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2005年3月31日

古い家族写真

MT18orso1週間前に買ったスキャナーを箱から出した。

「何でもデジタル時代」ということで、昔撮影したフィルムも劣化前にデジタル化すべし、などと書いた記事を読んだのが頭に残っていて、先週、近所の家電量販店でそれを買った。年度末の忙しさもあってそのままにしておいたのだが、今日は休日だったので、やっとそれを箱から出して、パソコンにつないだ。この機種を選んだ理由は、35mmのネガフィルムを直接、半ば自動的にスキャンする装置が付いていたからだ。ソフトやドライバーのインストールを済ませ、やっと使い方が分かったので、部屋の天袋の奥にしまってあった、古いネガの詰まっている箱を出してきた。

テストのつもりで、最初のネガはアット・ランダムに取り出した。35mmは小さいし、カラーの反転したフィルムには何が写っているのか分からない。スキャンしてみると、それがフルカラーでパソコンの画面上に現れる。何コマかの前後関係から判断すると、それは35年ぐらい前の正月に撮った一連の写真だった。家族で正装し、近くの産土神社に一緒に出かけた様子が写っている。祖父母も両親も一緒だから、総勢8人だ。男は大人がモーニング、子供は紺か黒のスーツ、女は大人が留袖で子供は振袖姿だ。「子供」とは書いたが、私が18~20歳のころだ。

一連のコマの中には、一部変色して黄色い斑点があちこちに浮かんでいるものも多い。細かい糸くずのようなものが付着しているものもある。が、とにかく35年前の私たちの生活の一部が、色付きできちんと保存されているということが、なぜか新鮮な驚きだった。記憶からは失われているかつての人生の一コマ、一コマがここにある。古い写真アルバムを見れば同様の体験をするのだろうが、パソコン上の画像とそれとの違いは、パソコンでは写っているものの拡大・縮小が自在の点だ。

家族の集合写真が何枚かあるが、私を除いた7人が写っているところを見ると、撮影者は私だろう。他のコマに私が写っているのがあった。「こんな顔だったのか」と驚く。何か怒っているような鋭い視線で、カメラを見ている。この8人のうち祖父母はすでに亡くなり、父母は80歳を超えた。姉2人も弟も独立して久しい。気がついてみたら、今の私がちょうど写真の中の父の年齢になっていて、私の子供たちが写真の中の兄弟姉妹のような年齢である。人間はこうして成長し、年老いて、やがて死んでいくのだと感慨を深くした。元日の日の光を浴びて幸せそうに談笑する家族の写真を眺めていると、懐かしい声が聞こえてくるようであり、「時が流れることによって物事は進展する」という当たり前のことに、なぜか不思議な感動を覚えるのだった。

谷口 雅宣


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2005年3月30日

京都議定書の目標達成、大丈夫?

地球温暖化防止のための「京都議定書目標達成計画」の最終案が3月29日にまとまった。小泉首相を本部長とする政府の地球温暖化対策推進本部で「了承された」ということだから、政府はこの計画でやりたいということなのだろう。ただし、「計画案」という「案」の字が残っているところを見ると、修正余地があるということか。

これに関する新聞記事を読んでみたが、実効性で疑問が湧く。とりわけ理解が難しいのは、従来の「温暖化対策推進大綱」の中では我々の市民生活の中で排出される温室効果ガスの量を2%「減らす」ことになっていたのを、今回の計画案では逆に10.7%も「増やす」ことになっている点だ。言い方を変えれば、今後2008~10年までに市民生活で出る温室効果ガスを「2%減らす」としていた計画を大幅に転換し、「10.7%まで増えてもいい」としたことだ。この差の約13%を、いったいどこで減らして国際公約を守るのだろうか。それが明確でない。因みに、産業部門での排出削減幅は、従来が「7%」だったのを今回は「8.6%」とし、運輸部門の増加は従来「17%」まで許すとしていたのを、今回は「15.1%」までにとどめると若干厳しくしている。しかし、この程度の努力によって、民生部門の削減幅の減少率(つまり増加幅)「12.7%」を吸収できるとは、とても思えないのだ。

