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2005年5月18日

横浜に来ています

 木曜日の休日を前にして、妻と横浜に来ている。本欄の前身の「小閑雑感 Part 1」にも書いたのでご存知の方もいると思うが、この地は我々が新婚時代に過ごした町だ。結婚後すでに25年を過ぎる。「センチメンタル・ジャーニー」というほど大袈裟なものではないが、たまに来て、変わったものと変わらないものを感じながら“羽を休める”気持になる。

 横浜は、東横線の菊名駅から歩いて7~8分のところにあった安アパートの2階が“新居”だった。住所でいうと「港北区大豆戸町」になる。大豆戸は「まめど」と読む。菊名駅からJR横浜線に沿って新横浜駅方面へ行く細い道を歩いていくと、事務機器メーカーのアマノの工場を過ぎた先に「菊名ハイツ」という大きな分譲マンションが何棟も並んでいるが、その駅寄りの端に2階建て8部屋の木造アパートがあり、その角っこの201号室が我々の“住家”だった。間取りは6畳と4畳半の2Kで、家賃は確か4万8千円だった。すぐ隣が豆腐屋で、朝早くから作業する音が聞こえていたし、ここの豆腐を妻は気に入っていた。実は昨年の12月に、2人の銀婚式を祝ってこっそり菊名を訪れた。木造の安アパートが25年後に残っているとは思わなかったが、そこにちゃんと建っているのを発見して歓喜の声を上げた。豆腐屋も営業していた。

 今日来ているのはそこではなく、当時の私の職場だった「港ヨコハマ」である。駆け出しの新聞記者として私が担当したのが、横浜港の出来事全般を扱う「横浜海事記者倶楽部」で、今は「みなとみらい地区」と呼ばれている新港埠頭の根元にある横浜税関の建物の中にあった。菊名に四半世紀前の木造アパートが残っていたのに比べると、この付近の変化は大変なものだ。かつては殺風景な倉庫群と、貨物船を引くタグボートの溜まり場だった所が、今は国際会議場やリゾート・ホテル、ショッピング・モール、遊園地などが集まる“新都心”を形成している。しかし、横浜のいいところは、そういう新開地の隣に、身をひそめるようにして、古い建物がちゃんと残されていて、しかも利用されていることだ。これはいわゆる「歴史的建造物」が保護されているというだけではない。平屋や2階建て程度の古い名のないビルが取り壊されずに、修理されたり、塗り替えられたりしながら、周囲の風景に溶け込んでいる。そういう雰囲気が、私の心を落ち着かせてくれるのだ。

Yokoham0518 今日の関東地方は、午後からあいにく雨がパラついたが、我々が横浜に着いた頃には雨は上がり、夕暮れ時の柔らかな陽を受けた「みなとみらい地区」の建物群は、その名のように幻想的な未来都市の雰囲気を漂わせていた。

谷口 雅宣

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コメント

谷口 雅宣先生
私の故郷は、横浜でありますので、「横浜に来ています」という文書をある親近感をもって読みました。
私の感じる横浜は、谷口雅宣先生のご見解とは少し違うところがあります。
それは、狭い道路が結構ありまして、バスがやっと通るところがあります。
私は、時々、横浜に帰るのですが、このような道路をなんとかもっと広げたらいいのにと思います。


志村 宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2005年5月19日 20:28

志村さん、

 コメント有難う。私が書いたのは、横浜のある一面に過ぎないと思います。道路が狭いところがあるというのは事実で、私が記者時代に六角橋の商店街で火事があり、消防車がうまく入れなくて被害が広がったことを憶えています。しかし、最近は大分広がったのではないでしょうか?

投稿: 谷口 | 2005年5月19日 22:11

谷口 雅宣先生

私の意見対するコメントを頂きましてありがとうございます。

先生ご指摘の、道路は大分広がったのでは?
という件でございますが、
確かにそういう部分(箇所)もありますが、
チョット丘の上に上がった所の道路はバスがやっと通るところがあります。

そういうところの道路は半永久的に改善されないと私は思います。

が、災害に強い街づくりという観点から致しますと、道路の幅をもお少し、広くすべきであると
昔から思っております。

志村 宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2005年5月21日 13:23

志村さん、

 ご意見、拝聴しました。

 神奈川新聞のブログに書き込まれたらいかがですか? (笑)

投稿: 谷口 | 2005年5月21日 20:27

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