2008年8月21日

“百万の鏡”が映すもの

 京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で行われた盂蘭盆供養大祭は19日、宝蔵神社本祭、精霊招魂神社大祭、全国流産児無縁霊供養塔供養大祭、末一稲荷神社大祭の4つが行われ、私はそれぞれの御祭で斎主(いつきぬし)として務めさせていただいた。これらの大祭は、例年のように17日から3日間行われ、連日の30℃を超える暑さにもかかわらず、全国から大勢の信徒・幹部の方々が招霊祭員その他の実行委員として奉仕してくださった。私は19日の4つの御祭で、それぞれ祝詞を唱え、玉串奉奠し、聖経読誦する。聖経は『甘露の法雨』と『天使の言葉』が2回ずつ誦げられるが、今回は『天使の言葉』の中の次の一節が心に残った--

 汝ら億兆の個霊(みたま)も、
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)なることを知れ。
 喩えば此処に一個の物体の周囲(まわり)に百万の鏡を按(お)きて
 これに相対せしむれば一個もまた
 百万の姿を現ぜん。
 斯くの如く汝らの個霊(みたま)も
 甲乙相分れ、
 丙丁互に相異る相を現ずるとも
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)にしてすべて一つなれば
 これを汝ら互いに兄弟なりと云う。

 聖経のこの箇所は、人類がみな互いに兄弟姉妹であることを唯心所現の原理を通して説いているのだが、「鏡」を喩えとして使っている所に重要なポイントがあると思う。
 
 我々の多くは“自分”の外見を確認するために、ほとんど毎日のように鏡を見るに違いない。外見の中でも「顔」を見ることが多いと思うが、それだけを見ながら“自分”を見ているつもりになっている。しかし、(よく指摘されることだが)鏡に映る顔は左右が逆転しているから、厳密な意味では「自分の顔」ではない。が、我々は普通、その左右逆転の顔を通して「自分」を見る以外に方法がない。そして、我々の日常生活においては、上下逆転は困るが、左右逆転はさほど気にならないようなので、鏡は十分実用価値があるのである。我々は鏡を見て、「あっ、自分はこんな姿だ」と感じ、「自分の反映」として鏡の中の像を理解する。これが普通の鏡の見方だと思う。

 ところが、上の聖経の一節は、「鏡は自分の反映」とは言わないで「鏡は唯一神霊の反映」だというのである。そして、「一個の物体」の周囲に置いた無数の鏡が、その物体の無数に異なる姿を反映するように、個性や外見が無数に異なる我々も「唯一の神霊」の反映である、と説くのである。
 
 この一節に説かれた教えは、表面的に解釈すると妙な結論になるかもしれない。それは例えば、我々一人一人の個性が神(唯一神霊)の一部を構成していると考えた場合である。そうなると、我々が「個性」と呼んでいるものの中には、必ずしも善いものだけが含まれていないから、「気が短い」とか「おっちょこちょいな」とか「強欲な」とか「嫉妬深い」などという性質も、神の属性の一部だと考えられてしまうのである。このことを、“人間の性質”の領域からさらに押し広げて“世界の性質”にまで拡大して適用させれば、「不幸」や「死」や「病気」や「事故」や「戦争」や「地震」や「生存競争」……の1つ1つが、創造主の属性の一部を反映していることになる。これはつまり、「現象のすべての側面の総和が実相である」という考え方であり、案外多くの人々が常識としてもっているものだろう。
 
 しかし、生長の家は「現象は心の影」であり「神の創造に非ず」という教えだから、このような解釈ではいけない。谷口雅春先生は、『生命の實相』第23巻経典篇二でこの部分を解釈されて、次のように書いておられる--
 
「皆さん、億兆の個々の霊も、個々の人間も、これことごとく神の反映と知れ、(…中略…)神と同じ姿が皆の本当の姿であり、神が皆の生命であり、本体であるのであります。実相はまったく同じであるものが、たんに互いにいろいろに分かれているように見えるだけであって、皆同じ神の姿が宿っているものである。分かれて別々に見えても決して一人一人が別々な存在であると思うな。一つの神が姿をかえているにすぎないのだ」。(pp. 98-99)

 この解釈で重要なのは、「皆同じ神の姿が宿っている」という言葉だろう。皆同じ神の姿が「映っている」のではなく「宿っている」のである。「映っている」のであれば神の姿は「現れて」いるだろうが、「宿っている」場合は必ずしも表面に「現れて」はいない。この違いは大切である。百万の人間が百万の異なる“世界”や“神”を見ているようであっても、それらは皆現象であり、その背後に1つの実相世界とその創造主の姿が「宿っている」(隠されている)--これが生長の家の解釈と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年8月20日

