« “悪魔化”は戦争への道 | トップページ | 遺伝子の不思議 »

2005年6月 3日

受精卵と養子縁組

5月27日の本欄で、ブッシュ大統領が受精卵からつくるES細胞の研究に反対の意を表明するために、受精卵の寄付を受けて生まれた子供たちをマスメディアの前で披露した話を紹介した。今日付の『ヘラルド朝日』紙は、そういう「受精卵を養子にする」活動をしている人たちのことをやや詳しく伝えている。同紙の記事によると現在、アメリカでは凍結された“余剰胚”が約40万個あるという。これを医療目的に利用しようという動きがある一方、2003年の調査では、その2%(8000個)が他の家族に譲られたそうだ。そして、上述したブッシュ大統領の会見での発表によると、81人の子供がそこから誕生している。カリフォルニア州は、受精卵を殺してつくるES細胞の研究に本腰を入れて動き始めているが、この人たちはES細胞の研究反対の立場からこの活動をしているのである。同じアメリカ人でも、ずいぶん考え方が違う人々がいるものである。

この人たちは、いわゆる“キリスト教保守派”と呼ばれている人々であり、宗教的信念から受精卵を養子に迎える活動をしている。受精卵は、不妊治療をしている医療施設から「ナイトライト・クリスチャン・エージェンシー」(Nightlight Christian Agency)という団体を介して譲り受けるという。カトリック教徒などの保守的なキリスト教信者は、不妊治療そのものに反対しており、カトリックの教えでは避妊にさえ反対だ。にもかかわらず、彼らは、自分たちの宗教的信念に反する行動をしている医療施設から受精卵を譲渡(有料で!)してもらうのだ。不妊治療では普通、実際に使う数よりも多くの受精卵を“予備”として作成する。だから、患者が妊娠に成功すれば余分な受精卵(余剰胚)が生じる。これを譲り受けるわけだ。彼らの立場から言えば、受精卵は人である。にもかかわらず、余剰胚は両親が“廃棄”を認めれば殺される。人が殺されるのを黙って放置することは“キリストの愛”に反する。だから、殺人をやめさせるために受精卵を養子としてもらう--こういう考え方ではないか。

一方、不妊治療の施設、妊娠中絶の権利を主張する人々、そしてES細胞研究の推進者たちは、この受精卵を「養子にする」という言葉の使い方に警戒しているという。なぜなら、この呼称は「受精卵」と「人」とを同一視しているからだ。それよりも、受精卵の「寄付」とか「寄贈」と言うべきだと反対派はいう。そうしないと将来、自分たちが進めている行為(ヒト胚の廃棄)が法的な問題に直面しかねないからだ。これに対し、受精卵の養子縁組を推進している側は、受精卵はまさに人間だから「養子」という用語を使わねばならないのだという。

私は『今こそ自然から学ぼう』(2002年刊)の中で、不妊治療のもつ問題点の一つとして、上記のような余剰胚を多く作り、それを不要になったからといって後から廃棄する行為について触れたことがある。また『足元から平和を』(2005年刊)では、着床前遺伝子診断との関係で、受精卵を選別することの問題点を指摘した。いずれの場合も
、人間の受精卵や胚(ヒト胚)を一種の“モノ”として扱っている。それは間違いであり、こういう行為がひろがっていくにつれて、他人を自己の利益のために利用することに倫理的な呵責を感じない社会が形成されていくだろう。

日本では、国の倫理基準の中に、受精卵は「人の生命の萌芽」であるから尊重すべしという考え方が明確に述べられているが、ここで「尊重する」と言うのが具体的に何をどうするのか不明であるため、勝手な解釈がまかり通っているのが残念だ。そして結局、人の受精卵は尊重されていないと思う。「不要になったら棄てる」という行為が「尊重する」ことならば、我々は毎朝トイレに行くときに、自分の排泄物を尊重していることになる。では、受精卵を他人の病気治療のために利用することが「尊重」なのか? それだったら、我々が自分の排泄物を野菜畑に撒いて肥やしにすることと同程度の尊重である。そう考えていくと、アメリカのキリスト教保守派の人々が推進している「受精卵との養子縁組」という行為が、(好みの問題はあるだろうが)宗教的信念と倫理観にもとづいたものであることが理解できるのである。

谷口 雅宣


|

« “悪魔化”は戦争への道 | トップページ | 遺伝子の不思議 »

コメント

京都の橘 正弘です。ありがとうございます。
生後1ヶ月あまりの「養子縁組」、そして高三の夏にその事実を知らされ、生みの親、育ての親への不信感、自己存在感の喪失など精神的苦悩に陥った経験を以前にメールをさせていただきました。幸いにも地湧の菩薩・F夫人との出会いにより一瞬にして「養子」という二文字の自縄自縛から解放されましたが、私の場合は稀有なケースかと思います。
 その後、養子縁組をしたご夫妻から家出をした「養子」について相談を受け、自分自身の経験を話すことで「養子」の心の葛藤を理解され「育ての親」の自信を取り戻されるケースがありました。
 「受精卵との養子縁組」にしろ、AIDによる出産にしろ、出生した子どもたちはやがて成長し、「養子」あるいは「実子ではない」という事実に直面する日が訪れます。『今こそ自然から学ぼう』で指摘されていた「個人の決定が累積して次世代の人々と社会に大きな影響を与える」のは避けられないと思います。
だからといって「養子縁組をやめろ」とセンチメンタルヒューマニズムを展開しようというのではなく、将来自分たちが背負うであろうリスクを覚悟の上で、「養子縁組」をするかどうか―”「世代間倫理」の視点”を判断基準に置くことが必要だと思います。
 最近、結婚13年目にして普通に妊娠されたケースがありました。また、結婚16年、38歳という年齢から「養子縁組」を進めている女性に自分の出自を話したところ「養子縁組」を断念され、余計なことを言ったと恨まれたこともありました。幸いその半年後に懐妊され、誕生した男の子はもう18歳になっているはずです。軽々に医療技術に頼らずとも、”人間の潜在力を引き出す”ことで、不可能が可能になることがあると伝えていきたいと思いますが、根本的には、人間は「神の子」であり「霊的実在」であること、魂の向上をめざして生まれ出る親や育つ環境を自らの意思で選択しているという霊的見地にまでわれわれの意識が昇華する必要があるのではないでしょうか。

投稿: 橘 正弘 | 2005年6月 5日 22:46

橘さん、

 コメント、ありがとうございます。
 私の想像ですが、他人の受精卵を宗教的信念から“養子”として受け入れる人は、きっと子供が成長したときに、そのことを話すのではないでしょうか? 「私たちはこういう信念から、君を養子にした」と……。だから、出自を隠されて衝撃を受ける割合は少ないような気がします。

投稿: 谷口 | 2005年6月 5日 23:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 受精卵と養子縁組:

« “悪魔化”は戦争への道 | トップページ | 遺伝子の不思議 »