運転士の心理状態
JR宝塚線の脱線事故による死者の数が100人を超えそうだという。判明する死者の数が日ごとに増えるこの事故は、本当に悲惨な様相を呈してきた。犠牲者のご冥福を祈るとともに、ご家族や関係者の心痛を思うと、事故の本当の原因をしっかり検証し、再びこのような惨事が起こらないような予防策を講じてもらいたい。
この「原因」に最も近いところにあるのが、運転士の心理状態だろう。列車も自動車も同じと思うが、無茶な運転をすれば、どんなに安全設計をほどこした乗り物であっても事故は免れない。また、安全性をあまり考慮していない乗り物でも、それに乗る人間の心理状態が安定しており、かつ熟練された乗り手ならば、(サーカスの綱渡りのように)、事故を起さずに目的地に行くことは珍しくない。だから、“その時”の運転士が何を最も重要と考え、何を重要と考えなかったのか、あるいは考慮しなかったのかという点の解明が重要になるのだろう。
これまでの報道による限り、問題の電車の運転士が、列車の安全を重要視しなかったことは容易に想像できる。事故現場の手前の駅で40メートルもオーバーランしたこと、その事実を車掌に隠してもらおうとしたこと、オーバーランによる約1分半の遅れを取り戻そうとして、制限速度70キロのカーブに100キロのスピードで突入し、カーブの途中で急ブレーキをかけたこと……これらがもし事実とすれば、運転手は「定刻通りの運行」を最優先し、列車の安全性を後回しにしたと考えるほかはない。が、分からないことが一つ残る。
それは、事故現場手前の伊丹駅で、なぜ定位置より40メートルも先に停車したかということだ。4月27日の『朝日新聞』によると、この23歳の運転士は過去3回、処分を受けていたらしい。それも、車掌から運転士になって1ヵ月後に約100メートルのオーバーランをして訓告処分を受けているのだ。車掌時代にも、相棒の運転士がオーバーランしたときに、車掌として引かねばならない非常弁を引かなかったことで訓告を受けている。ということは、彼は運転時にオーバーランをするような心理状態になりやすい性格であるということだろう。
私は列車の運転については何も知らないので想像する以外にないが、自動車の運転と比べて考えてみると、赤や黄色の信号で停まるときに、停止線を越えるような、あるいは交差点にまで出て停まるような運転をするのは、やはり先を急いでいるときだ。また、急いでいなくても、前方に注意が十分向かっていないときも同様の結果になることがある。最も危険なのは、先を急いでいながら、前方に注意を払っていない場合だろう。今回の事故は、どうもこの最後のケースで起こったような気がしてならない。問題は、彼はその時、なぜそういう心理状態だったかということである。
私はもちろん心理学の専門家ではないが、彼の過去の失敗の例から考えて、ADHD(注意欠陥多動症)の疑いを感じる。彼はまた、テレビやパソコンのゲーム好きではないだろうか。すると、運転士の適性検査の際、JRがADHDの有無を調べるかどうかが問題になる。多分、調べているだろうが、程度の問題でパスしたのかもしれない。もしADHDでないならば、前夜寝不足だったとか、居眠りしていたとか、車掌とベラベラ話をしていたとか、そんな理由だろうか……。それにしても、自分が何百人もの人間の命を預かっているという自覚が欠けていたことは事実だろう。
谷口 雅宣
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コメント
誠に、このたびのJR脱線事故は、心痛極まりない事故でした。犠牲者の家族の方々のことを思うと、やりきれない思いが伝わってくるようです。
このたびの事故は、とても他人事のように思えませんでした。というのも、実は、私事にわたり恐縮ですが、今月中旬に突然、父を交通事故で亡くしたからです(相手は乗用車で父は自転車、交差点での事故でした)。
自動車と電車の違いはあれ、また犠牲者数の規模が文字通りケタ違いとはいえ、家族を突然失うということに変わりはなかったため、とても他人事には思えませんでした。
自動車にせよ電車にせよ、誠に便利な文明の利器ですが、それだけに、ちょっとした心のスキがとんでもない結果につながるわけですから、高度な科学技術をもつ現代人には、それにふさわしい心の発達が急務であることを、いやというほど痛感させられました。このような事故によって、被害者側はもちろんのこと、加害者側も不幸になるのですから…。