焦点の「環境税」だが、これは「実施する」とは言わずに「真摯(しんし)に総合的に検討を進めるべき課題」という意味不明の表現を付してお茶を濁している。推進派と反対派の双方に都合のいい解釈が可能な表現で、いわゆる“玉虫色”の決着である。つまり、賛否双方から引っ張られて動けないから「導入はない」と見た方がいい。結局、自民党らの与党は、経済団体とその監督官庁である経済産業省の反対論に何もできないのか、と思う。産業界の反応が「現実を踏まえた妥当な判断だ」(朝日新聞)というのだから、産業側(経済団体)の勝利と見るべきか。産業部門の削減率を従来の割合より増やしたことの見返りとして、今回は環境税の導入を見送ったというのが本当のところかもしれない。

私の持論は「環境税導入賛成」である。環境税どころか、「自然資本」をきちんと評価する方向に経済制度全体を移行すべきと考えている。簡単に言えば、自然そのものの経済的価値を認めて、それを開発等によって損なう場合は、きちんとコストを計算し、GDP(国民総生産)の中に算入すべきと考える。現在の考え方では「環境と経済の両立」などと言っているが、これは暗黙裡に「環境と経済は相反する」という前提に立っている。しかし「自然資本」の考え方を導入すれば、「環境は経済の一部」となるから双方の矛盾は存在しない。環境を改善すればするほど、経済は発展するということになる。ただ、この制度への急な移行は不可能だから、まずは「化石燃料の使用によって発生する環境コストを経済全体に組み入れる」という意味で、「炭素税」ないしは「環境税」の導入が望まれるのである。

谷口 雅宣


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2005年3月29日

国際連帯税に期待する

日本を訪れていたシラク仏大統領が、ジェット燃料と航空券に対して課税するアイディアを小泉首相に提案した、とフランスの通信社AFPが伝えた。「おっ、これは環境税の一種か?」と私は期待したが、さにあらず、アフリカでのエイズなどの伝染病の蔓延と戦うためだという。ジェット機での移動がしにくくなることで、どうしてエイズが減るのだろう?

3月29日の『ヘラルド朝日』紙によると、この案は別に「税による効果」をねらったものではなく、世界の「富裕層から貧困層へ」と富を分配するためのものらしい。ジェット機で移動するような人から少しもらって、アフリカの貧しい人々に援助するというわけだ。フランスは今ドイツと組んで、世界初の“国際連帯税”(international solidarity tax)なるものを実現させようとしているという。この税によって「年間300万人以上の命が救われる」のだそうだ。

シラク大統領のこの案は、全面的に「慈善的」な動機から出ているわけでもなさそうだ。というのは、今年1月にスイスのダボスで行われた世界経済フォーラムでは、同じ目的に使うにしても、もっと別のものに課税する案が出ていたからだ。それは、国家間の金融取引や資本の移動に際して課税する案で、これにはドイツだけでなくスペイン、ブラジル、チリなどが賛成した。このアイディアは、もともとはノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・トービン氏が考えた案で、投機的な国際金融取引を規制する意図がある。各国が議会で課税を決めて、多国籍企業に守らせるわけだ。国家間の資金の移動がコスト高になるから、投機が減り、税収は地球的問題の解決のために使う。ということは結局、環境税と同様の効果が見込めることになる。

このシラク提案に対して小泉首相がどう反応したかは、AFPの記事には出ていない。書いてないということは、無反応だったか、気の無い返事をしたのだろう。なぜだか分かります? それは、アメリカがこの種の“トービン税”には反対しているからだ。日本は、京都議定書を推し進めることでアメリカとは袂を別ったのだから、ここでも一つ“自主性”を発揮してほしかった。スマトラ沖でまた大地震が起こったが、こういう地球規模の災害に対しても“トービン税”は使うことができる。もう「一国の利益」だけを考えている時代ではないのである。

谷口 雅宣

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2005年3月28日

アメリカの尊厳死論争

 あまり美しいとは言えない家族間の争いが、アメリカ中を巻き込んだ“尊厳死論争”に発展している。

 これはもちろん、15年間の“植物状態”にあるテリー・シャイボさん(41)のこと。3月28日付の『朝日新聞』によると、夫の求めに応じて栄養補給装置が外されてから9日がたち、まさに死へと限りなく近づいている人だ。これに対して、テリーさんの両親などシンドラー家の人々が「娘を殺すな」と反対運動を繰り広げており、それに地元のフロリダ州議会や連邦議会、さらにブッシュ大統領も加わって、宗教右派を巻き込んだ大論争になっている。

