歩き回ったり、音楽を聴いたりゲームをしたりするのを、入園者たちが離れた所からじっと観察するのだそうだ。動物界の一員として人間の行動を見てほしいというのが動物園側の企画意図だ。アイディアとしは「なるほど」と思うのだが、これと、プールサイドや海水浴場で人々を観察するのとどこが違うだろうか、とも思う。人間は“社会的動物”だから、他人から期待されているような行動をとろうとする傾向がある。あるいは、わざわざその逆の行動をとる人もいる。すると、こういう特殊な状況に置かれた人々は、どんな行動をするようになるのか、興味深い。

 私は、動物園の企画意図にもかかわらず、この実験は「動物としての人間の行動」を示すよりは、「人間の人間らしい行動」を露呈するのではないか、と密かに期待している。動物園の柵内に入った人々に、園がどのような注文を出しているのか私は知らない。しかし、もし何の注文もつけていないならば、彼らは入園者の喜びそうなことを始めるのではないか。それは例えば、サル山のサルのような行動である。「動物の一員としての人間の行動」を見てもらうのが目的でも、それがどんな行動なのか、柵の中のボランティアが前もって打ち合わせしているわけでもあるまい。それぞれが思い思いに行動し結局、人間として当たり前の行動をしているのでは入園者は退屈してしまう。すると、サービス精神に溢れた人は--ボランティアとはサービス精神旺盛なのだから--、せっかくの貴重な機会だから、日常とは少し違う行動をとって入園者を喜ばせたいと思うに違いない。そういう人は、仲間の“毛づくろい”とまでいかなくても、互いに身だしなみを整えあったり、岩山でトンボ返りを打ったり、パントマイムをしたり、瞑想をしたり、“サル山合戦”の芝居をうったり、恋愛ごっこをしたり……という具合になっていくような気がする。こうなれば、入園者が目にするのは「動物の一員としての人間」ではなく「人間の人間らしい行動」--つまり、一種のエンターテイメントやスポーツを楽しむことになるのではないだろうか。

 外国から来るこの種のニュースには“続報”が少ないのが気にかかるが、この興味ある実験の結末がどうなったかの話も、ぜひ伝えてもらいたいものだ。実験は29日まで行われるという。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年8月26日

カフェテリア的信仰

 カトリック教会の新法王、ベネディクト16世は、このほど生地ドイツへの旅を終えて帰還したが、8月21日にコロン郊外で行われた同教会主催の「世界青年の日」での講演で、約100万人の若者を前にキリスト教とイスラームとの対話の必要性を強調し、さらに「自己流の信仰を拒否するように」と訴えたという。22日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。また、同時期に放映されたABCニュースでは、法王は「カフェテリア的信仰ではだめだ」と警告したと伝えられた。「自己流」という表現は私訳で、英語では「do-it-yourself concepts of religion」である。「宗教は自己流でやれる」という考え方への批判だろう。また、同紙の記事には「法王は聴衆に対し、好きなものだけを取って残りを無視するように、宗教を一種の“消費物”として扱わないように訴えた」と書いてあった。このことから、ABCが使った「カフェテリア的信仰」の意味も分かる。カフェテリアでは、自分の好きなものだけを取って、嫌いなものは取らなくていい。一つの宗教に対する関わり方も、そんな“つまみ食い”では本物は得られない--そういう意味に違いない。

 このことは、どの宗教についても言えると思う。生長の家は「万教帰一」の教えであるといって、時々その意味を誤解して、「生長の家はあらゆる宗教を重んじるのだから、生長の家の信徒でもどんな宗教の行事や集会に出入りしても構わない」と考える人がいる。しかしこんな態度では、どんな信仰も中途半端に終ってしまい、魂の喜びを感じない、実りの無い信仰生活を送ることになる。また、そういう“目移りの激しい”信仰では本物を見抜く力を養われないので、派手な“奇跡”や“奇瑞”を売り物にする詐欺まがいの宗教の餌食になることもある。また、「自分の好きなことだけを信じる」のでは、宗教や神仏を信じていることにはならない。自分を信じているだけである。あるいは、「自分が正しい」ということを他人に対して権威づけるために、また自分を納得させるために宗教を利用しているのである。だから、19世紀のヒンズー教の聖者、ラーマクリシュナも次のように言った:

「神は異なる志望者、異なる時代、異なる国々に適するようにいろいろな宗教をつくってきた。あらゆる教義はそうした多くの道にすぎないのであり、1本の道だけが神自体であることは決してない。実際、どんな道にでも誠心誠意したがえば、人は神に至りうるのである」

 上の文の前段では「万教帰一」と同じ考えを述べているが、最後のところで「誠心誠意したがえば」という条件が付いていることを見逃してはならない。目移り盛んの信仰では、確かなものは何も得られない。信仰ばかりでなく、目移りばかりしていては、恋愛も仕事も家庭生活も成就しないものである。

 しかし、このことは信仰の「形式化」や「形骸化」の問題と混同してはならない。つまり、「誠心誠意したがえば」の意味を、「慣習どおりにやっていれば」とか「戒律さえ守っていれば」とか「ノルマをこなしていれば」などの意味に取り違えてはいけない。信仰の「深化」と「形骸化」は、まったく逆方向の動きである。カフェテリアの喩えを使えば、いつも決まった「A定食」とか「Cランチ」を食べていればそれでいい、というわけでは必ずしもない。戒律や慣習を守るか守らないかという外形が重要なのではなく、それを行う内面(心)がしっかりと信仰に裏打ちされているかどうかが重要である。戒律を重視するユダヤ教の中から、イエスが新しい宗教運動を始めなければならなかったこと、そのイエスの運動に多くの人々が引き込まれていった理由も、これと関係しているだろう。そこのところが宗教の奥深く、難しい点である。

谷口 雅宣


 


| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年8月25日

スーフィズムについて (2)

 前回は、アッバス朝成立以前のスーフィズムの特徴は禁欲的苦行の実践であることを述べた。井筒俊彦氏は『イスラーム思想史』の中で、この時期の信者の活動においては「ズィクル」(唱名)と「タワックル」(絶対的帰依)が顕著であると述べている。前者は、1日5回の定時における神の礼拝では足りないと考え、「アッラーハ!、アッラーハ!」と休みなく神の御名を昼夜わかたず唱え続け、仏教的に言えば、無念無想の礼拝三昧に没入することである。井筒氏によると、「この唱名こそ、イスラーム神秘道における最も基本的な典礼的要素であって、今日に至るまでスーフィズム諸集団の行事の中核をなしている」という。前回、取り上げた『ヘラルド朝日』の記事では、この唱名の様子が描かれていたわけだ。後者のタワックルは、自己の個人的利益を絶対、完全に放棄して神の導きのままに暮らすことである。そういうことが実際に可能だったかどうかは別として、この絶対的帰依の理想形としては、あらゆる商売や職業に従事しないだけでなく、日常の糧をも他に求めず、病気になっても薬を飲まないことが模範とされたという。

 このように現世的欲望から自己を断絶させ、言わば“極限状態”に追い込むことにより、スーフィーたちは神秘体験を得たのだろう。この時期においては、禁欲的苦行実践そのものがスーフィーたちの目的だった。しかし、アッバス朝の始まる750年前後から、アラビア半島にはギリシャ哲学--特に新プラトン主義--が滔々と流入するようになる。また、神への愛の実践を重んじるシリアのキリスト教神秘主義の影響も色濃くなってくる。前者の影響により、スーフィズムは初めて思索的、理論的側面を整えて「主義」とか「思想」と呼べるようになるとともに、後者の影響で「神への愛」を至上の実践目的とすることとなる。その結果、スーフィズムがどのような方向に発展するかについて、井筒氏は次のように述べている:

「実践的修業道程そのものの理論化だけでなく、更に進んで神秘道究極の絶対境において自己を顕現する『実在』とはそもそも何者であるかという存在論的問題、またこれを体験する際に人間はどのようなものに成るのかという神秘主義的実存の問題、さらに人間の精神はどのような構造の故に絶対的実在に直接相触れ相合することができるのかという超越的認識論の問題などがスーフィー達の主たる関心事となって来る」(前掲書、p.187)

 難しい言葉がたくさん並んでいるが、それらの意味については解説しない。ここでは、イスラームの神秘主義は他の宗教や外国の哲学の影響を受けて、単なる“禁欲的苦行”や“神秘体験”重視の実践運動から発展し、哲学的、思想的深さと広がりを獲得していったという事実を押さえてもらえばいいと思う。これは、開祖のモハンマドの教えとスーフィズムが無関係だとか、関係が薄いとか言うためではない。また、スーフィズム的感性や考え方が開祖の心には存在しなかったと言うためではない。そうではなく、ある時代のある地方に生まれた宗教的天才の教えが、ローカル色を超えて「哲学」や「思想」として確立し世界宗教となるためには、多くの人々の知恵や文化・伝統の協力が必要であり、そういう協同作業によって開祖の教えの中のいくつもの“萌芽”が、時代の要請に応えて成長していくということである。