地熱エネルギーを活かそう

 環境運動家のレスター・ブラウン氏が主宰するアースポリシー研究所から、19日付のニュースレターが電子メールで送られてきた。同氏は『プランB』などの単行本や講演活動を通じて地球環境問題の具体的な解決法などを提言して続けているが、今回のニュースレターは「地熱発電」を取り上げていて、希望を抱かせる情報が多くある。わが国での地熱発電の可能性については、私は本欄でも述べたことがある。ご存じのように日本は火山国だから、地熱エネルギーは豊富にあり、したがっていたるところから温泉が出る。これを発電に利用してこなかったことは、むしろ不思議なくらいだ。地熱エネルギーは事実上無限にあり、自然現象そのものだから、誰からも奪わない。これを環境汚染しないように効率的に利用できれば、化石燃料の使用を大幅に減らすことができるはずである。
 
 ジョナサン・ドーン氏(Jonathan G. Dorn)の名前によるニュースレターの記事は、この分野の開発に世界は今、どう取り組んでいるかを報じており、大いに参考になるので、読者にお知らせしたい。
 
 地熱発電の歴史は案外新しく、1904年にイタリアのラルデレーロ(Larderello)というところで始まったという。今や24カ国で行われていて、そのうち5カ国では、1国の発電量の15%以上を占めるまでになっているという。2008年の前半の段階で、地熱による発電容量は世界全体で1万メガワットに達し、イギリス1国の人口に匹敵する6千万人の電力需要を満たすまでなっている。地熱エネルギーが豊かな地域は太平洋を取り囲む火山帯で、チリ、ペルー、メキシコ、アメリカ、カナダ、ロシア、中国、日本、フィリピン、インドネシアなどが含まれる。また、アフリカでは「Great Rift Valley」と呼ばれるケニアとエチオピアにまたがる地域が有望である。同研究所の調べでは、地球が提供する地熱エネルギーの総量は、39カ国の7億5千万人以上の全電力需要をまかなえるという。
 
 地熱発電は通常、地熱によって暖められた高温水か水蒸気を使ってタービンを回すことで行われるが、最近は、水よりも沸点の低い液体を密閉した熱交換システム内で使う技術が開発されているという。これを使えば、火山をもたないドイツなどの国でも比較的低い熱源を使って発電が可能になるという。地熱発電のよい点は、低炭素の地元資源を利用できるだけでなく、それが安定しているため24時間とぎれなく利用できる。これは、風力や太陽光にない特長であり、エネルギーの貯蔵や予備設備の必要が少ないというメリットが挙げられる。

 この分野で世界をリードしているのはアメリカで、2008年8月の時点で、アラスカ、カリフォルニア、ハワイ、アイダホ、ネバダ、ニューメキシコ、ユタの7州の合計で2,960メガワットの発電容量があるという。特にカリフォルニア州の発電量は多く、この州だけで2,555メガワットの容量があり、同州の全電力需要の5%近くをまかなっているという。

 アメリカでは、2005年に施行されたエネルギー政策法(Energy Policy Act)で、地熱発電が連邦政府の援助の対象になったため、地熱エネルギーによる電力の値段が化石燃料によるものと同等程度まで引き下げられた。この経済的条件の向上により、同国での地熱産業はブームになっているという。2008年8月の時点では、アメリカの13州で、新しい地熱発電開発計画が97もあり、合計の発電容量は4千メガワットに達するという。

 しかし、現在の開発状況は、利用可能の地熱エネルギー全体と比べると、まだ表面を引っ掻いている程度のものという。アメリカのエネルギー省の推定では、新しい低熱発電の技術を使えば、少なくとも26万メガワットまでの発電が可能だという。マサチューセッツ工科大学(MIT)で行われたある研究では、地熱発電の研究開発に15年で約10億ドル(新型の石炭火力発電所1基分の値段)の投資を行えば、2050年までに10万メガワットの商用利用が可能になるらしい。

 このように、地熱発電の大きな特長は、開発コストが低い点にある。だから、地熱発電で世界のトップ15を占める国々の多くは、発展途上国である。世界一はアメリカだが、フィリピンは電力需要の23%をこれで賄っていて、世界第2位。この国はさらに、2013年までにこの比率を6割以上の3,130メガワットにまで拡大する計画をもつ。第3位のインドネシアには、これより野心的な計画があり、今後10年で地熱発電の容量を新たに6,870メガワット拡大する予定で、これが実現すれば、同国の現在の総電力需要の3割近くが地熱エネルギーでまなかえることになるという。日本は今、イタリアに次ぐ世界第6位だが、アメリカの約6分の1、フィリピンの約4分の1だ。

 アフリカでの地熱利用の可能性もきわめて大きい。ケニアがこの分野では先行していて、今年の6月、ムワイ・キバキ大統領は、今後10年で新たに1,700メガワット分の地熱発電施設を建設する計画を発表した。これは、現在の動向での地熱発電容量の13倍にあたり、他の発電方法のすべてを含めた現在の総発電容量の1.5倍に当たる。ジブチは、今後数年間で同国の全電力需要を地熱エネルギーでまかなうことを目指している。
 