 もともとの対立点は、夫のマイケル氏が「妻は人工的な延命は生前から望んでいなかった」として尊厳死を認めるように裁判所に申し立て、それに対しテリーさんの両親が「娘が死を望むはずがない」と反発したことだ。ここまでなら家族間の争いにすぎないが、それに対して“プロライフ(生命尊重)派”の政治勢力が関与したことにより、騒ぎが全国に広がった。フロリダ州の知事はブッシュ大統領の弟のジェフ・ブッシュ氏で、彼が議会に働きかけた結果、テリーさんの延命措置が復活した。その背後ではプロライフの宗教右派が動いた。これに対して、大統領再選を決めたブッシュ氏と連邦議会も口を出した。マスメディアは、「本来、家族内の決定事項に政治が介入するのはけしからん」と噛みついた。

 裁判所は一貫して、夫のマイケル氏の延命中止の判断を支持した。これは、1976年と1990年の2件の判例によって、植物状態の患者の生命維持装置を外す際の基準が確立したからだ。その基準とは、①患者はどんな治療も拒絶できる ②拒絶の意思を知る家族らは、患者の意思表示を代行できる ③医師は患者の意思を尊重すべし、の3つだ。

 ところで、テリーさんの尊厳死の是非の判断を複雑にしているのは、夫のマイケル氏が妻の植物状態の原因をつくったとして病院を訴え、合計で100万ドルの賠償金を手にしたことと、マイケル氏には愛人がいるばかりでなく、その愛人との間にすでに3人の子供もいて同居中であるという事実がある。テリーさんの両親にとっては、これが娘への赦しがたい裏切りだと感じられるわけだ。

 「生命尊重」はもちろん重要な価値だが、政治家が一人の女性の死に対してそれを懸命に主張するのであれば、イラクで死んだ何千人もの市民や兵士の生命をどう考えるのか聞いてみたい。かの地では、今日も何人もが望まぬ死を体験しているのである。

谷口 雅宣

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2005年3月27日

クマ殺しはいけない?

 童話作家の寮美千子さんが、3月26日の『産経新聞』にアイヌ民族の「イオマンテ」の儀式について興味ある話を書いていた。

 イオマンテとは、アイヌが山から生け捕りにしてきた子グマを育て、1~2年後に殺して食べるときの祭だ。人々は子グマを取り囲んで矢を放ち、2本の丸太で首を挟んで息の根を止めるのだそうだ。「残酷だ」という理由で今ではほとんど行われなくなっているらしい。寮さんが取材したアイヌの古老たちは、口々に子グマの愛らしさ、一緒に暮らした日々の楽しさを語り、その子グマとの“別離”のつらさを、目に涙さえ浮かべて語ったという。

 それなのに、なぜ残酷な儀式を? 寮さんの解釈--
「確かに、わが子同然に育てた子熊を殺すことはつらい。けれども、だからこそ人はその命の重さを実感する。ひと切れの肉が、どのような犠牲の上にここにあるのかを、嫌というほど思い知らされる。イオマンテとは、それを共同体で確認するための儀礼ではないのか」

 これを読んで、私は鎌田慧著の『ドキュメント屠場』(岩波新書)を思い出した。現代の食肉工場で働く人の生き様を描いた本で、屠殺を業とする人々の数々の思いが噴き出ている。30代の青年の発言にこういうのがある--「男の連中は、(解体)を実際みてみたい、といったりしますが、……女性で、やっぱり気持ちがわるい、といったりします。なんで、気持ちわるいっていうんですか、魚にしても、鳥にしても、生き物を殺すというのは、どれもいっしょとちがうか、とぼくらはいうんです。だけど、ものが大きいですから、牛や豚は。それで頭の中で想像して、気持ちわるい、という言葉が先にでるみたいです。だけど、みんなそれを食べているんやで、ぼくらがした仕事やから、あんたら肉を食えているんやで、輸入すればいいいうても、その仕事をした人間がだれかおるんやで、とよくいうんです」

 この「気持悪い」とか「残酷だ」と感じることが重要ではないだろうか? 現代社会は分業と専門化が徹底しているから、我々は鳥をしめたり、豚を殴り殺したり、ましてや牛を手にかけるなどということは、その筋の専門家でない限り一生することがないし、見ることもないかもしれない。だから、そういう動物を殺すときに起こる人間の心の中の激しい葛藤を知らない。この「知らない」ということがクセモノだ。一見して、自分が屠殺をしないことは善いことのように思うが、屠殺の現場を知っている人と、まったく知らない人は、一体どちらが動物に共感を覚えるだろうか? どちらが「肉を食う」行為に罪の意識を感じるだろうか? どちらが動物たちに感謝の思いをもつだろうか? どちらが食物を無駄にしないだろうか?