 例えば、スーフィズムのもつ現世厭離的傾向は、開祖モハンマドの初期の啓示にも共通している。『コーラン』57章20節の有名な言葉を次に掲げる:

「よく聞くがよい。現世の生活(いのち)はただ束の間の遊びごと、戯ごと、徒なる飾り、ただいたずらに(血筋)を誇り合い、かたみに財宝と息子の数を競うだけのこと。現世とは、雨降って緑草萌え、信なき者ども喜ぶと見るまにたちまち枯れ凋(しぼ)み、色褪せて、やがて跡なく消え去るにも似る」

 また、唱名への熱意を「神人合一」の体験のためだと考えれば、スーフィー達が『コーラン』の次の言葉に啓発されたと見ることもできる:

「もし私の僕(しもべ)が、私のことを汝に尋ねるなら、おお、私は側近くにいる」(2章186節)
「われ(神)は彼の頸の血管より近くにいる」(50章16節)
「そして地上には、信仰心の篤い者への御徴(みしるし)が多くある。汝らの中にもある。それでも汝らは見ようとしないのか」(51章20~21節)

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月24日

スーフィズムについて

 今年7月、東京で行われた生長の家教修会のことは本欄(7月6日)でも簡単に紹介したが、その会で宗教多元主義の外国の事例を扱った講師が、「イスラム神秘主義」とも呼ばれるスーフィズムについて興味ある発表をしてくれた。それによると、スーフィズムの信仰の中には生長の家の「人間は神の子」の教えと“近い”ものが存在するというのだ。「近い」というのは、なかなか便利な言葉である。しかし「同じ」というのではないから、どれだけ「近い」かが判明しないと、本当の意味で「近い」かどうかは分からない。そこのところが、特に宗教では難しい。「人間は神の子」という表現を使う宗教は、生長の家以外にもある(旧約聖書にさえある!)。しかし、その教えの内容をよく知ってみると、重要な点で生長の家とは違う場合が多い。だから、スーフィズムに関しても、教えの内容を仔細に検討してみないと判断を間違う可能性があるのである。

 ところで、8月22日付の『ヘラルド朝日』紙には、イラクのバグダッド市内で行列し、片手を胸に当て、半眼の陶酔した表情で“お題目”を唱え続けている一団の写真が掲載されていた。写っているのは男性がほとんどで、多くは髪を肩より長く伸ばし、服装はネグリジェのような白い裾の長いガウン姿である。写真説明にはこうある--「バグダッド市内でスーフィー・イスラム信者が詠唱する様子。このスーフィー達に攻撃をかけたのは、スンニ派の原理主義者だと言われており、スーフィー側も防衛のため自警団を組織しはじめた」。記事によると、写真は日の出の際のスーフィー信者の儀式で、男たちは円を描いて並び、ドラムの音に合わせ、長い髪を振り乱して頭を回転させながら、「神よ、あなたは唯一の存在、永遠の存在」「我は神と一つ、神と一つ」などと合唱しているのだという。またスーフィー信者は、舞踏や音楽、詠唱その他の体をよく動かす儀式を通して、自分の現世的存在を超えて、神の姿を見ようとする、とも書いてある。彼らの信仰の中心は「神との内的合一」にあるから、外的な社会や政治の変革を目指すスンニ派のイスラム原理主義者からは異端視され、最近は武力攻撃の対象にさえなっているという。

「スーフィズム」(Sufism)とは、イスラムの内部に起こった神秘主義の運動に対して、西洋の側がつけた呼称である。アラビア語では「タサゥウフ」(tasawwuf)というが、神秘家自身のことをアラビア語でも「スーフィー」と呼ぶのでこの名がある。なぜこう呼ぶかについての一般的説明では、「スーフ」が羊毛を意味するから、「スーフィー」とは「羊毛を着た者」のことというのである。井筒俊彦氏によると、古代のアラビアでは「羊毛の粗衣」は下層社会、極貧者、奴隷、囚人等の衣であると同時に、アラビア半島の砂漠の奥地に密かに棲んでいた多数のキリスト教の隠者、修道士の衣でもあったという。イスラムが政治権力や経済的繁栄と結びついた後世、物質的繁栄が魂の腐敗を招くとして世を捨て、羊毛の粗衣を着て隠遁生活に入る人も多く出た。そこから「羊毛を着る人」とは、現世的生活を厭離して苦行することを意味するようになったらしい。

 このように、世俗を捨てて神や仏に近づこうとする考え方は、キリスト教の「修道士」だけでなく、仏教でいう「出家」や「修行」の概念とも似ている。ここで強調しておきたいのは、イスラムの信仰は発足の初期から、すでにキリスト教の隠者や修道士との接触を暗示するような考え方や生き方を生み出していたということである。しかし、アッバス朝(750~1258年)より前の初期の段階では、「魂の救済のために現世を離れる」という「考え方」や「生き方」が追求されただけであり、その生き方から得られたものを一つの「主義」(ism)や「思想」として深めるまでには至っていなかったようだ。前掲の井筒氏によると、スーフィズムが組織され始めたのは「西暦8世紀の末葉、所はクーファ及びその付近一帯の地域であったことはほぼ確実」という。もちろん、教祖モハンマドの没年(632年)以降のことである。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月23日

中高生の喫煙率が“激減”

 新聞を読んでいて久しぶりに「善いニュース」に出くわした。中高生の喫煙が大幅に減少しているというのである。『産経新聞』が8月23日付で報じた。ところが、これが1面や社会面にではなく、ローカル面に掲載されていたというのは、うなずけない。決してローカルなニュースではなく全国統計なのに、である。埼玉県和光市にある国立保健医療科学院の研究班が10万人規模の中高生を対象に16年度に実施したアンケート調査による。それによると、平成12年度との比較では、「直近1ヵ月に1回以上喫煙した」という生徒の割合が高校3年男子は37%から21.8%に、中学1年男子は6~8%から3.2%に、高校3年女子は16%から9.7%に急減している。そして、その原因の背後には「ケータイの普及」があるという分析なのだ。

 もちろん、ケータイだけが原因ではなく、同科学院では大人の喫煙率の低下や公共の場での禁煙の浸透なども中高生に影響していると見ているが、“ケータイ非携帯派”の私としては何とも複雑な心境だ。同科学院の林謙治次長の推測では「中高生の携帯電話の所有率が増えており、タバコに使う小遣いが圧迫された可能性も高い」というのだ。私は「ウーン」と考えてしまう。「ケータイ所有率」の増加が喫煙減少をもたらすなら、「ウォークマン所有率」や「ゲーム機所有率」「ラジカセ所有率」「個室所有率」などの増加は、なぜ喫煙率の減少に結びつかなかったのだろう? 「個室」を除けば、どれも小遣いの出費増加の原因になるはずなのに……。それとも、ケータイだけは特別であって、ゲームや音楽への欲求など役に立たないほどの中毒性をもったタバコを、さらに上回る中毒性をもっているため、タバコは毒によって毒を制されたということなのか。林次長は、このケータイの普及に関して「今後喫煙率低下との関連性を調べるべきだろう」と言っているが、ぜひ詳しく調査して結果を教えて頂きたいと思う。

 私はケータイを持たないので「ケータイの魔力」について語る資格はないかもしれない。しかし、3人の子供をケータイから遠ざけようと努力してきた親の立場から言わせてもらうと、高校生活を終るまで彼らにケータイを与えなかったことを、私は全く後悔していない。私は、パソコンを使った電子メールの使い手としては、日本ではかなり“草分け”的存在だったと自負している。だからこそ、あの魅惑的な電子メールがいつどこでも手軽に使えるケータイなど、学齢期の子供には与えてはいけないと考えたのだった。人間には、特に若い頃には、誰の助けも借りずに独りで悩んだり、努力したりする時期が必要だと思うのである。友だちはもちろん大切である。しかし、判断力と実行力は、他人の顔色をうかがったり、他人の意見ばかりを聞いていては養われない。

 また、ケータイは、他人のプライバシーを踏みにじる機械であり、かつ「公」の中で強引に「私」を主張する機械である。そういう道具を子供の頃から与えていることと、最近の子供が、公共の場でまったく「慎み」を知らずに、あたり構わず座ったり、大声で騒ぎまわったりすることと関係がないのだろうか? 私は、こういう社会現象の背後に共通のメンタリティーを感ぜずにはいられないのである。

谷口 雅宣
 

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2005年8月21日

難波田龍起展

 新宿の東京オペラシティーでやっている「難波田龍起展」を妻と一緒に見に行った。抽象絵画で知られるこの画家について、私は事前に何も知らなかった。が、「生誕100年記念」と銘打った展覧会だったので、ある芸術家の一生を作品とともに概観できるいい機会だと思って足を運んだ。先入観や予備知識が何もないものと“遭遇”することで、思わぬ刺激を受けることがある。それを半ば期待していたのだ。期待は外れなかった。私は抽象絵画をあまり理解しないが、この画家がギリシャ彫刻や風景画から入って、ピカソのキュービスム的な絵を経由し、焼物や陶版画を経験して、抽象画へと入っていく道程を見ることで、何となくこの画家の精神の動きを理解したように思う。特に、灘波田画伯は、69~70歳にかけて2人の息子を相次いで亡くし、その衝撃から立ち直ろうと制作に没頭、大作を次々に生み出していくが、その“気魄”が如実に感じられる作品には感動した。

