誤訳恐るべし
出版業界には「誤植恐るべし」という言葉があるが、ニュースの世界では「誤訳」の問題はあまり重要視されていないようだ。というのは、NHKの海外ニュースの翻訳がいい加減の場合があることに時々気がつくからである。
今日(5月12日)の朝のフランス・ドゥーのニュースを、新聞を読みながら聞き流していたところ、フランス語を日本語に翻訳して読んでいる女性が、ワシントン上空の飛行禁止区域にセスナ機が誤って侵入した事件について伝えている中に「その時、ブッシュ大統領はメリーランド州でサイクリングをしていた」とか「ジョージア州で手投げ弾が発見されたのに」などというのが聞こえた。録画していたわけではないので正確な引用ではないが、確かにそういうニュアンスの日本語であった。しかし、このいずれも正確とは言えないし、2番目の例などは明らかな誤りである。これは、オリジナルのフランス語が間違っていたのではなく、日本語への翻訳の過程でチェックが甘いのだ。
当時のブッシュ大統領の居場所については、フランス・ドゥーの直前に放送されたABCニュースでは「メリーランドの自然公園に自転車乗りに出ていた」というものだ。この情報は公式のホワイトハウスの発表によるものだろうから、フランス人記者もその同じ会見で得た情報を流したはずだ。フランス語では何と言ったか知らないが、NHKで流れた「メリーランド州でサイクリングをしていた」という日本語は誤解を招く。それは「その時、大統領がホワイトハウスのあるワシントンDCから公務で別の州へ行っていて、そこでたまたまサイクリングをしていた」という解釈が容易にできるからだ。しかし、この日の『産経新聞』が「当時、ブッシュ大統領はホワイトハウス内にいなかった」と書き、『朝日』(夕刊)は「郊外に自転車乗りに出掛けて不在だった」と書いているように、ブッシュ大統領は何か公用があってホワイトハウスを離れていたのではなく、その時たまたま運動のため自転車乗りに出かけていたのである。『朝日』の「郊外」という言葉にあるように、メリーランド州はワシントンの目と鼻の先にある。
2番目の翻訳の最大の過ちは、英語の「Georgia」をアメリカ南部の州である「ジョージア州」だと早合点したことだ。このような間違いをホワイトハウス担当のフランス人記者がするはずはない。なぜなら、彼らは大統領の外国訪問の日程を知悉しているし、多くの記者は大統領に実際に同行するからだ。そして、つい数日前に「大統領の演説していた広場で手投げ弾が発見された」などという重大なことが、どこであったかを忘れるはずがないのである。その場所とは、グルジア共和国の首都・トビリシの自由広場である。グルジアを英語では「Georgia」と書き、発音もジョージアである。きっとフランス語の発音でも、この2つを区別しないのだろう。とすると「州」という言葉を付け加えたのはNHKの翻訳者であり、その翻訳者は、海外ニュース担当であるにもかかわらず、グルジアでの事件を知らなかったということになる。何ともお粗末と言えないだろうか?
まぁ、NHKに同情すれば、日本では英語に比べてフランス語の教育が遅れているから、この程度の誤訳は仕方がないのである。またフランス語のできる人は、きっと英語が苦手なのだろう。ニュースの翻訳担当であっても、日本語の新聞で自分の翻訳をダブルチェックする時間はないのだ。さらに、今日はたまたま翻訳担当者の上司は出社していなかったのかもしれない。それに、フランス語のニュースを日本語で聞くような視聴者は、きっと数が少ないのだ。だから皆さん、NHKの外国語ニュースの日本語の翻訳は鵜呑みにしない方がいいのです。
谷口 雅宣
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コメント
誤訳ときくと どきっとしたり ほっとしたりします。先生の記事をよんでいて、上智大学の一年のころ(30年ほど前)を 思い出しました。。。クラスの帰国子女のH君が NHKのバイトがら帰ってきたとよくいってました。なにしているの?ときいたら 海外ニュースを訳している。といっていました。いなかから 上智に入学した私には ぺらぺらと 外国語をしゃべっている 同年代のクラスメートがはじめはうらやましいいでしたが そのうち一般教養や 日本語が かなり 稚拙だったので 驚きました。が そのニュースをきいたこともない私は 興味ありませんでした。
今もNHKが 学生アルバイトを使っているかはしりませんが プロの通訳会社から 派遣された場合は assignmentすなわち業務の情報資料などの準備を通訳会社がし 通訳翻訳者はそれをもとにかなりの勉強をしてのぞみます。通訳翻訳業は 新聞記者と同じ現場は 広範囲にわたります。同時、逐次、様々です。簡単ではありません。しかし ボランティア通訳 バイト通訳 すなわち クライアントと 通訳翻訳をするかたとの間が 直接雇用が成立している場合は 誤訳が多いような気がしますが。。テレビスポーツなどの訳は めったに完璧ではありませんが だれも クレームをつけませんし 雅宣先生がおっしゃるように 少数のかたしか 注意をはらっていません。また クレームをつけて 相手にしらせることもなくすすんでいるのです。クレームがないと 雇用側もこれでいいと おもいこんで それはそれで進んでいくのではないでしょうか?わたくしは インターグループとサイマルに 登録されています(20年)通訳者ですが クレームついたことがありません。 たぶん 通訳会社が 処理していたと思います。自分で 誤訳にどきっとしたり 完璧だったわあ~と 喜んだり ちなみに 通訳料金は 驚くほど 高額です。 NHKはしりませんが プロを 雇ったと いって バイトでやすく????ということも ないでしょうか? 先生のように 新聞をよみながら 誤訳を見つける人が 日本に何人いられるかはしりませんが 。。。 また 訳者の意気込みというか使命感も関係すると思います。バイトだったH君は 別に 国際的な時事問題に興味もなかったし どちらかというと いいバイトになるという 感じでよく話してました。彼は メディア業界に進まず 商社にすすみました。
最後に話はかわりますが ニュースの誤訳とはちがい 文学の誤訳ですが。。最近 徳川美術館にいき よみがえる源氏絵巻をみてとても 感動しました。しばらく源氏物語についてしらべていると ドナルドキーン博士の講演のテープをみつけました。そこで こんなことを おっしゃっていました。源氏物語の英語訳で サイデンステッカー氏の訳は一語も誤りがないけれど キーン博士のコロンビア大学中にであった アーサウエーリ氏の英訳源氏物語は誤訳また 宇治十帖もとばされているとか。。しかし その美しい訳はすばらしいと 絶賛されています。そこに やはり 訳する方の心、 思いが作用するのでしょう。
それでは きょうも 平和でありますように。
合掌
ありがとうございました。
投稿: 亀田 文 | 2005年5月18日 09:35
亀田さん、
大変興味ある“内輪話”を聞かせていただき、ありがとうございます。そうですか、NHKではバイトを使って海外ニュースを翻訳していたのですか? それは驚きですね。しかし、“通訳”として「翻訳を読む」係の人は、社員なのですよね。だって、ちゃんと画面に名前が出てくるのですから……。
経営者の資質の問題でしょうか。トホホ……。
投稿: 谷口 | 2005年5月18日 13:49