犠牲者の方々の冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。
私としては、いつまでも悲嘆にくれていても仕方がないので、父への供養のためにも、また残された母のためにも、前を向いてシッカリと歩いていく決意です。
なお、ついでながら、以前からの念願だった私自身のウェッブサイトを、このたび思い切って立ち上げました:
http://homepage2.nifty.com/masaruyamanaka/
内容上のボリュームとしてはまだまだこれからですが、ご訪問いただければ幸いです。
投稿: 山中 | 2005年4月30日 06:40
山中さん、
それは突然で大変なことでしたね。
私も、「父が倒れる」という経験をして、私的な意味でもその影響の大きいことを実感しました。“加害者”がいないというのが救いでしたが……。
投稿: 谷口 | 2005年4月30日 11:53
はじめまして。
私は三十代二児の母、米山恭子と申します。
子供が出来てから、信仰の必要さを感じ、生長の家のヤングミセスというところで勉強させていただいております。
講習会等で先生のお話をお聞きしたり、ホームページを読ませていただくと、とても常識的でバランス感覚の鋭くていらっしゃるお人柄に、安心感を覚えます。生意気申し上げましてすみません^^。でも宗教はカルトのイメージが強いので、こうして先生のラフな部分に触れさせていただく機会は本当に貴重で大切なことと感じます。
しかも、ブログがあるなんて!なんだかとても身近に感じ嬉しく思いました。(私も日々のちょろ育児のブログをやっているので)ありがとうございます。
今回の脱線事故の報道には、時間ばかり多くて、なにか核心を突いていないもどかしさを感じていました。
日本の風潮として、亡くなった人を悪く言ってはならないという所なのか、運転手の二回目の厳重注意は、乗客から「目がうつろ」と指摘があったということは(NHKより)あまり報じられていませんね。
電車が時間や距離を守るのは当たり前なのに、それを守らせる指導をした研修や、ペナルティのあり方などばかりバッシングされていて、肝心の「なぜそんなおかしな状態の運転手にハンドルを握らせ続けたのか」という、人を見る基準のなさのようなもののほうが、よほど追求すべき点であると思うのですが、、。
安心して電車に乗っていた方々
(車で送るといった息子さんに、車は怖い、電車なら安全で確実だから、といって事故に会われたお母さんの話など聞くと考えてしまいます)
の事を本当に気の毒に無念に思うなら、マスコミももっと突っ込んで欲しいと思います。個人攻撃ではなしに。
あと、はっとした一文が…。
>私はもちろん心理学の専門家ではないが、彼の過去の失敗の例から考えて、ADHD(注意欠陥多動症)の疑いを感じる。彼はまた、テレビやパソコンのゲーム好きではないだろうか。すると、運転士の適性検査の際、JRがADHDの有無を調べるかどうかが問題になる。
というところなのですが、私は不勉強でゲームとADHDの関係は初めて知りまして、丁度六歳と三歳の子供たちが、公園でゲーム機を持ってくるお兄さんに群がっているのを見て、どうしたものかと思い悩んでおりましたので、ほんとうにびっくりしました。
これから親として、こういうことも勉強しなければ、大変なことになりそうですね!
不安も大きいですが…。本当に「私も欲しい!」「どうしてだめなの?」といい続ける子供を説得するのは大変です…。
ともあれがんばります。家庭の中でしかできないこともあると信じつつ(^^;)。
これからも楽しみに訪問させていただきますっ。
投稿: 米山恭子 | 2005年5月 1日 10:49
追伸
すみません。本来なら一番最初に書くべきだったのですが…。
お父上(総裁先生)の、無理をなさらない程度の一日もお早いご回復を、陰ながら心よりお祈りさせていただきます。
投稿: 米山恭子 | 2005年5月 1日 15:25
米山さん、
コメント、ありがとうございます。
ゲーム機とADHDの関係は、まだよく分かっていません。が、「ゲーム脳」という言葉を使って、ゲーム機のやりすぎが発達障害を起すと主張する心理学者がいます。
現在、全国大会の期間中なので余裕がないのですが、時間のあるときにもう少し調べてみたいと思います。
暖かいお言葉に感謝します。
投稿: 谷口 | 2005年5月 1日 23:20