 もう一つ強く印象に残ったのは、この画家が90歳を越えた晩年、体調を崩して入院し、日記の代わりに葉書大の抽象画を連作した「病床日誌」だ。ベッドで油彩は使えないから、それに代わって色のサインペンと色のボールペンによる細かい線描で、絵の奥から何者かが浮きあがってっくるような効果をもった作品群だ。最期の最後まで絵を描き続けるという画家の表現への情熱には、感嘆させられた。

 かつて本欄の前身である『小閑雑感 Part 3』で「ヒトはなぜ絵を描くか」について少し触れたことがあるが、その時、絵は「文字以前のコミュニケーションの手段」だという説を紹介した。この場合のコミュニケーションの相手は、必ずしも人間とは限らない。宗教的な儀式の際も「絵」が用いられることがあるから、人間を超えたものへの伝達手段としても絵が描かれたということだ。このことを描き手の側から表現すると、画家は自己を超えたものに到達するために絵を描く、と言うこともできるだろう。自分の死期を知った画家は、毎日絵を描くことを通して一体何をしようとしていたのか……私はただ想像することしかできない。

 展覧会を見た後で、同じ建物内にあったコーヒーショップでひと息入れた。そのとき出てきたティーポットと砂糖入れの形が気に入った。純白容器のつくる曲線と陰影のからみ合いを、何かに映し取っておきたいと思い、ペンを走らせた。その際、難波田画伯の「病床日誌」にあった曲線を再現したいと試みたが、成功したかどうかは不明である。
Teapot


谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月20日

信仰と進化論 (2)

 8月16日の本欄で、新ダーウィン派進化論に関してカトリック教会の内部で不協和音が生じているらしいことを書いたが、2つの科学誌がこのことを取り上げている。一つはアメリカの科学誌『Science』(8月12日号)で、もう一つはイギリスの『NewScientist』誌(8月13日号)だ。カトリック教会は、新法王ベネディクト14世になって、前任者の柔軟路線から方針転換するかどうかが注目されているが、進化論をどう考えるかが、教会と科学との関係を探る一種の“踏み絵”となると考えて、科学者たちは神経を尖らせているのだろう。つまり、進化論を受け入れれば、科学との関係は「方針転換なし」というわけだ。

『Science』は、7月7日付の『ニューヨーク・タイムズ』(日本では7月8日付『ヘラルド朝日』紙)に載ったウイーン大司教の論文が、アメリカの多くの科学者を心配させたと書いた後、8月の初めにバチカンの宇宙科学者、ジョージ・コイン氏(George Coyne)がイギリスのカトリック信者向け出版物で、大司教の論文が「すでに暗い影を落としている進化論論争をさらに暗くしている」と批判したことを取り上げている。またその記事には、ウィーン大司教の論文が出てまもなくの7月13日付で、アメリカのカトリック信者で進化論を擁護する3人の科学者が、新法王宛に手紙を出して、前法王の立場を再確認してほしいと要望したことが書いてあった。その中の一人が、私が先に触れたブラウン大学のケン・ミラー教授だ。これに対し、法王の科学面での助言者である生物学者、ピーター・レイヴン(Peter Raven)氏は、ウィーン大司教の論文は法王自身が認めたという証拠がないのに、科学者たちは“過剰反応”していると述べている。

『NewScientist』の記事は、もっと警戒的だ。同誌は、コイン氏のウィーン大司教批判論文の内容を紹介した後、コイン氏の批判に先立つ8月1日、ブッシュ大統領が「学校は知性ある設計の考え方を教えるべきだ」と発言したことを書き、さらに「教育とは、人々をいろいろな考え方に触れさせることを含んでいると思う」とのブッシュ氏の言葉も伝えている。まるで、ウィーン大司教とブッシュ大統領が“同一陣営”に所属しているとでも言いいたそうな書き方だ。

 ところで、前法王のヨハネ・パウロ2世が「進化論を認めた」とする1996年の文書を私は英語で読んでみたが、実に難解な文章でかつ、進化論については明確な肯定も否定も含まれていないので困ってしまった。どなたか、日本語の公式文書がある場所(URL)を教えていただけないだろうか?

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月19日

催眠鎮痛法の不思議

 宇治の盂蘭盆供養大祭の4つの御祭を終えた。聖経を1日4回読むことは珍しいが、30℃を超える暑さの中で読誦していると、一種の“トランス状態”に近くなって却って暑さを感じなくなるものである。そんな時、気がつくと『天使の言葉』に出てくる催眠術の話の箇所を読んでいたりする--

 肉体に若し催眠術を施して
 彼の念を一時的に奪い去れば、
 針にて刺すとも痛みを感ぜず、
 メスにて切るとも痛みを感ぜず、
 無痛刺針、無痛施術等自由自在に行わるるに非ずや。

 子供のころ『天使の言葉』を読んでいて、この箇所とロンブロゾーの実験の箇所が印象に強く残っていたのを思い出す。「催眠術」という言葉は、「忍術」とか「妖術」とか「交霊術」のような何か“異様”で“異常”な手段のようなニュアンスをもっているが、最近はその医学的効果が認められて、きちんとした医療行為の一部としてヨーロッパの一部の病院で利用されているらしい。『NewScientist』の8月6日号が、4ページを使ってその報告記事を書いている。

 ベルギーのある病院では、「催眠鎮痛法」(hypnosedation)という処置によりすでに4800例を超える手術をしているという。これは、局部麻酔と微量の麻酔剤を併用することで全身麻酔をせずに手術する方法らしい。全身麻酔には、手術後の認知や記憶能力に悪影響が出たり、傷の回復が遅れるという副作用があるため、別の方法を模索していたという。また、全身麻酔を経験した人は、後年になってアルツハイマー病やパーキンソン病のような神経細胞が退縮する病気を発病しやすいとの研究結果もあるらしい。さらに、麻酔剤は体の免疫系にも悪影響を与えるとの報告もあるという。これに対し、催眠鎮痛法の長所には、出血が少ないので手術がしやすいという点が挙げられる。麻酔剤を使うと、体に傷をつけると血管が収縮するという自然の反応が麻痺してしまうので、出血が多くなるらしいが、催眠鎮痛法ではそれがない。また、全身麻酔の際は人工呼吸器をつけねばならないが、この機械は胸に圧力をかけるので出血を促進してしまう。しかし、催眠鎮痛法では、患者は自分の力で呼吸するので、この問題がない。さらに催眠中の患者は意識があるので、体の位置を変えるとか、瞼を動かすなどして手術に協力することもできるという。

 催眠術が痛みを和らげる理由については、実はまだよく分かっていないらしい。最近脚光を浴びているfMRI(機能的核磁気共鳴映像法)による脳の研究では、催眠中とそうでない人の痛みに対する脳内の反応には大きな違いがあることが分かっている。痛みが直接伝わる脳の領域の反応は、両者の間に大差はなくとも、高度な機能を司る脳の領域には大きな違いが見られるらしい。また、痛みの感覚は催眠中に制御することもできるという。例えば、心の中に痛みを調節する“ダイヤル装置”を思い描き、そのダイヤルを心の中で操作して痛みを和らげる方向に回すことで、実際に痛みが減少するとの実験結果もあるらしい。こういう医学上の実験のことを知ってみると、『天使の言葉』にある「物質にあり得べからざる痛苦を物質なる肉体が感ずるは、唯『感ずる』と云う念あるが故なり」という言葉の重たさがよく分かるのである。

 体の中にメスを入れる手術でさえ、心の持ち方で痛みを制御できるのだから、夏の暑さでヒーヒー言ってばかりいてはいけないのだ。聖経読誦に限らずとも、何か生産的なことに熱中して夏の暑さを吹き飛ばそう。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月18日

日本の水資源

 8月4日の本欄で「ペットボトルの水」のことを書き、それが地球温暖化に貢献するだけでなく、主たる消費者である先進国の人間によって世界の水の値段が吊り上がっているとの批判を紹介した。が、その際、「日本には水が豊富にあるから渇水問題は当分深刻化しまい」などと考えていた。ところがその後の猛暑で、東海以西に雨が少なくなり、給水制限をする県も一部では出てきた。今日は、恒例の大祭のために京都府宇治市へ来ているが、車中から見た宇治川の水位は例年より低かった。そんなところに、新幹線内で『ウェッジ』8月号に掲載された「日本の水神話は崩壊寸前」という記事を読んだ。そこには、「一人当たりの量では、日本の水資源は決して豊富ではない」と書いてあった。