 現代人から現実感--生きる実感--が失われつつある原因は、こんな所にもある。今の子供は、ハムやソーセージが何から作られているかよく知らない。フライド・チキンがどうやって作られるか、ハンバーガーの中身が何かもよく知らない。鳥、豚、牛のどの部分が何に使われているのか知らない。残酷な部分はすべて隠し、一部の専門家に全部やらせて「自分に罪はない」と言うのは間違いだ。現代の我々の生活は、おびただしい数の生物の犠牲の上に成り立っている。それを実感すればこそ「抑制しよう」という気持になり、生命の連鎖を知って「同じ生命を貴ぶ」という謙虚な態度が生まれ、無駄遣いを避けようとするのだと思う。

 そう考えると、アイヌのクマ殺しの儀式は、我々人間に生の現実を教え、動物に感謝させ、欲望を抑制するための英知の表れであるように思う。

谷口 雅宣

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2005年3月26日

英語の幅、考えの幅

 英語にも、考えにも大きな幅がある--国際宗教学宗教史会議世界大会に出て、改めてそう思った。

 「英語は世界語」とよく言われるので、数多くの国で使われていると頭では分かっていたが、いざ実際に多種の英語を聞いてみた時の実感はまた別である。午前中に出席した「宗教多元主義の実践:東南アジアの事例研究」では、インドネシア人の英語とドイツ人の英語を聞いた。インドネシア人は2人だったが、それぞれの英語が少し違った。年長者の方が若い人より分かりにくかった、と言うか、ほとんど分からなかった。ドイツ人の方は、抑揚の少ないカサカサと滑るような調子の英語で、慣れるまでに時間がかかった。

 午後からは「宗教と科学技術」というセッションに出て、パキスタン人の英語を聞いた。こちらはあまり訛が少なく分かりやすかったが、発表態度が違った。個人差もあるのだろうが、聴衆が聞きやすいかどうかなどお構いなく、マイクに近づいたり、遠ざかったり、OHPで投影した文字を読むだけだったり、話の最後のところでは自国の大統領を誉めてみたり……。その後に出た「戦争と平和をめぐるイスラムの視点」では、イラン、ブルネイ、マレーシアの人の英語を聞いた。この中で最も聞き取りにくかったのがマレーシアの人で、単語を短く切りながら、機関銃のように英語をしゃべる。それに比べ前二者の英語は、抑揚が適当についているので分かりやすかった。

 この3番目のセッションが一番興味深かった。というのは、イラン人の発表者は、「イスラムは人権を尊重し、男女平等を説き、理由のない暴力を許さない教えである」ということを、平坦な調子で原稿を読みながら延々と話した。そのあとでマレーシア人が「コーランはテロリズムを認めない」ことを機関銃のように話した。ブルネイ人もイスラムのいい所を話した。ディスカッションの時間になると、まずドイツ人が手を上げ「今日は学問的分析を聞きに来たのに、宗教講話を聞かされたのには驚いた」と皮肉った。部屋の最後部で手を上げたオーストラリア人は、「もし貴方がたの言うことが正しいなら、9・11のあと、イスラムの宗教指導者たちは、なぜ団結してテロ行為を否定しなかったか?」と質問した。バングラデッシュ人の女性も立ち上がり、「貴方がたは言っていることとやっていることが違う」と批判した。

 これに対してイスラム側の反論は……力がなかった。イラン人は「イスラムに多くの教派があり、教えの解釈も教派によって多様だ」と言った。ブルネイ人は、「西側のニュース報道は選択的で、一部の民衆が踊って喜んだことは事実だが、宗教指導者は皆、テロ行為をイスラムにもとると批判した」と言った。最後の方で、大きな白人(国籍不明)が立ち上がってこう聞いた--「イスラムの解釈にそんなに幅があるならば、宗教指導者は何のためにいるのか。民衆は、右から左にいたる大きな解釈の幅を利用して、その時々の感情に合ったイスラムを選択すればいいことにならないか?」--うん、確かにその通りだ、と私も思った。