 このような情報を知ってみると、“地震国・日本”という言葉の意味が大いに変わってくる。地震があることと地熱エネルギーが利用できることの間には、大いに関係がある。どこかの新聞では、いまだに“資源小国”という言葉で日本を卑下していたが、旧時代の発想から脱皮できないのである。温泉を愛する日本の皆さん、地熱エネルギーを大いに利用しようではありませんか。平和は実に“足元”から来るのです。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月17日

生物多様性に注目

 今日は午後、東京に小雨が降った。最近、日本各地で頻繁に起こる“ゲリラ豪雨”ではなく、春雨を思わせる細かい霧雨である。気温も急に下がり、前日から10℃近く低い25℃の涼しさは、まるで高原に来たようである。夕方、傘をさして仕事場からもどると、門から玄関まで続く飛び石のあちこちに、あわてて私に道をあけるヒキガエルの姿が多いのに驚かされた。彼らは、小虫を食べて大きくなるのだろうから、庭にはそれだけ数多くの昆虫がいるのである。今、自宅のリビングルームでキーボードを叩いているが、部屋の隅に置いた透明プラスチックケースからは、50匹以上のスズムシが盛大に鈴の音を響かせている。

 このスズムシのことは8月2日の本欄に書いたが、隣家の母が昔から飼い続けているものだ。母はこれまで、何度も庭に放して、自然の環境でスズムシの音を聞きたいと思ったそうだ。しかし、放した後、数日はその音が聞けても、やがて聞こえなくなり、不思議に思って探してみると、放した場所には大きなヒキガエルがいる--そんな経験をしたので、やめてしまったという。だから、わが家のスズムシは“自然”から隔離されて生き延びているのである。
 
 そうはいうものの、ここには昆虫は結構多くいる。昨夜は、庭に近いサンルームで夕食をとっていた際、目の前の網戸をつたって体長10センチほどのヤモリがぬうーっと姿を現した。ヤモリは昆虫を捕食するために出てきたので、網戸の向こう側には緑色のコガネムシが何匹も貼りついていた。コガネムシは、我々人間が果物を食べていると、その香りに誘われて飛んでくるのである。彼らのことはかつて本欄にも書いたことがあるが、ここ数年の“猛暑”の影響かどうか知らないが、夏になると大発生して我々を困らせる。樹木の葉を食べつくしてしまうのだ。今年はまず、キーウィーの葉がやられ、次にブルーベリーの葉と実がやられた。彼らは今はそこからスモモの木へ移り、ゴーヤにまで取りついて葉を盛んに食べている。
 
 昆虫は、もちろん“困りもの”だけがいるのではない。今時々、庭先に飛んできて我々の目を楽しませてくれるのがアゲハチョウである。ここには普通の黄色主体のアゲハチョウだけでなく、クロアゲハも、アオスジアゲハも飛んでくる。ハチの種類では、ミツバチもアシナガバチもクマバチも来るし、この間は、妻が大きなスズメバチを見たと言った。これに加えて、今は毎日セミの大合唱が庭中に響いている。種類も豊富で、アブラゼミやミンミンゼミは言うに及ばず、ツクツクボウシもクマゼミもヒグラシも鳴く。このほか、庭に出て目につくのは、糸をかけて巣をつくるクモ、軒下の乾いた土に擂り鉢をつくるアリジゴクなどだ。私の目につかない所には、この数倍、いや数十倍の種類の昆虫がいるはずである。だから、鳥もよく飛んできて、木の枝を巡りながら何かをついばんでいる。

 東京のど真ん中にいながら、これだけの生物多様性がある環境で過ごせることは、実に幸運である。それもこれも、わが家では私の祖父の時代から樹木を大切にし、植物を育て、農薬などで昆虫をむやみに殺さなかったからだ、と私は考えている。こういう環境を守るための生物多様性基本法が、この6月から施行されたことで、最近は企業もこの点を意識した開発計画を策定するようになったらしい。今日(17日)付の『日本経済新聞』によると、森ビルや富士通、三井物産、リコーなどの大手企業は、生物多様性の保全を目指した開発や再開発を行うことを、温暖化ガス削減に次ぐ環境経営の柱として取り入れていくという。
 
 記事によると、森ビルは東京・虎ノ門地区の再開発事業で地上46階の複合ビルなどを建設するが、この際に動植物の種類の多さを考慮して緑化地域を設計するらしい。また、富士通は2020年までの中期環境計画の目標の一つに生物多様性の保全を盛り込み、三井物産は今年度中に、5カ所の社有林で生物多様性の調査を行って森林管理に役立てる計画という。
 
 私はこのような傾向を大いに歓迎するが、企業イメージ向上のための“装飾的”な活動に終らないよう希望する。生物多様性とは、少しぐらい木を植えれば実現するような簡単なものではない。また、生物多様性が豊かな環境とは、人間に便利で、住むのに快適な環境では必ずしもない。カやハチや毒虫に刺されるかもしれないし、セミの騒音が耳障りかもしれないし、落ち葉や鳥のフンの掃除でコストがかかるかもしれない。人間の都合を最優先する現代の企業経営の考え方で、解ける問題と解けない問題がある、と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月16日

南オセチア紛争が拡大 (3)