「水資源量」という概念がある。それは、国土に降った雨や、外国から流れ込んできた河川の水量の合計から、蒸発する量と下流の外国へ行ってしまう分を差し引いた量だ。日本の場合は、降水量 -(河川から海への流出量+蒸発量)ということだろう。この量を人口で割ると、国民一人当たりが利用可能の水量となる。国土交通省によると、日本のこの量は年間3,337立方メートルで、世界で「91位」という。(9位ではない!) この量はトルコより少なく、イラクよりわずかに多い程度だという。同じ計算式を関東地方に当てはめると、一人当たりの水資源量は905立方メートルとなり、“砂漠の国”と思われているモロッコやエジプトとほぼ同じ水準なのだという。

 この話を妻にしたら「信じられない」という顔をした。
妻「でも、日本はトルコやイラクより緑の森がずっと豊かにあるのに……」
私「あの計算式には既存の地下水は含まれてないからね。その地下水のおかげで森林があるんじゃないの」
妻「“91位”が悪いってわけじゃないでしょ?」
私「日本に特別豊富に水があるわけじゃないってことだと思うけど」
妻「水の質の問題は?」

 この水資源の問題は、なかなか分かりにくい。なぜなら、地球は“水の惑星”で水自体は豊富にあるからだ。上の計算式には「地下水」が含まれていないだけでなく、国外からの輸入量も含まれていない。因みに、この記事にあるミネラルウォーターの使用量は、国産と輸入を合わせた量が1986年に8万2179キロリットルだったのが、2003年には146万4077キロリットルにまでなっている。17年で18倍だ。これに比べて国内の年間使用量は、1975年の850億立方メートルから、2001年の859億立方メートルへと微増しているにすぎない。このうち増加しているのが生活用水の利用で、1975年の88億立方メートルから2001年には143億立方メートルまで増えた。農業用水や工業用水への利用は、逆に減少している。つまり、我々が一般家庭で使う水とペットボトルの飲料水の使用量が、どんどん増えていることになる。

 日本の水資源は“特別に豊富”という考えはそろそろ改めて、水道水が飲める有りがたさに感謝しつつ、水を大切に使わなければならないと思う。

谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年8月17日

『亡国のイージス』

 映画『亡国のイージス』を見た。購読している産経新聞が推薦していたからだ。しかし、120万部も売れているという原作は読んでいなかったから、内容については「自衛隊のイージス艦が叛乱を起す話」程度の知識しかなかった。それで、感想を結論的に言ってしまうと「映画としては失敗ではないか」ということだ。ほとんどの人は原作を読んでから映画館へ行くのだろうが、私は映画だけを見て、「何がどうなってこんなことになるのか」がほとんど理解できなかった。だから、映画館を出てからも周囲いっぱいの「?」マークを眺めていたという次第である。かつて『ザ・ラスト・サムライ』を見たときは、その壮絶なエンディングの伝えるメッセージをかなり批判的に捉えたが、映画の言っていることは比較的よく分かった。しかし今回は、「この映画、何を言いたいの?」という感想だった。

 まぁ、これだけの感想では、情熱をもって制作した数多くの人々に申し訳ないので、何が不満なのかを少し書かせてもらおう。最大の不満は、「リアリティーがない」ということである。もちろん映像は実写や精巧なセットを使っているから、いわゆる“リアル”ではある。しかし、ストーリー展開が速すぎるためか、あるいは説明不足(結局同じことだが)なのか、登場人物が何を考え、何を感じているのかがサッパリ分からない。自衛隊ならば、国民の生命と財産を護ることが第一任務であるのに、それを敢えて放棄し、逆に国籍不明の外国人と結託してテロを画策するのである。それならば「なぜそうするのか?」の説明が必要である。が、「ある防衛大学生の論文」に同調したとか、日本社会に愛想をつかせたとか、防衛庁内部の問題に嫌気が差したとか……そんないいかげんな理由で最新鋭護衛艦を乗っ取られるのではタマラナイ。もちろん、原作にはもっといろいろ書き込んであるのだろう。しかし、映画ではこの「動機」の部分がほとんど描かれていない。いきなり、乗っ取り事件が始まるのである。

 動機が不明なのは副艦長に同調した叛乱グループだけでなく、国籍不明(北朝鮮のようだが)の東洋人グループの目的もよく分からない。乗っ取った艦を東京湾内に進入させて、大量破壊兵器で市民を殺戮すると脅しながら、その脅しの目的がさっぱり不明である。いや、ストーリー上は箇条書きの要求が出てくるのだが、その要求のいちいちが、乗っ取り犯にとってなぜ利益になるのかが全然分からない。だから、“脅し”自体にもリアリティーが出てこないのである。私にとって一番理解できたのは、国家安全保障会議(?)の中のやりとりだけである。あそこで首相や大臣が何を考え、何をしようとしているかは比較的理解できた。が、叛乱軍と外国勢力との結びつきは“あり得ない”と感じられた。映画は、その説明をすっ飛ばしているか、あるいは描いてもいいかげんである。そして結局、印象に残っているのは、キッタハッタの大立ち回りのような艦内での戦闘シーンである。これでは、ハリウッド映画とどこが違うというのだろうか。

 ところで、映画鑑賞後、頭の中の「?」のいくつかでも解消しようと思ってプログラムを買った(1000円もした!)。そして中身を読んでから、私が上のような不満をもった理由がいくぶんか理解できた。私は、産経新聞が力を入れて推薦するのだから、この映画は、「国家」とか「国防」についてきちんとした主張をもっているのかと期待していたのだ。しかし、原作はともかく、この映画はそういう「思想性」を極力排除して作ったものだというのである。防衛庁情報局内事本部長の役をした佐藤浩市氏が、その間の事情をインタビューの中で次のように語っている:

「思想的背景の部分もおおいにある物語ですから、それが前面に出てしまって、複雑に見えてしまうと、お客さんがそこに引っ掛かっちゃうんじゃないか、ということですね。大切なことは、この映画はあくまで、特定の層を狙わない、老若男女幅広い層に観ていただける映画ということで、受け止め方、感じ方は様々でいいんです。あまりに特異な部分はできるだけ排除して、幅広い方々に理解して、考えてもらえるようにするにはどう演じたらいいのか、ということを阪本監督とも話をしました」

 原作の“特異”な部分をできるだけ排除して、誰にでも受け入れられるような作品にした--こういう作り方がハリウッド映画とどう違うのだろう? 所詮、映画は大衆エンターテイメントということか。最後まで疑問の残る映画だった。

谷口 雅宣


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月16日

信仰と進化論

 本欄で前回、アメリカ国内で台頭してきた「知性による設計」(ID)論のことを書いたが、北カリフォルニア在住の川上真理雄さんが、コメントを寄せて興味あるウェッブサイトを紹介してくれた。そのサイトのリンクをたどってみると、さらに面白いウェッブサイトに遭遇した。それは、ブラウン大学の生物学教授、ケン・ミラー博士(Kenneth Miller)が主催する「ブラウン大学進化論資料」というサイトである。このミラー氏は、「知性による設計」論に対して、カトリックを信仰する科学者としてダーウィン流(正確には新ダーウィン派)の進化論を擁護してきた人である。私はこれまで漠然と、カトリックの信仰は『創世記』の天地創造説を信じるのだから、進化論とは相容れないと考えてきた。また、「知性による設計」論を提唱する人は、科学の中に神を位置づけようとしているのだから、カトリックを含むキリスト教徒とは一種の“同盟関係”にあるのだと思っていた。ところが、カトリックの信仰をもちながら「知性による設計」論を批判し、進化論を擁護する科学者がいる--これは驚きだった。

 実は数日前、私は今年7月8日付の『ヘラルド朝日』紙に掲載されていた進化論についての論説を読み返していた。それは、ローマ・カトリック教会の枢機卿でウィーン大司教でもあるクリストフ・ショーンボーン氏(Christoph Schonborn)の書いた「進化の中に設計を見る」(Finding design in evolution)という文章だった。ショーンボーン枢機卿は、1992年にカトリック教会が出した公式の教義問答書の編集長である。だから私は当然、進化論に対する彼の見解はカトリック教会の公式見解だろうと考えた。その論説は、新ダーウィン派の進化論を正面から批判し、前の法王、ヨハネ・パウロ2世の次の言葉を断定的に引用していた:

「生命の発展に関するあらゆる観察は、一つの類似した結論に我々を導く。それは、生物の進化は、驚くべき内的完結性を示しているということである。科学は、その進化の段階を決定し、メカニズムを知ろうとする。この完結性は、生物自身が知ることのない方向へと生物を導いていくから、我々にある「偉大な心」、方向の発案者、そして創造者の存在を知らしめざるを得ない」

 この引用文の考え方は、生物進化の背後に知性を見るという「知性による設計」論者の考えを彷彿させる。それに文章のタイトルそのものが、IDの考え方を凝縮している。だから私は、現在のカトリック教会の公式立場はIDと同じなのだと理解した。「もしかしたら、ID運動の背後にはカトリック教会がいるのかも……」とさえ感じていたのである。ところが……である、ミラー氏はウェッブサイトに掲載した文章の中で、このショーンボーン枢機卿の解釈は神学の面では正しくても、IDの考え方も、新ダーウィン派のそれも、まったく誤解していると断じているのである。

