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2005年5月30日

“金太郎飴”では衰退する

5月28日の本欄で釧路の印象を書いた際にも触れたが、地方都市の過疎化の流れは如何ともしがたいものなのだろうか。「人」がいないことには経済が動かず、したがって仕事がなく、若者は将来の発展を期して仕事のある都会へと出て行く。そこでさらに人がいなくなる。客が減れば商店は利潤が生じずに閉鎖し、閉鎖すれば取引先も仕事が減る……こういう悪循環が地方ではグルグル回っているようだ。北海道では札幌への一極集中が続いているが、それを加速させる要因として「土地の広さ」があるのだという。つまり、若者や中年世代が札幌へ出ていくと、残された老人には老後の心配がある。体にガタが来たときには、誰がどこへ連れて行ってくれるのか? 土地が広いがゆえに、お隣さんに声をかけられない。電話で連絡できても、隣家の助っ人が来てくれるまでが心配だ。それに比べて都会へ行けば、子供もいるし、医療施設も整っている。だから、苦労して開拓した土地ではあるが、やむなく……というわけである。

『秘境』の取材で山形県の村山市から新庄まで新幹線で出て、そこから各駅のローカル線で余目経由で鶴岡へと行った時のことが思い出される。2両編成のワンマン列車で、ワンマン・バスのように最前車両の先頭のドアだけが開いて、客が出入りする。駅はもちろん無人駅がほとんどだ。日曜日だったせいか客はまばら、落日前後の静かな夕方の景色--延々と続く田んぼと畑--を窓外に見ながら、「こんな少ない客でやっていけるのか?」と思った。でも、旅人の視線で見ると、素朴で、温かくて、懐かしい風景がいっぱいあった。若者もいた。子供もいた。鶴岡では湯田川温泉の旅館に泊まったが、ここも客は多く、若い主人や従業員がてきぱきと仕事をしていて活気が溢れていた。だから山形県は、北海道ほど過疎化は深刻でないのかもしれない。

そう感じていたところに、庄内地方の経済の変化について書いた記事が『朝日新聞』(5月29日)に載った。歴史のある鶴岡、酒田の中心街が衰退し、これら2つの中間地点の田んぼの中にできた大型ショッピングセンターに客が集まるようになっているという。郊外にあるこの種の大型店の魅力は「大都市の店と同水準の品ぞろえや価格で買い物ができる」点にあるらしい。しかし、私のように旅をする者の側から言わせてもらうと、こういう大資本が全国展開してできたショッピングセンターは、どれもこれも皆、似たり寄ったりなのだ。コンビニにせよスーパーにせよ、AVショップにせよ、新古書店にせよ、大資本であるがゆえに販売戦略や品揃え、サービスまで全国一律だから、概観も中身も何も面白いことはない。庄内も伊勢も名古屋も札幌も福岡も京都もみな同じである。そういう“金太郎飴”的な発想が、地方の衰退を加速させているのではないかと思う。

我々はローカルであることを恥ずかしく思う必要はまったくないと思う。政治家や経済人も「地方色」を消そうと思わず、それを突出させることで特徴のある地方を築き上げるべきだ。生き方もやり方も、東京や大阪や京都に合わせることはないと思う。逆に私のように、いわゆる“田舎”のない東京の人間にとっては、日本中の町が東京になろうとしていると考えると、おぞましさで身が震えるほどだ。旅行をする楽しみが、まったくない。こんな町(失礼!)は、世界中に東京一ヶ所だけで結構だ。花屋の花が全部バラになったら、誰もバラなんて買いやしない。日本の皆さん、もういいかげんに“人マネ”の生き方から卒業しようではないか。

谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 全く同感です。近頃は町の商店街がさびれて、大型ショッピングセンターばかりが繁盛するのは何ともさびしいし、やりきれないです。私の地元、鎌倉、藤沢辺りでもそうです。
 ただ、食べ物屋はけっこう個人経営の所で店主の個性を活かした店が私の家の近所に出来てきました。
 私はこういう店が好きだし、応援したい気持ちもあるので家族と週末はたびたび出かけています。

投稿: 堀 浩二 | 2005年5月31日 15:14

堀さん、

 地元の料理屋さんの話、いいですね。
 鎌倉のような歴史的に由緒のある町でも、画一化は進んでいるのですか? 残念ですね。

投稿: 谷口 | 2005年6月 2日 15:49

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