谷口 雅宣

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2005年3月24日

進化論が攻撃されている

アメリカでは「進化論」が攻撃されている。

とは言っても、書物や学界での議論ならば理解できるが、映画館での問題だというから首をかしげる。

3月21日付けの『ヘラルド朝日』によると、アイマックス系の映画館のいくつかでは、生物の進化を扱った映画を上映しないと決めたそうだ。「進化」ばかりでなく、「ビッグバン」や「地質学」もいけないのだそうだ。理由は、聖書の『創世記』に書かれている天地創造の物語と違う説を公共の場で流布してはいけない、とする人々の反発を恐れるからだという。だから、『Cosmic Voyage』(宇宙の旅)も『Galapagos』(ガラパゴス島)も『Volcanoes of the Deep Sea』(深海の火山群)もダメなのだそうだ。2003年にリリースされた『Volcanoes』(火山)も、主として南部の州の科学センターで上映を拒否されたという。この映画の拒否の理由は、進化論に触れて「生命の起源は海底の穴の中だったかもしれない」としたからだという。

『創世記』の天地創造神話を“真理”だとして、それ以外の説--とりわけ「生物進化」の考え方を批判する人を「創造主義者(Creationist)」というらしい。これは一種の原理主義で、宗教教典に書かれた文字の一言一句の中に真理があると考える。同じ考え方を『コーラン』に適用すれば、それは“イスラム原理主義者”といえるだろう。今のアメリカが「保守化」、あるいは「右傾化」していると聞いてはいたが、映画の内容に関してまで聖書が持ち出されるのには驚かされる。

そういえば、メル・ギブソンの『パッション(Passion of the Christ)』では、「聖書に忠実に描くと、あんなに恐ろしい映画になるのか」とわが目を疑ったが、よく考えてみると、キリストの処刑の話は4つの福音書それぞれが微妙に違っている。その4つの物語のどれを「正しい」とするかは、作者の選択に任される。また、福音書に描かれたキリスト譚は「処刑の話」で埋め尽くされているのではない。にもかかわらず、「教え」の話は大幅に省略し、「処刑」の現場を延々と描くことで、作者は、聖書への忠実を装いながら、自分のキリスト解釈を前面に打ち出すことに成功した。まあ、原理主義とはそういう性格のものなのだろう。

聖書に関しては、『ダビンチ・コード』が話題になった。あれは立派なフィクションで、著者もハッキリそう言っているのに、世界中であまりにも売れていることに驚いたローマ法王庁は、「内容がデタラメだから、カソリック信者は読むべきでない」との見解をわざわざ出した。しかし、アメリカ国内でこの本の不買運動が起こっているとは聞いていない。フィクションなら許すが、事実(あるいは科学的見解)として聖書と違う考えを出すのはマズイということか。

こと宗教に関することになると、人間はどこでも融通がきかなくなるようだ。

谷口 雅宣

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2005年3月22日

日本の常任理事国入り

日本の国連常任理事国入りが突然、国際政治の前面にのぼってきた。

3月19日の本欄で、来日中のライス米国務長官がそれを支持すると明言したことに触れたが、同じライスさんがソウルへ行くと、韓国大統領は予定の時間を20分オーバーして“反日講義”をしたと今日の『産経新聞』は伝えている。その中で大統領が、国務長官の日本の常任理事国入り支持の発言に抗議して「韓国の国民感情を知らないのか」と言ったのに対し、国務長官は「米国は昨年8月にも同じ支持を表明している」と耳を貸さなかったらしい。

ところが今日の昼のNHKニュースでは、国連のアナン事務総長自身がこの問題に触れ、「常任理事国を6カ国増やすことを考えているが、その中には日本が含まれている」と打ち上げた。ニュースは、「事務総長は具体的国名に触れることはこれまで避けていたが、今回は本音が漏れたのかもしれない」と解説を付けた。冗談でしょう、と私は思う。国連事務総長ともあろう人が slip of tongue (舌を滑らせた) ですか? これは明らかにライス発言への意識的な応援射撃でしょう。

