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2005年5月22日

霊魂とES細胞

 医療目的のES細胞(胚性幹細胞)の研究で最近、“大きな進歩”があったとして医学界は興奮に沸いている。体細胞クローン技術を利用して、特定の人間と同じ遺伝子をもったクローン胚を作成し、そこからES細胞を取り出す効率的な方法が発見されたというのだ。韓国の科学者がアメリカの科学誌『Science』の電子版に発表したもので、それを英米のメディアが大きく取り上げ、日本では『朝日新聞』が5月20日の朝刊一面トップで報道した。(『産経新聞』はなぜか取り扱いが小さかった)

 クローン胚とは、ある特定の人と同じ遺伝子情報をもった胚(受精卵が成長して、胎児になる前の段階と同じ機能をもつもの)のことである。それを女性の体内に移植して成長させれば、クローン人間となる。だから、俗っぽい言い方をすれば、「初期段階のクローン人間」とも表現できる。これをなぜ医療目的で研究するかというと、このクローン胚を一個の人間の肉体に成長させずに、臓器や組織だけを成長させることが理論的に可能だからだ。つまり、ある人がアルツハイマー病になって、脳内の神経細胞が破壊されつつある場合、その人と遺伝子が同じクローン胚を作成してそこから神経細胞の“素”を作り出し、それをその人の脳に移植することで、破壊された脳の再生が(これまた理論的には)可能だからだ。脳だけでなく、心臓の筋肉や肝臓、骨、胃袋、皮膚、血液など、あらゆる種類の細胞や組織がクローン胚からは取り出せるとされている。

 今回の韓国チームの研究が騒がれているのは、あらゆる組織や細胞の素となるES細胞を、これまでになく高い効率でクローン胚から作成したからだ。具体的には、このチームは、2歳から56歳の患者11人の皮膚の細胞を使い、そのうち9人と同じ遺伝子をもつ11株のES細胞を作成したが、それに要した卵子が185個ですんだ。つまり、一人の患者に適合するES細胞を作り出すのに、卵子が10から20個あればいいということになる。同じチームが昨年2月、242個の卵子を使ってわずか1株のES細胞の作ったのと比べると、「長足の進歩」というわけだ。今後は、ES細胞から移植目的の特定の臓器や組織の細胞を成長させる方法を発見すれば、患者の必要に応じた、拒絶反応のない“オーダーメイド”の組織や臓器が得られるようになる、と考えられている。

 私はこのES細胞やクローン胚の抱える倫理的な問題について、すでに拙著『今こそ自然から学ぼう』の中に書いている。それを簡単に要約すれば、宗教の世界では「霊魂」の存在を信じるが、この問題のポイントは、霊魂が肉体に「いつ宿るか」という問題に帰着する。霊魂は「ある瞬間」に100%肉体に宿るのではなく、「ある期間」を経過しつつ肉体としだいに密着すると考えてもいいが、とにかく、ある時点から、肉体と霊魂とが抜き差しならぬ関係(互いに自然には引き剥がせない関係)になると考えられる。その時点とは、霊魂が自らの意思で肉体を形成しはじめる時点だと言える。この「霊魂が肉体を形成し始める時点」とは、医学的用語で言い換えると、肉体の諸組織・緒器官を形成する能力をもった細胞群が出現する時点--つまり、ES細胞が形成される時期である。ということは、ES細胞の医療目的の利用は「霊魂から肉体を奪う」ことになる。したがって、これは「殺人に等しい」と言わないまでも、決して“愛の行為”とは言えないのである。

 以上は、宗教的見地からの反対論であるが、倫理的見地、社会的見地からも反対論がある。今後、それらも取り入れた議論が本格化すると思うが、宗教の信仰者の立場から「霊魂」の問題も視野に入れた議論がされることを切に望む。科学は恐らく霊魂の存在を否定するのだろうが、社会は科学者ばかりで構成されているわけではない。社会的合意なしに科学や医学が暴走することだけは、避けてほしいものである。

谷口 雅宣

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