« 自分で自分を助ける医療 | トップページ | 世界での日本の好感度 »

2005年6月22日

青学高、残念な失点

 最近、私の卒業した青山学院高等部のことが新聞記事になり気にしていたところ、今日(6月22日)の『産経新聞』の「断」欄で民俗学者の大月隆寛氏が、少し詳しい事情を書いておられた。

 問題の最初の“一報”は6月10日付の紙面で、今年2月に実施された同校入試の英語の長文読解の問題に、かつての沖縄戦に動員されたひめゆり学徒による戦争体験の証言について「退屈で飽きてしまった」とする内容の文章が使われていた、と報じていた。そして、これに対して出題した学校側が「配慮を欠いた表現をし、深く反省している」などと詫びたことも伝えている。私は『産経』と『朝日』を購読しているが、この話は2紙とも同様の趣旨で取り上げていた。つまり、「戦争体験者の証言について、退屈とか飽きたなどという意味の文章を出題したことはケシカラン」というわけである。ところが上記の大月氏の文章では、英語の原文を取り寄せて読んでみたところ、文章の内容に何も問題がないどころか、「出題者にはむしろ『その心意気やよし』と言ってもいいくらいだ」と書いておられる。

 私は、その英語の原文を読んでいないので、内容については何とも言えないが、素朴に疑問に感じたのは報道時期の不自然さである。2月に実施された入試問題がなぜ6月に問題にされるのか? これを最初に“ニュース”として報道したのは、共同通信のようだ。というのは、ヤフーの検索で出てきた記事の最も古い(早い)ものが「6月9日23時17分更新」と書かれた共同通信ニュースだからだ。そして、この記事を『産経』と『東京』が翌日の朝刊に(ほとんどそのまま)掲載している。『朝日』の記事はこれらとは多少違っているから、独自の取材で書いたものだろう。『毎日』は「6月10日午前11時4分」の記事がインターネット上に残っていた。だから結局、共同が一種の“火付け役”となって全国に広がったニュースと思われる。では「なぜ今か?」と考えると、今年の6月23日が沖縄戦の60周年に当たるからなのだろう。それでは共同通信は、2月の“事件”を6月になるまで放っておいたのか? 速報性を重んじる通信社としては、そういう不自然なことは考えられない。とすると、最近になって誰かが突然、2月の試験のことを問題にし、それを共同通信が拾ったか、あるいは共同通信に訴えたということか。このタイミングの不自然さに、ジャーナリズム特有の“情報操作”を感じるのは私だけだろうか。

 まぁ、真相は闇の中だが、青山学院高等部は今年が沖縄戦60周年であると知っていて、その英語の問題を作ったとは思えない。少し無神経だと考えるからだ。自分の母校のことだから悪く言いたくないが、青学はキリスト教主義の学校で、学生運動華やかなりし頃は、大学の神学部が左翼運動の重要拠点だったこと。また、高等部の出版部(新聞部)はいわゆる“左寄り”の部長が編集を担当していたことなどを思うと、やはり35年という年月は長く、学校の“考え方”や“校風”まで変えているように感じるのである。誤解のないように言っておくが、私は青学が昔“左翼”だったと言っているのではない。そうではなく、戦争に対する感覚がもっと鋭敏だったと言いたいのだ。政治問題化している戦争を入試問題に使うということ自体、勇気がいることだが、それについての論評も試験問題に入れるならば、時期と内容の吟味はもっと慎重にすべきだったろう。

 ところで、青学高等部のその後の話だが、報道によると同校は部長以下4人の職員が13日に沖縄を訪れ、糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」を訪問して「ひめゆりの塔」に献花したあと、同資料館の館長ら10人の元学徒と面会して謝罪した。これに対し、同館長は記者会見し「誠意を感じ納得した」と述べたという。

 谷口 雅宣

|

« 自分で自分を助ける医療 | トップページ | 世界での日本の好感度 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 青学高、残念な失点:

« 自分で自分を助ける医療 | トップページ | 世界での日本の好感度 »