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2005年7月24日

悪を探す心

 イスラム教は、仏教やキリスト教に比べると日本への到来がまだ新しく、信者の数は少ない。だから、普通の日本人にとっては“異教”という印象が強いのではないか。この印象は、その教えが“砂漠の宗教”という性格をもつためか厳しい側面をもち、“山の宗教”であり“森の宗教”でもある神道とは、いささか趣が違う点にも原因があるだろう。しかし9・11以降、テロはどこでも起こりうることが明らかとなり、その破壊の程度が常人の想像を遥かに超えるものだったため、「なぜ宗教があれほどヒドイ無差別殺人をするのか?」という大きな疑問を抱えた人々は、イスラムについての勉強をせざるを得なくなったに違いない。私も、その中の一人だった。宗教の勉強は、もちろん本や映像だけでできるものではない。しかし、日本の現状では、それから始める以外にない。だから、私はここで「イスラムを理解している」などと言うつもりは毛頭ない。否、このところ頻繁に起こる爆弾テロ事件を考えると、私はむしろ「イスラムは理解できない!」と叫びたいほどだ。

 7月7日のロンドンでの同時多発テロ、その2週間後の同じ場所での“未遂”テロ、そして今回のエジプトでの同時爆弾テロ……これは、犠牲者数では同国で約60人が殺された1997年のルクソール事件を超えるものだ。イスラムの名を語る暴力事件は、いったいどこまで続くのかと思う。私が心配しているのは、このような事件が続くと、マスメディアのもつ“悪事肥大化”の効果が最大限に発揮されて、「イスラムはテロリストの宗教」という印象が、日本を含めた非イスラム世界全体に定着してしまわないか、ということである。そんなことになれば、それは第一に“イスラム世界の危機”であろう。またそれとともに、宗教全体にとっての危機とも言えるのだ。なぜなら、「宗教は暴力を正当化する」との印象が世界的に定着しかねないからだ。

 かつて日本では、オウム真理教がテロ活動によって政府転覆を図るという、近代史の中では前代未聞の行動に出た。この団体は仏教の一派を標榜していたから、これによって日本では宗教者全体が「何をするか分からない危険な人々」として見られる傾向が生じ、生長の家の伝道活動にも大きなマイナスの影響を与えたものだ。少数の過激な行動によって、全体が危険視される。これが世界的規模で起こることが、宗教全体にとって好ましいはずがない。「私は神を信じる」あるいは「仏を信じる」と大っぴらに言えない社会。そんな社会を絶対に出現させてはいけないと思う。

 先にマスメディアの“悪事肥大化効果”という言葉を使ったが、これは社会のごく一部の人による悪い行為が大々的に、また継続的に、詳細に報道されることで、それがその社会全体のことであるかのような印象を一般人に与えることを意味する。私はこのことを5月13日の本欄「人が犬に噛みつくとき」で批判し、さらに同月29日に「暴力は社会の伝染病」と題して、悪事の見聞は同種の悪事を生む傾向があることが、学問的研究においても明らかになりつつあることを紹介した。日本の諺には「類は友をよぶ」というのがあり、易経には「類を以って集まる」という言葉があり、英語にも「Birds of a feather flock together.」とか「The like attracts the like.」という言葉がある。いわゆる“暴力の連鎖”は、報道によっても起こるということを我々は知らなければならない。

 今回のエジプトの事件との関連で、『産経新聞』(7月24日)が中東調査会の高岡豊氏の次のような談話を伝えている--「生活様式が世界レベルで多様化し、インターネットや衛星放送で西側メディアの報道に接する機会が増えている。流れるニュースはイスラム教徒にすれば義憤に駆られるような話ばかりで、そこへテロの犯行声明が流れてくる。こうした情報を繰り返し入手することで、確たる理由もなく被害者意識をもつ者もいるのでは」。この意味は、西側メディアの報道が新たなテロ予備軍を生む一因になっているということらしい。もしこれが事実ならば、我々の本当の敵はイスラム過激派ではなく、テロリストでもなく、メディアでさえなく、我々自身のもつ「悪を探し回る心」なのかもしれない。

谷口 雅宣

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コメント

『産経新聞』(7月24日)掲載の中東調査会の高岡豊氏の談話は私も読みました。

だとすれば、このエジプトのテロ実行犯だけではなく、ロンドンで7月7日にテロを起こしたパキスタン系とジャマイカ系の英国人青年たち(また7月21日のロンドン2度目テロの実行犯として昨日氏名が公表されたアジア系と見られている英国人青年二人)も、もしも自分自身は英国でそんなに貧しい生活を送っていたわけではなく、英国政府から政治的に弾圧されていたわけでもなく、さらには英国社会から排除され「のけ者」にされていたわけでもないとすれば、彼らもまた、上記のようなテレビ報道に接することによって、憤りを感じたのかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか?

もしかすると、自分はイギリスで自由な生活を送っているにもかかわらず、たとえばパキスタン系の青年で言えば、自分の祖先の故国パキスタンでは人々は非常に貧しい生活を送っている-ということを各種報道で知ったことで、パキスタン国民に対する自責の念も働いたいたのではないか、と思います。

一昨日(7/24)午後6時10分より放映されたNHKの「海外ネットワーク」によると、7月7日のテロ実行犯の一人シャハサド・タンウィール(22)は、一度パキスタンに渡り、そこのイスラム神学校の一つに入学していたそうです。どの神学校だったのかはまだ不明だそうですが、そこではきっと、過激な説教師に「今のパキスタンの苦境の原因は欧米諸国のせいなのだ」と教えられていた可能性は高いと思います。

もしもそうだとすると、あの7月7日のロンドンでの自爆テロは、彼らにしてみれば、パキスタン国民に対する懺悔の行為、一種の“罪滅ぼし”だったのかもしれない、という気がしてならないのですが…。

投稿: 山中 | 2005年7月26日 16:41

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