米ブッシュ政権は、これに先立ってジョン・ボルトン氏をアメリカ大使として国連に送り込む決定をした。ボルトン氏は、アメリカ下院で国連批判の尖兵だった人。国連は今、イラクの石油スキャンダルやコンゴでの平和維持軍の暴走が明るみに出て最悪の状態。そこへ“批判の尖兵”を送るということは、「国連とは適当にやる」というイラク戦争以来の方針では説明できない。これはむしろ、「国連を改革するぞ!」という意思表示だ。言い換えれば、アメリカは今後、国連を自らの利益にかなうように変えるつもりだ、ということだ。その際のライス発言であり、アナン失言である。

で、(ここから先は私の憶測だが)小泉首相がイラク派兵を強行し、国連を無視してイラク政権を崩壊させたブッシュ政権を今なお支持している背景には、この「日本の常任理事国入り」があったのではないか、と思う。「密約」とは言わないが「暗黙の合意」とか「暗黙の了解」程度はあったのではないだろうか。この動きは、自民党の憲法改正案策定作業とも関係があると考えるのは穿ちすぎか?

ところで、今考えられている国連改革の構想では、安全保障理事会のメンバーを今の「15」から「24」に増やすそうだ。現在、拒否権をもつメンバー(常任理事国)は米・英・露・中・仏の5ヵ国で、残りの10ヵ国は拒否権がなく任期2年。これに新たに6ヵ国を常任理事国に加え、3ヵ国を任期2年のメンバーに加える案が有力とされている。下馬評では、この前者の6ヵ国は「ブラジル、ドイツ、インド、日本、エジプトとナイジェリア、もしくは南アフリカ」だという。(『ヘラルド朝日』2005年12月2日の記事による)

戦後60年になろうとしているのだから、安保理改革は当然だが、国連は「第二次大戦戦勝国」の支配から逃れ、まずは地域の利益代表の集まりとしての性格を獲得していくことになるのだろうか。

谷口 雅宣
 

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2005年3月20日

オナガの飛来

午後になって、都心にあるわが家の庭にオナガが2~3羽飛来した。

オナガは、その名のごとく尾がスラリと長く、黒い帽子をかぶったような配色の頭をしたハトほどの大きさの鳥だ。ぱっと見では「灰青色」をしているが、それは羽と尾の色で、胴体は白い。カラス科の鳥で雑食だ。黒い頭は愛嬌があるが、ギャーギャーと鳴きながら餌をつつくのを見ると、何か獰猛な感じもする。

今春、彼らの姿を庭でみかけたのは、これで3日目だ。もう10年以上前には、20羽ぐらいが群をなして庭の餌台に来襲して大変にぎやかだったが、ここ数年はまったく姿を見せなくなっていた。今日は、オナガのほかにシメの姿も見られた。こちらはハトよりやや小型の鳥で、くちばしは薄い黄色、背中が茶色をしている。日本では北海道で繁殖し、本州には冬鳥として渡ってくるものだ。それが春分の日に東京にいたということは、彼らにとってここはまだ「冬」ということだろう。その通りに、今日は曇天で寒かった。

ところで、3月18日の『産経新聞』には、「カラス、人間 知恵比べ」と題した記事が載っていて、そこにカラスのことを「増加の一途をたどり、ごみの散乱などの問題を引き起こしている」と書いてあったが、これは記者(とデスク)の勉強不足だ。石原知事になってから、東京都はカラスの大量捕獲(と殺戮)を行ったことは有名で、そのおかげでカラスの数は目に見えて減少した。私は、この“カラス大捕獲作戦”の随伴現象として、同じカラス科のオナガの姿が東京都心で見られるようになった、と解釈している。つまり、カラスが減った分、オナガのすみかと食べ物が増えたのではないか。私は石原知事の言動には常々多くの疑問を感じているが、この点に関しては、彼は東京都内の生物多様性の維持に貢献したと考え、評価している。

谷口 雅宣

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2005年3月19日

ライス国務長官に納得

 来日中の米国務長官、コンドレッサ・ライス博士の上智大学での講演をテレビで見た。

 講演の出だしの部分は、招待側の一人の出身校、UCバークレイと自分の教えていたスタンフォード(近接している)との比較などをしながら、笑みを湛えて柔らかくスタートした講演だったから、「なかなかいいぞ。本音が聞けるかな?」などと期待していた。しかし、講演の内容が学者のままでいられるはずがなく、段々トーンが上がって、顔からは笑いが消え、いかにも「準備してきた原稿を読む」という感じになった。まぁ、今や政治家なのだから仕方がないだろう。

