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2005年7月10日

芸術は自然の模倣? (6)

 前回までの検討の結果、「芸術は人間の捉えた世界の模倣だ」と宣言してみたが、何となくしっくりしない。ただし、ここで使われている「世界」という言葉は、「自然」と交換可能のものだ。前回、人間を自然の一部として考えることを提案したが、その考えを採用すれば、人間の心の中で起こることもすべて「自然の一部」になる。すると「宮本武蔵の書いた書」なども、この定義の中にうまくおさまってくれる。つまり、「武蔵の書は、彼自身が捉えた彼の心の軌跡だ」と言うことと、「芸術は人間の捉えた世界の模倣だ」と言うことはほとんど等価になる。もしこの表現で問題があるとすれば、それは「模倣」という言葉の運ぶニュアンスだろう。

「模倣する」という日本語には、何かいけないことをするような侮蔑的ニュアンスがある。その一方、「芸術」というものは、一般的には侮蔑すべきものとは考えられていないから、その言葉の定義の中に侮蔑的ニュアンスが残ることには、違和感があるのだ。では、「模倣」の代わりに、もっと価値判断を避けたニュートラルな語を使ってみたらどうだろうか。例えば「模倣」ではなく「複製」を使うと、「芸術は人間の捉えた世界の複製である」という定義ができる。また、人間の心も「世界」あるいは「自然」の一部として捉える立場をこの定義に反映させれば、「芸術は人間の捉えた世界の一部の複製である」と定義できる。この定義は大丈夫か? 私には、最後に使われている「複製」という言葉がどうも気になって仕方がない。喉の奥に刺さったままの、ごく細い魚の骨のような感じがするのである。

 問題は、「模倣」という言葉を使ったときと、定義のもつニュアンスが余り変わっていないことだ。芸術を「模倣」とか「複製」というような「本物でない」というニュアンスをもった言葉を使って定義していることが、私を苛立たせている。いっそのこと「芸術は人間の捉えた世界の一部だ」と言い切ってしまったらどうか? 模倣でも複製でもない本物の世界の一部だ、と言うことにどんな問題があるのか。あぁ、やはり問題がある。それは、「人間の捉えた世界の一部」は、その人間の脳(または心)の中にあるのに対し、芸術作品そのものは脳(または心)の外にあるからである。脳の中に発生した芸術的感動自体は芸術作品ではない。それは、その感動を覚えた個人の脳内で複雑なパターンのニューロン(神経細胞)の発火として存在しているだけで、その個人の肉体内部から一歩も出ていない。だから、その感動を他人にも感じさせようとして、芸術家は様々な媒体を通して、自分の脳内の感動を“客観化”するのである。その行為を「模倣」とか「複製」という言葉で表現することが間違いなのかもしれない。しかし、ほかにどんな言葉が使えるだろう?

「客観化」という言葉を使ってしまおう。そうすると、新たに「芸術は人間の捉えた世界の一部を客観化する営みである」という定義ができる。しかしこれでは、日記をつけることと、俳句や短歌を詠むこととの区別ができない。日記は、何の感動もなかった日にも書けるが、俳句や短歌はそういうわけにはいかない。では、上の定義に「感動」という言葉を加えてみよう。すると、「芸術は人間の感動を客観化する営みである」というもっと分かりやすい定義ができる。この定義は、何となく私を落ち着かせる。これだと、俳句や短歌ばかりでなく、SF映画や音楽や劇、彫刻や建築にも適用できそうである。読者は、どう思うだろうか?

谷口 雅宣

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コメント

 (5)での、「芸術は人間の捉えた世界の模倣だ」という命題に関して、違和感を感じつつも、理屈が組み立てらず、消化不良を起こしておりました。
 しかし(6)で、人間を自然の一部として考えれば、人間の心の中で起こることもすべて「自然の一部」になる、ということをもう一度確認できたのと、「模倣」を「客観化」としたことで、スッキリした気がします。
 ここで少しイタズラ心を発揮します。
 「感動」は主観的なものと思いますが、これを「客観化」する営みは、成功するのでしょうか?
 これについて考えるとき、「神を演じる人々」の「変色」を思い出します。
 完全な成功の見込みが乏しいというニュアンスを加えるとすれば、「営み」を、「試み」とするのは、どうでしょうか?

投稿: 片山一洋 | 2005年7月10日 23:13

片山さん、

 コメント、ありがとう。

>>「感動」は主観的なものと思いますが、これを「客観化」する営みは、成功するのでしょうか? <<

 うーーん、成功する場合と失敗する場合があるのでしょうね。「営み」の代わりに「試み」でも大きな意味の違いはないようですが、「芸術」の中に「素人の作品」を入れるか、入れないかという問題と関係があるように思います。

投稿: 谷口 | 2005年7月11日 11:59

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