 南オセチアへのグルジア軍の侵攻に対し、ロシアが大規模な軍事介入をした紛争は、ヨーロッパを巻き込んだ米ロ対立に発展しつつある。情勢の変化が急速なので、なかなか目が離せない。日本のメディアはオリンピックと終戦記念日に時間とエネルギーを費やしているが、メダルの数や靖国に参拝した政治家の数などとは比較にならないほど重大な変化が、世界で起こりつつあるのではないか。
 
 今日付の『日本経済新聞』によると、ブッシュ大統領は、15日に発表した声明の中で、「脅しは21世紀の外交を行う上で受け入れられる方法ではない」として、グルジアに進駐したロシアを非難し、ロシア軍の即時撤退を改めて求めた。この日、ライス国務長官はグルジアを訪問してサーカシビリ大統領と会談し、同大統領は、フランスの仲介によって生まれた停戦のための6項目の和平原則に関する文書に署名した。その際、ライス長官は「もはやソ連がチェコスロバキアを侵略した1968年ではない」と指摘し、ロシア軍のグルジアからの撤退を要求した。
 
 ところが今日の『日経』夕刊では、ロシア軍は15日夜、これらの警告を無視してグルジア国内にさらに進軍した。同軍はすでにグルジア中部の都市、ゴリに進駐していたが、そこから南東にある首都トビリシに向かって軍を進め、首都から約50kmの地点に接近したという。サーカシビリ大統領は15日の記者会見で、同国中部のハシュリとボルジョミにもロシア軍が展開したと発表したという。これに対してロシア軍高官は、グルジアへの進軍の目的は「グルジアとオセチア市民の戦いを止め、平和を実現するため」などとロイター通信に語ったという。同軍は、「武器の撤去・回収」を理由に黒海沿岸の都市、ポチや西部のセナキなどでも駐留を続けているらしい。

 このようなロシアの一方的軍事圧力に対して、近隣国の反応も出てきた。ロシア軍の侵攻を受けた当のグルジアでは14日、議会が親ロシア組織である独立国家共同体(CIS)からの脱退を全会一致で承認、親欧米色を一層明確にした。一方、アメリカのミサイル防衛構想(MD)の中で迎撃ミサイルを配備することに難色を示していたポーランドは、14日になってトゥスク首相がMD施設の受け入れを表明した。この施設は、ポーランド北部に10基の迎撃ミサイルを配備して、米兵が常駐する基地を建設するもの。同首相は、この合意文書調印に先立って「米国の同盟国としてポーランドは安全でなければならないという点で見解が一致した」と述べたという。これらのミサイルは、公式にはイランのミサイルを念頭に置いたものとされているが、ロシア側は自国を標的にしているとして反対を続けていた。アメリカは、すでにチェコとの合意が成立しているレーダー基地と一体化して、ポーランドのミサイルを運用する考えだ。
 
 今日の『日経』夕刊は、ブッシュ大統領がまもなく全米に向けてラジオ演説をすることを伝え、その中で、グルジアへのロシアの侵攻を非難するとともに、「世界の自由社会はこのような行為をまったく許容できない」と強調する予定だと伝えた。この演説の全文はすでにホワイトハウスから公表されていて、ブッシュ氏は「国民が民主的に選んだ政府を脅かし、侵攻したロシアを世界は警戒心をもって見つめている」と指摘するとともに、「グルジアでのロシアの行動は、21世紀の欧州におけるロシアの役割、意図に深刻な疑問を抱かせた」と述べるという。
 
 16~17日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、ロシアの近隣国の反応を伝えている。それによると、ベラルーシ、カザフスタンなどの独立国家共同体諸国は、ロシア軍の侵攻後何日も沈黙を守っていたという。ベラルーシは結局、紛争勃発後1週間たって犠牲者への哀悼の念を表明しただけだった。カザフスタンは、グルジアがCIS脱退を決めた後になって「共同体の統一が脅かされた」と強い調子で述べ、「複雑な民族間の問題は、平和的な交渉によって解決されるべきであり、軍事的解決はありえない」と言うにとどまった。トルクメニスタンも同様の見解を述べ、国内に民族問題を抱えているアゼルバイジャンは、「我々はグルジアの領土的統一を支持し、その地域の緊張が拡大しないための努力、平和への努力を支持する」との外務省声明を出した。どの国も、ロシアの軍事行動を明確に支持していない点は、注目に値するだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月15日

南オセチア紛争が拡大 (2)

 8月10日の本欄でこの問題について触れたが、事態は急速に変化している。この時書いたことが、一部誤解を招く恐れがあるので補足したい。それは、この紛争の大きな要因として「グルジア共和国内の南オセチア自治州が、“分離独立”を目指してナショナリズムを拡大していること」を挙げたことだ。この表現だと、ロシアはこの“分離独立”の運動と関係がないような印象を受ける。が、そうではなく、オセチアの分離独立派はロシアを庇護者と考え、ロシアはグルジアの西寄り姿勢を牽制するために、オセット人(オセチアの多数民族)を支援してきたのである。また、グルジアからの分離独立を求めているのは、オセット人だけでなく、西部のアブハジア自治共和国も同じである。
 
