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2005年5月23日

横浜との縁

横浜の思い出を何回か書いているが、この町は私と不思議な縁があることに気がついた。こんな書き方をすると、「何を健忘症みたいに……」と思う方がいるかもしれない。しかし、人間の記憶とは不確かなもので、自分が30年前に何を感じ、何をしていたかを思い出すのは(少なくとも私にとっては)至難の業だ。ところが、3月末の本欄で触れたように、古い写真のデジタル化などをしていると、アルバムにも貼ってないような写真を見ることになり、普通では思い出すこともなく忘却の彼方にある過去の自分に、突然逢ったような気持になる。そして「へぇー、そうだったのか……」と自分自身に気がつくのである。

私は結婚後の新居と職場をこの地にもっただけでなく、独身時代にも何回も横浜を訪れていることを写真で知り、またそのことを思い出した。今まで見つけたもので“最古”の横浜の写真は昭和46(1971)年だから、私が20歳のころだ。この頃は青山学院の法学部に通っていたが、写真に凝っていて、友人と一緒に車で横浜など東京の近郊へ出かけて、写真を撮っていた。写真は父が趣味としていて、自宅に暗室を作って自ら現像と焼付をしていたのを、息子の私も教えてもらって自分でやるようになった。私はもっぱら白黒写真だったが、父はその頃からカラー写真の現像と焼付けもやっていたのを憶えている。私はそれを傍から見て「すごいなぁー」と思ったものだ。

保存してあったネガフィルムの束を見ると、私はその頃、横浜の海岸通りや新港埠頭近辺を撮影しただけでなく、友人と山下公園などであったモデル撮影会にも参加している。青山や六本木辺りの夜の写真もある。それを見ていて思い出したが、当時は森山大道氏らが夜の都会の断片を“本能的”に切り取ったような、粒子の粗い白黒写真が写真雑誌に載っていて、私はそれを真似て、暗闇に向かってほとんど無作為にストロボを焚いただけの、ワケの分からない写真なども撮った。写真の画像をわざわざ荒らすための「増感現像」もしていたから、ちょっとした“マニア”だったのだろう。そうやって撮った写真の中に、8~9年後に自分の主な仕事場となる横浜海事記者倶楽部が入った横浜税関の建物も写っていた。

Yokoham140

「地縁」といえば、ある土地に住み着くことで生じる人との縁のことを指すが、私は人と土地そのものとの関係にも、深い浅いの違いがあるような気がする。「故郷」と呼ばれる場所は、血縁と地縁の双方が合わさった濃厚な関係を人と結ぶが、「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」と歌われるように、人以外の自然環境との間にも人は深い心理的関係を結ぶ。もしそうであるなら、人は故郷以外の土地とも“縁”を結んでいるに違いない。そんな関係を、私は横浜に感じるのである。

谷口 雅宣

(写真は、昭和46年当時の横浜税関の正面玄関。向かって左側の玄関脇の1階の部屋が記者クラブに充てられていた。)

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