 「日本はアジアの“星”」みたいな持ち上げ方をしていたのがコソバユかったし、「日本の常任理事国入りをためらわずに支持する」と明言したのは嬉しかった。しかし、「安全保障」を強調し、「地球化する世界(the globalizing world)」と言いながらも、地球環境問題の深刻化にひと言も触れなかったのにはガッカリだった。

 国際関係の専門家なのだから、今や国や地域の安全保障と環境劣化の問題は密接に関連していることや、グローバリゼーションと環境問題の関係も熟知しているはずだ。そういう「学者」としてのライス博士が、「政治家」として(つまり、京都議定書を容認しないブッシュ政権の重鎮の一人として)のライス国務長官に押さえつけられている--そんな気がして残念だった。(まぁ、これも仕方ないか……)

 講演の最後の部分で、BSE対策のために止まっている米国産牛肉の輸入をプッシュしたが、「米国は世界の人々の食の安全に深い関心をもっている」という件には、思わず声を出してしまった。政治家としては当然の言だが、遺伝子組み換え作物を大々的に栽培し、狂牛病の原因となる「牛の共食い」を大規模に行ってきたのがどこの国かを知っている人には、「深い関心」がどちらの方に向かっているのかと言いたくなる。

 ということで、ライス氏はすでに「博士」ではなく、立派な政治家となっていることを知ったという意味で、収穫のあるひと時だった。

谷口 雅宣

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2005年3月18日

石油高騰の意味

 石油の値段が高騰して、ついに過去最高値を更新した。

 3月18日付の『産経新聞』によると、OPECが生産枠拡大を決めた直後のNY原油先物相場(4月渡し価格)で、昨年10月の最高値を更新し、史上初めて1バレル57ドル台に乗せたという。16日のNY市場ではWTIの4月渡しの終値が56.46ドル、17日の東京市場では5月渡しの中東産ドバイ原油が47.50ドルと最高値を更新したという。

 この背景には、経済発展が続く中国などのアジア諸国の需要増と産油国側の供給余力の限界があり、さらに需要増加を背景にした投機買いがある。現在の値段は一種の“石油バブル”で実際の需給関係を反映していない(ニューヨークタイムズ)という見方がある一方、BBCなどは「需給関係で値段が上がっている」と冷静に分析している。どちらが正しいかは、誰もわからないだろう。私は昨年5月に「世界の石油生産高は10~20年後に頭打ちになる」という予測を紹介したが、今年初めの『朝日新聞』は「すでに石油生産はピークを迎えている」との一部専門家の見方を報じていた。

 ところで、私は昨日、東京・三鷹市のセルフ式スタンドで車にガソリンを入れたが、リットル単価は110円(内ガソリン税53.8円)だった。これが渋谷区になると112円とか115円だから、地元では給油しないようにしている。しかし今後は、世田谷や三鷹の値段が渋谷や港区の値段になることを覚悟しなければならないだろう。

 日本では、京都議定書での目標達成を目指して「環境税」の導入が真剣に議論されているが、現在でもガソリンの値段の半分は税金だ。これに1リットル当り2~3円加わったとしても、消費者の実感としては余り違いはない。それよりも、NY市場や中東の政情異変の方が、はるかに大きく我々の懐具合に影響するのだ。中東からのエネルギー供給に依存してきた結果である。しかし、だからと言って、他の地域からの石油の供給を増やせばいいわけではない。温室効果ガスの排出削減は国際公約であるし、石油生産が頭打ちになる時代には、産油国の売り惜しみは明確だ。

 時を同じくして、アメリカ上院は、アラスカ州の北極地域に眠る原油の開発を可能にする法案を51対49の僅差で可決した。これは、ブッシュ政権のエネルギー政策の中核をなすもので、その目的の一つは中東の石油への依存度を下げ、石油の価格上昇の影響を和らげるためである。アラスカの北方地域は、環境保護とそこの現住民族の生活保護等の目的で長い間、石油開発が禁じられてきた。しかし、背に腹は替えられないということか。

 アメリカに次ぐ世界第2位の石油消費国となった中国は、経済ブームの中でエネルギー不足が続いている。3月17日の『ヘラルド朝日』によると、同国の石油会社・ペトロチャイナは昨年、前年より12%多く石油を増産し、それでも高騰する石油の影響で、収入は前年より48%も増加した。同社はこれまで、主として中国東部の油田の開発に携わってきたが、これからは「海外での開発も検討する」という。日本の領海近くで最近、中国の資源調査船が活発に活動をしている理由が、よく理解できるだろう。

谷口 雅宣

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2005年3月17日

仏教ブーム?