 8月12日付のアメリカの公共ラジオニュース(NPR )がこの辺の事情を詳しく説明している。それによると、黒海の東端から東へ広がるコーカサス地方には、昔からグルジア人のほか、オセット人とアブハジア人がいた。ロシア革命後、ソ連はグルジアを吸収した際に、これら3民族にそれぞれ自治権を与えた。現在ロシアとグルジアにまたがるオセット人居住地域は、1922年に北オセチア共和国と南オセチア共和国に明確に分断されたが、旧ソ連の領土に収まっていた。

 ところが、1980年代末にソ連が崩壊し始めると、オセット人とアブハジア人はグルジアに含まれることを拒否して、ロシア側へ庇護を求めるようになった。つまり、オセット人の自治拡大運動や南北統合の要求が盛り上がり、これに反対するグルジアとの間で武力紛争が起こるようになった。その一環として、1990年に本格的な武力衝突が起こったのが「南オセチア紛争」である。この紛争は1992年に停戦が合意され、ロシア、グルジア、南オセチアの三者で構成する平和維持軍が、この地域の停戦監視をすることになった。が、三者間の不信感が消えないため、その後も衝突が散発して、双方に多数の難民が生じていたのである。
 
 一方、ロシアにとっては、ソ連崩壊後に東欧が西側に移り、グルジアも独立して“緩衝地帯”が失われていくことが問題だった。特に、2004年に西向きの姿勢を鮮明に示すミハイル・サーカシビリ氏がグルジア大統領に選ばれたことで、ロシア指導部は危機感を抱いた。同大統領は、ロシアを潜在敵国とするNATO(北大西洋条約機構)への加盟の意志を明確にし、それを念頭においてアメリカの“テロとの戦争”に協力してきた。だから、つい最近まで、イラクに2千人の地上部隊を派遣していたのである。
 
 このような中で、8月の初めの週に、南オセチアの民兵とグルジア軍との間で銃撃戦が勃発した。7日になって、サーカシビリ大統領は、南オセチアの民兵が停戦合意を破って重火器を使って攻撃していると批判した。また、この頃から南オセチアの中心都市であるツヒンバリから住民の避難が始まった。そして8日、同大統領は軍に対して、ツヒンバリを確保するよう命令した。これに対し、ロシア軍は南オセチアに増援部隊を派遣し、グルジアの首都トビリシ近郊を含むグルジアの要所を攻撃するなど、本格的な軍事介入を行ったのである。

 このロシアの動きに対して、欧米が態度を硬化していることとその事情については、10日の本欄に書いた通りである。ロシアの攻撃の速さと作戦の巧みさが浮き彫りとなり、一部には、冷戦後のアメリカ一極支配が終わった象徴的出来事であるとか、新しい冷戦時代が始まったなどという評価が聞こえる。

 今日はわが国では“終戦記念日”と呼ばれる日だ。しかし、ご覧のように、世界では新しく戦争が始まった。今回の南オセチア紛争の拡大を見れば分かるように、民族意識(ナショナリズム)を鼓舞することは、現代においても依然として戦争の原因になりやすい。また、「往年の栄誉の回復」を目指すことによっても、平和は簡単に乱されることがある。この日にもう一度、戦争の原因と日本の将来について深く考えてみよう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月14日

本欄が書籍に (6)

 すでに一昨日の本欄で触れたが、このブログの文章等を集めた単行本の11巻目、『小閑雑感 Part 11』(=写真)がまもなく世界聖典普及協会から出版される。正式の発行日はPart11_bg 9月1日だが、版元では宇治の大祭に間に合わせようと諸準備を急いでいる。今回の本が扱う時期は、約1年前の2007年7月から10月までの4カ月間で、81篇が収録されている。特徴と言えるのは、イスラームに関する文章を初めとして宗教や哲学に関するものが全体の65%(53篇)と多いこと。それにともない、地球環境問題に関する記述が相対的に減った。しかしこの問題は、すでにマスメディアが日常的に取り上げるようになっているので、私でなければ言えないことは、それほど多くない。
 
 ただ、地球温暖化とそれにともなう気候変動は、ノーベル平和賞をとった国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が、受賞当時に予測したよりも急激に進んでいる可能性が高い。だから、本書の「はじめに」にも書いたように、各国の指導者たちはこれを“非常事態”として認識し、強力なイニシアティブによって低炭素社会への産業構造の抜本的変革を行ってほしいのである。以下、「はじめに」から引用する--
 