 枢機卿は、新ダーウィン派の進化論は「方向性や計画性のないデタラメな変化と自然淘汰が、人間を含めた地上のすべての生物を生んだ」とするから、「根本的に無神論的」というが、そのような理解は間違いだと言う。そして、新ダーウィン派進化論の主唱者であるジョージ・シンプソン(George Gaylord Simpson)の次のような言葉を引用する:

「進化の過程の働き方は、まったく自然である。この自然な過程は、目的者の関与なしに目的を現わし、計画者による同時的介入なしに膨大な計画を生み出している。もしかしたら、この過程の始動と、過程を支配する物理法則には、一つの目的があり、また、ある計画を達成するためのこの機械的な方法は、偉大な計画者の道具なのかもしれない。このようなさらに深い問題については、科学者は科学者としては何も言うことができない」

 これを簡単に言えば、「ランダムな突然変異と自然淘汰の過程は、どこにでも見られる自然な、しかも機械的な過程であって、その過程が進行している最中に目的や計画が介入するわけではない。しかし、この機械的な過程を地上で働かせるというそのことには、もしかしたら偉大な目的があるかもしれない」ということだろう。つまり(ここでは明確に言っていないが)、神が世界を創ったのならば、その創造の際に生物が突然変異と自然淘汰によって言わば“自動的に”進化する仕組み自体を創ったのかもしれない。しかし、科学者は、進化の仕組みが「どうであるか」を言うことができても、その仕組みが「何のためにあるか」という点については、科学者としての発言はできない、ということである。これは、「水素に酸素を近づけると水になる」という法則について科学はいろいろ発言するが、何のためにこの法則があるかについて科学は発言しない、ということだろう。

 こうして、ミラー氏はカトリックの信仰と進化論とを自分の中で見事に共存させているのである。

谷口 雅宣


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月14日

知性による設計

 3月24日の本欄では、アメリカで進化論が攻撃されていることを書いた。聖書の『創世記』の天地創造神話を“真理”だとして、ダーウィン以来の進化論を批判する人々を「創造主義者」(creationist)と呼ぶそうだが、『創世記』の記述が科学とかけ離れていることは自明だから、それによって進化論を批判するのは無理だと考えたのだろう。創造主義者の次なる手として「知性による設計」(intelligent design)の理論が、科学者を含めた宗教肯定派の人々から提出され、その理論を、公立の教育機関で進化論と同列に教えさせようとする運動が進んでいるそうだ。進化論擁護者の中には、この動きを“科学に対する攻撃”として危険視している人々もいるという。7月9日号の『NewScientist』誌が伝えている。

「知性による設計」論は、その英語の頭文字を取って「ID」あるいは「IDT」(Tは theory の頭文字)とも呼ぶらしい。この理論は、アメリカ・ワシントン州のシアトルに本拠を置くシンクタンク、ディスカバリー研究所を震源地とするようだ。ここの科学者(数学者で哲学者)、ウィリアム・デムスキー(William Dembski)氏らによると、IDは、自然の背後に一般的な超自然的知性が存在するという理解へ導く科学的方法だという。IDは、自然淘汰による生物の進化をまったく否定するのではなく、“小さな役割”は認める。また、すべての生物が一つの共通の祖先から発展したことも認める。しかし、ダーウィンの進化論が生物進化の全面にわたって突然変異と自然淘汰が働くと主張するのに対し、IDは、生物進化のいくつかの側面では、まったくランダムな変異ではなく、何らかの目的に沿った変化が起こっていると主張する。ペンシルバニア州ベツレヘムにあるリーハイ大学の生化学者、マイケル・ベヘ博士(Michael Behe)も、このIDの考え方を擁護する。

 IDは、生物の構造の複雑さに注目し、その複雑さはダーウィン流の突然変異と自然淘汰ですべて説明できないと考える。例えば、バクテリアのもつ鞭毛は40種類以上の蛋白質からなっているし、血液が凝固する際には10個の蛋白質が協力し合っている。これらの機能は、関係する蛋白質のどの一つが欠けても破綻してしまう。そんな重要な蛋白質がいくつも同時に作成されるような遺伝子の変異が、偶然に起こる可能性はほとんど考えられないとするのである。だから、何らかの高度な知性が生物進化の背後に存在するに違いないと考えるのである。

 この考え方は、基本的には18世紀の神学者、ウィリアム・ペイリー(William Paley)の「自然神学」の考え方と同じである。この話はかつて全国大会でも取り上げたことがあるが、ペイリーは、無人の荒野を歩く人が突然、時計が落ちているのを発見したら、その時計は太古からそこにあるのではなく、知性と目的意識をもった時計職人がそれを創造し、何らかの理由でそこへ置いたか、落としたかしたと考える、と説明した。そのことに誰も反対できないし、それが真実だとペイリーは言って、自然界に存在するあらゆる生物が、この時計よりも遥かに精巧に作られ、見事なデザインであることを説明し、そのすべてを創造した設計者がどこかに必ず存在することは間違いない、と結論したのである。この「時計職人」の喩話を逆手に取り、コンピューター・モデルを駆使して「突然変異と自然淘汰の力さえあれば、無目的な力によっても優れたデザインが実現する」ことを論じたのが、イギリスの生物学者、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)だった。彼が著書に『盲目の時計職人』(The Blind Watchmaker)という題をつけたのが象徴的だ。

 だから、アメリカでは今、この“自然神学”が現代的装いも新たに復活しつつあることが分かる。人間が、事象の生起する背後に何らかの「目的」や「計画」を想定することは、恐らく進化の過程で獲得した“本性”とも言えるものだ。この本性にしたがって、人類は宗教や哲学、そして科学を発達させてきた。現代の進化論は、その科学の立場から、自らの母体たる「目的」や「計画」を否定する道へ突き進んでいるように見える。科学の内部から抵抗が起こるのも、当然だと考えられる。

谷口 雅宣

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年8月13日

歴史教科書の見方

 今日(8月13日)の『産経新聞』は、扶桑社の中学校用の歴史教科書を東京・杉並区の教育委員会が採択したことを1面で大きく報道している。まぁ、自社と関係の深い出版社が出した教科書の採用を喜ぶ気持は分かるが、新聞社が“客観報道”をあまり重視していないことをさらけ出すようで、何となくしっくりしない。これに対して、『産経』とは報道姿勢で対極をなす『朝日新聞』は、東京の地方版のトップでこれを伝え、「今回は4年前とは逆に、3対2で同社版の採択が決まった」と事実を伝えた後に、反対3、賛成1の割合で関係者の意見を掲載している。こちらも“中立の立場”とは決して言えないだろう。そもそも私は“中立の報道”などありえないと考えているから、世の中の出来事を本当に中立的に知ろうとするならば、新聞もテレビも本も、複数のソースに当る必要があると思い、新聞は上記2紙を併読している。

 ここ数年続いている歴史教科書の問題は、すでに相当“政治化”していて、特に今の時期は首相の靖国神社参拝とからんだ外交問題とも関係し、さらに言えば、今回の自民党の内紛、解散・総選挙とも関係してくるだろう。そういう意味では、私の本欄での発言が特定の政治勢力を擁護する印象を与えることは極力避けたい。しかし、将来の日本を担う若者に過去の日本の歴史をどのように伝えるかという重要な問題に対して、「政治化」を理由に沈黙を守るというのも無責任の誹りを免れないと思う。そこで、ここではできるだけ分かり易く、私のこの問題についての理解の“大筋”を述べ、読者の皆さんの参考に供したいと思う。

 対立の一方の立場は、かなり明確だと思う。それを単純に言えば、①「戦後日本の教育は左翼の“自虐思想”の浸透に貢献してきたから、それを“正常”にもどすために、戦前の日本で認められてきたことで現在も価値あるものは教育に復活させるべきだ」ということになるだろう。これに反対する立場を単純化して言えば、②「戦後日本の教育は、思想的な面ではあまり問題なく行われてきたのに、最近になって戦前の思想や戦争を美化する勢力が増えてきて、歴史教科書の内容を変えようとしている。そんなことを許してはならない」となるだろう。この2つの立場は、複雑な問題を強引に単純化しているので不充分な点が多くあるが、問題整理の一助として掲げた。私は、この2つのいずれにも欠陥があると思う。①の欠陥は文章の後半で、「戦前の日本で価値あるとされてきたことで、現在の日本でも価値あるとされるものは何か」について、必ずしも明確に述べていないことである。これでは、②の立場の人が抱く「戦前と同じ社会にもどそうとしている」という不安を払拭できないだろう。

 ②の立場の問題は、文章の前半にある「戦後の教育は、思想的な面であまり問題がない」という認識である。日本の戦後の教育は、日本の現代史を真面目に教えなかっただけでなく、「日本の現代史は教える価値がないほどつまらない侵略戦争の歴史だ」という印象を生徒に与えてきた。私自身がそういう教育を受けた。しかし、現在ではもちろんそう思っていない。日本の歴史は現代史こそが重要であり、日本人は、ここで起こった善も悪もすべてをよく理解し、善を伸ばして悪をはびこらせない努力をすべきだと思う。そういう意味では、歴史教科書は、現代日本の善も悪もひっくるめてきちんと教えることが重要だと思う。このことは、大東亜戦争(あるいは太平洋戦争)を含めたその前後の歴史についても言える。こういう基準から話題の歴史教科書を読んでみると、その記述の内容には残念ながら“合格点”をつけることができない。

 あまり細かな点は取り上げずに、要点にとどめよう。扶桑社の教科書は、大正デモクラシー後、日米開戦に踏み切るまでの日本社会の“潮流”について、ほとんど記述がない。私が言っているのは、社会がどのように動きながら戦争に突入したか、ということである。もちろん、同社の教科書には西田幾多郎、柳田国男、谷崎潤一郎、芥川龍之介などの文化人の記述はある。しかし、普通の日本人が満州移民をどう考え、満州事変をなぜ擁護し、右翼テロや一部将校の叛乱をどう評価したのか。当時の言論や出版の自由はどうだったのか。また、それはなぜそうなったか等のことに、まったく触れていない。だいたい、この教科書には「軍国主義」という言葉が一切出てこないのである。これは、教科書の執筆者が「戦前の日本に軍国主義は存在しなかった」と考えていることを示すのだろうか?

