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2005年3月24日

進化論が攻撃されている

アメリカでは「進化論」が攻撃されている。

とは言っても、書物や学界での議論ならば理解できるが、映画館での問題だというから首をかしげる。

3月21日付けの『ヘラルド朝日』によると、アイマックス系の映画館のいくつかでは、生物の進化を扱った映画を上映しないと決めたそうだ。「進化」ばかりでなく、「ビッグバン」や「地質学」もいけないのだそうだ。理由は、聖書の『創世記』に書かれている天地創造の物語と違う説を公共の場で流布してはいけない、とする人々の反発を恐れるからだという。だから、『Cosmic Voyage』(宇宙の旅)も『Galapagos』(ガラパゴス島)も『Volcanoes of the Deep Sea』(深海の火山群)もダメなのだそうだ。2003年にリリースされた『Volcanoes』(火山)も、主として南部の州の科学センターで上映を拒否されたという。この映画の拒否の理由は、進化論に触れて「生命の起源は海底の穴の中だったかもしれない」としたからだという。

『創世記』の天地創造神話を“真理”だとして、それ以外の説--とりわけ「生物進化」の考え方を批判する人を「創造主義者(Creationist)」というらしい。これは一種の原理主義で、宗教教典に書かれた文字の一言一句の中に真理があると考える。同じ考え方を『コーラン』に適用すれば、それは“イスラム原理主義者”といえるだろう。今のアメリカが「保守化」、あるいは「右傾化」していると聞いてはいたが、映画の内容に関してまで聖書が持ち出されるのには驚かされる。

そういえば、メル・ギブソンの『パッション(Passion of the Christ)』では、「聖書に忠実に描くと、あんなに恐ろしい映画になるのか」とわが目を疑ったが、よく考えてみると、キリストの処刑の話は4つの福音書それぞれが微妙に違っている。その4つの物語のどれを「正しい」とするかは、作者の選択に任される。また、福音書に描かれたキリスト譚は「処刑の話」で埋め尽くされているのではない。にもかかわらず、「教え」の話は大幅に省略し、「処刑」の現場を延々と描くことで、作者は、聖書への忠実を装いながら、自分のキリスト解釈を前面に打ち出すことに成功した。まあ、原理主義とはそういう性格のものなのだろう。

聖書に関しては、『ダビンチ・コード』が話題になった。あれは立派なフィクションで、著者もハッキリそう言っているのに、世界中であまりにも売れていることに驚いたローマ法王庁は、「内容がデタラメだから、カソリック信者は読むべきでない」との見解をわざわざ出した。しかし、アメリカ国内でこの本の不買運動が起こっているとは聞いていない。フィクションなら許すが、事実(あるいは科学的見解)として聖書と違う考えを出すのはマズイということか。

こと宗教に関することになると、人間はどこでも融通がきかなくなるようだ。

谷口 雅宣

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コメント

倉山 太一 さん、

 あなたは物理学専攻ですか?
 いろいろご存知なので感心します。

 キリスト教徒はどこに中心を? との質問ですが、昨今のローマ法王関連の報道に接すると、やはり現状でも、相当な数のキリスト教徒がローマ法王に“中心”を見ているような気がします。

 が、もっとも、プロテスタントの人々の気持ちは分かりませんが……。

投稿: 谷口 | 2005年4月 2日 12:50

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