 地球温暖化は、(人類にとって)巨大で複雑な地球全体の気候システムが「温暖化」へ向っていく現象だから、個人や1国の努力だけではどうにもならない側面をもっている。が、逆に、少しでも多くの個人と国家が温暖化抑制の方向に動かなければ、止められない現象である。また、現在の気候システムには“引き返せない地点”(a point of no return)があると言われていて、その地点まで温暖化が進めばシステム全体が従来とは変質してしまい、もとへもどれなくなると考えられている。これを譬えれば「滝に向かって進む船」のようなものだ。滝から逸れるために舵を切るのでは、間に合わないかもしれないのだ。船の速度が速く、滝の流れが急激であれば、落下から免れる唯一の方法は、左や右へ“舵を切る”のではなく、船を逆行させることだ。そのためには船全体に負担がかかり、転倒したり、マストから落下して犠牲者が出るかもしれない。しかし、船全体と乗組員の大多数は助かるのである。

 --私がここで「船を逆行させる」と言っているのは、化石燃料の利用をやめることを指す。いきなりやめるわけにはいかないから、「増やさない」ところから始めて、早く「減らす」方向へ産業全体を誘導すべきである。これは日本1国のことではなく、地球全体でその方向へ進む合意に達する必要がある。そのための途上国への技術支援と、制度的枠組みの整備を先進国は一致団結して進めるべきと思う。

 この文脈の中で、宗教運動に何ができるだろうか? 現在の資本主義経済は一種の“欲望増幅装置”のような役割をはたして地球資源の枯渇を加速させている。だから私は、宗教はその欲望を沈静化し、「足るを知る」倫理を広め、さらには「与える」喜びを拡大していくべきだと思う。すでに与えられている全てのことを十分味わって感謝し、余分のものは他へ回していく。そういう布施や、菩薩行、愛行の原動力として、宗教は進むべきである。地球温暖化時代には、宗教者の役割は実に大きいと言わねばならない。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月13日

水木しげるの“妖怪”

 8月3日の本欄では、先ごろ亡くなった赤塚不二夫さんのマンガと私との関係について、少し書いた。その時に、同じマンガ家の水木しげるさんの名前も出したが、『墓場の鬼太郎』や『ゲゲゲの鬼太郎』等の水木作品については触れなかった。記憶をたどってみると、子どもの頃の私は、マンガの中の“絵”の質にも興味をもっていたから、赤塚マンガとは対照的な水木マンガの“絵”--つまり、根気のいる点描や緻密な線描によって絵に現実味をもたせた作風--には、いつも感心していた。また、それによって描き出される日本の田舎の風景や、そこに溶け込んでは現れる数々の妖怪にも、一種のリアリティーを感じていた。
 
 水木さんがなぜ、墓場や妖怪のマンガばかりを描いてきたのか、私は知らない。が、12日の『朝日新聞』夕刊に載った水木さんのインタビュー記事を読んで、何となくその理由の一端を理解できたように思った。水木さんは、20歳で軍に召集され、21歳のとき陸軍二等兵としてラバウルのあるニューブリテン島の最前線で、何度も死線を潜る経験をしたすえ帰還したそうだ。その時の話を、私は興味をもって読んだのである。
 
 6月19日の本欄で、「ふと思いつくこと」と“高級神霊”の導きとの関係について書いたが、水木さんが九死に一生を得た背後にも、そんな不思議な力が働いていたと解釈できるのである。記事によると、水木さんはある日、10人の小隊で最前線に送られ、不寝番をしながら海から来る敵を見張っていたという。そして、「望遠鏡であちこちのぞいていたら、きれいな色のオウムがいたんですよ。見とれてね、戻る時間がちょっと遅れた」という。この少しの遅れのおかげで、後ろの山から来た敵が小隊の兵舎を襲ったとき、その場に居合わせなかったのだ。水木さんだけが生き残り、やっとの思いで中隊に合流したそうだ。この後、敵の爆撃に遭って左腕を失ったため、水木さんは後方の野戦病院に送られる。このことも、生還できた大きな理由だろう。
 
 いつ敵の攻撃があるかもしれない最前線で、オウムの色の美しさに感動する心境になるというのは、「ふと思いつく」のと似ている。言い換えれば、これは「ふと美に振り向き」、戦う心をしばし忘れることであろう。それによって、水木さんは敵の攻撃を擦りぬけた。その後、左腕は失ったが、後方へ回されたことで、今度は“玉砕”を免れた。この際の水木さんの心境について、本人は次のように語っている--
 
「後方では、現地住民と友達になって、毎日のように集落に通いました。彼らは、食べて、昼寝して、畑を耕して、うまくいっている。規則なんかでがんじがらめじゃない。本当の自由がありました。私の理想の生活ですねえ。しまいには、“畑も家も嫁さんも世話するから残らないか”と真剣に言われたくらい、なかよくなりました」。

 このような水木さんの心境が、憎しみがぶつかり合う戦場や、その「憎しみ」の具象化である爆弾や弾丸から、水木さんを遠ざけていたに違いない。そのために左腕を失ったが、これが右腕でなかったおかげで、私も、私の子供たちも、そして戦後の多くの人々が水木マンガを楽しみ、またそこから多くのことを学ぶことができた。戦争では、何十万、何百万もの命が失われる。しかし、その中の「1人」であっても決して“虫ケラ”でないことを、この話は教えてくれる。「人間1人が生きる」ということの価値を改めて知るとともに、水木さんの戦後の活動の背後には、生還できなかった多くの戦友たちへの想いを感じる。水木しげるが描く“妖怪”は、そんな戦友たちの“魂”ではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月12日