 この点、平成元年の検定を受けた東京書籍の教科書には、次のようにきちんと書いてある:「言論や教育の面でも、思想上の取りしまりがますます強くなり、戦争に反対する意見を述べることもできなくなった。大部分の国民は、政府の発表や、新聞・ラジオなどの統制された報道によって、戦争の勝利を信じ、戦争を続けることに疑いを持たなかった」(P.281)。

 もう一つ重要な点を挙げれば、同社の教科書は、大東亜戦争終結に当って昭和天皇が重要な役割を果たされたことは「聖断下る」と題して記述しているが、それでは同じ戦争の開戦に当って、軍の統帥者である天皇御自身がどのような役割を果たされたかについて何か書いてあるかというと、これには全く触れていない。そこではハル・ノートを説明した後に、「これを最後通告と受けとめた日本政府は、最終的に対米開戦を決意した」とあるだけだ。これはなぜだろうか? 昭和天皇は開戦と終戦の双方ばかりでなく、戦争中も軍の統帥者として大変重要な役割を果たされているのだから、1つのことを書くならば、他の2つのことにも触れる必要があると思う。この問題は、日本が近代国家として初めて独自に考案した「大日本帝国憲法」の規定の根幹に触れるものであり、ひいては戦前の日本社会全体の動きと深く関連している。そういう問題意識が感じられない点、はなはだ残念である。

 このほかにも書きたいことは多くあるが、他の教科書を擁護するつもりもないので、この辺で終りにしたい。最後に結論的に言えば、扶桑社の教科書は上記の①の立場に限りなく近いように見えるので、よい所も多々あるが、戦争を擁護しない立場の私には推薦することができないのである。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月12日

アラスカの氷河

 ニューヨークから成田へ帰るJAL005便の機内から、何度も窓外を見た。JFK空港を現地の午後2時ごろに発つ便で、約12時間飛んで成田着は翌日の夕方である。普通に考えれば、窓外は時間の経過とともに暗くなるはずだが、ついに暗くならなかった。その理由は、搭乗機はカナダのハドソン湾沿いにオンタリオ州、マニトバ州、北西地方からアメリカのアラスカ州の上空へ至り、太平洋はアリューシャン列島上空を飛んで日本へ向う北回り線だったからだ。いわゆる“白夜”の中を飛んでいたのだ。空がよく晴れていたので、通過したカナダの各州の地形がよく見えた。この地方はほとんど山がなく、延々と湖沼地帯が続いている。大小さまざまな形の湖沼が、地面にコインを敷き詰めたように一面に広がっている景色を見て、私は釧路の根釧台地を思い出していた。もちろん、広さはその数百倍にもなるのだろう。

 もう一つ考えたことがある。それは、この湖沼地帯の海抜のことである。一見した感じでは、海抜があまり高くない平原に無数の湖沼がある。東京へ帰ってから調べてみると、オンタリオ州の最高地点は693メートル、マニトバ州の最高地点は832メートル、そして広大な北西地方は、西側に山脈が走っているから2,773メートルだった。地球温暖化は極地に近い地方で深刻だと言われているから、北極の氷が溶け出すことで被害を受けるのは、南太平洋の島だけでなく、この大湖沼地帯も含まれるのでは……そういう憶測が頭の隅を走ったのである。アラスカ上空に入ってしばらくすると、客室乗務員が声をかけてくれた。北アメリカの最高峰、マッキンレー山(6,194m)が見えるというのである。銀白色の山脈が続いていて、遠方に白い山が見える。少し富士山に似ていると思った。それらの山々の谷間に氷河がくっきりと見えた。しかし、それが凍結した氷なのか、それとも氷の浮いた川なのかは私の目には判別できなかった。この時も、私は温暖化のことを考えていた。アラスカは特に、その度合いが激しいと聞いていたからだ。

 7月16日号の『NewScientist』誌が、アラスカの氷河の退縮の様子を一目で教えてくれる見事な写真を掲載している。ここでご覧に入れられないのが残念だ。現在の氷河の様子は、写真を撮ればすぐ分かるが、過去との比較ができなければ、温暖化で氷河が退縮することの意味を充分には理解できない。同誌に取り上げられた写真では、巨大な霜柱が密集したような山間の平原の先に、雪を頂いた山が見える。近景は凍てつい岩だ。ただしこれは白黒写真で、その下に、まったく同じ角度から同じ山を撮ったカラー写真が並べてある。が、ここでは巨大霜柱の平原の代わりに、山間には青い水を満々と湛えた湖がある。近景の岩は見えず、同じ場所に緑の木が生い茂っている。写真説明には、「氷河湾のクイーン入り江にあるキャロル氷河の1906年と2004年の比較」とある。

 記事によると約100年前、ジョン・ムーア(John Muir)という人のグループが、アラスカの氷河の写真を1600枚以上撮り続けていたという。そこで最近、ブルース・モルニア(Bruce Molnia)という人がチームを組んで、ムーア氏の撮った白黒写真をもとに、同じ場所をカラー写真で撮る仕事を始めたという。一世紀前の写真を携えてアラスカ各地へ行き、かつての撮影場所を特定できたものが200枚以上あったという。そういう調査によって判明したことは、アラスカの海抜1500メートル以下の高さにある2000以上の氷河では、その99%が後退しているということだ。「後退」とは、氷河の一部が溶けて湖や川となり、年中凍っている部分が海抜の上の方へ退縮するという意味だ。溶けた氷は当然、川や地中を経由して海へと流れ込む。アラスカでは過去60~70年のうちに、気温が2~3℃上がっている。

 新旧の比較はできないが、アメリカ政府の地質学研究所のウェッブサイトを見ると、最近カラー撮影したアラスカの氷河の様子が眺められる。「暑中の涼」を得るためだけでなく、温暖化の実情を見る意味でも一見に値すると思う。

谷口 雅宣


| | コメント (1) | トラックバック (1)

2005年8月 9日

ロブスターの豊漁

 ニューヨーク滞在最終日の9日、ホテルから近い53丁目通りにある「ザ・ブラッセリー」という料理屋へ妻と2人で行った。メニューを見ると海産物がほとんどなので、獣肉食をしない我々にはありがたかった。レギュラーのメニューとは別に、色刷りでロブスター料理を集めたメニューが来たので、冷製ロブスター入りサラダとブイヤベースを注文した。両方ともアペタイザーの部類に入っていたものだから、注文を受けたウェイターは「それだけでいいのか?」と不思議そうに聞いてきた。私は自信をもって「これでいいです」と言った。アメリカの料理は日本の倍ほどの量が出るから、うっかり日本のつもりで注文すると大量の残飯を出すか、無理に食べてウンウン言わなければならなくなる。若い人は、それでもどうにか耐えられるかもしれないが、私のように中年を過ぎると、食べすぎは自殺行為に似てくる。数日前に日本料理店へ行ったときも、食べ切れなかったことも思い出して、メインコース抜きでの食事で済ますようになっていたのだ。

 ロブスターは「イセエビ」とも訳されるが、大きなハサミをもっているから日本のイセエビとは別種で、「ウミザリガニ」と呼ばれることもある。ザリガニのお化けのようなエビである。高級食材だと思っていたが、今回の旅ではメニューによく出ていて、それほどの値段でもない。そんなわけで、昨日(8日)の本欄で書いた昼食でも、何の気なしにロブスターを使った料理を注文したのだった。しかし、9日付の『ニューヨーク・タイムズ』を見ると、ここ数年、メイン湾(Gulf of Maine)ではロブスターの豊漁が続いていてその理由が分からず、科学者が頭をひねっている、という記事が大きく載っていた。メイン湾とは、ニューヨーク市から海岸沿いにロードアイランド州、マサチューセッツ州を越えて北東方向にいった先にあるメイン州沖の海のことだ。ここのロブスターは昔から有名だが、そこまで行かなくても、ロードアイランド沖やマサチューセッツ州のケープ・コッド付近でも、10年前にはよく獲れたのだそうだ。しかし、近年は近海では獲れなくなり、その代わりメイン湾で何年も異常な豊漁が続いているらしい。