「仏教がブームだ」という記事が『朝日新聞』の3月16日の夕刊に載っていた。理由は、「経済成長教」という戦後日本の宗教がバブルで破綻・崩壊し、日常生活に虚しさを感じ、生きる意味を喪失した人間が増えているからだという。しかも、興味深いことに、伝統仏教が勧誘活動に熱心でないから、却って安心して仏教を学ぼうとする人が増えているのだという。既成の“処方箋”を学ぼうとするよりは、自分独自の“処方箋”を伝統仏教の中から見つけようという動きなのだそうだ。そう言っているのは、東京工業大学助教授の上田紀行氏(文化人類学)らしい。

仏教で説く「諸行無常」の教えは、日本のように季節感のハッキリした環境で生きる我々には、実に自然に受け入れられる。しかし「因果応報」の方は、どうだろうか。戦後日本の経済成長を支えてきたと思われる人が、結構無神経に不正を行い、「バレなければいいじゃないか」と悪行を続けてきたケースを多く見聞する。田中角栄に始まり、最近では堤家の人々のウソのつき通しなどは目立つ例だが、それ以外にも牛肉偽装事件など、「ウソも方便」を地で行くような話は数限りない。私は時々、NHKの朝ドラで「ウソも方便」を実行している人を見ることが多いので嫌になってしまうことがある。(そのNHKのディレクターがあれだから、不思議はないのだろう)

仏教の教えを本当に重んじる人が増え、「殺せば殺される」「ウソをつけば損をする」「生かせば生かされる」ことを実生活に反映するケースが目立つようになれば、日本の仏教ブームも本物と言えるだろう。しかし、どうもそのような時機にいたっていないようだ。

谷口 雅宣

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2005年3月16日

ブログのこと

オンラインでの発言は--あの悪名高き「2チャンネル」に代表されるように--名前を隠し、身分も隠し、下品で、乱暴で、言いたい放題など、ジャーナリズムとは無関係なものが多いと考えていた。でも、どこの世界にも真面目に生きようとする人はいるもので、ちゃんと実名を出し、身分も明かし、事実関係を丁寧に検証して発言する者も多く出てきていることは喜ばしいことだ。

このブログ(blog)をする人を「ブロッガー(blogger)」と言い、ブロッガーが集まってワイワイ議論をするインターネット上の空間を「ブロゴスフェアー(blogosphere)」と呼ぶようだ。「blog」という英語は「ブログする」という意味の動詞としても使われるようで、3月15日付けの『ヘラルド朝日』紙には、次のような文章があった:

A producer at MSNBC.com, Will Femia, who monitors blogging, said he was surprised by how well that call worked.

 英語のレッスンでした……。

谷口 雅宣

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2005年3月15日

2日目の言葉

さて、とりあえずスタートした blog であるが、こんな“雑記帳”のようなものが何かの役に立つかと疑っていたら、今朝は目の覚めるような記事に遭遇した。

 『産経新聞』の3月15日づけ第4面に、「ブログの影響力」と題して、同社の近藤豊和記者が書いているところによると、今やblogは、ホワイトハウスでの記者会見に記者を派遣するような位置に達しているそうだ。ブッシュ政権によって個人のツブヤキがそれほど重要なのかと思ったら、さにあらず。会見に出席するblog主宰者のギャレット・グラフ氏(23)は、かつてブッシュ氏と大統領選を争ったディーン民主党議員のPR担当官だったというから、相当な書き手であり、多分はじめからジャーナリストなのだと思う。

 まあ、私は首相官邸の記者会見に出席しようなどとは夢にも思っていない。

谷口 雅宣

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2005年3月14日

最初の言

こんにちは、

 とりあえず突然、blogなるものをやってみることにした。
 ええっと、本日は晴天なり。現在、陽射しが眩しいです。

谷口 雅宣

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