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2005年6月 7日

キノコを彫る

この春は寒さが遅くまで続いたせいか、シイタケがうまく出なかった。東京の家の庭の朽ちたベンチに立てかけてあるホダ木からは、驚くほどの大きさのものが2~3個出たが、それで終ってしまった。山梨県大泉の山荘の林の中のホダ木でも、同様なことが起こった。直径20センチぐらいの化け物のようなものが3~4個、いちどきに採れた。長崎県西彼町の生長の家総本山でもシイタケのホダ木栽培をしているが、担当の人に聞いてみると、春シイタケは梅雨入りするまでの期間、コンスタントに出ると言っていたから、私の世話の仕方が問題なのだろう。

キノコへの関心は、妻から伝染した。伊勢育ちの彼女は、子供のころから山でキノコ採りをしていたというので、山荘ができるとすぐに裏の林へ入ってキノコを見つけてきた。私も彼女の“お供”をして林の中を歩いたが、そのうち、食用とそうでないものを見分けたり、貴重な種とそうでないものと区別したりする面白さを覚えた。また、それぞれのキノコの形の面白さや色の美しさ、味や危険度の違いなどを知るにつれて、ついに“キノコ病”にとり憑かれた。妻は、探して採るところまでは熱心だが、食べる段になると急に慎重になる。が、私は食べるところまで一気に楽しもうとして、妻に迷惑がられることが多い。

キノコ採りの最中には写真も撮ったが、そのうちスケッチ画を描きはじめた。そのいくつかを生長の家の美術展である「生光展」に出品したこともある。絵を描くのは、キノコには足が早いものが多く、採るとすぐ色が変わりはじめ、形も崩れていくのを見て、何とか自然のままの色と形を留めておきたいと思ったからだ。しかし、絵は写真と同じく平面芸術だから、キノコ特有の立体としての存在感、質感、肌触りなどは記録できない。そこで思いついたのが、キノコの形を木に彫ることだった。参考にするためにインテリア・ショップや工芸品店、玩具屋などを見て回ったが、キノコの彫刻や飾り物は案外少ない。それなら自分の思い通りに作ってしまえというわけで、昨年の秋から暇をみて彫刻刀で彫りはじめた。材料は、山荘を建てたときに余った木切れである。

彫刻刀などめったに握ったことがない身には、当初は大変だった。が、雨の日の山荘で、薪ストーブの前に座って無心に木を彫ることの精神的安らぎを知ってからは、大変とは思わなくなった。それに、木の肌の感触や木目の美しさを感じる心の余裕ができた。だから、「形ができたら色を塗ろう」と思いながら始めた最初のキノコの木彫りは、透明ニスを塗るだけにして、木の色と木目の曲線を楽しめるように仕上げた。ごつごつした所が残り、キノコの傘も正円ではないが、いつか実際に採ってみたいと思っているヤマドリタケに似せた木彫が、こうしてできた。現在、3つめを制作中だ。

Fungis

ところでキノコは、学問的にはカビと一緒に「真菌門」という生物群に属し、植物のように葉緑体をもっていない所から、最近では植物とは別個の生物群として扱われるようだ。葉緑体のある植物は、光合成によって大気中の二酸化炭素を体内に取り入れて栄養素とする。動物はその植物を食べて栄養源とする。しかし、菌類のうちキノコ類は、植物に寄生して栄養素を奪うものはむしろ少なく、多くの種は樹木などの高等植物と共生関係を結ぶ。だから人間も、キノコの生き方から学ぶことは多いと思うのだ。

谷口 雅宣

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