 ここのロブスターは天然物だ。餌を入れたカゴに紐をつけて海底に下ろし、餌を食べに来たロブスターをネズミ捕りのようにカゴに閉じ込めて捕まえる。そういうカゴをいくつもつなげた紐を海上のブイにつなげておき、ころあいを見て船で行って引き揚げるらしい。メイン湾には、このカゴが300万個以上も仕掛けてあり、その位置を示すためのブイが海面いっぱいに浮かんでいて、操船にも差し支えるほどだという。それほどよく獲れるのだ。この豊漁の原因について、付近のタラなどの魚を獲りすぎたためだとか、海水の温暖化で成長速度が変わったとか、日本などに輸出するウニを育てるために海底の状態を変えたからとか、カゴに仕掛けた餌をロブスターの幼生が食べているからだとか、いろいろ言われているが結局、よく分からないらしい。

 そんな記事を読んでいると、自然の生態系と人間の活動とが密接に関係していることを改めて感じた。「豊漁」になる生物がいる一方で、それを食していた魚類が減っているというのでは、豊漁は手放しでは喜べまい。大体、ロブスターの生態自体がまだよく分かっていないらしいのだ。レストランのメニューからは分からないことが、実に多くあることが分かった。

谷口 雅宣

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月 8日

アンカーマンの死

PeterJennings
 アメリカのABC放送で20年以上もアンカーマンを勤めていたピーター・ジェニングス氏(67)が亡くなった。4月6日の本欄では、彼が自分のニュース番組で肺ガンの治療のためにアンカーマンを降りると発表したことを伝えたが、それからわずか4ヵ月後の死亡だった。8月8日付の『ニューヨーク・タイムズ』は彼の死を1面で報じ、CNNは1日中、彼の追悼番組を流していた。アメリカのマスメディアがそれほど彼の死を悼むのは、彼が映像ジャーナリズム界のスーパースターであり、対外的にも“アメリカの顔”であり続けてきたからだ。また、昨年12月にNBC放送のトム・ブロッカウ(Tom Brokaw)氏が、今年3月にCBS放送のダン・ラザー(Dan Rather)がアンカーマンとしての現役を去り、そして今、ジェニングス氏の死で、アメリカのニュース報道の歴史の一幕が閉じられたとの認識があるからだろう。日本では、これほど長い間、人気を保ち、ニュースの“顔”として一世代と共に生き続けてきた人は思い浮かばない。

 ここからは彼を「ピーター」と呼ばせてほしい(理由は4月6日の本欄参照)。CNNの報道によると、ピーターが降板を発表した時には、肺ガンはすでに手術できない状態にまで広がっていて、化学療法と放射線治療による回復が期待されていたという。ABCは、ピーター降板の後も、夜のニュース番組のタイトルを「ABC World News Tonight with Peter Jennings」という従来のものから変更せず、代役のアンカーマンはニュースの最後にいつも「ピーター・ジェニングスとスタッフの代りにご挨拶します」という言葉を添えてきた。それほど彼の存在は同社にとって大きかったと言える。ニールセン・メディア調査によると、ピーターの人気の最盛期は90年代前半で、その当時は1400万人近くのアメリカ人が毎晩、彼の夕方のニュースを見ていたという。その後、ケーブル・テレビの登場やインターネットの普及で視聴率は下がっているものの、9・11などの大事件が起こるたびに視聴者はテレビニュースにもどってきているようだ。

 ピーターは7月29日が誕生日だから、67歳になってすぐの旅立ちだった。1938年生まれのカナダ人で、父親のチャールズ・ジェニングス氏はカナダのCBC放送の重役で、ラジオ・ニュースの開拓者だった。その関係からか、彼はすでに9歳の時にラジオ番組をもっていた。17歳で高校を中退してジャーナリズムの世界に入ったようだ。24歳の時には、カナダのCTVニュースのキャスターとなり、父親のもつネットワークとライバル関係になった。2年後、アメリカへ移ってABCの放送記者になるやいなや、2年もたたないうちに夕方のニュースのアンカーマンの一人になり、CBSのウォルター・クロンカイト氏などの一流アンカーマンと視聴率を争う関係になった。その後、10年以上は海外での特派員生活をする。この間、ピーターは現場での教育をみっちり受けて国際問題に詳しい一流のジャーナリストになる。夕方の国際ニュースのアンカーマンとなったのは1983年だ。そして2003年には、カナダからアメリカへ移籍した。

 個人生活では、いろいろ噂になったこともあるようだ。3回離婚し、4番目の妻はABCテレビの元ディレクター、ケイシー・フリード氏だ。3番目の妻との間に2人の子がいる。自宅は、ニューヨーク市マンハッタンのアッパー・ウェストサイドと呼ばれる高級住宅地。仕事場のABC放送へは歩いて行ける距離だ。

 ところで、私たち夫婦は今日、研修会後のフリータイムをマンハッタンで一日過ごしたが、このアッパー・ウェストサイドのすぐ向い側にある「タバーン・オン・ザ・グリーン」というレストランに、昼食に行った。セントラル・パークの中にある店で観光コースに入っているのか、旅行客で店内は溢れていた。空は薄曇りで、気温は30℃に達しない過ごしやすい日だった。木陰の窓辺で談笑しながら食事する人々は、誰もこのアンカーマンの死を話題にしているように見えなかった。時代の終りとは、静かに過ぎ去るものかもしれない。

谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年8月 7日

ニューヨークの幹部研修会

 前回(8月4日)の本欄で、ニューヨークの行事の名前を「国際特別練成会」と書いたが、「特別幹部研修会」と表記した方が良かったかもしれない。英語では「Special Leadership Training Seminar」と呼んでいて、2泊3日の行事だからだ。それが今日終った。参加者は練成員だけで77人。ニューヨーク州だけでなく、ニュージャージー、コネチカット、マサチューセッツ、カリフォルニア、フロリダ、イリノイ、ワシントン、ハワイのアメリカ各州、カナダのトロント、その他、海外からはブラジルと日本の広島から各1人ずつが参加してくださった。私はここで1時間と30分の講話を1回ずつ行い、最後に「激励の言葉」というのを話すのが役目だった。

 6日(ニューヨーク時間)の午前中に行った最初の講話では、「宗教多元主義と生長の家」という題で、生長の家の万教帰一の考え方ときわめてよく似ている「宗教多元主義」をキリスト教の立場から唱えているイギリス人の宗教哲学者、ジョン・ヒック(John Hick)を取り上げ、彼の考え方と生長の家の考え方とを比較するとともに、宗教多元主義の荒い“系譜”に言及した。この主題は日本での生長の家教修会でも触れたが、北アメリカというキリスト教が多数を占める土壌で、「キリスト教の立場から他宗教を同等に受け入れる」という珍しい考え方もあることを知ってほしかったため、ヒックの思想に焦点を当てて解説した。そして、それが「万教帰一の神示」に説かれていることと基本的には一致すると指摘したのである。ただ、日常生活ではなじみのない哲学に関する英語などを使ったため、参加者の大半を占めるブラジル系の人々には少し難解な講話になってしまったようだ。

 7日に行った講話では、「環境・資源・平和の繋がり」を主題にして話した。これは、拙著『足元から平和を』(生長の家刊)の前半に書いたことのダイジェスト版とも言えるだろう。ただし、講話の後半は日本の生長の家が行ってきた環境保全活動ここ5年間の紹介を行った。アメリカでは、ブッシュ政権が京都議定書を拒否した関係からか、環境保護の意識がまだ充分育っていないと思ったからだ。この講話の準備のための情報収集で知ったことだが、上記の拙著でも書いた「石油生産量のピーク」が来ることについて最近、フランス政府がこの考え方を取り入れた形の報告書を出した。その報告書では、もっとも早い予測が「2013年」になっているという。私はフランス語は分からないが、BBCがそう伝えたというのだから本当だろう。また、この「石油生産のピーク」のことを英語では「peekoil」と呼んでいて、それを専門に扱っているウェッブサイトがあることを知った。興味のある方はのぞいてみてほしい。

 話は少し横に逸れたが、2番目の講話では遊馬正画伯がさいたま市の自宅の庭に最近、大型の太陽光発電装置を設置されたことを写真で紹介すると、会場は大いに沸いた。遊馬画伯は、長くニューヨークを舞台に活躍されていたから、こちらにはファンも多いのだ。この遊馬画伯からの写真は、出発の直前に私のところに届いたもので、実に有り難いタイミングだった。BBCの記事も大いに役に立った。

 私以外の講話は30分ずつが8回あり、担当講師はそれぞれの個性のもとに工夫を凝らして発表し、なかなか変化に富み幅のある研修会になったと思う。また、参加促進、会場係、AV関係、その他裏方の準備に走り回ってくださった多くの方々には、この場を借りて感謝の意を表したい。皆さん、本当に有難うございました!