スケッチ原画展

 本欄に書いた文章等を単行本にまとめた『小閑雑感』(世界聖典普及協会刊)シリーズが、このほど10巻目である『Part 10』を刊行したことを記念し、シリーズに収録されたスケッチ画などを展示する原画展が、今月の16日~18日の3日間、京都府宇治市の生長のMoles01 家宇治別格本山で開催される。展示品の中では、単行本の『小閑雑感』シリーズに収録された絵の原画は12点だが、未掲載の原画が52点あり、これらを合計した62点は展示即売される。また、このほかにも『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)に掲載されたものを含む絵封筒が34点、スケッチブック(モーレスキン手帳)2冊も展示される(ただし、これらは非売品)。展示即売による収益金は、森林の再生を目的とした活動に寄付されることになっている。
 
Moles02  私は画家ではないので、原画展などを開くことは小恥ずかしい次第だが、生長の家は発祥時から日時計主義を主唱し、運動に於いては今年から「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を推進していることもあり、私のスケッチ画や絵封筒、手帳へのメモ書きなどが、皆さんの参考になるかもしれないと考えた。また、森林再生に何らかの寄与ができれば嬉しいと思う。
 
 宇治別格本山では前にも1度、私の原画展のために部屋を貸していただいたから、これで2回目だ。今回目新しいものがあるとしたら、それは絵封筒と、私の使った手帳兼スケッチブックの展示だろう。特に手帳は、世界聖典普及協会のご協力により、透明のアクリル・ケースを使った展示となる。これは、手帳の特定のページを開いてそこだけが見えるのではなく、アクリル・ケースの両脇から手を入れて、中の手帳を実際に触ることで、すべてのページを開いて見ることができるものだ。ただし、手帳が汚れるといけないので、ゴム手袋も用意していただいた。
 
 また、同時期に『小閑雑感』シリーズの次の巻である『Part 11』が発刊されるほか、『Part 10』のサイン本も販売される。本欄をご愛顧くださる読者の皆さんには、よろしくお願い申し上げます。

 谷口 雅宣

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2008年8月11日

自然は善いか?

 8月8日の本欄では、自然界は人間の目に常に美しいとは限らないということを、自分のささやかな経験を引き合いにして述べた。これは、考えたら当り前のことでもある。自然界には、「食物連鎖」とか「弱肉強食」と呼ばれる現象があるから、捕食や死があり、腐敗があり、排泄がある。それらの一部は人間の目に「美」と感じるものもあるだろうが、大抵は「醜」と言わないまでも、決して美しいものではない。

 例えば、私はほぼ毎朝、生ゴミをコンポストに捨てるが、その際、腐った食物に群がる夥しい数のウジムシと対面する。彼らが自然の一部であることは間違いないが、私は彼らに感謝することはできても、好きになることはできない。これと同じことは、自分自身の排泄物にも言える。私は朝、トイレで排便することに感謝するが、だからと言って便を好きにはなれない。しかし、排泄物が自然の産物であることを否定する人はいないだろう。だから、自然は、必ずしも美しくないのである。

 では、自然は「善い」ものだろうか? これについても、山荘での私の経験を語ることにする。

 山荘に到着してまもなくのこと、妻がハチの死骸を2匹見つけた。2階の窓枠付近に落ちていたというのである。山荘の管理会社には、今回の利用の1週間ほど前に部屋の掃Beesnest 除を頼んであった。だから、これは見落としである。前回、5月の初めに来たときは、カマドウマが大量発生していて風呂の湯船の底に溜まっていたことを、5月4日の本欄に書いた。また、もっと前には、屋根裏にハチが巣を作って、山荘内を飛び回ったこともあるし、薪ストーブの煙突の中に、鳥が巣を作ったため、薪に火が点かないで困ったこともある。今回はプロに掃除を頼んだから、そんなことはないだろう……と思いながら点検していると、一緒にいた息子が、2階の屋根の明かり採りの窓の木枠に、10~15センチの大きさの灰白色の塊(=写真)を見つけた。
 
 それは、ハチの巣だった。よく見ると、まだ作りかけのようで、5~6匹のハチが巣穴を盛んに出入りしている。窓が開いていれば、彼らがそこから室内に入ることはいともたやすい。だから、妻が見つけたハチの死骸は、この巣作りと関係しているかもしれないのだった。人間はハチの恩恵を受けて作物や花や果物を得る。また、ハチミツが好きな人も多いだろう。だから、そのことを感謝することに吝かでない。しかし、だからと言って、何匹ものハチが飛び交う室内で平気で生活できる人は少ないだろう。我々も普通の人間だから、結局、ハチの巣を除去することになった。

 これはハチにとっては、とんでもない迷惑である。彼らは、自然が与えてくれた性向に素直に従って窓枠に巣を作ったのである。しかし、それは我々人間にとっては都合が悪いから、「ハチの巣は悪い」と考えられ、除去することになる。だから、人間にとって自然は必ずしも「善い」ものばかりではないことが分かる。

 このことも、考えれば当り前のことだ。今、日本の農村地帯では、シカやイノシシやサルの“食害”が悩みの種だ。クマが人家近くをうろつけば、ハンターの世話になることになる。しかし、この場合の“食害”とは、あくまでも人間の立場から見た自然の“悪”である。動物の立場から見れば、飢えたときに食物にありつくことは“悪”でも何でもなく、きわめて自然な行動である。が、人間にとっては、自然界は“害獣”や“害鳥”や“害虫”や“雑草”に溢れているように見える。こう考えてくると、自然界にある“悪”がどこから生まれるか、が理解できるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年8月10日

南オセチア紛争が拡大

 8月8日、63年前の長崎への原爆投下を想いながら、日本では多くの人々が“平和への誓い”を確かめ合っていたころ、ロシアは隣国グルジアへの軍の増派を開始、プーチン首相は「事実上、南オセチアでは戦争が始まった」と宣言した。同首相は、“平和の祭典”と呼ばれるオリンピックの開会式に出席していて、ちょうど同じ場所に同じ目的で居合わせたアメリカのブッシュ大統領と顔を合わせて、そう言ったのだ。ブッシュ氏はこれに対し、「誰も戦争を望んでいない」と早期の事態収拾を期待する考えを示した--9日付の『日本経済新聞』はそう伝えている。両者の心中がどうであるかは分からないものの、世界の大多数の人々が平和を望んでいても、戦争は起こるということを如実に示す象徴的な1コマではないだろうか。

 戦火拡大の大きな要因には、グルジア共和国内の南オセチア自治州が、“分離独立”を目指してナショナリズムを拡大していることが挙げられる。ここは人口が10万人で、うち6~7割がイラン系の言語を話すオセット人で、他はグルジア人だ。この自治州の北方のロシア領内には同じ民族が住む北オセチアがあり、民族的に分断されている。一方、グルジアは旧ソ連崩壊とともに独立した国だが、独立後には欧米への接近を強めているため、ロシアはそれを快く思っていない。特に、グルジアの現政権は“国家統一”のナショナリズムを掲げ、対ロシア軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)に加盟する動きを示している。ロシアはこれに対し、南オセチア自治州への接近を図り、そこの住民にロシア国籍を与えるなど、政治的・軍事的な牽制を行っている。
 
 こういう複雑な事情のある中で、欧米諸国は“西側”への加盟を目指すグルジアを支援している。これはイデオロギー的親近感だけが理由ではなく、エネルギー問題が密接にからんでいる。本欄でも何回か書いたが、ロシアは旧ソ連から分離独立して“西寄り”に動いたウクライナ共和国に対して、石油の大幅値上げを行い、これに従わない同国に一時、石油の供給を止めた。が、ロシアからウクライナを通る石油のパイプラインは、その先がヨーロッパに続いているから、これによってドイツやフランスなどへの石油の供給にも不安が生じたのだった。エネルギーを政治目的に使うロシアの外交姿勢に不安を感じた西ヨーロッパ諸国は、ロシアの影響が少ないルートを確保する動きに出ているが、その1つがグルジア領内を通っている。これは、BTCパイプラインと呼ばれ、カスピ海のバクー沖から産出される原油を、グルジアのトビリシ経由でトルコの港・ジェイハンまで運ぶルートだ。これを主導するのが、イギリスのBPやアメリカのシェブロンなどの石油メジャーである。日本の伊藤忠商事や国際石油開発も、このルートに権益をもっている。
 
 このように見てくると、最初に描いたブッシュ大統領とプーチン首相の会話が、普通の挨拶ではないことが分かるだろう。2人は「平和を望んでいる」ことはその通りかもしれないが、その「平和」とは、自国や同盟国の“国益”に反する場合には、犠牲になっていい種類の平和なのである。今回のロシアによる紛争拡大は、そのことを有力に示している。9日付の『日経』は、こう書いている--ロシア政権筋は「グルジア内の紛争状態を続けることがロシアの国益」と指摘。この数カ月間に分離派自治州への経済支援の強化と同時に、グルジア政府軍偵察機の撃墜や同国への領空侵犯などを繰り返していた。
 
 こうして、人口10万人の“小国”のナショナリズムは大国ロシアに見事に利用され、それに対して、グルジアのナショナリズムは自国統一のために“小国”攻撃に乗り出し、それに対して大国ロシアは戦線拡大を行って、西側諸国に揺さぶりをかけているのである。ロシアのこの“危険な賭け”も、かつて自国の“配下”だったウクライナやグルジアが西側へ動き、NATOが拡大する動きに対するナショナリズムだと見ることができる。すなわち、“往年の栄光の回復”である。だから、ナショナリズムを利用する国際政治は、戦争への危険を孕んでいることを忘れてはいけない。
 
 谷口 雅宣

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