アメリカの尊厳死論争
あまり美しいとは言えない家族間の争いが、アメリカ中を巻き込んだ“尊厳死論争”に発展している。
これはもちろん、15年間の“植物状態”にあるテリー・シャイボさん(41)のこと。3月28日付の『朝日新聞』によると、夫の求めに応じて栄養補給装置が外されてから9日がたち、まさに死へと限りなく近づいている人だ。これに対して、テリーさんの両親などシンドラー家の人々が「娘を殺すな」と反対運動を繰り広げており、それに地元のフロリダ州議会や連邦議会、さらにブッシュ大統領も加わって、宗教右派を巻き込んだ大論争になっている。
もともとの対立点は、夫のマイケル氏が「妻は人工的な延命は生前から望んでいなかった」として尊厳死を認めるように裁判所に申し立て、それに対しテリーさんの両親が「娘が死を望むはずがない」と反発したことだ。ここまでなら家族間の争いにすぎないが、それに対して“プロライフ(生命尊重)派”の政治勢力が関与したことにより、騒ぎが全国に広がった。フロリダ州の知事はブッシュ大統領の弟のジェフ・ブッシュ氏で、彼が議会に働きかけた結果、テリーさんの延命措置が復活した。その背後ではプロライフの宗教右派が動いた。これに対して、大統領再選を決めたブッシュ氏と連邦議会も口を出した。マスメディアは、「本来、家族内の決定事項に政治が介入するのはけしからん」と噛みついた。
裁判所は一貫して、夫のマイケル氏の延命中止の判断を支持した。これは、1976年と1990年の2件の判例によって、植物状態の患者の生命維持装置を外す際の基準が確立したからだ。その基準とは、①患者はどんな治療も拒絶できる ②拒絶の意思を知る家族らは、患者の意思表示を代行できる ③医師は患者の意思を尊重すべし、の3つだ。
ところで、テリーさんの尊厳死の是非の判断を複雑にしているのは、夫のマイケル氏が妻の植物状態の原因をつくったとして病院を訴え、合計で100万ドルの賠償金を手にしたことと、マイケル氏には愛人がいるばかりでなく、その愛人との間にすでに3人の子供もいて同居中であるという事実がある。テリーさんの両親にとっては、これが娘への赦しがたい裏切りだと感じられるわけだ。
「生命尊重」はもちろん重要な価値だが、政治家が一人の女性の死に対してそれを懸命に主張するのであれば、イラクで死んだ何千人もの市民や兵士の生命をどう考えるのか聞いてみたい。かの地では、今日も何人もが望まぬ死を体験しているのである。
谷口 雅宣
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