谷口 雅宣

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年8月 4日

ペットボトルの水

 生長の家の国際特別練成会で講話をするというので、ニューヨークに来た。時差で頭がボーッとしているが、とにかく無事に来られたことは有り難い。

「何を大袈裟な」と思う人がいるかもしれないが、日航のジャンボ機がJFK空港に着陸するために滑走路が近づき、高度がぐんぐん落ちていくのをビデオ画面で見ていたところ、何を思ったのか突然、搭乗機が着陸をやめて機首を上げたのには驚いた。そして、機長曰く--「先行機との距離が近かったので、最着陸します」。ちょっと待ってくださいよ。着陸の許可をした管制官は、何をしていたんですか? いやはや外国へ行くと、日本では経験できなことを経験するものだ。それも「いきなり」である。もう一つの初体験は入国審査のとき、左手、右手と人差し指の指紋を採られ、顔写真も撮られたこと。でも、入国審査官は入国者の心証を気遣ってか、明るく冗談を交えて話す。「カンコー?」と大声で言って「観光」目的かどうかを確かめ、指紋の読み取りが難しいといって「指の腹で額を何度もこすってから、読み取り機に置いてよ」と言う。写真機はデジカメらしく、ストロボも何もなく、球形の一つ目小僧のようなカメラで瞬時に撮影を終えた。

 ニューヨークの気温は34~35℃などと言われていたので暑さは覚悟していたが、東京より若干乾燥しているので、戸外を薄い上着を着ても歩けるのが有り難い。東京では“クールビズ”姿のビジネスマンを多く見かけたが、マンハッタンではちゃんとしたスーツにネクタイ姿が普通である。ペットボトルを持った人々が多いのは、東京と同じである。このペットボトル入り飲料水のことで、エコノミスト誌の編集者、トム・スタンデージ(Tom Standage)氏が8月2日付の『ヘラルド朝日』紙に批判文を書いていた。「地球環境に有害だ」というわけだ。

 水道水より“健康的”だというのは宣伝に乗せられているだけで、科学的に分析してみるとペットボトルの水はバクテリアも多く、ミネラル含有量も水道水と大差ないそうだ。味見のテストをしても、水道水とペットボトルの水を区別できる人はいないそうだ。しかし、持ち運びが便利で、何となくカッコイイということで、先進国で大流行しているのだ。そのために大量の水が遠方から船で運ばれ、石油からペットボトルが大量に製造され、その製造や処分のために熱やCO2が出る。この需要がある先進国では水道施設が完備しているのに、人々はそれを飲まずに、ガソリンより高い料金を払ってペットボトルの水を飲む。これほどのムダがあるだろうか、というわけだ。ペットボトル入り飲料水が本当に必要なのは、水道設備が整っていない途上国の人々である。なぜなら、運搬に便利で、小口の需要に対応できるからだ。が、そういう国では、ペットボトル入りの飲料水は高すぎて買えない。いったい誰が値段をつり上げているのか?(もちろん、我々先進国人だ)--そういう内容である。

 この論説を読んでから、ペットボトルの水を飲みにくくなってしまった。だが、ニューヨークの水道水は「おいしい」とは言えないし、腹がゴロゴロした経験もあるので遠慮している。こちらでは、水の値段がガソリンより高いということは知らなかったが、産地を選んで買うのではいけないだろうか。そう思って、ホテルの近くのドラッグストアーで探してみたが、残念ながらアメリカ産は見つからなかった。

 ところで、私は日本ではいつも、浄水器を通した水道水をペットボトルに入れて飲んでいる。これだと、スタンデージ氏の批判するような地球環境への悪影響は最小限に抑えられるのではないか。しかも、きわめて経済的である。

谷口 雅宣

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005年8月 3日

ロンドンのテロ (4)

2回におよぶロンドンのテロの容疑者の身元が分かり、あるいは逮捕され、そのプロフィールが明らかになるにつれ、“新しいタイプ”のテロリストの登場が議論されるようになった。それは、先進国に受け入れられた移民や難民の子供で、受け入れ先の社会から“疎外”されている若者である。7月20日の本欄で、私は「その土地で生まれ生活してきた若者にとっては、父祖の国の文化と生れた土地の文化との差が大きければ大きいほど、アイデンティティーの危機が深刻化する傾向がある」と書いた。これは主として「文化」面での心の葛藤を意味しているのだが、これに「社会」面での疎外が加わると事態がより深刻化するかもしれない。つまり、社会的な差別や偏見の問題である。しかし、こういう説明に必ずしも当てはまらない人々が、今回の2回のテロの実行犯または容疑者の中にはいるのである。

 ロンドンのテロは当初、アルカイーダとの関係が疑われたが、調べが進むにしたがって、そのような「直接の関係」は存在せず、「イスラム社会出身」という共通分母はあるものの、最大限に見積もっても緩い「間接的な関係」しか認められないようだ。実行犯の一人は、宗教的動機さえ否定している。“共通分母”をまとめてみると、それは「イスラム社会出身の英国籍の若者」で、1人を除いては犯罪歴もない「普通の青年」である。また、イラク戦争に反発しての犯行であるようだが、これについては、ローマで逮捕されたエチオピア出身の英国人、フセイン・オスマン容疑者(27)がそうはっきり言っていることだけが、現在までに報道されている。しかし、この男は犯行目的は「示威」であって「殺人」ではないとも言っているそうだから、重罪を逃れるための言い逃れの可能性もあり、真偽のほどは不明である。

 8月2日付の『ヘラルド朝日』紙によると、ロンドン・テロの1回目と2回目の関係も不明だという。つまり、この2週間をあけた2つのテロの容疑者の間に関係があったという証拠は、まだ見つかっていない。また、2事件の容疑者の年齢が18~30歳と若いことから、彼らがアフガニスタンのアルカイーダのキャンプ(2001年に破壊)で訓練されたとはあまり考えられない。すると、爆弾製造とテロの方法について学んだのは、英国内であった可能性が高くなる。さらに「貧困がテロを生む」という仮説も、今回は適用できないようだ。というのは、彼らは必ずしも貧困層に属していない。上記のオスマン容疑者の取調べで分かったことは、彼がテロを思い立ったのは、自分が通っていたジムで、ムクタル・サイード・イブラヒム容疑者(27)から計画を持ちかけられた、と供述していることだ。スポーツ・ジムに通う青年は「貧困」とは言えないだろう。

 ただ、「イスラム社会が西洋社会から攻撃を受けている」という物の見方が、イスラム社会に一般に根強くあることが今回の事件と関係しているように思う。自ら“西洋化”を選んで推進した日本社会の内部からではよく分からないが、十字軍やオスマン帝国、植民地支配を経験したイスラム圏の国々では、このような見方の中での反発は、過激化する場合があるのかもしれない。

 ところで、7月23日号のイギリスの科学誌『NewScientist』が興味ある分析を掲載していた。ひと言でそれを表わすと「誰でもテロリストになる」ということだ。7月7日のテロ実行犯が“ごく普通”の“いい人”だったことを我々は驚くが、テロ研究者によると、ほとんどの自爆テロ実行犯は、所属社会の平均より良い位置にあり、平均以上の教育を受けているし、心理学的見地からみても自殺願望が特に強いわけでもないという。テルアビブ大学の心理学者、アリエル・メラーリ氏は1983年以降、中東で起こったすべての自爆テロ犯の背景を調査した結果、精神障害や薬物中毒、アルコール中毒の症状をもった者は、ごく少数しかいなかったという。メラーリ氏ら心理学者が言うには、自爆テロ実行者を作るには、3ステップが必要だそうだ。①目的に賛同する人--若い、女よりは男--を見つけ、少人数のグループに分ける。②その目的を宗教的、または政治的理由で正当化し、使命実行が如何に英雄的であり、自己犠牲がいかに尊いかを洗脳する。③そのグループ構成員全員に、何をどうするかの誓いを立てさせる。この段階まで行けば、構成員は心理学的に誓いから引き返すことは非常に難しくなるそうだ。だから、問題の本質は宗教ではなく、グループ心理学なのだという。

 もし、この分析が今回の2つのテロ事件に当てはまるとすると、2つの事件は無関係であり、テロリストとアルカイーダも無関係なのだろう。すると、上記の②に該当する部分を、誰が(あるいは何が)行ったかが重要な疑問となる。①と③は、少数グループ内だけで自発的にも成立するが、②は、外部からのインプットがなければ青年の心には届かないと思うからだ。私はそこに、イスラム社会全体と、インターネットを含むメディアの状況が関係しているような気がする。8月2日付の『産経新聞』は国際テロ専門家、ルイ・カプリオリ氏の言葉--「穏健なイスラム教徒にも自爆を恐れない聖戦主義者の行動をレジスタンスとみなす精神的土壌がある」を引用していたが、このような土壌の中で、メディアが繰り返し、繰り返し、リアルな映像と音声を通して「イスラム社会が西洋社会から攻撃を受けている」というイメージを送り続ければ、②を実行していることにならないだろうか。

 もしそうであれば、今回のロンドンでの2度のテロは、国際社会全体が作り出したことになるのかもしれない。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »