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2005年8月 3日

ロンドンのテロ (4)

2回におよぶロンドンのテロの容疑者の身元が分かり、あるいは逮捕され、そのプロフィールが明らかになるにつれ、“新しいタイプ”のテロリストの登場が議論されるようになった。それは、先進国に受け入れられた移民や難民の子供で、受け入れ先の社会から“疎外”されている若者である。7月20日の本欄で、私は「その土地で生まれ生活してきた若者にとっては、父祖の国の文化と生れた土地の文化との差が大きければ大きいほど、アイデンティティーの危機が深刻化する傾向がある」と書いた。これは主として「文化」面での心の葛藤を意味しているのだが、これに「社会」面での疎外が加わると事態がより深刻化するかもしれない。つまり、社会的な差別や偏見の問題である。しかし、こういう説明に必ずしも当てはまらない人々が、今回の2回のテロの実行犯または容疑者の中にはいるのである。

 ロンドンのテロは当初、アルカイーダとの関係が疑われたが、調べが進むにしたがって、そのような「直接の関係」は存在せず、「イスラム社会出身」という共通分母はあるものの、最大限に見積もっても緩い「間接的な関係」しか認められないようだ。実行犯の一人は、宗教的動機さえ否定している。“共通分母”をまとめてみると、それは「イスラム社会出身の英国籍の若者」で、1人を除いては犯罪歴もない「普通の青年」である。また、イラク戦争に反発しての犯行であるようだが、これについては、ローマで逮捕されたエチオピア出身の英国人、フセイン・オスマン容疑者(27)がそうはっきり言っていることだけが、現在までに報道されている。しかし、この男は犯行目的は「示威」であって「殺人」ではないとも言っているそうだから、重罪を逃れるための言い逃れの可能性もあり、真偽のほどは不明である。

 8月2日付の『ヘラルド朝日』紙によると、ロンドン・テロの1回目と2回目の関係も不明だという。つまり、この2週間をあけた2つのテロの容疑者の間に関係があったという証拠は、まだ見つかっていない。また、2事件の容疑者の年齢が18~30歳と若いことから、彼らがアフガニスタンのアルカイーダのキャンプ(2001年に破壊)で訓練されたとはあまり考えられない。すると、爆弾製造とテロの方法について学んだのは、英国内であった可能性が高くなる。さらに「貧困がテロを生む」という仮説も、今回は適用できないようだ。というのは、彼らは必ずしも貧困層に属していない。上記のオスマン容疑者の取調べで分かったことは、彼がテロを思い立ったのは、自分が通っていたジムで、ムクタル・サイード・イブラヒム容疑者(27)から計画を持ちかけられた、と供述していることだ。スポーツ・ジムに通う青年は「貧困」とは言えないだろう。

 ただ、「イスラム社会が西洋社会から攻撃を受けている」という物の見方が、イスラム社会に一般に根強くあることが今回の事件と関係しているように思う。自ら“西洋化”を選んで推進した日本社会の内部からではよく分からないが、十字軍やオスマン帝国、植民地支配を経験したイスラム圏の国々では、このような見方の中での反発は、過激化する場合があるのかもしれない。

 ところで、7月23日号のイギリスの科学誌『NewScientist』が興味ある分析を掲載していた。ひと言でそれを表わすと「誰でもテロリストになる」ということだ。7月7日のテロ実行犯が“ごく普通”の“いい人”だったことを我々は驚くが、テロ研究者によると、ほとんどの自爆テロ実行犯は、所属社会の平均より良い位置にあり、平均以上の教育を受けているし、心理学的見地からみても自殺願望が特に強いわけでもないという。テルアビブ大学の心理学者、アリエル・メラーリ氏は1983年以降、中東で起こったすべての自爆テロ犯の背景を調査した結果、精神障害や薬物中毒、アルコール中毒の症状をもった者は、ごく少数しかいなかったという。メラーリ氏ら心理学者が言うには、自爆テロ実行者を作るには、3ステップが必要だそうだ。①目的に賛同する人--若い、女よりは男--を見つけ、少人数のグループに分ける。②その目的を宗教的、または政治的理由で正当化し、使命実行が如何に英雄的であり、自己犠牲がいかに尊いかを洗脳する。③そのグループ構成員全員に、何をどうするかの誓いを立てさせる。この段階まで行けば、構成員は心理学的に誓いから引き返すことは非常に難しくなるそうだ。だから、問題の本質は宗教ではなく、グループ心理学なのだという。

 もし、この分析が今回の2つのテロ事件に当てはまるとすると、2つの事件は無関係であり、テロリストとアルカイーダも無関係なのだろう。すると、上記の②に該当する部分を、誰が(あるいは何が)行ったかが重要な疑問となる。①と③は、少数グループ内だけで自発的にも成立するが、②は、外部からのインプットがなければ青年の心には届かないと思うからだ。私はそこに、イスラム社会全体と、インターネットを含むメディアの状況が関係しているような気がする。8月2日付の『産経新聞』は国際テロ専門家、ルイ・カプリオリ氏の言葉--「穏健なイスラム教徒にも自爆を恐れない聖戦主義者の行動をレジスタンスとみなす精神的土壌がある」を引用していたが、このような土壌の中で、メディアが繰り返し、繰り返し、リアルな映像と音声を通して「イスラム社会が西洋社会から攻撃を受けている」というイメージを送り続ければ、②を実行していることにならないだろうか。

 もしそうであれば、今回のロンドンでの2度のテロは、国際社会全体が作り出したことになるのかもしれない。

谷口 雅宣

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